第4話 拭えない自分(二)
(二)
明帆の見立てどおり近頃の裕市は仕事にやりがいを感じている。アーマーの重みのも心地よさをかじるし、何よりほかの人がまだ体験できない特別感がある。「なぜこの仕事に命を懸けるのか?」という答えが見出すことはできないが、それを探すこともまた自分に課せられた使命ともとらえている。
「はじめまして、私の名は搬送波生命体・ビーガル。」
「きたか。」
聞き飽きてはきたが、この戦士と一体感となることで、自信にもつながる。
今回の世界にたどり着き、滅亡する世界を浄化するよう裕市は身構えたが、その出鼻は見事にくじかれた。サンプルとして見せられたカビが蔓延したフィルムとは対照的にそこには晴天の青空の下、教会を背にして純白のウエディングをまとう花嫁とそれを迎える凛々しい新郎の姿があった。しかしそれ以上に目を引くのが、それを取り囲む百名以上の親族と五百名を超える報道陣。いまや世界的電機メーカーとなった大和田重工の三代目の婚儀ということもあり世界は破滅するどころか幸せに満ちている。無数のフラッシュがたかれる中で輝く花嫁たちにはその純白の通り汚れひとつなかった。そんな晴れやかな場面を教会の塔の影から見て裕市とビーガルは茫然としていた。
「ばかな・・・。」
「空間汚染率〇,〇〇〇〇二六八%。次の場面への移行をお勧めします。」
「しかし、僕はこの目ではっきり見た。フィルムの冒頭から大きく劣化していた。肉眼でも錆びつきや焦げ付きは激しくて、闇に閉ざされたようだった。こんな映像なんてとても・・・。」
「そう言われても。」
詰問に困惑するビーガルを見て裕市はハッと我に返った。今回使用されるマスターフィルムは短編で15分程度薄いリールであったが、事前確認でこの世界の荒廃さはある程度覚悟していた。映画ニュースと呼ばれる1950年代の映画の冒頭で放映される記録映像は通常の映画以上に保管が難しく数も膨大である。そして後世になると重要な資料となるものも多いので、リマスタープロジェクトに依頼されることも多い。
毎朝ニュース社が制作したこの映像も娯楽映画全盛期に制作されたが、1960年代に入るとテレビの台頭によってその需要はあっけなく途絶え毎朝ニュース社は倒産という末路をたどる。因みに毎朝という新聞社は現在でも存在するが、このニュース社とは無関係で未だにフィルムの現存が不明なものは無数に存在する。
今回使用されるマスターテープは依頼元である大和田重工の関係者筋に偶然わたっており難を逃れたが、保存する技術もその重要性を考慮する余地もまだまだ乏しく、各箇所に焼け焦げや煤の跡が散見された。きちんとフィルムリーダーに通るかどうかも慎重であったが、裕市が今いる世界では多少暗い雰囲気はあるものの、あの時の心配が嘘のように人々は平穏に動いている。
その中で当の花嫁があたりを見回し裕市がたたずむ影にも目を向けたので、裕市は慌ててビーガルを収納した。それでも男性はタキシードなどの清掃をする者が多い中での普段着は明らかに部外者という違和感を醸し出しているが、新婦はそんな裕市にも笑顔を振り撒いた。屈託のない笑顔であるが、当の本人はそれしかできないというのが彼女の本音である。日本が誇る世界的御曹司に迎えられたとはいえ、昨日までは実家の雑貨店を手伝う庶民階級の女学生である。慣れない多数のカメラに堅苦しい笑顔で応えるしかなかった。その笑顔とは対照的に新郎はどことなく不機嫌そうであった。裕市はイラついているようなその表情を見つめて少し萎縮した。
「やっぱり、ここは移動したほうがいいかな・・・。」
この空間に劣化要素があるかどうかはわからないが、この場を離れた。笑顔の新婦と不機嫌そうな新郎の婚儀が相反するふたつの感情が表裏一体の存在であると感じ、裕市は苦笑する。そして新婦の微笑みを見ると先日の明帆を思い出して、裕市は不思議と畏怖感情が芽生えた。
お読みいただき、ありがとうございます。
失われた劣化要因を探る裕市たちを待ち受けるものとは
次回をお楽しみに。