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痴話喧嘩は犬も食わない


 俺の名はマッシュ。

 真っ黒で艶やかな黒毛と、人間でいう眉のあたりにある二つの丸──どうやら麿眉と言うらしい──がチャームポイントの愛くるしい犬である。

 おっと。俺の自慢はこの毛だけじゃない。

 くるんと頭の方に丸まった尻尾と、きゅっと締まったこの尻。

 他の奴らは尻尾で尻を隠しているが、俺はそんなことはしない。

 尻を見られて恥ずかしくないのとか、はしたないだとか露出狂だとか言われたりもするけれど、全然気にしない。

 なぜなら、俺の尻は隠す必要のないくらい完璧だからだ!

 見よ、この肛門! 惚れ惚れするだろ?

 知ってるんだぜ。みんな散々俺のことを馬鹿にするけど、みんな俺の尻を見ているっていうこと。

 誰もが見たがるこの尻。人間だって俺に会えば「まぁ、なんて可愛いお尻」と誉め称えるんだからな!


 そんな愛くるしくキュートで凛々しい完璧な俺はもちろんその変をブラブラしている奴らとは違う。

 俺のご主人は由緒正しき伯爵家のご令嬢だ。

 ぽわっとした外見のままのお嬢様である。

 そんなご主人だが、俺はわりあい気に入っている。俺を撫でる手つきも優しいし、なにより俺の魅力をよくわかっているからだ。

 ご主人はいつもこう言う。


「マッシュが一番すてきだわ。世界でいちばんかっこいい!」


 そんなの当たり前なことだけど、言われて悪い気はしない。

 ご主人はちょっと天然で抜けているところもあるけど、俺はこのご主人が好きだ。

 散歩にも連れていってくれるし、遊んでくれる。

 そして俺にはもう一人、ご主人と同じくらい好きな人がいる。


「やあ、マッシュ。今日も素敵な毛並みだな」


 その人は俺を見つめると爽やかな笑みを浮かべて屈む。

 そして懐から何かを取り出し、俺にそっと差し出した。


 ───これは俺の大好物のビスケット!!


 ぶんぶんと尻尾を振って、俺はその人を見つめた。

 食べていいのかと期待を込めて見つめると、その人は破顔して「どうぞ」と俺に言う。

 俺ははふはふと大好物のビスケットを食べる。いつ食べてもこのビスケットはうまい。

 俺にビスケットをくれた人は俺のご主人の幼馴染みで、よくビスケットやらおもちゃやらを持ってやってくる。そして俺と一緒に遊んでくれるのだ。

 とても優しくて、俺の頭を撫でる手は温かくて優しい。ご主人とは違って大きな手で、その手はちょっとぼこぼこしてるけど、それでも俺はこの大きな手が好きだ。

 ご主人とは違うやり方で俺を愛でてくれるこの人が、俺は大好きだ。

 もっと欲しいと、おねだりをしようと顔を上げたとき、


「あぁっ! また来たのね、ロブ!」

「お邪魔してるよ、エレン」


 ロブと呼ばれたその人は、人好きのしそうな笑みを浮かべて、怒りの形相を浮かべた俺のご主人であるエレンを見つめた。

 年頃のご令嬢ならころっといきそうな素敵な笑み(というのをご主人たちの友人たちとの会話で聞いた)を浮かべているのにも関わらず、ご主人の顔は怒ったままだ。

 さすが俺のご主人。そう簡単には落ちない。


「なにしにきたのよ、ロブ!」

「それはもちろん、君に会いに」

「嘘をおっしゃい!」

「…というのは冗談…っておい。やめろ。俺の顔を殴ろうとしないでくれないか。あ、ちょっ、ひっかくのは本当にやめ…!」


 ロブが何かを言う前にご主人はロブを追い返そうと奮闘する。

 そんなご主人からロブは慌てて逃げて回る。

 ……まぁ、こんなのいつものことだけどな。通過儀礼というやつなのだ、たぶん。


「…なんて凶暴な。そんなんじゃ、嫁の貰い手がなくなるぞ」

「あら、心配してくださるの? けれど、あなたに心配されるいわれはありません」

「ああ言えばこう言う。本当に可愛くない女だな、君は」

「あなたに可愛いと思ってもらえなくて結構よ。あなた、人の心配をするより自分の心配をしたらいかが? そこらじゅうのご令嬢方から恨まれているんでしょう?」

「まさか、この俺が? 淑女(レディ)にうっとりされることはあっても恨まれることはないね」

「……本当にあなたっておめでたい人ね。よくもそんなことが言えたものだわ」

「事実だからな」


 自慢げに胸を反らして言ったロブにご主人は深いため息を吐いた。

 ご主人、気持ちはわかるぜ、と俺はご主人に近寄り、ご主人の足に頭をすりすりさせた。

 ご主人は嘆かわしそうな表情を一変し、俺を見て「あぁ、マッシュ…!」と破顔して俺に抱きついた。

 ぎゅうっと俺を抱きしめるご主人からはとても良い香りがする。なんの香りかはよくわからないけど、恐らくはなんかの花の香りなんだろう。

 だけどな、ご主人。力いっぱい抱きしめすぎ。俺、ちょっと…いや、かなり苦しいんだけど…。


「マッシュったら本当に良い子なんだから…! あぁ、なんて素敵なの! あなたが人間だったらわたし、絶対あなたに骨抜きにされたわ。もちろん、今もよ!」


 だいすき、マッシュ。

 そう言われて抱きしめられるのは悪くない。むしろ、嬉しい。

 俺もご主人大好きだぜ! という気持ちを込めてわん! と言う。

 ご主人に喜んで貰えるなら、俺、苦しいのだって我慢するぜ!

 その代わり、おやつは俺の大好物を頼む。


「エレン、マッシュが苦しそうだ。その無駄に力のある腕を離してあげなよ」

「まぁ…! 無駄に力のあるって、失礼ね! 私はか弱い淑女よ!」

「本当のか弱い淑女は自分のことをか弱いとは言わない」

「まぁぁ! なんて失礼なの!」


 そしてご主人たちはまた言い合いを始める。

 これもいつものことで、この屋敷に来て最初の頃は戸惑ったもんのだが、今はすっかり慣れて俺は余裕の笑みでご主人たちを見つめる。

 俺は知っているのだ。ご主人たちの喧嘩を止める方法を。


「わん、わん!」


 俺が遊ぼう、とご主人とロブの服の裾を交互に引っ張ると、二人そろって破顔した。

 この二人は俺に弱い。二人とも俺にメロメロなのだ。

 それもこれも俺が愛くるしいせい。さすが俺。


「マッシュ、私と遊びましょうね。こんな人放って置いて」

「いいや、マッシュは俺と遊びたいに違いない。それに君はいつでもマッシュと遊べるだろう。俺が優先されるべきだ」

「マッシュのご主人は私です。だから私が優先に決まっているでしょ」

「なんて心の狭い…あぁ、マッシュ。こんな主人を持って可哀想に。よかったらうちへ来ないか? 君の好きなビスケットを毎日あげるから」


 え、ビスケットを毎日!?

 ちょっと心揺れる俺を知ってか知らずか、ご主人は「食べ物で釣るなんて最低」と軽蔑した目でロブを見た。

 犬の俺でもちょっとぞくってするほど冷たい目だった。ビスケットに心揺れたことを知られたら俺もご主人からそんな目を向けられるのだろうか。

 …それはちょっと…いや絶対いやだ。


「あなた、まだマッシュを狙っているの。いい加減あきらめたらどう? マッシュはうちの子よ!」

「エレンに面倒を見られるよりも俺が見た方がマッシュも幸せになれるはずだ」

「どこからその自信が来るのよ! あなたって本当に自信過剰すぎるわ。いつか絶対痛い目に遭うわよ」

「そんなヘマはしないさ」


 またもや言い合いを始める二人に、俺はため息をつきたくなった。

 …まぁ、これもいつものことだけどさ。


 でも俺、本当は知っているんだぜ。

 この二人、仲悪そうに見えて、実は互いに憎からず思っているってことを。

 ただ素直じゃないから会うたびに喧嘩をするのだ。

 そんな不器用な二人をもどかしく思うのと同時に、それが二人らしいとも思うので、俺はただ二人を見守っている。

 大好きな二人が結婚したら俺も嬉しいけど、それを決めるのは俺じゃないし。

 それに、あれだ。ことわざにあるだろ?

 

 ───痴話喧嘩は犬も食わないってな。




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