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恋のてつがく!  作者: 蜂矢ミツ
3/8

恋に『溺れる』

 ぷくぷくぷく。

 ぷくぷくぷーぷぷぷ。


 ここは深い海の中。

 お魚さんたちが、こいつは何だろう? とそのお口でつんつんと、翠狸をつついています。

 くすぐったくて、思わず笑ってしまいましたが、呼吸に問題はありません。

 しっかり酸素ボンベを背負い、ダイバースーツを身にまとっているため、安心安全です。


 そう、今回の目的はずばり、『溺れる』体験です。

 しかし、先の愚行以上の危険を冒すことを、紅狐がゆるすはずもなく。

 百歩譲って、ダイビングをすることで落ち着いたのでした。


 水の中で光が反射して、不思議な彩りを醸し出しています。

 地上で暮らしている生きものにとって、水の中は、未知の空間と言えるでしょうか。

 翠狸も例外でなく、初めて見る景色に、息をのんだのでした。


 群れをなして、水中を勢いよく泳ぎまわる魚たち。

 あんなにたくさんいるのに、よくぞぶつかり合わないものです。


 海の底、岩の上をのっそりと歩く蛸。

 口を固く閉ざした貝。

 鮮やかな色のサンゴや海藻。

 その他、名前も分からない数々のものたちが、たえず息づいていました。


 手足の短い翠狸は、あまり自由に泳ぎ回ることはできませんでしたが、同行した紅狐がうまいこと誘導してくれたおかげで、さまざまな美しい景色を見ることができました。


 趣旨は少しずれてしまいましたが、これはこれで、貴重な体験となりました。

 新たに生まれたあたたかい感動を胸に、翠狸と紅狐は手を取り合って、ゆっくりと浮上していきました。







「すごかったなあ……! 出てきたばっかりなのに、もっかい潜りたくなっちゃうな!」

「本当だね。その内に、また来ようか」


 海から上がり、翠狸は満足げにぷーっとお腹を膨らませて、砂浜にころりと仰向けに寝転がっています。

 そのお腹をつつつと紅狐がくすぐって、きゃっきゃとしばらくいちゃついてやがりました。


「ぼく、考えたんだ。そもそも何で、恋に『溺れる』のか。

 恋することって、泳ぐことと似ているのかもね?」


 ひとしきりじゃれ合った後で、落ち着いたのか、おもむろに翠狸が話し始めます。


「未知の世界に飛び込んで、あるいは落っこちて。

 慣れ親しんだ日常、地上とは違う、恋っていう自由の利かない水の中で、もがいて、泳いで。

 経験を積むと前よりうまくやれるらしいのは、泳ぎが上達していくようなもんかな」


 砂の上で、すいすいと泳ぐジェスチャーをとっていましたが、今度はぴたりとその動きを止めて、言葉を続けます。


「溺れるのは、何かにぶつかったり、足を取られたり。あるいは泳ぎ続けることを諦めてしまったりするから、かなあ。自分の自由を、明け渡してしまう。

 生まれついて、魚みたいにすいすい泳ぎ回れる人もいるだろうけど、多くはそうではないし。また水場だって海や川や沼や湖ってふうに様々だし、水質だっていろいろだから」


「自分に合った水を、見つけていければいいんだろうな。

 そういや、水が合う、なんて言葉もあったね」


 そうちいさく呟いて、翠狸は海を眺めながら、波の満ち引きの音に合わせて、ゆらゆらと左右にからだを揺らしています。

 そんな翠狸をながめながら、紅狐も少し、『溺れる』ということに、思いを馳せていました。


 ――魚は、地上ではうまく息ができないから。

 恋をしたら、それこそ水を得たように、全てがうまく回りだす。そういうこともあるのかもしれない。

 特に、私のようなものにとっては――


 恋をする前こそ、空気に溺れていたようなもので。

 恋をしたからこそ、ようやく呼吸ができるような。


 そんなことを思いながら、いつもそうしているように、紅狐は翠狸を、後ろからぎゅっと抱きしめたのでした。

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