16 ひととき
大地の神が起こした奇跡から、しばらくしたある日。
予見の通り、狼の子・スコルが太陽を、狼の子・ハティが月を飲み込んだ。人々は目の前で太陽が消えるのを目にし、そして月が消えるのを目にした。空に縫われていた星々が落ち、天の輝けるものたちは消えた。
空には、ぼんやりと神々の住まう黄金の宮殿の光が浮かぶ。ヴァルハラとビフレストだけは輝いていたのだ。
しかし、その光は地上を照らすには小さ過ぎる光だった。地上が闇に沈んだ時。人々は自分の足元がほのかに輝き始めたことに気づいた。柔らかな光が辺りを包む。
それは、この土地の神が与えた加護に違いなかった。
人々は神に感謝した。この国の神は、他のどんな神よりも慈悲深く人々を愛している。人々は神の愛に応える為に、神へ祈り続けた。
「ヨルム様。今、世界では何が起こっているというのですか?」
天空で起こったことを目にし、急いで外から戻ったリヴは、ソファーで本を開いているヨルムに詰め寄った。
彼の足元、温かい暖炉の傍で冬の服を作っていたレイヤとラシルは顔を見合わせる。
「おかえりなさい」
「おかえりなさい、リヴ。どうしたの?」
「すまないが、少しヨルム様と話をさせてくれ」
「おかえり、リヴ。帰宅の挨拶が先だろう」
ヨルムにたしなめられ、リヴは頷く。
「失礼しました。ただいま、皆。今日、採取したものはここに置いておこう」
リヴは自分で編んだ籠をレイヤとラシルの傍に置いた。
「ヨルム様。どうか、お聞かせください。これ以上、何も知らないままでいるわけには参りません」
リヴとラシルは、外の世界のことを知らない。
しかし、リヴは森の異常を感じていた。森では、春では取れないはずのキノコや木の実、果実が生っていた。それも、溢れんばかりに豊かに実っていた。最初はヨルムの加護かとも思っていたが、様子がおかしいのは確かだ。しかも、ヨルムは森の恵みは多めに採取し、蓄えるように勧めている。まるで冬に備えるかのように。季節は、これから夏に向かうはずではないのか。それなのに、暖炉に火を灯さなければならないほど空気が冷えているというのはどういうことか。
リヴは、そのことをヨルムに訴えた。
ヨルムは、その言動からリヴが外で何を見たか推察した。
「太陽と月が消えたか」
「はい。仰る通り、星々も消え、世界は闇に包まれています」
「え?」
ラシルが顔を上げる。
「どういうことですか?ヨルム様」
レイヤが泣いたあの日以来、四人は多くの時を一緒に過ごしていた。
それはレイヤとヨルムにとっても、リヴとラシルにとっても幸せな時間だった。
ヨルムはリヴに請われるまま自分の知識をリヴに分け与えていたし、レイヤはラシルを良く手伝い、最近では針仕事も少し出来るようになった。また別のある時は、レイヤはリヴと共に森で食材を採取し、ラシルはヨルムから作物の育て方を教わっていた。
もちろん、ヨルムとレイヤはヨルムの土地の各地に赴き、救けを求める人々に救いを与えて歩くこともした。
それは、とても穏やかな日々だった。
しかし、今日で終わりだ。
「レイヤ、支度を」
「うん」
レイヤは答えると、装備を整える為にヨルムの部屋に行った。
ヨルムはレイヤを見送って、リヴを見る。
「リヴ。これまで良く学び、様々なことを理解してきたお前ならば、この本を読むことが出来るだろう」
ヨルムは、持っていたアングルボダの予見書をリヴに渡した。その本には、アングルボダの予見の他に、リヴへ宛てたヨルムの言葉が書き加えられている。
「リヴ、ラシル。この先、何があっても家の外に出てはいけない」
「え?」
「庭に出てもいけないと仰るのですか?」
「その通りだ。理由は、その本を読めば自ずとわかる。外に出なくとも、家には十分な蓄えがあるだろう」
「そうですが…」
「ヨルム様、ここには水がありません」
「水か」
ラシルに言われて、ヨルムは台所へ行った。そして、水がめに触れ、水の力を与えた。
「この水がめの水は、決してなくなることがない。そして、どんな毒でも穢れることはない清い水だ。水が必要な時は、ここから得ると良い」
「ありがとうございます。ヨルム様」
ラシルは素直に喜んだが、リヴは納得がいかなかった。
「ヨルム様。私たちをここに閉じ込めてどうするつもりですか?外の世界に危険が迫っているのは十分にわかります。それならば、私は騎士として戦いに出るべきではないでしょうか」
「ラシルを一人残して行くつもりか。これから私とレイヤは、しばらくここを離れるのだぞ」
リヴはラシルを見た。
「リヴ。私のことは心配しなくても大丈夫。私の為に自分のやりたいことを諦めたりしないで」
「ラシル…」
「ヨルム様のご加護のあるこの場所が、どれだけ安全な場所かリヴも知っているでしょう」
そんなことはないことを、リヴは知っていた。
レイヤを襲った鷲の存在がある。リヴは、外に出る度に、その鷲を見かけていた。大人しくしているようだったが、こちらが気を抜けば迷わず襲ってくるような恐ろしい気配のする鷲だった。ヨルムに報告したが、ヨルムでも簡単に追い払えないものであるらしい。
「準備できたよ」
鎧とダーインが作った剣を装備したレイヤがヨルムの傍に戻って来た。
「レイヤ。少し待ってくれ」
「うん」
ヨルムはリヴを見た。
「リヴ。選択せよ。お前が騎士として国に戻りたいというならば、私はお前を城まで連れて行き、国王に取り成してやろう。ただし、ここへはもう二度と戻って来てはいけない。…逆に、ここに残ることを選択したならば、もう二度と城に戻ろうと考えてはいけない」
騎士の誓いをしたからには、リヴは国の為に働かなければならない。しかし、ラシルを残して行くわけにもいかない。
リヴが悩んでいると、突然、大きな咆哮が響き渡った。
レイヤは、思わずヨルムの腕をつかんだ。ラシルもまた、リヴにしがみついた。その声は、すぐ近くに狼が居るかのように大きな声だった。
「心配するな。近くには居ない」
この声の主を、ヨルムは知っている。
久しぶりに聞いた声。その主は、ここからずっと遠く離れた地に居る。
「リヴ。私は行かなければならない」
ヨルムはレイヤの手を引いて、壁に手を付けた。
「ヨルム様。決めました」
ヨルムとレイヤは、リヴの方を見た。
リヴは震えるラシルを抱きしめる。
「私はここに残ります。私は、大切な人を守る為に自分の剣を振るいたい。私は、ラシルを愛しているのです」
「リヴ…」
「ラシル。お前もリヴに言うべきことがあるのではないか」
「はい」
ラシルは頷くと、リヴと見つめ合った。
「ありがとう、リヴ。本当は心細かったの。我儘かもしれないけれど、あなたが一緒に居ることを選んでくれて、とても嬉しい。…私も、あなたを愛しています」
「ラシル…」
傍から見れば、確認など必要ないほど仲睦ましい二人だったが、二人は、ようやくお互いの愛を言葉によって確かめ合った。
「勝利の剣・レーヴァに選ばれた騎士よ。私が帰るまでの間、ラシルを頼む。私が帰還後、契約の神の名において、二人に婚姻の儀を執り行うとしよう」
「はい」
「はい」
二人は手を取り合って返事をした。
ヨルムは扉を作ると、レイヤと共に扉をくぐった。