先生
俺は中学校で国語の教師をしている。まだ若手の部類に入る俺は、自分の受け持つクラスに一つ問題があることを察知した。
それは土岐という生徒がクラスに馴染めずにいることだ。その女の子は少し影が薄いのか、はたまた人見知りで人と関わるのが苦手なのか、ともかくいつも一人で孤立しているようだった。
なので俺はより良いクラス作りのため、土岐の話し相手になることを決意した。コミュ力をつけるには会話するのが近道だろう、なら俺がおしゃべりの相手をしてやろうじゃないかって寸法だ。
「土岐、暇だったら先生と少しおしゃべりでもしてくれないか?」
「……いいですけど」
こんな感じで土岐を一言で表すなら、根暗そうな女の子。しかしそれは俺も同じ。かつて俺も人と馴染めずに腐ってた学生だった。なのでこういう子はどう接されたいか、イケイケな教師よりはわかってるつもりだ。
「休み時間も勉強しててえらいじゃないか」
「家でやる宿題を減らしたいだけです」
「いい心意気じゃないか。でも今日はおしまいだ、先生とぶらぶらしようぜ!」
「ちょ、ちょっと……」
めんどくさそうにしている土岐。じゃあぶらぶらするなら国語の宿題は免除してやろうとエサを撒くと、じゃあ行きますと即答した。
俺はあてもなく校舎の中をぶらつくことにした。話題なんていくらでも落ちてるし、教室でじっとしてるよりは気分転換もできるから一石二鳥だ。
「お、プールがバスグリン色になってるぞ! 来週辺りプール掃除があるから見納めだな」
「汚いですね」
「だな! しかし大人になると教師にでもならない限り見れないモノだぜ。目に焼き付けとくといい」
「嫌ですよ」
おおよそ教職者とは思えないような俺のアホな言動に、土岐は少し笑みを浮かべながら返事をしてくれる。
返事こそそっけないが、人付き合いが苦手だったらこういうもんだろう。悪くない手応えを感じながら、俺たちは昼休みをぶらぶらと過ごしたのであった。
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翌朝、教師である俺よりも先に教室にいた土岐に声をかける。誰か他のクラスメイトが登校してくるまで、おしゃべりレッスンだ。
「毎朝こんな早くに登校してすごいな。暇じゃないか?」
「別に……」
「土岐は部活も委員会にも入ってないし、もっと気楽にすればいいのに」
「じゃあ明日は遅刻してきます」
「おう! 明日の1時間目は国語だったな、なら大丈夫だ」
「え、いいんですか?」
まあ良くはないが、俺だって学生時代に品行方正という感じではなかったから止めはしない。ただ学校にはちゃんと来ること、そして他の生徒とは違う時間に登校するのだから防犯には万全の注意を払えるという約束付きだが。
「先生と違って土岐は女の子だからな。誘拐とか気を付けろよ」
「あの、冗談ですよ。遅刻なんてしません」
「そうか?」
「ていうか、先生は悪いことをするのに協力してくれるんですね」
「誰にでもすすめるわけじゃない。土岐はマジメだからちょっと好き放題させてもバチは当たらんと思ってるからさ」
「ふふふ、変なの」
クスクスと笑う土岐はいつもの孤立してる時よりよっぽど輝いていた。思っているほど人見知りというわけでもないようだし、受け答えもしっかりしている。これならちょっと他の生徒と関わりを持たせてあげれば、すぐにクラスに馴染めるだろう。
そんなことを考えていたら、段々と他の生徒が登校しはじめてきた。さて、いったんおしまいにして朝のホームルームの準備とかでもするとしよう。
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そして3時間目がやってきた。土岐は体育なので今ごろグラウンドで汗をかいていることだろう。ちなみに俺は今の時間に国語を入れてるクラスが無いので、職員室で事務作業中だ。
(はぁ~、テストの採点めんどくせえな~。この解答1個1個に丸つけるのマジ疲れるなぁ)
もういっそ、パッと見で正解がいっぱいあったらでっかい丸一個つけて100点にしたい、とかバカな事を考えはじめてしまう。
こうなると仕事が手につかないので、気分転換に窓から土岐でも眺めることにしよう。あの運動大嫌いそうな子が、どんな様子で体育をしているのか見てみたいし。
(お、俺のクラスの子達がちょうど集団行動してるな。土岐は女子の中でも小柄だし先頭付近かな……あれ、いないぞ)
ちょうど校舎のほうを向いて生徒たちは"前にならえ"のアレをしてるので、顔が分からないとかそういうことはない。しばらく見物してみるが土岐の姿を見つけることはなかった。
(うーむ……あ、教室に国語の教科書置きっぱだ。4時間目が始まる前に取っとかねえと)
2時間目に授業をした時に忘れ物をしていたのを思い出した。4時間目は俺のクラスは数学なので、俺の教科書が教卓にあると邪魔になってしまい迷惑だろう。それに俺も次の時間は他のクラスで授業するから使うし、早く取っておかねば。
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「お? 授業サボりの邪魔したか、土岐」
「バレちゃった……」
「まったく、しょうがねえな。まあ怒られない程度にしとけよな」
「叱らないんですか?」
「先生も昔サボり魔だったしな。それに先生も今ちょっと職員室から脱走中だ。サボり仲間だな」
「仲間、ですか。やっぱり先生って変なの」
とか言いながら、嬉しそうな顔をしてさっきの授業で俺が出した宿題を進め始める土岐。ははぁ、嫌いな授業をサボってる間に他の授業で出された宿題を済ませるのか。効率良いな……ってちょっと待て!
「サボって宿題とは、ふてえやつだな!」
「えー、じゃあ何して時間つぶせばいいんですか」
「そう言われると……」
実のところ、授業をサボるという背徳感がイイのであって、何かしたいからサボるわけでもないしなぁ。
「あ、でも先生が中学生だった時とは違うことが一つあるな」
「ほほう」
「サボり仲間がいてくれる。一人で時間つぶすの寂しいよな、みんな来るまで秘密の談合でもするか」
「なにそれ、バカっぽい」
「知らなかったのか!? 先生はバカだったんだぞ! ほら、バカのおなぁ~りぃ~」
「ぷふふ、へーんなの」
テストの採点をし続けて精神的に疲れてた俺も、心のどこかでこういうのを期待してたんだろう。そんな事を考えながら土岐の笑う顔を見ていると、こんなかわいい笑顔の女の子がクラスから孤立しているのが本当に不思議に思えてならなかった。
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そして昼休み。しばらく土岐と過ごしていて、だいぶ彼女の事が分かった気がした。なので思いきって、女子のグループに土岐と仲良くしてあげるようにお願いすることにしたのだ。もちろんド直球で頼むわけじゃない。遠回しに土岐の良さを伝えて仲間に入れるよう根回しするのだ。
「私たちみたいな暗い女子に何の用ですか?」
「いや、君たち4人はなんか似た者同士が集ってるなぁって」
「そりゃウチら、全員BL大好きですし」
「BLが何なのか知らないけど、君らと同じようなタイプの土岐は友達じゃないのか?」
「トキ……トキ?」
「は? うちのクラスの土岐だよ。ちっちゃくて、一番後ろの席の、ほら、なんか存在感が薄い……」
他にも髪型とか色々特徴を言ってみるも、4人とも土岐なんていうクラスメイトはいないと言う。いったいこいつらは何を言ってるんだ?
「よくわかんないけど、私たち昼休みは部室でBL本読むんでこれで失礼します」
「あ、ああ……BLって本の事なのか。読書に励むのは国語教師として嬉しいぞ、邪魔してごめんな」
4人の女子グループと別れた俺は、何とも言えぬ気分になっていた。まさか土岐は集団無視されているのか? だから教室でいつも孤立しているのか?
しかしそれなら、さっきみたいに俺にまで土岐知ーらないなんて態度はとらないだろうし……何かがおかしい、しかし何がおかしいのか全くわからない。
とりあえず今日の放課後はいつも通りに土岐と接しつつ、何かあったか聞くことにしよう。
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「ね、さっきの先生の様子、もしかして学校の七不思議の……」
「えー、あんなのデマでしょ!」
「ウチはガチっぽい気がするけどな~」
「学校の七不思議てなんなん?」
「知らないの? えっとねぇ」
言い伝えによると、この世に未練を残したまま亡くなった生徒が、若い男の先生の前に現れて気を触れさせ、やがて自殺に追い込むというもの。
特に自殺の仕方がダイナミックで、猛然と4階の廊下を走り抜けたかと思うと、突き当たりにある窓から飛び降りて、地面に激突して死ぬと言う。
そして今までの先生はみな、なぜかプールの見える方向の窓から飛んでいるというのが、この学校の七不思議の一つだ。
「意味不明すぎて怖すぎなんですけど」
「そういえば最近の先生さ、なんか空いてる机に向かって独り言いってたりしない?」
「あ、そういえば昨日、4階の廊下の窓からプール見て独り言いってる先生見た!」
「うーん、でもそれ、ここ数日の話でしょ。ちょっと疲れてるだけじゃない」
「つれないな~」
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放課後。いつものように土岐とおしゃべりをしている。なんだかあの話題を切り出しにくいので、関係ない話をしながら心を落ち着かせることにした。
「そういえば土岐の制服って、なんかみんなと違うよな。いにしえの感じがするっていうか……」
「えっと、その……あ! これは年の離れた姉からのお下がりなんです」
「ほー、姉がいたんだな」
「そそ、そうですよ」
なんかしどろもどろだな。いや、俺が勝手に土岐にモヤモヤした疑問を持ってるからそう聞こえてるのだろうか?
ええい、だとしたらロクに会話ができないな。もういい、多少変な目で見られるのを覚悟で言っちゃおう!
「あのさ、今日の昼休みにクラスの女子に土岐について聞いてみたんだよ……」
「……そうですか」
「そしたらさ、なんかこう、ちょっと俺の聞き間違いかあの子達の言い間違いだと思うんだけどな、」
「ねえ、先生。今日はいっぱいおしゃべりしませんか」
「え?……あー、そうだな。土岐が満足するまで、いくらでも先生付き合っちゃうぞ!」
「……うれしい。ありがとうございます」
俺の言葉は土岐に途中でさえぎられたが、モゴモゴしてて自分でも歯がゆかったから気にしないことにした。それよりも、何だか土岐の様子がおかしくなってきた。何やら具合が悪そうなのだ。
「熱でもあるか? 少し座って水でも飲もうか」
「先生、わがままなんですけど、背中におんぶしてくれませんか」
「もちろんいいさ! ほら、おいで」
「よいしょ……じゃぶらぶらしながらおしゃべりしましょう。さあ歩いてください先生」
「お、おい、まさか仮病じゃ……」
「さて、どうでしょうね?」
「まったく、土岐は軽いからいいけどさ~」
思うけど土岐って結構あれだよな、魔性の魅力があるというか……って、中学生の教え子に俺は何を考えてるんだ!
しかし、意外と土岐の体温ってあったかいんだな。実はこれ仮病じゃなくて、ほんとに体調悪かったけど心配させないようにあんな風に言ったのだろうか。
「先生、今から絶対にあたしの方を見ないでください」
「なんでだ?」
「女の子には、絶対見られたくない姿があるんですよ」
「あ、これは失礼しました。じゃお姫サマ、上の階にでも参りましょうか」
のんびりと放課後の校舎をぶらつく。土岐の様子は心配だったが、おしゃべりしたいようなので俺は付き合ってあげる。
しかし、本当に熱い。2階、3階と校舎を回るたびに熱くなっていく……
「あははは、先生ったらほんとへんなの~」
「だろだろ~、はっはっは……ふぅ、ふぅ。なあ土岐、ほんとに大丈夫なのか。体が尋常じゃなく熱いぞ」
「……4階ですね。じゃ、そろそろ本題に入るとしますか」
「ど、どういう意味だ?」
何度も言いますが決してこちらを見ないでくださいよ、まあもう振り返れないでしょうけど。と土岐は言う。困惑しっぱなしの俺は思わず後ろを振り返ろうとしたのだが……
「なっ、金縛り!?」
「あら先生、ダメじゃないですか。言ったでしょう、女の子は絶対見られたくない姿があるって」
「土岐……」
そう言う土岐の声は、ひどく悲しそうだった。その口調は、まるでもう二度と"以前"の姿を見せられないとでも言うような、そんな気がするほどだ。焼けるように熱いし、いったい俺の背中で何が起こっているのだ?
「せんせい……ねえ、せんせい……」
「どうした?」
「……」
次の瞬間、
「熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!」
土岐が大きな声で泣いている!! と同時に、土岐に触れていた俺の腕や腰から突然火があがった!!
「せんせいたすけて!! たすけてたすけてたすけてたすけてタスケテタスケテタスケテ!!」
「ぐぁぁぁぁ! クソッタレ、どうすれば……」
少し先には窓……そうだ!
(あの窓の先には……プールがある!!)
少し離れてはいるが向こうにはプールがある。ここから死ぬ気で助走つけて飛び降りたら、もしかしたら……
「先生……」
「任せろ土岐! 助けてやるさ!」
俺の足にも火の手は迫る。しかしそんなこと気にしない。文字通り、命がけで俺たちは窓を突き破った。後はもう、プールに届くのを祈るしかない。
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…
……
………
さっきまであんなに熱かったのに、今度はとんでもなく寒い。ああそうか、俺は……
「ねえ、あと何回あたしは焼け死なないといけないのかな? ねえ、せんせい。ねえねえねえ」
プールに届かなかったんだ。しかし、土岐……ようやく分かったよ。土岐ってこの学校で数十年前に起きた凄惨な火災事件の犠牲者だったんだな……
「もう返事できないか……それじゃあね、先生。さて次の先生はどうかプールに届きますように」
俺は力を振り絞って、どうしても心配だった土岐の姿を目に刻む……ああ、やっぱりだ。俺の力不足なせいで……
土岐の体は、ところどころ炭のようになるまで焼けただれていた。あのかわいい笑顔を見せてくれた顔も、もう原型がわからないほど焼け落ちてしまっている。だからこそ、どうしても、これだけは伝えたい。
「あ!! も、先生、ダメなんですよ、女の子には見られたくない……ぐすっ……」
最後の力を振り絞り、口に力をこめ別れの言葉を発しようとあがく。しかし、まるで眠りに落ちるように、まぶたを閉じてもいないのに視界は暗くなっていってしまった。
…
……
………
ちゃんと土岐に、どんな姿になっても先生と土岐はサボり仲間だって伝えられただろうか? 最後の最後に俺の口は動いてくれたのだろうか?
だがきっと、こうして俺は成仏したってことは心配ないんだろうな。
そして願わくば、次の先生は土岐をプールまで届けて彼女も成仏させてやってほしい。
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