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改装記ライブリマスター  作者: 聖千選
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第零話 新時代だった者たち

改装記ライブリマスター 第零話


 年の瀬の寒空に見舞われキャプシーヌ街のグランカフェには続々と紳士淑女が集まってくる。その服装に違わぬ落ち着いた空気に包まれていたが、奥の方で締め切ったままであったインドの間と呼ばれる小さな会場から、突如として悲鳴とどよめきが飛び出してきた。小さな室内で突如として煙を吐いた黒鉄の列車がこちらに向かってきたからだ。スクリーンという言葉が思い当たらない時代では当然である。仕組みが分からない三十三人の観客にはパニックでしかない。パニックの最中、その反応が分かっていたかのように画面を見つめ続ける二人の背広を着た紳士と呼ばれるには少しくたびれた男たち。独りはこのイベントの主催者としてこの炎上に頭を抱えるが、もう一人の男の落ち込みは少し違っていた。


 「結局、現れなかったか・・・。」


 体を少し猫背にしてその画面を凝視してみたが、画面に映る汽車から降りてくる乗客たちの中には男の求めていたものは姿を現さない。


 「ルイ、これで満足かい?」


 自分の肩にかけるその手をルイは力強く振り解いた。このフィルムに映し出された映像は彼らの祖国フランスをはじめ、ベニス、アフリカ、ブロードウェイ、東京・・・それこそこの星のすべてを映すつもりで切り取っていた。いつも隣にいる兄のオーギュストと同様、ルイもシネマトグラフはビジネスとして考えているつもりだが、そのフィルムにかつて収められていたひとつの被写体が再び写し出されるのではないかという期待があった。


 『ビーガル』


 彼らの尋ね人にそう名付けたのもルイである。そもそもの始まりは二十年前ほど前に父アントワースがはじめた写真館で掃除していたころから始まる。そのアトリエのなかでは当時流行だったダゲレオタイプのポートレートが並んでいた。その中でルイは『ルイ』という自分と同じ表題を掲げる一人の学生画家と思われる男の姿が気になって仕方がなかった。というのもその写真の左半分は逆光により影で滲んでしまっている。何かを描いているはずなのだが、その絵からはうかがい知ることができない。誰が見ても完全な失敗作と言われていたが、ルイにとっては陰翳礼讃といえるぐらい想像力を掻きたてた。闇に浮かぶ輪郭を手でなぞり、闇に潜む何かに存在を与え、神のご加護の化身の姿を与え、見えないはずの三原色まで浮かび上がってきた。ルイはその見えない姿の守護者にBGRの頭文字を綴って『ビーガル』と名付け、「ナイト」の称号を与えた。品評会で名の知れた評論家が協議した末に価値が与えられる作品たちとは違い、物置小屋も兼ねたこのアトリエに自分だけが自由に評価できる楽しさはルイにとって当時の生き甲斐でもあった。だがそんな楽しい思い出が長く続くはずがない。


 「坊ちゃんはまたあそこに隠れているみたいですね。」


 工場の従業員たちはルイのことを坊ちゃんと評する。ビーガルと呼ばれるナイトを見出して数年がたってもルイは地下のアトリエの闇に身を包ませていた。あの画家の写真はルイの知らない間に兄オーギュストによって数点の写真とともに処分されていた。そのためこの空間は少し広さを取り戻したが、ルイにとっては虚無感だけが拡がりいつの間にか仕事の合間のサボり場となっていた。


 一度ルイという画家について調べてみたことがあった。自分と同じフランス人であったが、その活躍の場をアメリカに移して写真家、そして新たな表現方法である「シネマ」の研究に勤しんでいたという。だが、その特許闘争に巻き込まれてアメリカを追われ地元フランスで謎の失踪を遂げたという。芸術家としての表現方法を模索していただけなのに、現実社会にもまれてその美しさを踏みにじられてしまうこの世界の無常さを知るたびに、ルイは今いるサボり場の方が本当の居場所であるように感じていた。


 「もう満足かい?」


 ルイのいる地下室の明かりをともしたオーギュストはこのから呆れ交じりにこの言葉を口にしている。父アントワースからこの会社を引きついで経営に邁進する兄にとって将来を見出せない弟はいつまで経っても子供でしかない。彼を大人として意識させるためオーギュストは一つのステージを用意した。


 『アメリカ』


 その言葉を聞いてルイは眉をしかめた。それぐらいはオーギュストも予測していた。だが、オーギュストは少し期待をしていた。ここフランスにキネトスコープというものが伝来されてから一年がたち、兄弟の研究はようやくシネマトグラフというスクリーンに映写する仕組みを開発することで結実した。


 (この世界のすべてを撮りたい・・・)


 狭い空間に押し込められていた少年の想像力ほど突拍子もないものはない。芸術家思考の弟の要望をうけていた兄はアメリカから撮影する条件で現実を突きつけた。

 オーギュストたちの事業を広げるためにも是非とも成し遂げたい一大プロジェクトとなるのだが、アメリカでの撮影に際してはトーマスという経営者が撮影に関する特許料を異常なまでに請求してくるという。当時、映写機に関して特許の取得合戦が盛んであった。その中でも、トーマスという発明家でもあり事業家である男はことあるごとに米国で裁判沙汰を起して関係者を困惑させることで有名だった。ルイたち兄弟も例外ではなくトーマスはルイたちが来米することを事前に聞きつけキップス湾に船を接岸するときも真っ先に乗り込んできていた。


 だが、偏屈なトーマスに対してもオーギュストたちには戦略があった。渡米する前に予め裁判の日を設定していたが、その前にシネマトグラフを手にした従業員を事前にマンハッタンへ派遣し、キネトスコープが既に設置しているカフェへ出向いてシネマトグラフを売り込んでいた。のぞき穴から一人で楽しむしかできないトーマスのキネトスコープに比べてシネマトグラフは投影する仕組みは短期間でより多くの大衆の心をつかもうとした。それによりシネマトグラフと自分たちの会社の名を知ってもらい異国であってもより多くの市民を味方につけようと考えた。

 その目論見は功を奏しマンハッタンの人々はフランスからの新しいシステムを口コミで広げていた。正確に言えば人々はシネマトグラフと呼ばれる新しい仕組みに興味を持ったのではなくそこに映し出される。映像の構図がとにかく美しく、オーギュストたちの用意した地元フランスの映像は同じヨーロッパ圏のイギリス系移民の多いこの土地では懐かしみをもたらした。これは写真館からスタートしたオーギュスト兄弟の芸術家としてのセンスによるものであり、トーマスは結局この部分に理解を示すことはできなかったことである。

 ともかくこの流れにトーマスは黙っているはずがない。マンハッタンで噂になったその製品は彼の地元ニュージャージーでも広まっている。地元のカフェからキネトスコープが次々と返品されその代替えでシネマトグラフが設置されている。だが、その出所が数日後、裁判を行うオーギュストたち兄弟のものであると知った時には大衆の心を取り返す余力は残っていなかった。さらにトーマスにはこの裁判だけでなく無線機や白熱電球に対しても裁判が立て込んでいる。日程上でもそこに時間を割くことができなくなっていた。居ても立っても居られないトーマスはオーギュストとルイが来米する日程を聞きつけ当日の朝、シネマトグラフの歓迎する一部の信奉者たちを掻き分けその船に乗り込んできた。そしてそのままニュージャージーの彼の研究室であるウエストオレンジに放り込むように案内した。それまで彼らの自由は奪われていた。裁判の日まで極秘裏に来米する計画であったが、シネマトグラフの反響は予想を超えており、それを発明した異国のフランス人兄弟はトーマスに代わる新たなスターになり始めていた。スターならば自由な時間は与えられるはずもなくオーギュストにとっての隠密行動も地元マンハッタンには噂となって広がっておりそのことはトーマスの耳にも入っていた。オーギュストは予定よりも早くトーマスと対峙し、裁判の前哨戦がスタートした。

 すでに怒りが収まらないトーマスは非常に早口で自分のキネトスコープの原理を説明し「シネマトグラフなど猿まねではないか」と主張した。その小難しさと時にこじつけも併せた彼の説明は付添の通訳では追い付かずフランスから来た兄弟を困惑させた。さらに厄介なのは彼が難聴であるためオーギュストの主張も「What!」の大きな一言で遮られてしまいオーギュストの弁明を鈍らせた。


 (裁判よりも厄介かもしれない・・・)


 トーマスの気性はオーギュストの予想をはるかに上回っていた。苦悶の表情を浮かべはじめたオーギュストに対して長いこと同じ場所に座り込められた弟のルイは本能的に集中力を失っていた。周囲をキョロキョロと見回したり座っているソファの弾力性を確かめるために何度もゆすったりした。その振動はオーギュストにも伝わっており余計に彼の神経をイラつかせた。彼を連れてきたこともオーギュストにとって誤算であったとこのとき感じた。

 そして弟はついには立ち上がり、この部屋の隣にあるスタジオをドア窓越しに見つめきわめて動物的に興味を掻きたてた。


 「なんだ、この無礼者は!」


 トーマスの注意さえも耳を貸さないルイはそこにある一台のキネトスコープに目が留まってようやくその足を止めた。「あの中身が見たい。」模擬裁判が続く中、ルイはそれとはお構いなしに兄たちに声を掛けた。空気の読まない純真な彼の訴えは対立するトーマスとオーギュストの間で「呆れる」という感情で一致し、一度コーヒーブレイクとなった。


 外蓋に止まったねじを外して、中身を確認してみると長尺のフィルムが洗濯物に干されたかのごとく並んでいる。その一つ一つを見つめてルイはしゃがんだまま動かない。「君の弟の方が、話が分かるようだね。私の発明に唖然としているではないか。」主張するトーマスの声をよそにルイは何かを探すようにフィルムを見つめ続けている。そして一つのコマに目が釘付けになった。


 「ナイトだ・・・」


 そう呟いた時、その装置にもたれかかるように気を失った。


「おやすみって、ここはホテルではないぞ!」


「どうやらまた見えないものが見えたらしい・・・。」


オーギュストの推測どおり弟は幼いころに出会った戦士にようやく再会できた。再会できたこの場所は一体どこになのだろう?さっきまでトーマスの研究所のスタジオにいたはずだが、いつの間にかその庭先のだだっ広い農場にいる。それは先ほどまで彼が見つめていたフィルムの一コマの情景に酷似している。ここはフィルムの中なのか?そんな疑問を通り越して一人の漆黒の戦士が彼の眼前に立ち尽くしている。


 「ビーガル、やはりあなたはフィルムの世界に・・・。」


 ルイの頭にはビーガルという戦士とディジョン駅で消息を絶った一人の画家の姿が重なっていた。あこがれの存在に聞きたいことは山ほどあった。しかし、ルイの溢れすぎる想いがつっかかってそれ以上の言葉が出てこない。そんな焦る状況の中で、ビーガルの姿はより遠くへ、そしてより小さくなっていく。 「結局あなたはまた、私の前から姿を消してしまうのですか?」


 再び悔いるルイを前にして消えゆく戦士の存在は語りかけた。


 (君が情熱を捨てない限り、私は何度でも君たちの前に現れる・・・。)


 夢のひと時はここで終わった。医者の到着までもう少し時間が掛るらしいが、トーマスは迷惑なことだ。入国する際、トーマスには絶対に頭を下げるまいと心に決めていたオーギュストも今回は「すまない」と言いかけそうになっていた。すると以外にもトーマスは初めてルイに声を掛けた。


 「見えない何かは何か言ったのか?」


 そして弟は戦士の最後の言葉を伝えた。彼の語る「情熱」という言葉がルイの耳に残ったまま離れない。目を覚ましたルイは忘れかけていた幼き日の情熱を取り戻していた。そして「撮りたい!」という素直な気持ちを兄に訴えた。その訴えは当の兄には伝わらずなぜかトーマスに響いたらしい。


 「ならば気の済むまで撮るがいい・・・。」


 後になって聞いてみると近頃のトーマスはオカルトに信仰しており難聴であるにも関わらず聞こえない声が聞こえると周囲に述べていたという。幼いころからコンプレックスの塊であった彼の人生は周囲とも溝を生み、世間と対立し続ける人生でもあった。そんな彼が人にないものを主張するようになったのは自然な流れかもしれない。オーギュストには計り知れないルイとトーマスの偏屈な世界が結果的に自分たちをいい方向へ導く法則が理解できない。オーギュストは取り敢えずそんな弟を与えてくれた母と神に感謝した。


 こうしてアメリカでの撮影がブロードウェイで行われた。撮影は無事成功したが、マンハッタンの繁華街ではトーマスにいくら示談金を払ったのかという賭け事が夜ごと行われたという。

 ともかく、彼らの撮影の旅は続いた。とり続けたフィルム1422本の映像は彼らの手で厳選され一つの作品集として祖国フランスで公開する運びとなった。しかしラシオタ駅の汽車の到着上映の騒ぎをおさめることはトーマスの訴訟よりも大ごととなった。


 「もう満足かい?」


 そんな中でも兄は再度、弟を問いただした。


 「満足なわけがないだろ・・・」


 ルイは初めて何の問いかけに答えた。シネマという新しいビジネスが動きだした今、その黎明のクリエイターたち歩みは止まらない。ルイの心の中に湧き上がる情熱はまさに目覚めの時を迎えた。これからである。その答えを聞いてオーギュストは軽くため息をついて安堵した。彼もまたどこかでその答えを求めていたからだ。ふたりは初めて面と向かって笑みを交わした。


第零話終わり-


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