第3話 アイドル忘却化指令(七)
(七)
素性の知れない二人の男が対峙している光景の前は赤星にとって異様であった。馬暮という男は以前からファンであった妹の付添で何度か見かけたが、今日の風貌はどうも違っている。そしてその男の視線は裕市のそばにいる自分へ向けられた。なめまわすようなその視線は暗めのホテルの通路の中でとにかく不気味だった。
「しかし今回の件、赤星さんには本当にがっかりしましたよ。」
「ああ、そうだね・・・妹さんを裏切る形になってしまって・・・。」
「は?」
「あ、いや・・・本当に申し訳ない。」
状況をつかめず引き続き平謝りをする赤星だが、馬暮から迸る怒りの感情が必要以上に収まらない空気を感じていた。
「まだ妹が、あなたのファンだと思っているんですか?おめでたいことで・・・。」
「いったい・・・どういうことです?」
「妹は今日、『雷神―RAIJIN―』のイベントです。君塚くんに会うために朝から出かけましたよ。」
「君塚?君塚純の事か?」
「そうですよ、あなたの方がよく知っているでしょう。」
君塚純は事務所の後輩でRA BEATzのバックダンサーとしてツアーも一緒に回っていた。切れ長の目が特徴的で赤星もよく覚えていたが、あまり前に出るタイプではない根暗なタイプなので、その将来を気にはしていたが、どうやらこの未来の世界にきて新しいアイドルグループの中心メンバーとして活躍している。そのことに赤星は喜ばしく思ったが、そんな後輩に自分のファンはこれから乗り換えられると思うと複雑であった。
あの時から時代が経っているから当然だが、人の嗜好は変わる。『雷神―RAIJIN―』と名づけられたこのグループはRA BEATzと同じ事務所より売り出された4人組のアイドルグループで、名前のとおり和を基調とした楽曲コンセプトとバラエティでの活躍でRA BEATzの解散後の後釜にとして現在も活躍している。そのことはそばにいる裕市が一番知っている。
未来の事実は分かっているが、殊更その事実を突きつける馬暮という男にどうも嫌悪感を抱く。なぜこんなところにいるのかと問い詰めてみたが、どうも馬暮という男は自分が不幸の現場に立ち会うのが好きだという。遠回りに妹想いなのだと自己分析した。妹の趣向の変化は激しく、好みの切り替えが機械的で後腐れがない。馬暮の中に「まだ妹は前のグループへの未練があるのでは?」という人間臭い疑念が浮かんでしまう。赤星の謝罪会場に訪れたのもそうした思いがよぎってのことだと言う。しかし妹の舞はそんなことは知らない。今の舞は二年前の舞と別人といっていい。「男の未練がそうさせるのかな」と馬暮はつくづく苦笑した。その背中を丸めてジメジメとした男の仕草もまた二年前にあった時とは別人のようである。
以前は赤星が初主演した映画がカンヌ映画祭に特別招待枠として紹介された時もその良さを厚く論じていたが、「それは事務所が金を積んだプロモーションの一環だろ?カンヌの赤絨毯を歩くだけで、現地では笑いものだから。」と嘲笑した。
裕市は現地の評価など知らない。しかし馬暮のその評価になぜか憤りを覚えた。はじめは興味のなかったアイドルだが、これまでの小旅行を伴にして、少なくとも赤星という男の人の悪さを感じたことはない。なのにこの男の吐き捨てたような酷評はなんなんだ。ひとつのスキャンダルで赤星のパフォーマンスの評価まで変わってしまうのか。顔と清純性が求められるアイドル市場で彼らは何のために努力しているのか。
裕市は怒りの衝動を何とか理性で抑え込んだ。これまで人と大きな喧嘩をしたことがない裕市にとってはこの屑な男を殴る選択肢を持ち合わせていない。気持ちを落ち着かせたとき、裕市に一つの希望がよぎった。
(この男の妹なら雷神の、果ては社長の居場所にたどり着けるのではないか。)
気持ちを切り替えた時、妙に晴れた心地であった。
「妹さんは今どこにいるんだい?」
「何を今更・・・ファンを取り戻そうなんて無駄なことですよ。」
「ならそれでいい。」
そのことが分かると、通路裏手に控えていたビーガルが馬暮に向けて手をかざした。この男は終始面倒くさそうなそぶりを見せながら、目的の場所に向かう。本人は気付かないが、この空間では、この男の残留思念を具現化しなければならない。裕市たちはビーガルの盾となってこの男についていった。
その場所は意外なほど近く会場となるホテルから十分ほどで一軒の高級中華料理店に到着した。あたりはほかにも高級料亭が立ち並んでいたが、その場所だけ似つかわしくない少女たちが数名が群れを成している。熱心な雷神ファンがここに本人たちがいることを嗅ぎ付けているらしい。その中に馬暮の妹・舞の姿があった。既に大学生でおろした髪が大人らしさを証明していた。
「お兄ちゃん。どうしてここへ?」
「ちょっと道案内でね。」
馬暮は軽く赤星に目配せした。それに合わせて、赤星は軽く会釈をした。しかし、舞は首をかしげ不思議そうな表情を浮かべる。その仕草に赤星の淡い期待は崩れ去った。最早、かつてのファンはその興味を別の方へ向けており、過去の思い出は綺麗に切り取られているらしい。謝罪会見を終えた好感度最低のアイドルの存在に気づき周囲がどよめき始めている中、それに気にも留めない裕市は赤星の肩をポンとたたいた。
「落ち込んでいる場合じゃない、おそらく社長はここにいる。」
「何だって?」
赤星はすぐに自分の目的に気持ちを切り替えた。周りにいるファンから情報を聞き出していた裕市によると、店の奥にある『蓬莱の間』という個室があるというので、有無を言わず、赤星の手をとりその場を目指した。
今回もお読みいただきありがとうございます。
探し求めていた男が遂に明かす真実とは?
次回もお楽しみに。