触らぬ神に祟りなし-2-
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3.
五月も半ばに差し掛かり、日も徐々に長くなり始めている夕暮れ時。自転車を漕ぐ悠斗の影がアスファルトの地面に長く伸びている中で、台風が過ぎ去ったあとに残る生ぬるい風が悠斗の頬を凪いだ。
「……あれ? 何だここ」
軽快に自転車を飛ばしていた悠斗だったが、不意にペダルを漕ぐ足を止める。
悠斗の左側には、崩れかけた石段。その入口に佇むのは、蜘蛛の巣やコケがビッシリと生えるボロボロになった石造りの鳥居だった。
悠斗の地元である紀戦花台は、山を切り開いて開拓された地域の為、坂道が多かったり、小さな樹林があったりと、未だにその面影は多く残っていた。そして、悠斗が見つめているこの場所は、一切の手入れがされていない鬱蒼とした雑木林があるだけの場所――のハズだった。
しかしである。それが今やボロボロになった石段と鳥居が姿を見せている。恐らく先日の台風で入り口を覆っていた樹木がなぎ倒され、その姿が今になって現れたのだろう。
「神社の入り口だよなこれ……鳥居? だっけか」
独り言を呟く悠斗は、雑木林の脇に自転車を止めて中を窺う。額束が割れている為、名称不明ではあるが神社である事に間違いはない。鳥居の奥へと続いている石段は、見た感じ頂上まで上がっていけそうな雰囲気ではあった。
「ちょっと覗いてみるかな……」
恐る恐る鳥居の中へと足を踏み入れた。
崩れ落ちそうに見えた石段は、意外にもしっかりとした造りで安定して上る事が出来るものの、深緑色のコケが足元を不安定にさせている。必要以上に悠斗は慎重に石段を上って行った。
その石段の両脇に立ち並んでいる石柱は石灯籠だろうか。今や原型は留めておらず、来る者の進行を妨げるかのように横倒しになっているもが多かった。周りを取り囲む無造作に枝葉を伸ばす木々のおかげで、太陽の恩恵は遮断され、一切の光がシャットアウトされており薄暗い。その為なのか、雑木林の中は五月半ばとはいえ酷く肌寒かった。
「ん……?」
そんな中、石段を上がり始めてすぐの事だった。悠斗はある異変に気が付いた。
「…………何も聞こえないな」
悠斗の呟きの通りである。
この雑木林の中には、鳥や虫といった動物達の気配がチラリとも感じられないのだ。あるのは、無機物と物言わぬ植物達だけで静まり返っている。
こけのはびこった石段を踏みしめる静かな足音のみだけが響く薄暗い雑木林の中、吐く息すら白くなっているのではないだろうかと錯覚してしまう程に肌寒い空気。
「…………っ」
それらの相乗効果により、自然と生唾を飲み込む悠斗は、石段を登るにつれてこの神社を不気味に思い始めていた。しかし、好奇心には勝てず石段を上り続ける。
それから登り始めて数分程だろう。
「はぁ……ふぅ……な、長過ぎだろっ!」
息も絶え絶えになりつつ魂の叫びを空に向かって叫ぶ。悠斗が抱いていた不安は、極度の疲労によりどこかへ消えてしまったようだった。
「これ! バカじゃねぇ? はぁ……いや、何て言うかさぁ……僕ってどう考えたって体育会系じゃない……しさぁ! 何だって……はぁ、はぁ……僕は登ってんだよ!?」
――そこに山があるからさ。
と、著名な登山家は言ったらしいがそれは病気だと改めて確信する。
そして、さらに登り続けしばらくすると改めて思う。
どうして、自分は登っているのか?
何のために登っているのか?
「はぁ……はぁ……あと……少し……だったらいいなぁ」
答えなどなかった。
理由なんて堅苦しいモノは、悠斗の中には存在していないのだ。
最早、本能で。
それが、使命で。
かたや宿命なのだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
と、言えたらいいのだが、決してそんなカッコいいものではなく、ただ単に引っ込みがつかなくなっただけであり、引き返すタイミングを見誤っただけに過ぎない。
「妙な……好奇心…………なんて、出すんじゃ……はぁ……なかったぜ……ふぅ」
その言葉を最後に、悠斗は黙々と延々と続く石段を登り続けた。
「や……やっと……見えた!」
疲労困憊といった感じで悠斗が見上げた視線の先にあるのは、入り口で見た重厚な鳥居とは違い、一回りくらい小さめの木材で造られた鳥居だった。それは、長い長い石段の終わりを意味するゴール地点。
「きっと……この上は、凄い光景が……あるに、はぁ……違いない」
一段一段しっかりと踏みしめながら上を目指す。
「そうだ……はぁ、ここまで来て……はぁ、はぁ……何もありませんでした……何て、あり得ない……信じろ、はぁ……」
言い聞かせるかのように自分自身を励まし続ける。そして、最後の石段を登りきり小さな木造りの鳥居を潜った瞬間、膝から崩れ落ち地面に倒れ伏せた。
「やっと……やったよ……僕やった……今、ここで顔を上げたら目の前には……感動必至の光景が――――」
呼吸を軽く整えそのままゆっくりと顔を上げる。
「――――何もない!!」
正確には何もない事は無かった。ただ、悠斗が思い描いていた光景ではなかったのだ。
「……はぁ、何だろうこの徒労感」
身体に付いた土を払いながら立ち上がり、改めて周囲を見渡した。悠斗の目の前に広がっていたのは妙に湿っぽく濁った空気が充満する、山の中ほどを切り開いた広大な境内だった。石畳はひび割れ、すきまからは放置された雑草が鬱々と伸びている。右の方に目をやると奥の方に佇んでいる手水舎らしき小さな木造の建築物。すっかり枯渇しており、水盤の中は枯葉で溢れかえっている。それの反対側には注連縄が巻かれた巨大な岩石が鎮座していた。この神社が現役だった頃は、恐らく重厚たる存在感を撒き散らしていたに違いない。それが今や面影は消え去り、すっかりとなりを潜め風景の一部と化している。
そして、視線を前方に向けた。
「…………おぉう」
目の前にはかつては立派だったのであろう拝殿がある。しかし、今や廃屋も同然の風体だ。というのもその社は、妻造りの屋根を設けてはいるものの所々抜け落ち穴が空いており、拝殿の左側に行くにつれその劣化は激しくなっていた。形を保っている右側の方は、あくまで辛うじてといった感じだ。どこもかしこも、何から何までいつ崩れてもおかしくない状態に陥っている。
唯一の救いとも言うべきものは、真ん中に据えられている賽銭箱や鈴。それらは、一応の原型を留めており、雨風に晒され風化されてはいるもののギリギリ現役で通るだろう。
「へぇ……こんな所があったんだ…………雰囲気あっていいなぁ」
気分一新。気を取り直した悠斗は、無意識に歩を進める。雨でぬかるんだ地面を踏みしめながら真っ直ぐに拝殿へと近づいて行った。
「…………」
無言で寂れた拝殿を見つめていた悠斗は、立ち止まると不意にポケットをまさぐり始め、スマートフォンを取り出した。すると、おもむろにスマフォのカメラで風景を撮り始めた。
境内にスマフォの独特なシャッター音が響く。数十枚の写真を撮り終えると悠斗は満足気に頷きスマフォをしまった。
「折角だし……」
長財布を取り出し小銭入れのジッパーを開け、五円玉を取り出すと、賽銭箱へと続いている小さな階段を上っていく。賽銭箱の目の前に立ち、垂れさがる鈴を見上げた。
「…………古いなぁ」
自然と零れる呟き。それも当然なのだろう。遠目でも分かっていたが、近づいた事によりさらにハッキリとその様相を捉える事が出来た。垂れさがる鈴紐は茶色く変色し、パリパリに乾燥している。その先にある三つの鈴は、外泊がはげ落ち、下地の銅が外気に晒されていた。さらに、その内の一つの鈴は、底の部分に穴が空いており空洞を覗かせた、ただの銅と成り果てている。
拝殿の中は、扉が閉まっており窺い知る事は出来ないが、予想するのはそう難しい事ではない。
「…………」
賽銭箱に向き直ると悠斗は少しばかり躊躇ったが、握っていた五円玉を投げ入れた。乾いた音を立て五円玉が跳ね返り、静かに賽銭箱へと落ちていった。そして、悠斗は柏手を打ち、頭を垂れながら願い事を口にした。
それは、悠人が幼い頃からずっと思い持ち続けている悲願とも言える願い。
「――――――――。――――、――――――――、――――――――」
瞬間、境内の中に溜まっていた濁った空気を一掃するかのような風が吹き抜ける。
「うっわぁっ!?」
石段の下から駆け登ってきた突風は、悠斗の背中を強く打つ。たまらずタタラを踏むが何とかその場に留まるも、その暴風は拝殿の一部を吹き飛ばし、喧しく鈴を鳴らした。数十年ぶりに鳴り響く鈴は、悠斗の鼓膜を激しく震わし、心の奥底に響き渡る。
周りの木々はうるさいくらいにざわめき、雨のしずくが飛沫へと変わる。それが、微かに零れる夕日に反射し、さながらミラーボールのように煌いた。
直後、その煌きを凪ぎ払うかのように、悠斗から数センチ離れた所を入り口に佇んでいた小さな鳥居の笠木が横切り、拝殿へと突き刺さる。
轟音とともに木片が飛び散る様を呆然と見つめていた悠人だったが、頭上から等身大の木柱が目の前に落ちて来て我に帰った。
「…………ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! 悪ふざけが過ぎました! もう帰ります写メも消します!! 存在も忘れます、記憶も消します!! だから許して下さい!」
そして、あまりに突飛な出来事に猛烈な勢いで頭を下げまくる悠斗。
「ほんの出来心であり、日本人特有のミーハー心と言いますか、何て言うか他意はないんです! 信じて下さい!」
「…………ほぉ?」
「確かに神社を写メで撮るとか罰当たりもいいところでしょうし、お怒りになるのはごもっともです! ですが、やはり仏の顔も三度までと言いますでしょう!?」
何故か逆ギレする悠斗。ましてや、それは怒る側の都合であり、怒られる側が申し立てるものではないのだが……。それを知ってか知らずか悠斗は言った。
「カルシウムって知ってますか?」
神への冒涜も大概にしろ。
「…………いつの時代も」
「……………………へ?」
「いつの時代も人間なんてもんは……下らんのぉ」
しかし、そんな奴らがおらんと居ることすら出来んワシ等はもっと下らんか。
と、自嘲気味に笑う声。
「は?」
さっきまで悠斗一人だけだった廃神社に別の声が響き、頭を垂れたまま首を傾げる。
「主らの都合ばかり押しつけおって……人権ならぬ神権でも造ってくれんかのぉ?」
流石に空耳ではないと確信した悠斗は顔を上げた。
「………………おぉぅ」
呻き声とも似ている喉の奥から絞り出したような声を発した悠斗は、その場で固まった。
「はぁ……まさか、こうして祀り直されるとは……。普通こんな神社に祈り事するか? 主、バカじゃろ。ワシもうっかり顕現してもうたわ。まぁ、御神体のない今ではこうする事しか出来んかったのもあるがのぉ」
深々と溜息を吐いて、頭を気だるそうに掻き毟る。
「…………ぅ」
悠斗の視界で銀の光が揺れた。
「ん? 何じゃ小僧。さっきの威勢はどうした?」
嘲るように笑い、どこか不機嫌そうに睨む。
「あ…………と……」
そして悠斗は戸惑うばかり。無論、いきなりの登場人物に驚いているのが最もな理由だ。さっきの謝辞は、誰かに対して述べたものなどではない。ただ、言ってみただけなのだ。つまりは、ただの独り言。居るとも思っていない神様への平謝りだ。それに対して返答などがあるハズがない。
「聞いとるか?」
あってはならないのに――――返ってきた。そして、悠斗が言葉を発せずにいられる理由の一つに、返事を返したその人物の風貌にある。この世のものとは思えない程光り輝く長い銀髪に、炎を灯しているかのように赤く光る赤眼。明らかに常軌を逸している容姿に加え、さらにそいつの格好は、日本古来の服装である袴姿だった。しかも、その肩の部分には大きくスリットが入っており、妙に目のやり場に困る仕様になっている。そんな扇情的な服装を身に纏いながら彼女は、賽銭箱の上でうんこ座りをしていた。
日本人離れ所か人間離れをしている異常な容姿をしておきながら、身に纏う物は純和風。どこかチグハグでアンバランスにも感じる組み合わせだが、素晴らしく似合っていて何の違和感も湧かない造形品のような美少女だった。
「だ……」
そして、ようやく絞り出した声は、到底自分のモノとは思えない程に掠れている。
「だ?」
「だ……誰?」
例によって例の如く、悠斗は至って普通で何の捻りもないありきたりの事を聞くしか出来なかった。
「そもそもお主が誰じゃ」
「…………えっと、僕は神喰悠斗です」
あまりの毅然とした態度に気圧され敬語で自己紹介をする。
「カッカッカッカッ、妙チクリンな名前じゃな。それは名前か? どんな字を書く?」
「…………神を喰う悠久の悠に北斗七星の斗」
「ほぉ、痛い奴じゃな」
余計な御世話だ。と、心の中で毒づいてから再び問う。
「で、あなたは?」
「あぁ、ワシか? ワシは伏之紀戦花大御神」
「…………………………は?」
「だから、伏之紀戦花大御神」
「……その……おおみかみ? えっと……神って言いました?」
「うむ。どこかおかしいか?」
「えぇ、かなり」
「何でじゃ? お主だって神を冠しとるじゃろ」
「そうじゃなくて、あなたの名前が神様そのものみたいな名前だなって話」
「みたいも何もワシ神様じゃし」
「………………」
呆気らかんと言い放った少女に絶句する。
「どうした呆けた顔して?」
薄い唇から零れる微笑みは息を呑む程に美しかった。が、悠斗の脳裏に過るのは、そんな艶かしいものではなかった。
自称神にまともな奴など居はしない。
つまり――。
「…………そうでしたかぁ、お疲れ様です」
言って悠斗は踵を返して逃げ出した。石段を飛び降り、雑草を蹴散らしながら一目散だった。考えるまでもなく当然の行動と言えるだろう。自称神様に背中を向ける事に罪悪感は皆無。
「まぁ、待て。そう先走るな」
うんこ座りのまま少女は呼び止める。
「あっはっはっはっ。無茶言わないで」
快活に笑って悠斗は形の崩れた木製の鳥居の前で振り返り、少女に向き直る。
「それじゃぁ、早く家に帰ってお母さんと一緒に病院に行ってきなよ。それじゃ」
片手を上げて、回れ右。そのまま、石段を駆け下りようと、左足を前に出すも、
「ん?」
障害物にぶち当たる。目の前には、鬱蒼と茂る雑木林と延々と続いている石段。では、何に行く手を遮られているのか。そこから少し視線を下げると、銀の髪を揺らす袴姿の美少女が悠斗の胸に手を当てていた。
「なっ! はぁ?」
悠斗が驚くのも無理はない。さっきまで自称神様がいた場所は賽銭箱の上。そして、悠斗はそこから数十メートル離れた場所に立っていたのだ。その距離を悠斗が視線を外した一瞬で無かった事にした。悠斗にしてみれば、最早それは瞬間移動に近いものだ。
「先走るなと言ったハズじゃが?」
片方の手を腰に当て睨み上げる自称神様。以外にも小柄で、頭の位置は悠斗の胸の位置だった。地面スレスレまで伸びている長い銀髪は風に揺らめいている。
「な、何で……」
「クカカカカ。じゃからワシは神と言ったじゃろ」
「……い……いやいや、それはない」
聞き慣れた神様と言う単語。それをにわかに受け止めきれずにいる悠斗は、頬を掻きながら後ずさる。
「ほぉ? ないとするその理由はなんじゃ?」
「だって、神様ってファンタジーじゃん。無い無い。あり得ないから」
「ファンタジーから生まれてきたような生き物が何を言っとるんじゃ。しかも、その言い分だとワシが偽物と言いたいわけじゃな?」
「いやいや。君自身を偽物とか言うわけじゃなくて、君の職種があり得ないって事。職業、神様って何の冗談だよ」
「ハッ! 主らがしょっちゅう、事ある毎に賽銭を投げ頭を下げている相手は冗談から生まれた空想と言うわけじゃな? ならば主らは何故頭を下げておる? かるぅい頭を必死に下げて主らは誰に祈りを捧げておるのじゃ?」
「何って……」
無論、神様である。しかし、それはあくまで習慣で常識。日本の仕来りとも言えるし、半ば義務感みたいなものが頭を下げさせるのだ。賽銭箱の前に立ち、お賽銭を入れてしまえば条件反射で頭が下がる。目の前に神様が鎮座し、いつでも見守ってくれている、何て信心深い人間なんて今やほとんど居ないのではないか。
正月になれば初詣。受験シーズンになれば合格祈願。厄払いに縁結び。家庭円満、商売繁盛、etc……。数え出せば切りが無い。しかし、言える事は全て人のサイクルであると言う事だろう。だが、それら全てでお祈りする人間が必ずしも神様を信じているかと問われれば首を傾げるざる得ない。
「まぁ……何に祈るかは置いといて、君の家はどこさね?」
だからこそ、こうしてはぐらかす事しか出来ないのだ。そもそも、神様です。と言われてハイ、そうですか。と信じられる方がどうかしているであろう。
「まだ、そんな事を言うのか? 主は」
「まだも何も……僕は当たり前の事を聞いてるだけで……」
気が付けば、悠人は後ずさりし目の前の自称神から数メートルの距離が出来ていた。
「…………何じゃったかな」
「何って何?」
「う~む……」
「……?」
自称神は、唐突に眉間へシワを寄せ、人差し指をアゴに当てながら記憶の糸を必死に手繰り寄せ始めた。
「あぁ! そうじゃ思い出したわ」
一つ手を打って喜色満面。そして、嫌らしく瞳が煌いた。
「『どうか僕の欠陥を――」
それは、悠人が先ほど口にしたお祈りだった。
「ちょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉい待ったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そして、間髪入れず少女の言葉を遮って、悠斗の大絶叫が静観な神社に響き渡った。それだけに留まらず、悠斗は自分よりも小さい少女に向かって手に持っていた鞄を全力で投げつけた。
唸りを上げて放たれた鞄は、少女の顔面に吸い込まれるかのように一直線に飛んでいき――。
「はぁ……。いきなり何をするんじゃ? しかもいたいけな女子に向かって……。主は見た目とは裏腹な凶暴性を秘めていたりするんか?」
「あんたがいきなり妙な事を言い出すか…………ん?」
途中で言葉を止め、目の前にある違和感に気が付く。違和感というより異常を見た、と言ったところだろう。というのも、悠斗が全力で放り投げた鞄は、少女へと飛んで行き、止まっていた。今にも動き出しそうな状態で止まっていたのだ。
ピクリとも動かずに空中停止。偉大なる地球の重力をガン無視だった。
「どう……なってんだ…………」
「まぁ、主の願いがどんなもんじゃろうとワシにはこれといって関係ないのじゃが……。主よ」
空中で制止している悠斗の鞄の上に飛び乗り、再びうんこ座り。
「……マジ……ッすか……?」
「ちと恥ずかしすぎやせんか?」
頬杖をついて嘲笑する。
「……ほっといてくれ。てか、そんな事より……どうなってるんだそれ?」
空中で制止している自分の鞄を指さす。
「どうもこうも理由はない、神の力じゃ。どうじゃ、これでそろそろ信じたじゃろ?」
タネも仕掛けもありませんと言わんばかりに両手を広げる。
「そりゃ、まぁ……普通ではない事は分かった。それで、神様うんぬんは置いといて僕に何の用だよ自称神様」
「やれやれ、まだ信じぬのか主は……。まぁ、良い。そのうちわかってくるじゃろう」
言いながら、鞄から飛び降りて音もなく着地。「ちょっと来い」と言いながら悠斗を手招きする。
「…………」
無言でそれに従い悠斗は神様の前に立った。すると、いきなり悠斗の胸倉を掴みグイと手前に引き寄せる。
「うぉ!」
間近で見る彼女は確かに神々しいモノがある。
大きく強い意志の宿った、燃えるような赤い瞳と切れ長な目。綺麗に整ったつり上がった眉。通った鼻筋に薄い唇から漏れる甘い吐息。絹のように細く長い銀髪。
確かに全てが人から外れている。全てが人を超越している美しさだ。
「主よ」
「な、何でしょうか?」
「ワシの物になれ!」
人生初の告白はやけに男らしいモノだった。
「………………は?」
たまらず聞き返す。口をだらしなく開け首を傾げるその時の悠斗の顔は、今世紀最大のアホ面だっただろう。
「じゃからワシの物になれと言っておるんじゃ」
「…………嫌です」
「フンッ!」
「おふぅ!?」
胸倉を引き寄せられ、悠斗と少女の額が勢いよく衝突する。言うまでもなく典型的な頭突きだ。そして、双方にダメージがあるものと思いきや、ダメージを受けたのは悠斗だけのようだった。
「な、何すんだ!」
額を抑え涙ながらに抗議する。
「もう一度言う。ワシの物になれ」
「い、嫌だ」
「フンッ!」
「ふぐぅぉ!?」
再び頭突き。
「主よ。神であるワシの頼みを断る事が出来るとでも思っとるのか?」
「それが頼む者の態度か!? 胸倉掴んで頼み事なんて聞いた事ねぇよ!」
「何じゃ? 主は自分の願いばかりを押し付けてワシの願いは聞けんと言うのか?」
「いや、僕の願いはあくまで抽象的なものだし、お賽銭だって入れたし、何て言うかあなたの物になれって……実害を被るというか、有難迷惑というか、一応僕の意志も大きく関わってくるものじゃない? それにいきなり物扱いされちゃうと流石の僕でも――ぐへぇ!」
三度顔面に衝撃が走る。
「長い。返事は、はいか是じゃ。それ以外はない。そもそも、ワシの頼み事すら了承できん時点で主の願いなぞ甚だ叶うもんじゃない」
悠斗の胸倉から手を離すと宙返りして、鞄の上に飛び乗った。
「ぐぅ……ひ、卑怯だぞ」
「で?」
鞄の上で胡坐をかき、膝の上に肘を置いて頬杖をつく。どうする? と言わんばかりなその大胆不敵な表情に譲歩を許すようなスキは見られなかった。
「……貴女の頼みを聞いたら僕の願いは叶うのか?」
「ん? そんな事は知らんよ、主次第じゃろ」
「は? 僕次第って……神様なら叶えてくれるんじゃないのか?」
冷ややかな視線を鞄に座る少女へと向ける。
「アホか、何じゃその神様万能説。そうやって主ら人間は、勝手にワシ等をネジ曲げる。いつだってそうじゃ。いいか? ワシ等でも無理な事は無理じゃ。神に願えば何でも叶うとでも思っとるのか?」
そんな訳がない。そんな事があるならば、誰も努力などしないだろう。努力という言葉自体生まれる事は無かったはずだ。重々承知はしているが、悠斗は思う。それを神様自身が言っちゃぁダメだろう、と。
「そもそも、主よ。ワシはお主に祈れと言った覚えは無い。眠っていた神に主が勝手に祈りを捧げてワシを祀り直したんじゃ。聞きたくもない主の願いを聞かされたワシはどうすればよい? 旗でも振って応援でもしとればよいか?」
「…………」
「カッカッカッ、冗談じゃ。人の願いとは人の夢のようなものじゃからの。願いで大抵その者の人となりが分かるのじゃが……主の願い事を聞く限り、主はいい奴じゃろう……たぶん。じゃから、そんな主がワシの願いを無碍にするとは思わんよ」
「それはそれでまた卑怯だぞ」
「ワシは主の願いを聞く事は出来るが叶えるのはまた別問題じゃ。しかし、協力はしよう。じゃから、お主もワシに協力しろ」
それは、強要に近い交渉だった。
「……分かったよ、するよ協力」
「うむ! 主ならそう言うと信じておったぞ」
不承不承ながら首を縦に振った悠人に鷹揚に頷くと、少女は右手を差し出した。
「はぁ……。それじゃぁ、よろしくお願いしま……」
途中まで差し出した右手を止めた。
「ん? どうしたんじゃ?」
「いや……名前なんでしたっけ?」
「クカカッ。伏之紀戦花大御神。長いから戦花で良いわ、よろしく頼む――――悠斗」
「そっか……それじゃぁ、よろしく――――戦花。あ、ちなみに協力って具体的に何をすればいいんだ? まさか本気で戦花の物になるわけではないでしょ」
「カカッ。何、ただの奴隷で家来で従僕。つまり、ワシの手足となりワシの御神体となるモノを探してもらうだけじゃ」
「は?」
「なに、他愛の無い仕事じゃよ」
「え、ちょっと待っ」
しかし、もう遅かった。全てが遅い。あまりにも愚かで酷く間抜け。そもそも、それを一番に聞くべきだ。契約書にサインするのに契約内容を把握しない愚か者はこの男くらいのものだろう。
もっと思慮深い人間ならば。いやそれ以前にもっと自分自身に興味があれば、気が付ける。自分の身に降りかかる火の粉を察知する。しかし悠斗の場合は、気が付いた頃には既に全身は火に包まれているだろう。
だからこそ祈り、今は呪った。そんな自分の無関心に。自分自身への興味の無さに。
ガッチリと交わされた握手。絡み合う視線。
そして、全てが狂い出す。しかし、狂った事にすら気が付く事は無い。
――ゴクン。
何かが何かを吞み込む音が空気を震わす。
「ん?」「ふきゃ!」
悠斗が一瞬感じた違和感と共に交わされていた握手が勢いよく離された。いや、離されたというより、下方へ引っ張られ、たまらず離したとも言うべきか。
次に可愛らしい小さな悲鳴と、ドサッという重い何かが落ちた音が悠斗の鼓膜を刺激する。
「あたたた……何じゃ一体?」
悠斗の足元に転がっていたのは悠斗の鞄。それからもう一つ、その鞄の下でもがく少女が一人。
「――――っ!?」
そして、少女を見て悠斗は絶句。その場で固まってしまった。
「ったく……ん? 何じゃ悠斗、顔がヒョットコみたいじゃぞ? それにワシを見下ろすな下僕のくせに」
「たぁぁぁぁぁつなぁぁぁぁぁぁぁ! 止めろ! それ以上動くな! 動いたら死ぬぞ! 色んな意味で!」
両目を手で隠しながら戦花を押し倒す。意識して鞄の上から押し倒す。
「はぁ? 意味が分からんし、重い! 主はあくまでワシの下僕で協力者じゃ。仲良くする気はないぞ」
「そうじゃねぇよ! 自分の格好を見ろ! 首だけで見ろ! 上体は絶対に起こすなよ!!」
「はぁ? 何様じゃ主は。何じゃと言……う…………の」
不承不承と言われた通りに戦花は、首だけで何とか自分の状況を確認する。
「な…………何じゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
そして、絶叫。上に圧し掛かる悠斗を蹴り飛ばし、鞄を抱きかかえる。
鞄の下に倒れ伏していたのは、全裸の戦花だった。鞄で全てが隠れるあたり、なけなしの胸とはよく言ったものだと痛感する。
「ど、どうなっとる!? 悠斗! ワシをいつ脱がした!? ワシは神じゃ! 罰当たりも大概にせんか!」
「知るかよ! 僕は何もしてねぇよ! 逆にこっちが聞きたいわ! 何で脱いだ!? 変態か!」
「だ、誰が脱ぐかアホ! どんな痴女じゃ! そんなサービス精神など持っとらん!」
「だったら何で裸になってんだよ! もう一度言うが僕は何もしてねぇからな!」
「この際それはどうでもよい! 主よ!」
「何だよ!?」
「み、見たか……?」
鞄をさらに強く抱きしめて俯き加減で問う。長い銀髪の隙間から見える小さな耳は、真っ赤に染まっていた。
「…………み、見た……ような見てないような」
目を逸らし小声で答える。まぁ、見ていない訳がなかった。
「し、死ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
鞄を開けて中から教科書などを取り出し、悠斗に投げつける。
「ま、待った! 僕は無実だ! あんなの不可抗力だろ!?」
飛んでくる教科書を避けながら悠斗は無実を主張する。
「女子の裸を見ておいて無実とは何じゃ! 不可抗力じゃと!? 開き直るなアホが!」
烈火の如く怒鳴り散らし、次々と教科書やノートを放る。
「あぐぅ! ご、ごめん! 悪かったから投げないで! あふぅ!」
次々と悠斗の身体にめり込んでいく教科書類。中には筆記用具といった割と危険度の高い物も含まれている。しかし、悠斗の要求が通る事はなく、鞄が空っぽになるまで戦花は投擲を止めなかった。
「…………ん? 妙じゃ」
それから暫くして、空になった鞄を抱きしめながら戦花はある違和感に気付く。
「ま、まだ何かあるのか?」
全身ズタボロになりながらも悠斗は投げられた教科書を拾い集めていた。
「うむ。ワシの力が無くなっておる」
「力? 力って何? あの重力に逆らったり瞬間移動したりするあれ?」
「それも含め全てじゃ。いわゆる神通力。それがワシの中から消えておる」
「へぇ~。だから服も消えちゃったのかもな」
「……何と言うか、主はどこかズレておるな」
「何が?」
「消えた結果は……まぁ置いといて、どこに消えたのじゃ? なぜ消えた?」
「あっはっはっ。それこそ僕の知ったこ――ブッ!?」
戦花の手から放たれた手の平サイズの石が悠斗の腹部に吸い込まれた。
「主がワシの力を奪ったか?」
幾ばくか冷静さを取り戻した戦花は、蹲る悠斗を睨む。
「い、いやいや……そんな事無理だろ。濡れ衣は止めて欲しいね。ていうか神通力とかって消えるもなのか?」
這いつくばった状態で反論。
「無い事はない……じゃが、それはワシら神同士の神奪戦において起こり得る事じゃ。人間風情が神の力を奪うなど、そんなの聞いた事ないわ。しかも……ワシの身体が人間になっておる。そんな事はあり得んが実際に結果として――」
それから戦花は暫く一人でブツブツ考えを吐露しながら状況を整理していく。いつしか、戦花の呟きだけが唯一の音となり、悠斗はそれに耳を傾ける事は無く体育座りをしたままぼんやりと拝殿を見つめている。待ってる意味も特に無い気もするが、協力を約束した事もそうだが、なにより裸の少女を置き去りにするのは忍びない気持ちがあり帰るという選択肢は悠人の中になかった。
そして、程なくして戦花はある答えに辿り着き、背中を向けたまま体育座りをしている悠斗に伝えた。
「悠斗、結果から言うと、やはりワシの神通力及び神格は主に奪われたようじゃ」