苦しい時の神頼み.4.
思いのほか物語が進まない……。飽きられそうで怖いですが見捨てないでください(笑)
誤字脱字などのご指摘よろしくお願いします!
「…………はぁ」
放課後、悠斗はまなみとの約束通り書物庫へと向かうべく一人、綺麗に磨かれた廊下を歩いていた。これからの労働を思うと自然と溜息が零れる。しかし悠斗の身体は、既にかなりの重労働を強いられた後なのは何の因果だろうか。と言うのも、悠斗に課せられた無条件補習と毎朝の小テストを逃れる為に身を粉にして嶺影の仕事を手伝ったのだ。その結果、広大な学園内をひっきりなしに走り回る事となったのだが、その甲斐あってか、帰りのホームルーム時に「よし神喰、今回の働きに免じてお前の無条件補習と毎朝の小テストは見送ってやる」と許しを貰える事と相成った。
「ホント世の中理不尽だぜ……クマも手伝ってくれたっていいのに」
磨かれた廊下は途切れ、屋根の無い渡り廊下とは名ばかりのコンクリ通路をごちりながらひた歩く。遠くで野球部の発声が聞こえ、武道館の横に差し掛かると柔道部の怒声にも似たかけ声が悠斗の聴覚器官を刺激した。武道館を通り過ぎると、文館B棟の入り口が見えてくる。文館B棟は文化部の部室が集まっている校舎だ。コンクリートの渡り廊下からその文館B棟へ入る入り口には、美術部の仕事と思しき風景画が壁一面に描かれている。無駄に壮大な絵画でハイファンタジーのような幻想的なものだった。そのせいで、ただの校舎の入り口なのに異界の世界への門に見えるから困ったものだ。そんな遊び心しかない文館B棟に入ると正面にある階段を上り二階から伸びている正真正銘の渡り廊下を通り、向かいの図書室へと移った。
ここまでくれば、目的地である書物庫はすぐ傍だ。図書室への扉を開き、螺旋階段を下りて行く。明神学園の図書室は、見渡す全てが本棚で、四方を囲む全てが書物となっている。図書室なのだから当たり前。と、言われてしまえばその通りではあるが、しかし二階建ての図書室が一体どれほどあるだろうか? 吹き抜け構造となっている明神学園の図書室内は、天窓から注がれる自然光で優しく照らされている。
これだけの蔵書量がある明神学園の生徒からしてみると、地元の市立図書館がジオラマに見えるのかもしれない。最も悠斗は、決して読書家でも勉強家でもない為、この図書室に出入りするような事はそれほど無い。当然ながら十分に市立図書館を立派なものだと感じる。
そして、放課後である現時刻で図書室にいる生徒はごくわずかで、皆一様に机に向かい勉学か読書か、男子生徒だけで集まっている一団は如何わしい取引か……。そんな思い思いの時間を過している生徒達の横を素通りし、貸し出しカウンターの脇にある鉄製の扉を開けた。
すのこが敷かれた先に、小さくも大きくもない当たり障りのない古ぼけた蔵が四つ佇んでいた。目的地である書物庫だ。
「ふぅ……どの蔵だ?」
悠斗の疑問に答えるかのように、正面の一番大きな蔵の扉が開き、中から明神学園のジャージを着たまなみが姿を見せた。長い髪は後ろで一つに括りポニーテールにしている。
「遅いぞ神喰君。日が暮れてしまう」
悠斗を見つけるや否や早速ダメ出しをする。
「あぁ、ごめんごめん。愛嬌さんが持ってるそれが捨てる本?」
小走りで駆け寄り、まなみが抱えている本の束を見る。
「その通りだ。貸し出しがされていない本は片っ端から捨ててくからな。と言っても殆どの本が貸出なんてないんだがな」
抱えていた本を台車の上に乗せる。衝撃で埃が舞い上がった。
「……見て分かるように神喰君。中は相当埃っぽいから着替えた方がいいぞ?」
「そうみたいだね。それじゃぁ」
「と、言っていきなり脱ぎ出すのは止めろ」
「まだ脱いでないけど?」
「どうせ脱ぐ気満々だっただろ変態。影でやれ」
まなみの言う通り悠斗は、既にボタンを外し着替える気満々だった。
「……まぁそうか。そうだな」
一瞬不思議そうな顔を浮かべた悠斗だったが小さく頷くと、そそくさと書物庫の裏手に隠れた。
数分後には、ジャージに着替えた悠斗が現れた。
「おや、学校指定のジャージじゃないな。何でそんなの持ってるんだ?」
悠斗が身に付けていたのは、大手スポーツメーカーのジャージだった。
「あぁ、今日の朝に言っただろ? バイトで使うんだよ」
「へぇ、肉体労働なのかい?」
「うん、かなりの」
脳内に荒れ放題の伏之神社を思い浮かべると自然に唇の端が引きつる。
「今日からバイトなんだよ。だからあまり遅くまでは手伝いえないけどいい?」
「あぁ、構わないよ。どうせすぐ終わるから」
「そうなんだ?」
「あぁ、だから早く終わらせてしまおう」
「そうだね」
腕まくりをしながら、悠斗はまなみと共に蔵の中へと入って行った。
書物庫の中は思いのほか広く、綺麗に整頓されている。しかし、埃っぽいのは否めない。平積みで置かれている多くの本は、日焼けをしており黄色く煤けていた。
「それでどの本を処分するんだ?」
「三年以上の貸し出しがない物は全て。まぁ、全てと言っても合間を縫って図書委員が大方やっているみたいだから、後はほんの少しだと思う」
「そっか」
そんな短いやり取りの後は、二人無言で作業に励む。舞い上がる埃に咽ながら黙々と本を運び出していく。そんな単調な仕事に精を出し始めて数分後、不意にまなみが口を開いた。
「そういえば神喰君。君のバイト先の神社だが何て名前だ?」
「伏之神社だけど?」
「……知らないな。廃神社か? 雇い主は誰だ?」
「…………神主だよ」
「廃神社に神主なんかがいるわけないだろ。何を隠している」
「いやいや、何も隠してなんかないよ。廃神社であるのは否定しないけども、そこを再興しようとしてる人に雇われたんだ」
全てが嘘という訳でもない為、妙な信憑性を帯びている。
「……ふぅん、そう。頑張って」
何か引っかかっている雰囲気ではあるが、それはまなみの無表情の下に隠され、それ以上の追及はなかった。
「え? あぁ、うん」
何故そんな事を聞いてくるのか不思議に感じつつも、特に気にするような事ではないと思い改め曖昧な返事を返す。それからは、再び作業の音が蔵の中で木霊するようになった。
「さて、後はこの棚の本だけだな」
整理を始めてから一時間程経った頃合いだろう。まなみが右奥に供えられている小さな棚の前に立ち悠斗に声をかけた。
「あ、なら僕がやっておくから愛嬌さんは、帰りなよ」
「それはおかしな話だな。私が君に頼んだんだ。神喰君が帰るならまだしも、何故私が先に帰らなければならない?」
「このくらいだったら僕一人でも出来るし、愛嬌さんは女の子だからね。あまり遅くなると危ないじゃないか」
「それは男女差差別かい?」
「そうだよ」
「…………嫌だ。私がやるから君が帰れ、バイトがあるんだろ?」
「強情だな、僕がやるからいいってば。早く着替えてきなよ」
「君の方こそ強情だな。嫌だと言っている」
睨み合う事数秒。悠斗が妥協案を提示する。
「……ならこうしよう。愛嬌さん、僕に飲み物を買ってきてよ。その間に僕がこの棚の整理やるから」
「なるほど、体の良い厄介払いか」
「嫌だなぁそんな悪い考えじゃないよ。単純に明神学園の副会長である愛嬌さんを顎で使ってみたいだけだぜ」
「…………良いだろう。分かった何がいい?」
「炭酸なら何でもいいや」
「そうか、分かった。今回は私の奢りだ」
「おぉ、ありがとう。それじゃぁ頼むよ」
「あぁ。君は、怪我するなよ?」
「それは本来男のセリフだ」
「そうか」
薄く笑うとまなみは、書物庫から出て行った。蔵の中には悠斗一人となり、急に物静かになる。小さな窓から差し込む光はかなり赤みを帯びてきていた。
「さて、ちゃちゃっとやるか」
そう意気込んで悠斗は本棚に向かう。最期の棚はどうやら民俗資料が集められている場所のようだ。一番上に積まれている本を手に取り一番後ろのページを見る。
「うわぁ……最期の貸し出し日が三十年も前じゃないか」
どうやら民俗学に興味を示す生徒は少ないようだ。民俗資料は、他の本に比べると比較的に薄く小冊子のようなものが多かった。奥の方には巻物のようなものまである始末だ。もしかしたら高価な文献が出てきたりするのかも、などと邪な考えも浮かんできたが、そんな事はまずあり得ない事だと常識的な考えがそれを否定する。
そして、ふと伸ばす手を止めた。
「……ほぉ」
悠斗が伸ばした手の先には、古ぼけた民俗資料があった。その資料は比較的に大きいものだ。表紙には掠れた字で『紀戦花台・伏之神社伝承録』と書かれていた。
「どれどれ……」
それを手に取るとおもむろにページを開いた。表紙の有様で大方の予想はついていたが、中身はとても読めた物じゃなかった。文字は掠れて滲み、所々虫食いに喰われたかのような穴が開いている。もはや資料でも何でもない、ただの紙束と成り果てていた。
「こりゃ酷いな」
資料を閉じようと傾けた時だった。自然とページが捲れ、悠斗の手を止めさせた。そこの部分だけが異常に綺麗で、そこのページの時間だけが停止しているかのようですらある。
「…………えぇっと、伏之神社に祀られし――」
自然とその部分を読み始める悠斗。そこに書かれていたのは、伏之神社に祀れれているモノの事。つまり、伏之紀戦花大御神がどのような神様であったのかが書かれているようだ。
――――悪鬼羅刹の鬼が住む。
伏之神社に囚われし、純一無雑な姫が居る。
伏之神社に縛られし、天衣無縫の神が憑く。
祀られ、囚われ、縛られる。
鬼と呼ばれる存在に。
姫と云われる存在に。
神と伝わる存在に。
死屍累々の山を駆り、地獄絵図にて神々しい。
傍若無人のその姿。
恐れ戦き跪く。
銀に輝く御髪は見る者全てを魅了する。
真っ赤に燃えゆる眼差しは全てを射殺す魔の眼光。
邪神と名高き彼の者は。
伏之紀戦花大御神。
死に愛されし高貴な女神。
死にたくなければ生き血を捧げ。
命が惜しけりゃ近づくな。
鬼を怖れ
姫を尊び
神を崇め
全てを捧げろ。
邪神を冠する意味を知れ。
恐ろしき……恐ろしき……。
邪神・伏之紀戦花大御神。
「――ぴろしきぴろしき。なんぞこれ?」
全てを読み終えると悠斗は、つい鼻で笑ってしまった。そこに書かれていた内容が、悠斗の知っている戦花とはあまりにもかけ離れていたのだ。
「死を司る邪神ねぇ……」
到底信じられる内容ではない。しかし、悠斗の興味を惹いたのは事実だった。他のページも読める所があるのかもしれない。そう思ったら悠斗は、無償にこの資料集を隅々まで読んでみたい想いに駆られていた。だが、まなみをお使いに走らせている手前、読書に耽るなんてことは出来ない。変な所で生真面目な悠斗は、右手の資料と目の前の棚を交互に見る。
「…………ヨシ、やるか」
小さく呟くと右手に持っている資料集を脇に置き、本棚に立ち向かって行った。
どれだけ古かろうが本は本で学校が所有している本だ。いつだって借りられるし、いつだって読める。偶然にも悠斗が手にした時点では、この伝承録。廃却処分になる前なのだから。
「これで、終わりっと……。思いのほかすぐ終わって良かったぜ」
最後のひと束を運びだした悠斗は、その場で腰を下ろした。
「お疲れ、ありがとう助かったよ」
座りこんだ悠斗の背中に掛けられる声が一つ。その声に悠斗が振り返ると缶ジュースを片手に持つまなみが立っていた。
「あぁ、愛嬌さん。お帰り」
「はい、これ。君の好みが分からなかったから、昔好きって言ってたやつを買ってきたんだが、大丈夫か?」
「うん、ありがとう。今も好きだから大丈夫」
「そうか、良かった」
まなみから缶ジュースを受け取ると立ち上がり、身体を伸ばす。
「さて、それじゃぁ僕はもう行かなきゃ」
「あぁ……バイトだったな。悪かったね手伝わせてしまって。時間は大丈夫かい?」
両手を後ろで組んだまなみは、不自然な間を開けて悠斗に感謝の言葉を送る。
「あぁ、大丈夫大丈夫。気にしないで、こうしてジュースも奢ってもらえたわけだし」
「そうか?」
「そうそう。それじゃぁ、また明日ね」
「…………あぁ、またな」
「っとその前に愛嬌さん、この本借りたいんだけどいいかな?」
書物庫の隅に除けていた資料集を拾いあげ、まなみに尋ねる。
「あぁ、いいよ。どうせ誰も借りないだろうし、君が貰ってもいいんだぞ?」
「いやいや、そこはちゃんと返すよ」
「真面目な奴だな」
「そりゃどうも。それじゃぁ、僕は先に行くけど、愛嬌さん。気を付けて帰るんだよ」
鞄にその資料集を押し込むと、悠斗はジャージのまま書物庫を飛び出し駆け足で駐輪場へと向かう。
「……また明日ね」
その背中をどこか悲しげに見つめたまなみは、後ろに組んだ手に力を込めて静かに囁くのだった。
書物庫の整理が終わった頃には時間がかなり経過しており、真っ赤に染まった太陽は沈みかけている。
悠斗は自転車に跨ると大急ぎで戦花が待つ伏之神社へと漕ぎ始めた。途中でコンビニへ寄り戦花への食事を買って行く事は忘れない。そして、伏之神社に着いた頃には、赤みがかった空は徐々に藍色へと変わっており、薄暗くなっていた。
石段を駆け上がると悠斗は、息を切らしながら辺りを見渡す。
「はぁ……はぁ……あれ、戦花は? 社の中か」
外にいる様子はなく、恐らく拝殿の中にいるのだろうとふんだ悠斗は賽銭箱の前に立つ。
「お~い、戦花ぁ」
「いるかぁ」の言葉は突如現れた銀髪少女により遮られた。その方法は比較的荒々しい物だった。
「遅いぞバカ!」
そんな言葉と共に扉を蹴破ってドロップキックを繰り出してきた戦花。見事その蹴りは悠斗の腹部にヒットした。
「ぐほぉ!」
「昨日と同じ時間には来ると言ったではないか!」
馬乗りになり胸倉を掴み上げ問い詰める。
「いや、これには訳がありまして」
「あぁ!? 訳? 言ってみろ」
「実は、放課後にお手伝いを頼まれまして」
「言い訳は止めい!」
「ふげぇ!」
今度は戦花の鉄拳が悠斗の右頬に炸裂。
「理不尽だ!」
「だから何じゃ!? 待っとったのに!」
「何を!」
「主……が持って来る飯をじゃ!」
口に出かかった言葉を呑みこみ、戦花は悠斗から離れる。
「はぁ! 全く……で、その格好は草むしり仕様なのか?」
右頬を押さえる悠斗の格好に気がついた戦花は、悠斗を睥睨しながら尋ねる。
「あ、うんそうだよ。それから、はいこれ。お待ちかねの今日のご飯」
悠斗が持っていたコンビニ袋を戦花に渡した。
「うむ、ご苦労。それじゃぁ、ワシは飯を食う。主は働け」
「……はいはい」
鞄を地面に置いて、中から軍手とカマを取り出し、手始めに拝殿付近の雑草に立ち向かって行った。多種多様の雑草が生えており、育ちの良い雑草は、悠斗より背の高い草まである始末だ。正直、気が滅入る。しかし、だからと言って悠斗が草むしりをしなく済む理由にはならない。悠斗は、小さく溜息を吐き、雑草の根元で屈んだ。
草むしりの基本は、根っこから引き抜く事だが、伏之神社に生えている雑草は、どれもこれも広く根を張り、悪い意味で根強いのだ。引っ張っても上っ面の草ばかりが抜ける。そこで、悠斗が持参したカマの出番となった。カマの先を地面に突き立て、土を掘り返す。ブチブチと根っこが切れる音が僅かに聞こえた。
「よっと」
根こそぎとはよく言ったものだ、と悠斗は痛感する。雑草の根元を掴んで引っ張ると、連鎖するかのように周りの土が盛り上がり、周囲の雑草もつられて抜けた。
「はは、こりゃいい」
雑草がまとめて抜けると不思議な爽快感があるようだ。悠斗は自然と顔がにやけていた。
「のぉ、悠斗。これは何じゃ?」
胡坐をかいて悠斗が買った菓子パンを頬張っていた戦花が、コンビニ袋から缶ジュースを取り出し、首を傾げる。
「あぁ、それ? 缶ジュースだよ。ちなみに僕のだからな」
草むしりの手を止めずに顔だけを戦花の方へ向ける。戦花が持っていたのは、先ほどまなみが奢ってくれた赤い下地に白い文字がプリントされた、全国で愛飲されているであろうコカ・コーラ。コーラの愛称で親しまれてる炭酸飲料だ。
「ワシも欲しいのじゃが?」
「今度買ってくるよ」
「今」
「……じゃぁそれ飲んでイイよ」
「うむ、話が分かる奴じゃな!」
「どういたしまして」
「カッカッカッ、どんな味じゃろうな?」
「結構うまいぜ? 初めて飲んだ時は感動したもんだ」
「……ほぉ?」
適当に相槌を打つが、戦花の指はプルトップを上手く起こせないようだ。絶えず甲高い音が鳴る。
「…………んがぁぁぁぁ!」
程なくして音が止み、戦花が雄叫びを上げた。
「……いきなりどうした?」
「これ開かん!」
缶を突き出して悠斗に向かってキレる。
「……ちょっと貸して、開けてやるよ」
軍手を外した悠斗が手を伸ばし、戦花を呼び寄せる。
「うむ、頼む」
立ち上がった戦花は、悠斗の元に駆け寄り缶を渡すと隣にしゃがみ込んだ。
「いいかい戦花。このフタの部分に爪を引っ掛けて起こす。ただそれだけ」
悠斗が言葉通りにプルトップを起こすと、ガスが抜ける音が小さく鳴った。
「んで、後はこいつを押し込んでまた元に戻すだけ。簡単だろ?」
「おぉ、画期的な仕組みじゃな」
「戦花は知らなかったのか?」
「カカッ。知ってはおったが本物を見るのは初めてじゃからな。前にも言ったがワシ等は万能ではないのじゃ」
悠斗から缶ジュースを受け取りながら屈託なく笑う。
「あぁ、そう言えばそんな事も言ってたな」
「そうやって主ら人間はワシら神をネジ曲げるのがクセなのかのぉ?」
「まぁ、世に溢れてる神様の話ってそういうのが多いからね」
「カッカッカッカッ。確かにのぉ……実に迷惑な話じゃな。まぁそんな事より早速じゃ。頂くとしよう」
そう断りを入れてから戦花は、缶に口を付けコーラを含んだ。
「もほぉ!?」
戦花の髪の毛が逆立った。
「な、何じゃこの飲み物は!? 舌がびりびりするぞ!」
「苦手か?」
「いや! こいつは良いのぉ。刺激的な飲み物じゃな!」
「だろ? 僕もその喉がイーッってなる感じが好きなんだよ」
言いながら自分の喉元を掻き毟る仕草をする悠斗。
「カカッ。好みが合うのぉ?」
「みたいだな。てか、戦花は裸足なんだからこんな所にいつまでも居たら怪我するぞ。社に戻りなよ」
「うむ、そうしよう。では、キリキリ働け」
そう言って立ち上がり、社へと歩いて行く戦花の足元が悠斗の視界の端に触れた。
「…………」
土に塗れた戦花の素足。原因はハッキリとしていないが、戦花は神の力を失い、そのせいもあって、人間の姿になっている。見た限り、人間をエンジョイしているようだが、不慣れである事は確かだろう。ここで悠斗が「家に居候でもするか?」などと言えるのなら、それに越した事はないのだが、戦花がそれを望まない。しかも、それ以前に悠斗はあくまで学生だ。親の庇護の元に居る立場なのだ。そんな身分で軽々しくそんな事は言えない、無責任ですらある。ならば、現状が最善なのだろう。
しかし悠斗は思う。今が最善であるのは間違いないが、もう少し何かできるのではないか、と。
「なぁ、戦花」
そう思ったら自然と悠斗の口は動いていた。
「ん、何じゃ?」
コーラを煽りながら視線を悠斗の方へ向ける。
「今度、家で飯食っていくか?」
「…………はぁ?」
缶から顔を離し、怪訝な眼差しで悠斗を見る。
「菓子パンばかりじゃ身体に悪いし、たまになら家に来てもいいぞ」
「悠斗、主は忘れたのか? ワシは人間が嫌いじゃ」
「好き嫌いは良くないぜ? いいから来いよ」
「嫌じゃ」
「何がそんなに嫌なんだよ?」
「…………とにかくダメなんじゃ」
「ふぅん、そっか。まぁ、無理に誘うのはあれだし……。気が向いたら言ってよ、都合がつけば何とかするからさ」
「悪いのぉ……」
「いいよ別に」
それからは、会話らしい会話はなかった。
戦花が暇潰しに唸り声を上げると、悠斗が適当にあしらい、悠斗が小休止を挟むと戦花が小石を投げてちょっかいを出す。あとは、草を刈る小気味の良い音が伏之神社を満たしていた。そんな他愛のない時間を過ごし、気が付けばすっかりと日は沈み、空には細い月が浮かび上がっていた。
「おぉ……もう、夜か」
地面ばかりを見ていた悠斗は、自分の影が風景に溶け込み、ハッキリと見えなくなって初めて空を見上げた。
「なぁ、戦花。僕そろそろ帰るよ」
立ち上がり、大きく伸びをすると後ろを振り返る。見ると悠斗の鞄の中を笑顔で漁りまくっている戦花の姿がそこにはあった。
「はぁ……勝手に人の鞄の中を見るな」
流石に苦言を呈する悠斗。しかし、言うだけでその行為を止めに行こうとはしなかった。貴重品や見られて、盗られて困るものがないとは言え、自分の鞄を他人に好き勝手弄られるというのは、少なからずの嫌悪感があるものだ。しかし、悠斗にそんな感情は芽生えなかった。
それは、別に信頼関係によるものではない。そもそも、まだ出会って数日。そこに信頼関係があるのかさえ疑問だ。ならば、何故かと問うとそれは分からない――だ。何故か、悠斗の中で不思議な安心感があったのだ。それは、信頼とも信用とも違う。無頓着ではあるが、不用心というわけでもないのだ。もしかしたら、神様だから。などと言うファンタスティックな想いがどこかにあるのかもしれない。
「…………悠斗」
身体に着いた土埃をはらっている悠斗の背中に向かって戦花は声をかける。その声はどこか張り詰めているようだった。
「どうした?」
振り返る事無く悠斗は返事を返す。
「主……この本。ワシの伝承……読んだのか?」
「伝承? あぁ……あれね。まだ途中だけど」
「……そうか。ワシの事……知ったわけじゃな?」
「あぁ……邪神って奴か。胡散臭すぎだぜ」
「事実じゃ……としたら?」
「…………なに?」
「ワシは邪神として祀られてきた。正真正銘の悪鬼羅刹の鬼。人を......人間を殺し尽くした神から外れた神。死を司る邪神・伏之紀戦花大御神じゃとしたら……」
悠斗は土を払う手を止めて振り返る。目の前には、不敵に笑う戦花の姿があった。暗がりの中で異常に光る赤眼が怪しげに揺らめいている。
「主は、どうする?」
凄惨な笑顔を浮かべて戦花は悠斗に問う。
「どうするって何が?」
「仮にワシを邪神とするならば、主はその邪神を復活させるように働いておる訳じゃ。続けるのか? 止めてもよいぞ? ワシを忘れて二度とここには近づかなければ良い話じゃ」
「何だそんな事か」
悠斗は鼻で笑うと続けた。
「仮に戦花が邪神だろうと人間を殺し尽くした神だろうと僕からしてみればどうでもいい。と言うかどっちでもいい」
「…………何じゃと?」
「僕は信心深いわけじゃないし、信仰深いわけじゃない。たまたま願った神様がどんな種類かなんて知った事じゃないんだよ」
「ほう……? でも、主がワシを神に戻す事によってワシが何か悪さをするかもしれんぞ? それこそここに書かれているような悪逆非道をのぉ」
伝承録を軽く叩きながらめを細めて悠斗を睨む。
「その時はその時だな。僕が何とかするよ」
「どのようにじゃ?」
「そんなの知らない」
「それは何とも無責任な発言じゃなぁ」
「無責任も何も僕の知ってる戦花は、そんな悪さをするような神様じゃないからな」
「それは主の勝手な想像じゃ。事実は違うやもしれんぞ」
「事実か……。うん、それは確かにそうかもな」
「…………フン。ならば」
「だからって僕がお前の手伝いをしない理由にはならないだろ?」
「何故じゃ?」
「だって僕は、戦花の裸を見たから罪滅ぼしで手伝ってるだけだからな。そこに僕の意志は尊重されない」
笑顔でそう言ってのける悠斗。その言葉に一切の嘘は含まれていない。しかし、理由が理由なだけに、何とも格好の付かない状況である。
「………………」
「だいたい僕は、それ以前に戦花と約束しちゃったからな、協力するって。神様との約束を違えるわけにはいかないだろ?」
「…………信仰心がないくせに偉そうな事を」
「バカだなぁ。約束云々は信仰じゃねぇよ」
「…………フン、どうじゃろうな。人は信用ならん」
腕を組むと悠斗から目を逸らした戦花は、明後日の方向を向いてしまった。
「……何が気に入らないのか知らないけど、戦花が納得できないのならこうしよう」
溜息交じりにそう言って悠斗は続けた。
「僕の為の神様になってよ」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」
明後日の方向から悠斗へと視線を戻した戦花の表情は、今まで見てきたどの顔よりも無機質なものだった。軽蔑も侮蔑も尊敬も驚嘆も何もない、ただ単に言葉の意味と悠斗の頭がさっぱり理解できていない様子だ。
「いや、だから僕の神様になればいいじゃないかって。そうすれば僕は、戦花を信じ続ける事が出来るじゃん? つまり戦花も少なくとも僕を信じられるだろ?」
「意味がわからん」
「仮に戦花が邪神で神格ってやつが『死』だって言うなら変えちゃえばいいんだよ」
「ますます分からん。何をどうするつもりじゃって?」
「戦花が言ってた事だろ、人は神様の意味をネジ曲げるって。だから僕が戦花の意味を変える。邪神の戦花は要らない子だぜ。代わりに僕の神になればいい。そうだな……言うなれば戦花の神格は『悠斗』とか?」
神格が悠人なんて神様は絶対いないだろうし早いもん勝ちだぜ? と。屈託なく笑うと悠斗を、暫し呆然と見つめる戦花はゆっくりと口を開いた。
「…………はっ! それで主の神になれと?」
「うん、そう。僕の願いを叶える神様」
「主キモいの」
「うるせぇ、ほっとけ」
「カカッ。なるほど悠斗専用か……」
「意味は間違ってはいないが、何となく響きがイヤらしいな」
「…………ハァ。主と言う奴はどこまでもアホじゃな。底が見えん」
「いきなり何だよ。僕の神様って嫌なのか?」
「当たり前じゃ。そんな限定的な神なんか、ワシの方から願い下げじゃアホ。むしろ、何でそんなに自信満々なのかワシにはわからん」
不機嫌そうに鼻を鳴らしたかと思ったら、破顔して「じゃが」と戦花は続けた。
「考えてやらんでもない」
「そうかい……前向きにご検討を」
「カカッ。うむ、いいじゃろう」
満面の笑顔を悠斗に向ける。どうやら納得してくれたようだった。
「さて、戦花の機嫌も直ったことだし僕は帰るぞ」
「フン、ワシなんか放って帰れば良かったではないか」
「放って帰れないから帰らなかったんだけど」
「お、おぉ、そうじゃったか、すまんかったな」
歯に衣着せぬ物言いに戦花はたじろぎ、気付けば謝罪の言葉を口にしていた。
「いいよ別に」
戦花の足元にある鞄を拾い上げると、腰に手を当て背中を逸らす。小気味の良い音が悠斗の身体から鳴る。
「それじゃぁまた明日ね」
「うむ、ご苦労じゃったな。しかし、明日からはもっと早く来ること。分かったな?」
「はいはい」
「うむ、風邪引くなよ」
「それは僕のセリフだ」
「カッカッカッカッ。気を付けて帰れ」
嬉しそうな笑顔を浮かべ戦花は、悠斗の背中を叩くのだった。