苦しい時の神頼み-1-
ようやく物語が動き始めた今日この頃です!
誤字脱字などのご指摘よろしくお願いします。
1.
雑木林に囲まれた石段を駆け下りると、悠斗の自転車の傍に一人の少女が佇んでいた。
「ん? 愛嬌さんじゃないか。何やってんの?」
悠斗の自転車に寄り掛かっていたのは、ご近所さんでクラスメイトの愛嬌まなみだった。
「それは私のセリフだが? 君はこんな所で何をやってたんだい?」
悠斗の声に振り返ったまなみの表情にこれと言った変化はなく、いつも通りに見えたが、顎をしゃくる彼女はどこか不機嫌そうな声色を含ませている。
「そうだな……端的に言ってしまえばちょっとしたバイトかな」
「ふぅん、この先は神社かい?」
鳥居を見ての言葉だが、この辺りは妥当な推測だ。しかし、この先に本物の神様がいるとは思ってもいないのだろう。それも今となっては『元』神様ではあるが。
「あぁ、そうだよ」
自転車に歩み寄るとスタンドを外して手押しで進み始める。
「神社でバイト? しかも早朝の? 君らしくないな」
悠斗の横を並んで歩くまなみは、怪訝な眼差しを向ける。
「そうだねぇ。僕もそう思うんだけど、これには深い訳があるから」
「訳? どんな訳だい?」
「それはちょっと言えないかも……」
「なんで?」
無表情だった表情が数ミクロン動いた。ごく僅かではあったが、確かに不機嫌そうに眉が寄る。
「僕の沽券に関わるから……かな?」
「沽券……ねぇ? それは、昨日の下着がどうのこうのと関係あるのか?」
「まぁ少しだけ」
少しどころかほぼ確信に近いが、悠斗は適当にはぐらかす。
「ふぅん……あっそ」
嘆息交じりに言うとまなみは、不意に悠斗が押す自転車の荷台に飛び乗った。
「うおっ! 危ないだろ何すんだ」
「漕げ」
鞄を悠斗に押し付け命令口調で告げる。
「はぁ?」
「学校まで漕げ」
「何で」
「いいから、漕げ。たまにはいいだろ?」
決して悠斗とは目を合わさずに要求するまなみ。逆光でまなみの顔には影が落ち、悠斗からはその表情を掴み切る事はできない。
「…………何かあった?」
「別に、どうせ分かる君じゃないから。早くして、遅刻しちゃうじゃないか」
「ふぅん……じゃぁ、行くか」
明らかに棘のある言葉。悠斗に向けた悪意ある言葉だったが、暖簾に腕押し。糠に釘。悠斗に悪意である。何の意味もなかった。悪意が向けられた事にすら気が付かず、まなみが不機嫌になっている事にも知らずに悠斗は、まなみの鞄を受け取ると籠の中に入れ、自転車を漕ぎ始めた。
「…………はぁ」
まなみの口から自然と溜息が零れる。その溜息は生温かい春の風に揉まれて後方へ過ぎ去った。
「何か言ったか?」
自転車を漕いでいる悠斗が声だけを飛ばす。
「……言ってないよ。妙なところで気を利かすなバカ」
「バカってなにさ」
「頭の悪い君の事さ」
「バカの意味に僕個人は含まれてねぇよ。だいたいそんな事聞いたわけじゃないし」
「じゃぁ何を聞きたいんだい? 下着の有無か?」
「それはもういいよ」
「ちなみに今日はしてないぞ」
「へぇ……」
途端に背中へ意識を集中させる悠斗。まなみのふくよかな胸が自転車に揺られるたびに軽く背中に当たる。
「冗談に決まってるだろ」
「まぁ……そうだろうね。だが酷く残念だ」
あからさまに落胆して大きく溜息を吐く。
「神喰君は……何と言うか変わらないな」
そんな悠斗の姿を見て少し表情を緩めるまなみ。
「何が?」
「昔から君はそうだな」
「だから何が?」
「何も気にしないでいられる神喰君は凄いって事だよ」
「…………そう?」
「言っておくが褒めてない。むしろ逆だ」
上機嫌になりかけた悠斗に釘を刺す。
「ホント……愛嬌さんは容赦がないな」
「君に容赦は必要かい?」
「いいや、別にいらない」
容赦されると自分に色々な弊害として現れる事を悠斗は、既に知っていた。容赦とは言いかえれば情けだ。情けを掛けられた所で、温情を貰った所で、悠斗は気が付かず、知らず、分からないままにその情けを最悪の形で返し最低な行動で答える。
情けは人の為ならず。なんて諺があるが、悠斗にとってそれはまさに箴言だった。時と場合によりそれは必要なのかもしれない。しかし、それは大多数の人に対してであり、悠斗はその限りではないのだった。
その情けが好意から掛けられたモノだろうと、悪意から掛けられたモノだろうと悠斗には関係ない。どんな種類の情けだろうとそれが意味する事は、余計なお世話だった。
「そう言えば神喰君。今日の放課後は暇かい?」
「う~ん、暇と言えば暇だし、そうでもないと言えばそうでもない」
「何だ曖昧だね。何か予定があるのか?」
あるにはある。ただ、出来れば逃げてしまいたい事柄だった。
「いいや、ないよ。放課後に何かあるのか?」
逃げるわけではない、ただ後回しにするだけだ。
そう自分を納得させてまなみの用件を優先する事に決めた。
「うちの学園に書物庫があるのは知っているかい?」
「まぁ、うん。そこに行った事はないけどあるのは知ってるよ」
広大な敷地面積を誇る明神学園の一角にある古びた木造建ての倉庫。図書室で不必要となった本の掃き溜めとしての役割がある建物を脳内に思い描きながら相槌をうつ。
「実は図書委員からの要請でそこの整理をしなければならないんだよ」
「…………へぇ大変だね。生徒会の仕事?」
「うん、そう。本来なら図書委員の管轄なのだが、何分あの巨大な図書の管理に手一杯でそっちにまで手が回らないそうだ。そこでだ神喰君。そこの整理を手伝って欲しい」
「まぁいいけど。整理って具体的には?」
「読まれなくなった本の廃棄処分だ」
「…………こっちもこっちでめんどくさいな」
「何か言ったかい?」
「いいやなんも」
「そう? ならよろしく頼む」
「うん、分かった」
それからは、暫し無言だった。悠斗が軽快に漕ぐ自転車の快音と、頬を凪ぐ温かみのある風が二人を優しく包み込む。たまに道路の段差で身体が弾み、悠斗の背中にまなみの肩が優しくぶつかる。そのたびにまなみは、僅かだがどこか嬉しそうに唇を綻ばせる。そして、悠斗が伏之神社から自転車を漕ぎ始めて数十分後。明神学園の制服に身を包んだ生徒が目立ち始めていた。
「なぁ、神喰君。こうして二人乗りで登校してると傍から見ればあれだな」
周囲の視線に明らかな好奇なモノが含まれているのを感じ取り、まなみは少しだけ照れくさそうに頬を緩める。
「あれ……? あぁ、僕もそう思うよ」
「へぇ以外だな」
驚きに目を見開いたかと思ったら、すぐ嬉しそうに少しだけ目を細めた。
「もちろん。僕と愛嬌さんが幼馴染である事なんて結構みんな知ってる事だしね。僕等を見て仲の良い」
「続きを言ったら殺すぞ」
悠斗の言葉を遮りまなみは、鈍感と言い捨てるにはあまりにも憎たらしい男の背中を無表情に全力で抓る。
「痛ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
悠斗の叫び声と急ブレーキの音に辺りにいた明神高校の生徒が一斉に振り返った。と、同時に慣性に従い、まなみの頭が悠斗の背中にぶつかる。
そして、道行く生徒の集団は口ぐちに「あ、副会長だ」「副会長が二ケツしてる」「副会長……相変わらずクールだな」「可愛いのに……」などと、言いながら遠巻きに会釈して二人の横を通り過ぎて行く。悠斗になど目もくれず。
「な、何すんだい!」
勢いよく振り返る悠斗は、強くまなみを睨みつけた。
「続きの言葉次第で私は、君を許せなくなるかもしれないからね」
「訳わかんねぇよ!」
「分からなくて結構だ。ここからは歩いて行く、ご苦労だったな」
それだけ言うと、まなみは一人雑多とした人の流れに身を投じあっというまに姿を消してしまった。通り過ぎる間際にチラリと自転車の籠に入っている自分の鞄を横目で見やりながら。
「何だ……? せめてお礼は言っていこうぜ」
状況がさっぱり飲み込めない悠斗は、呆然とまなみが歩き去った方向を見つめる。
「おっ! 悠斗君じゃあぁりませんかぁ!」
立ちつくす悠斗の背中を叩きながら現れたのは、上機嫌なクマだった。
「朝からめんどくさい絡み方ですな熊谷君」
クマの方を見向きもせずに悠斗は答える。
「なっはっはっはっ。そう言うお前は、虫の居所が悪いって感じだな」
「うん、まぁ……」
「さっきまで副会長がいたのか?」
「何で分かった?」
「残り香がする」
そう言ってしきりに鼻をすすり始める。
「凄い変態くさいぞぉお前。猥褻物陳列罪だ」
「なっはっはっ、冗談だ冗談。まぁ、お前を不機嫌に出来るのは、俺か副会長くらいだからな。ていうか失礼な奴だな! 誰が猥褻だ!」
最近ではそこに、戦花という傲岸不遜の神様がランクインしているのはクマの知る由ではなかった。
「なぁ、クマさんや。僕はよく思うんだけどさ」
徒歩で通学するクマに合わせて悠斗は、自転車から降りると手で引き始めた。
「なんだ?」
「人はどうして言葉があるのに言葉にしないんだろうな」
「それは哲学的な意味か?」
「いいや基本的な質問。言葉というコミュニケーションツールがあると言うのに、空気を読めだの、目で分かれだの、伝える手段が複数ある中で、何でそんな分かりづらい方法を取ろうとするんだ?」
「何でもかんでも言葉にすればイイってモンじゃないんだろ? よく知らんが」
「でもさぁ……言葉のが簡単じゃないか?」
その言葉すらも覚束ないという事実があるにも関わらず悠斗は、不満そうに唇をすぼめる。
「……あぁ、そゆことね。お前、副会長に余計なこと言ったろ?」
数回のやり取りである程度の事情を察知したクマは、含み笑いをしながら悠斗を小突いた。
「変な事は言ってない」
「それはお前が決める事じゃねぇなぁ。さらに言うと、お前の言う事は大抵おかしい。で、何て言った?」
「ぐっ……別に普通の事さ。愛嬌さんに僕らは仲の良い友達だなって言おうとしただけ。そしたらめっちゃ抓られた」
「ノロケですかこのやろー。朝からごちそうさまだぜ」
小さく舌打ちをしてから、苦虫を噛み潰したようなしかめ面を悠斗に向ける。
「……何がだ?」
「まっ! そのくらいならいいんじゃねぇの? お前と関わるうえでは日常茶飯事だろうしな」
「そういうもんか?」
「気になるんなら後で謝ればいいじゃん。同じクラスなんだし、数少ないお前の友達なんだろ?」
「それもそうか。で、クマよ。お前はどうしてそんなにご機嫌なんだよ」
「…………あぁ、ドット絵の可能性は無限大だな」
「成程ね」
たった一言で十分だった。その恍惚とした表情だけで十分だった。 どうやら『さやか』がクマにもたらした幸福感は計り知れないもののようだ。
そうこうしているうちに、明神学園の全容が見えてきた。全校生徒が述べ数千人を誇るマンモス校。それに比例して校舎もまたバカでかい。もはや一つの校舎をビルと捉えてもいいほどだ。明神学園には、それぞれの学年校舎が一つずつと、文館と呼ばれる実習室や職員室が集まった校舎が五つ。総合体育館、南体育館、武道館などがあり、図書室と銘打ってはいるものの、校舎の中に収まっている訳ではなく、一つの建物として建造されていた。ならばそれは図書館なのではないだろうか? などと疑問を覚える者も少なくはないが、そんな事は通うにつれて次第に愚問だと認識を変えるだろう。そして、放課後に訪れる事になるであろう書物庫やプラネタリウムなど、一般的な高校にはないであろう建造物がいくつも建っている。さらに学園内にはバス停が設置されており、指定の停留所まで送り迎えをするスクールバスまで走っているというのだから驚きだ。
悠斗達がこの学園に通って二年目となるが、未だに校舎内で迷子になる事が無きにしも非ず。それ程のマンモス校。それ程の生徒数を誇る明神学園。そして、その明神学園の全生徒のトップに君臨する生徒会。愛嬌まなみはそこの副会長を務めているのだ。生徒会役員になるには、常人には不可能で尋常じゃなければならないとすら言われている。悠斗が先ほど見向きもされなかったのは、ただ単にその他大勢の一人に過ぎなかっただけだ。
「俺は悠斗の事、本気で尊敬するぜ」
駐輪場で自転車を止めようとしている悠斗の背中を見ながらクマは、だしぬけにそんな事を言い出した。明神学園の駐輪場もバカ広い。しかし、数百の生徒が自転車登校であるこの学園は、駐輪スペースをナンバーで管理しており、自転車とその駐輪ナンバーが一致した当該場所でないと駐輪できない仕組みとなっていた。無駄な混乱と風紀、景観の乱れを防ぐ目的があるようだ。
「いきなりどうした? 媚を売ってきた所でお前にやれるもんは特に何もないぞ」
自分の駐輪スペースへと自転車を押しながら、一定の距離を保ったまま歩く親友に答えを返す。
「そうじゃねぇって。ほら、お前ってさ副会長と普通に話せるじゃんか?」
「そりゃぁ、まぁ同じ日本人だからな。言葉が通じるなら話せるだろ」
「だとしてもだ。明神学園の生徒会でしかも副会長だぜ? 幼馴染とは言えケンカができるとは大したもんだ」
「そうだろうか……」
「そうだろうよ。しかもお前には素直になれないツンデレ娘ときたもんだ」
「お前にはって……愛嬌さんは差別なんかする人じゃないぜ?」
「そう言う事じゃねぇの」
「どういう事だよ?」
「それを俺の口から言わせるのは違うだろう?」
「なにが?」
「何でも」
「何でもって何だよ?」
「何でもは何でもだ……てか何このやりとり。どうせなら可愛い女の事こういうのやりたかったわ!」
「僕が知るか!」
自分の駐輪スペースに辿り着き自転車を止めると、ふと気が付いた。
「……愛嬌さん鞄忘れてんじゃん。意外とうっかりさんだな」
自転車の籠の中には、自分の鞄とは別のもう一つの鞄が入っていた。言うまでもなくそれは、まなみが故意に忘れていったものではあるが、そうとは知らず悠斗は笑い飛ばした。
「へぇ……副会長にも可愛いとこあるじゃん」
そんな悠斗の言葉を聞いたクマは、それだけで十分に状況を理解する事が可能だった。
「あっはっはっはっ、そうだな。僕もそう思うぜ」
「…………いや、ホント副会長には同情する」
悠斗の言う『可愛い』と、自分が言った『可愛い』は、絶対にジャンルが違うと思いながら、自分とまなみの鞄を手に持つ悠斗を悲しげな視線で見る。
「な、何だよ……」
「可愛いと思っておきながら何でお前はそうなんだろうな?」
「犬とかを可愛いと思うあれと同じじゃないか?」
「…………はぁ。それを本人の前で絶対に言うなよ」
案の定というか何と言うか……。やりきれない思いを溜息に乗せて吐き出し、静かに悠斗の肩を叩いた。
「そうか、どちらかと言えば猫っぽいもんな。ツレない辺りが」
「もうお前は喋らない方が良いかも知れん」
「僕から言葉を取ったら残るのは、混沌だけだと思う」
「……確かに。ならお前は、妙な事言わなければいいんだ。難しいだろうけどな」
「ん? あぁ、分かった。そうする」
言葉通りにしか悠斗は捉えない。言葉の裏の意味は悠斗に届く事はなく、悠斗は分からないまま頷く事しか出来ないのだった。
明神学園の二年校舎は、一年校舎と三年校舎とは少し離れた場所にあり、実習室や実験室などがある文館A棟を挟んだ向かい側にあった。駐輪場からの距離が最も遠く、歩くのが億劫になる。不真面目な生徒などは、文館の影にコッソリ自転車を不法駐輪していたりするのだが、それは風紀委員にすぐ見つかり、問答無用で廃棄されるのがお決まりだった。最近では、ルールを破る者達。いわゆる不良がいかに風紀委員の目を誤魔化すかに躍起になっていたりする。基本的に柔和な校風、全体的に穏やかな風潮で包まれている実に平和的な学園だ。そんな学園の二年五組の教室へ悠斗達は向かっていた。
綺麗に磨かれた廊下を歩きながら、悠斗はふと思った事を口にする。
「なぁ、クマさんや。お前って神様信じてるか?」
「いきなりどうした」
「特に意味は無いけど気になってさ」
「……ふぅん、まぁそうだな。信じたい時に信じるかな」
「と、言うと?」
「いつでも信じてる訳じゃなくて、都合が悪い時とか良い時に神様に頼る」
「…………そんなもんだよなぁ」
「そんなもんだろ、神様なんて。言い方は悪いが都合の良い存在みたいな感じじゃん?」
「もしその都合の良い存在を名乗る奴がお前の前に出てきたらどうする?」
「そいつの頭を疑う」
「本気で神様を名乗ってきたら?」
「自分の正気を疑う」
「神様たる証拠を見せつけられたら?」
「夢だと割り切る」
「超絶美少女だったら?」
「持ち返る」
「…………そんなもんか」
「あぁ、そんなもんだ」
ちょうど区切りが付いた所でタイミング良く二人は、二年五組の教室の前に着いていた。悠斗が引き戸に手を掛けると、自然と扉が開いた。
「お?」
「…………」
扉を開けたのは無表情の愛嬌まなみだった。
「……そいじゃぁ俺は先に行く」
悪戯っぽい笑みを浮かべるとクマは、二人の脇をそそくさとすり抜け教室へ入って行った。
「やぁ、愛嬌さん。今朝がたぶりだね」
「…………そうだな」
「鞄、忘れて行ったぞ」
「…………そうだな」
「はいこれ」
「…………」
悠斗から渡された鞄を無言で受け取る。
「その……何だ」
「来週」
きまずそうに口を開いた悠斗の言葉を遮ってまなみが先を制した。
「へ?」
「来週末。君に予定はあるか?」
鞄を抱きかかえたまま突き放すかのような口調で、目を合わさずに悠斗の予定の有無を聞く。
「…………いや、特にはない」
突然の質問にやや戸惑いを見せつつ、悠斗は首を振る。
「ならちょっと私に付き合え」
「どこに」
「それはまだ決めてない。けどちょっと私に付き合って欲しい」
「まぁ、いいけど」
「……そうか。それじゃぁまた放課後」
それだけ言うと、まなみは踵を返し教室の中に戻って行った。その時、わずかに窺えたまなみの横顔は、頬を朱に染め嬉しそうな微笑みを讃えていた。
「……何か機嫌が良くなった?」
そんな独り言を呟いて悠斗は、まなみの後に続いて教室に入って行った。
しかし結果だけをここで言ってしまうのならば、このイベントが起こる事はない。もしこのイベントの期日を来週ではなく、今週としていればまた結果は変わったのかもしれないが、しかしまなみはそうしなかった。一大決心に近い覚悟を決めるのに四日という期間は、まなみにとってはあまりにも短いのだ。覚悟を先延ばしにし、猶予を与えた。誰にと問われても誰にでもない。
偶然に猶予を与えたのだ。