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36 黒竜の試練

「ここが、頂上……」


 山の頂上へとたどり着いた私達が見たのは一面の荒地。

 空を見上げるとすぐそこには雲が見え、手を伸ばせば届くような距離に思えた。

 しかし、目的の黒竜の姿はなく、辺り一面には冷たい風が流れているのみであった。


「黒竜は一体どこに……?」


 私がそう呟いた瞬間、隣で私の裾を握っていたスイレンが緊張するのが伝わった。

 瞬間、彼女は空を見上げる。


「――来る」


 スイレンがそう呟くと同時に天空より漆黒の竜が舞い降りた。

 それは全長三十メートルはあるかという巨体。

 文字通り空を覆うほどの巨大な翼を広げながら、その竜はゆっくりと私達の前に降り立った。


『よくぞ、来たな。魔王の娘よ』


 そして、その竜は私が魔王の娘であると即座に見抜き、そう声を発した。


「……驚いた。見た目は竜だけど、ちゃんと話せるのね」


 そんな皮肉を呟く私であったが、本心は目の前の竜に気圧されないよう必死であった。

 分かってはいたつもりだったけれど、いざ本物の竜を目の前にすると思わずその姿に圧倒され、後ろに下がりそうになる。

 だが、私の背後には黒竜の生贄のために、この山に連れられた少女の姿がある。

 彼女のためにも私は後ろに下がるわけにはいかなかった。


『我はこの地より世界の様々な場所を見通す黒竜。お前達の事情もすでに知っている』


 そんなこちらの不安を知ってか知らずでか、黒竜は威厳に満ちた口調のまま、まるでこちらを試すように話し始める。


『お前達の願いは魔王に与えられた傷の治療であろう?』


「……ええ、その通りよ。あなたなら出来ると私達はここまで来たわ」


 こちらが尋ねるよりも先に、そのことを口にした黒竜に対し、私は隠すことなく答える。

 それに対し、黒竜はしばしこちらを眺めるように沈黙し、やがて――


『可能だ』


 その一言を答えた。


「! なら、お願い! パパの傷を癒して! 代わりにどんな事を要求されても、私がそれに応えてみせる!」


 黒竜からの返答に対し、私はすぐさまそう答えた。

 黒竜の奇跡を受ける代償として、その者の『最も大事なもの』を捧げなければならないとイブリスからすでに話は聞いていた。

 そのため、黒竜がどのような要求をしようとも私はそれに応えるつもりであった。


 パパを救うためなら、私自身の命も惜しくない。

 そう覚悟し、次なる黒竜からの答えを待つ私であったが、しかし、黒竜からの答えは予想外のものであった。


『そうだな。では、お前の後ろにいる生贄を差し出してもらおう』


「……え?」


 その黒竜の宣言に私は思わず固まる。

 後ろを見ると、そこには不安な表情を浮かべたまま、私を見る少女の姿があった。


『元よりその少女は我に捧げられるためにここへ来た者。その者を渡すのであれば、お前の望みを聞いてやらんでもない。さあ、どうする?』


「そ、れは……」


 黒竜のその条件はある意味で悪魔の囁きであった。


 なぜなら、私は黒竜の要求がもっと私の身近なものであると覚悟していた。

 それこそ私自身の命といった自身に関わるもの。


 しかし、黒竜が要求したのはそんな私とは縁遠い、つい先ほど知り合ったばかりの少女であった。

 しかも、その少女はこの黒竜に捧げられるためにここまで訪れた人物であり、私が願いを要求しようとしまいと関係なく、彼女は黒竜に捧げられる運命であった。

 それを考えるなら、私にとって最良の選択肢は、この子を捧げることであった。


 しかし、それをすれば私は人として最も大事な何かを失う予感があった。

 いや、それは予感ではなく事実であった。


 なぜなら、私はすでに過ちを犯している。

 知らなかったとは言え、利用されパパを死地に追いやった。

 その罪でさえ、私は自ら重いと思っている。


 だが、今回のはそれとはまるで比べ物にならない明確な罪。

 一人の少女の命を、自分の都合で捧げようとしている。

 しかも、先程その少女に対し守ると言ったにも関わらず、自分の望みを叶えるためにである。

 それはもはや、人として超えてはいけない一線――人間性の問題であった。


 私は目の前で私の事を見ながら僅かに震える少女を見ながら、彼女の「自分を犠牲にしても構わない」と言った諦観した笑みを見ながら、静かに決意を口にする。


「――それは出来ない」


 私は迷うことなく黒竜の方へと振り向き、そう告げた。


『ほう?』


 それに対し、黒竜はさも興味深そうな声を響かせる。


『解せぬな。その少女はお前とは無関係のはず。それを捧げればお前の望みが叶うかもしれないのに、それを拒むというのか? その結果、我がお前の望みを叶えぬと気分を害するかもしれぬのにか?』


「ええ、それでも私はこの子をあなたには渡さない」


 そう言って私は背後に居る少女を庇うように前に出て、両手を広げる。


「確かにパパの命を救うことが私の何よりの優先事項。だけど、そのために捨ててはいけないものがあるのも分かっている」


 仮にここでそれをやったとしても、私は私自身を永遠に許せなくなる。


「この子は渡さない。生贄になんて絶対にさせない。それであなたが私の望みを叶えないというのなら、それでもいい。別のやり方でパパを救う方法を見つける。それだけよ」


 仮にその結果、目の前の黒竜と戦うことになっても、私はやれるだけのことをやる。

 そう自らに言い聞かせ、黒竜に対し、一歩も退かないという姿勢を見せる。

 そんな私の姿勢を見て、しばし沈黙を保っていた黒竜であったが、しかし、次なる返答は意外なところから聞こえてきた。


「――よい、合格じゃ」


 それは私の背後。私が命をかけて守ると誓った少女から発せられた声であった。


「ご苦労じゃった。眷竜よ。あとは儂に任せよ」


『はっ』


 私の背後にいた少女が私の隣を歩き、目の前の黒竜にそう告げると、黒竜はその少女に従うように頭を下げ、そのまま空高く舞い上がり姿を消した。


「さて――」


 その一方で先程まで、儚く恐怖に怯えていた少女の姿が一変する。

 それはまるでこの地、この場所を支配する王者のように、高貴なる者だけが身にまとう支配者の雰囲気を纏いながら、少女は私とスイレンの方へと振り返り、その名を告げた。


「では、改めて名を名乗るとしよう。我が名は黒竜。お主らが会いたがっておった、この山の真の支配者じゃ」

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