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君に、


 ロバートは上機嫌だった。

 王太子殿下に「なにか良いことがあったのか?」と不思議そうな顔をされるくらいにはご機嫌だった。

 と、いうのも、先日公園でばったり出会った時のエレンの様子が、あまりにも愛らしかったからだ。

 近いうちに行くと告げた時のあのエレンの表情。

 とても嬉しそうにはにかんでいた。あの表情のなんと可愛らしかったことか!

 隣にクリスティネーテがいなければ、きっとエレンを抱き締めていたはずだ。


「とてもご機嫌が良さそうですわね、ロバートさま」


 甘ったるい声がかけられ、ロバートはハッとし、すぐさま令嬢の好きそうな笑みを浮かべた。


「そう見えますか、クリスティネーテ嬢?」

「ええ、とても」

「そうですか。ではそれは愛らしいあなたにこうして会えるからに違いありません」

「まぁ…」


 にっこりと微笑みそう言えば、クリスティネーテは頬を染めて嬉しそうな顔をする。

 ロバートにはどうすれば女性に喜んで貰えるのか、というのを熟知しているという自負があった。

 ……ただしそれは肝心のエレンにはまったく発揮されないのだが。


 今、ロバートがこうしてクリスティネーテに近づいているのは、彼の父親に関する情報を集めるため、だった。彼女の父親はどうやら悪い連中との付き合いがあり、色々なところで横領や恐喝を行い、金をむしり取っている、という噂の真相を確かめるために、殿下直々に調べよとの命を受け、その調査を行っていた。

 ロバートの調べによれば彼女の父親はクロだ。あとは証拠を集めるだけ、という段階にまできており、そろそろ彼女から手を引く頃合いだった。


 さて、どうして彼女から手を引こうか。

 そう考えながら、彼女の話に適当に相槌をうち、彼女の望む言葉を与える。


「…ねぇ、ロバートさま」

「なにかな?」


 クリスティネーテはすりすりと甘えるようにロバートにくっつく。

 それにロバートは内心で顔を顰めつつ、そのままにしておく。その方が彼女のご機嫌を取れるとわかっているからだ。


(ああ…もうご機嫌取らなくてもいいだっけ)


 しかし、どんな人物であれ、レディの悲しそうな顔は見たくないと思ってしまうのロバート・スペンサーという人物である。根っからの女好きである彼は女性に冷たく出来ないのだ。


「わたくし、父に頼んでみましたのよ。そうしたら良いと仰ってくださいましたの!」

「…なんのことでしょう?」

「まぁ、いやだ。わたくしたちの婚約の話ですわ」

「……は?」


 なにを言ってるのだ、この人は。

 ロバートは心からそう思った。


(婚約だって…? 冗談じゃない! 俺はエレンと…!)


「ロバートさまには我が家に婿に来ていただくことになるかと思います。でも、ロバートさまなら大丈夫ですわ。立派な侯爵になられるだろうと父も言っておりましたし」

「ちょっと待ってください…クリスティネーテ嬢、俺は…」

「ロバートさま。わたくしはロバートさまをお慕いしております」

「…クリスティネーテ嬢…気持ちは嬉しいのですが…」

「ロバートさまになら、わたくしを捧げても良いと思いますのよ」


 話をまったく聞かない。

 それどころか、ぐいぐいとクリスティネーテはロバートに迫ってきている。

 淑女の作法を男であるロバートが説き伏せたくなるほどぐいぐいと来て、ロバートはほとほと困った。

 とにかく彼女を引きはがさないと、と思い少し視線を逸らした時、見慣れた淡い紫色の目と視線が交わり、ロバートは固まった。


(なんでエレンがここに…!?)


 いや、そういえばここの公園はエレンの家のすぐ近くにあるのだった。

 だからエレンが気分転換に散歩に来ていても、おかしくはない。よく見ればエレンの手にはリードが握られており、足下には愛おしのマッシュの姿まである。


 なんというタイミングだろう。よりにもよって一番悪いところをエレンに見られてしまった。

 ロバートは頭を抱えたくなった。しかし頭を抱えるよりも早くこの状況をなんとかせねばならない。まずはエレンの誤解を解かなくては、とロバートが行動に移そうとしたとき、エレンはくるりと背を向けた。

 その時、エレンの瞳には涙が溜まっていた、ような気がした。

 目を見開き足元のマッシュを見ると、マッシュはとても軽蔑した目でロバートを見て、いるような気がした。マッシュはわん! と吠えるとエレンについて行く。


 マッシュに見捨てられた。


 エレンの涙と、愛おしのマッシュに見捨てられたという事実にロバートは打ちのめされた。

 しかし、そんなロバートの心情など知る由もないクリスティネーテは「ロバートさま?」と甘ったるく呼びかけた。

 大胆にくっついてくる彼女のその温もりが、気持ち悪く感じた。

 誓って、ロバ―トは今までそんな風に女性に対して思ったことはない。だが、エレンに誤解され、マッシュに見放された今、その原因となった彼女の存在がとても煩わしく、不快に感じた。

 身勝手なのは百も承知だ。だが、ロバートにとってエレンという女の子とマッシュという愛らしい存在は特別なのだ。

 ロバートは乱暴に彼女を振り払うと、彼女は信じられない、という顔をしてロバートを見つめた。


「ロバートさま…? どうかなさいまして?」

「……俺に触れるのをやめて頂きたい」

「え?」

「金輪際、俺に近くのはやめて頂きたい、と言ったんだ」

「…ロバートさま…? なにを仰って…」

「あなたと俺が婚約? いつそんなことを俺が望んだ?」

「だ、だって…ロバートさまはわたくしに…」

「俺はね、自分で言うのもあれだけど、女性は誰もが可愛らしく愛おしい存在だと思っている。だからあなたに愛らしいと言ったのも、美しいと言ったのも、俺にとっては挨拶と変わりないんだ」

「そ、そんな…」


 よろり…とわざとらしく体をのけ反らせる彼女を、ロバートは冷たく見た。


「そもそも、俺とあなたが婚約することは絶対にありえない」

「な、なぜですの。わたくしの家とあなたの家は家格も同じくらい…あり得ないということは…」

「あり得ないね。だって、あなたの家は近いうちに取り潰しになるのだから」

「……え……?」

「あなたの父上はとても悪いことをしていたようだ。それが近いうちに公表される。……ああ、そうそう。あなたも結構悪いことをしているようだね? 恐喝、誘拐未遂…調べればいくらでも埃が出そうだ」

「な…ひ、ひどい…! わたくしは…!」

「あなたは俺の幼馴染みにもずいぶん酷いことを言っていたようだね」

「……!」


 びくり、とクリスティネーテは体を揺らした。

 そんな彼女の様子に、それが事実だとわかっていたとはいえ、苛立った。

 彼女の心無い言葉の数々に、どれだけエレンは傷ついただろう。エレンはロバートにとって誰よりも大切な女の子。そんな彼女を傷つけるのは、誰であろうと許せない。


「俺は、ね。俺の大切にしているものを傷つけられるのが、大っ嫌いなんだよ」

「…わ、わたくしの方が彼女よりも美しいですわ! それに教養だって! わたくしの方があなたに相応しいはずです!」

「俺はそうは思わない。あなたよりもエレンの方がずっと美しい。特に、心がね。あなたが何を勘違いしたのか知らないけれど…エレンを傷つけるのなら、俺は容赦しないよ」

「ひっ…!」


 ロバートが冷たくそう告げると、クリスティネーテは悲鳴をあげて逃げるように去っていった。

 それをロバートは冷たく見据え、はあ、とため息をついた。


(厄介な令嬢だ…まあ、今回は俺も悪いな)


 エレンを表立って傷つけたのはクリスティネーテかもしれない。だけど、クリスティネーテがエレンを傷つけようと思ったきっかけはロバートにある。

 エレンの誤解を解かねば、とエレンが去っていった方へ駆け出して、しばらくしたところで、ポツンと立っているものに気付く。


「……マッシュ?」

「わん!」


 マッシュはロバートを見ると、くいっと体の向きを変え、歩き出す。それをぽかんとロバートが見ていると、マッシュは振り返り、ついてこいと言わんばかりに鳴いた。

 それでようやく、マッシュがロバートを案内してくれようとしているのだと、気付く。


「…俺を、エレンのところへ連れて行ってくれるの?」

「わん!」


 そうだ、と頷くように答えたマッシュに、ロバートは感極まって抱き着いた。

 マッシュは苦しいと言わんばかりに吠える。


「ああ…君はなんて賢いんだろう! 今度、お礼に君の大好きなビスケットと新しいおもちゃをプレゼントするよ」

「わふっ!」


 マジで!? とマッシュは目を輝かせ、尻尾をはちきれんばかりに振った。

 そんなマッシュの様子は相変わらず愛くるしい。

 だが、今はそんなマッシュの愛らしさに見惚れている場合ではないのだ。


「マッシュ。俺をエレンの所へ案内してくれ」

「わん!」


 任せろ! と言わんばかりにきりっとした顔をしてマッシュは答え、駆け出す。

 それにロバートも続く。


(エレン…俺は今度こそ君に……!)


 この想いを伝える。

 そう、ロバートは決意し、マッシュのあとを追うのであった。




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