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私につばさがあった頃

作者: わだか

翼がほしい、なんて思ったことはなかったけど、一度だけ飛んだことはある。


以前、わたしの背中には翼があった。なぜかは今も知らないし。父母のいないわたしを育てた叔父は事情を教えてくれなかったし、そのことに不満よりも居心地の悪さを覚え、言われる通りに毎日それを切り落とすくらいには、この翼がおかしいものだと分かっていた。


でも。一度だけ、わたしは飛んだ。


結果、失敗した。

近所より少し遠い山で、初めての飛行ーーというには些かお粗末すぎたけれどもーーを、あろうことか同級生に見られてしまったのだ。


「く、栗橋さん?」


「このこと誰にも言わないで………言ったら蒼井くんのこと、ころすよ」


そうわたしが脅すと、蒼井くんは多めの睫毛を瞬かせた。







『あんり生きてるー? ノート貸してあげるから、気にしないで休んでね』


携帯を放り投げ、ベッドを転がれば羽根が部屋中舞った。


それは中学二年の或る日の夕方で、わたしは重い生理を理由に学校を二日も休んでいた。三日目であったその日には大分回復していて頑張れば学校に行けなくもなかったけど、二日も休むと動くのもなんだか億劫だった。


飛び散る羽根をぼんやりと眺める。翼は普段は毎朝根元から切り捨てるのだけど、生理のときだけは生やしたままにしていた。朝切っても一晩寝れば元通りに背中に生えている其れは容赦なく栄養を搾り取るので、ただでさえ貧血気味になる生理のときに切ると体がすごく苦しくなるからだ。


水を飲もうとダイニングに向かうと、インコのぴーちゃんと目があい、ギクリとした。蛍光イエローの嘴がキュートなぴーちゃんはわたしにちっとも懐かず正直こわい。ぴーちゃんとわたしを二人きりにした叔父が腹立たしかった。


「ごめんねぴーちゃん、おじさん仕事で今日も帰ってこないんだって」


行き場所のない苛立ちを含ませながら言葉をかけると、ぴーちゃんがブワサササッ!と、籠の中で飛び立った。その無意味な行動が羨ましい。


「いたっ、」

ぶちり、と背の付け根から引っ張られる感覚に思わず声を上げたけど、痛くない。ぴーちゃんを見ると、ちぎり切ったわたしの羽根をもしゃもしゃと食んでいた。


「ぴーちゃんは、楽しそうだねぇ……わたしも自由にとんでみたいよ」


それは、言葉にしてみると奇妙なくらい腑に落ちた。


そうだ、飛ぶんだ。

飛んでみたっていいじゃないか、一度くらい。








一歩歩くたび、大きめのジャンバーの下で翼がガサゴソと音を立てた。足元に気をつけながら、夜の真っ暗な山道を携帯で照らしていく。


「このへんでいいかな、っと」


隣町にある山……というよりも、裾野の部分にあたる森は、思ったよりも広かった。辿り着いたそこで息を吸い込むと冷たい夜の空気が体に溶け込み気持ちがいい。


リュックを置いて、さあという段になって、どうやって飛ぶのか知らないと初めて気づく。翼に力を入れてみる。飛べない。助走をつけてみるといいかもしれないと思い、少し駆けてから、足に力を入れ、跳ねる。


「わっ……」


それは、歓喜だった。


飛ぶ、というには余りにもお粗末だけど、ちょっぴり、ほんのちょっぴりだけ、浮いたのだ。


今までにないくらい胸が軽かった。

吐息が空気に混じり、溶ける。


夢中で幾度も、跳んで、浮く、を繰り返すうち、ふと周りが明るいことに気づいた。夜なのに不思議だと周りを見渡すと、飛び散る羽根がぷわぷわと青白く輝いている。なんだか嬉しくなって、くるりとその場をまわってみた、ら。


森の向こうに、人がいた。



「く、栗橋さん?」



ぴしり、と翼の付け根が軋む音が鳴った。


心臓がわめく。

容赦なく人影がこちらに近づいてくる。


逃げないと。


走り出そうとしたところで「ま、待って!」と呼び止められて、仕方なく立ち止まる。よくよくうかがうと、近づいてくる人物に見覚えがある。


「えっと、あの。栗橋さん、だよね」

「他のなににみえるのさ、蒼井くん」

「ぼ、僕のこと、知ってたんだ、クラス違うのに」


蒼井くんはそう言って多めのまつげを瞬かせた。


「知ってるよ、五月にだっけ、B組に転入してきた蒼井……くんでしょ。むしろそっちの方がよくわたしの名前まで……」


知ってたね、とは続けずに口を噤んだ。

黙って蒼井くんの目を見ると、彼はびくりと身を縮こまらせる。


「このこと誰にも言わないで。言ったら蒼井くんのこと、ころすよ」


馬鹿げていると自分でも思った。睨みつけるわたしに蒼井くんは困ったように眉を下げた。


「そんなことしないよ。言ったって僕の頭がおかしくなったって思われるだけだもの……その、く、栗橋さんが天使だった、なんて言っても」


コホンと咳をして蒼井くんはなぜか顔を赤らめた。なにか期待するような輝く瞳でこちらをみている。愕然としたのち、この美人は何を勘違いしているのだろうかと呆れてしまった。けれどこの美人はそんな顔しても美しいままで、無性に腹立たしくなる。顔も中身も、蒼井くんのほうがよっぽど"天使"だ。


「あのさ、蒼井くん、わたしがそんな高級そうな生き物なわけないでしょ。羽が生えてれば天使って漫画じゃないんだからさあ……」

「えっ! ち、ちがうの?」


目を丸くする蒼井くんに毒気を抜かれるけれど、警戒心が落ち着かない。しかしどう言えばいいのだろう。わたしが天使であるわけないけれど、ちがうのかと問われると厳密には答えられない。わたしだってわたしが何者であるか知らないのだ。


「………蒼井くんって、意外とメルヘンチックなんだね」

「ぼく、め、めるへんかな……」

「うん、ものすごく。小学生向け少女漫画の十倍くらいはメルヘンでファンタジーだと思う」


蒼井くんは「じゅ、じゅうばい…………」と呟いていた。突っ込むところはそこでいいんだろうか。


「で、でも、栗橋さんの羽根、すごく綺麗」

「でしょ? ふふん、もっと褒めてくれていいんだよ」

「う、うん。点滅してて、明るくて、ええと、すごくいいと思う」


ひどい賛辞だ。わたしはくるり、とまわった。途端、蒼井くんの目が輝く。


「栗橋さん、その、もう一回まわってみせて」

「もういっかい?」

「う、うん、もう一回……」


リクエストに得意になって跳ねながら一回転してみせた。蒼井くんの純粋な感嘆は意外と悪い気がしない。


思う存分敬うがいいさと鼻を高くしつつ、ーーもう自分のテンションがよく分からないーーくるくるまわる。なんだかとってもいい気分だ。


「そういえば蒼井くんはこんなところに何しに……いや、やっぱりいいや」

「ええーと、たぶん、栗橋さんとおんなじ理由だとおもう」

「えぇ、実は蒼井くんが天使だったの?」

「えっ!く、栗橋さんってやっぱり天使……」

「え?」

「えっ?」

「………………なんでもない、忘れてくれていいよ」


腑に落ちない様子の蒼井くんが頷いた。

わたしはまわる、まわる。

蒼井くんはじっと見つめていた。


ひらひら、ひらひら。

蛍みたいに青白い光を明滅させながら羽根が舞う。


「すごく、きれいだね」

「そう?」


照れる。


「まあでも、今日で最後だよ」


最後というか、今日が初めてなのだけど。


「や、やっぱり、ぼくに見られたから?」


蒼井くんが青ざめた。


「だからそんなわけないってば、おとぎばなしじゃあるまいし……安心してよ、蒼井くんのせいとかないから」


不安そうな顔をする蒼井くんに、つい、そうだよって言って意地悪したくなる。けど、やめた。だれかのせいにしたところで気が晴れるものでもない。


なんのことはない。翼が飛ぶことに耐えられなかっただけなのだ。わずかに回るだけで、揺れる翼からぽろぽろと羽根は欠けてゆく。


毎日切り落としていた翼はいつからか細く脆くなっていった。丁度生理が来たころから、少しずつ。ヒトになるためにわたしの身体は鳥から分化してしまったのだ。もっともっと前から飛んでいれば、わたしはぴーちゃんのような立派な鳥にだってなれたかもしれない。


「………蒼井くんさ、わたしね」


今日、はじめて飛んだんだ。今まで飛べることなんて知らなかったし、できるとも思ってなかったの。でも飛んでみたら意外なくらい気持ちよくて、こんな気分があるんだってくらい、心が晴れて。


もっともっと羽ばたけばよかった……なんてこと、言えなかった。


翼を動かすのがこんなにきもちいいなんて知らなかった。知らない方が、よかった。でも、わたしは気がついてしまった。

鳥になれる選択肢は、たぶん、本当にあったのだ。それを、わたしは気づかないうちに捨てていた。


「く、栗橋さん?」


突然黙りこんだわたしを不安そうな声音で蒼井くんが尋ねた。飛び散っていた羽根もいつのまにやら光を無くしていて、あたりはすっかり暗闇に包まれている。


「……そろそろ帰ろうか」


そう呟けば、蒼井くんが小さくうなずいた。


帰り道、何も言わずに歩くわたしに、蒼井くんが言った。


「栗橋さんは、明日は学校に来るの?」

「明日は土曜日だよ、蒼井くん」


蒼井くんが、あっまちがえた、という顔になる。


「学校かあ、どうしようかなあ。行くのめんどくさいし」

「栗橋さんは、あんまり、学校すきじゃないの?」

「んー、どうなんだろ。友達としゃべるのは楽しいけど。蒼井くんはどうなの?」

「ぼくも、うぅん、まぁ。前よりはいやじゃないかなぁ……」

「前よりは?」

「ぼく、転校する前の学校でいじめられてたんだ」


そうなんだ、とわたしが相槌を打つと、なぜかほっとしたように蒼井くんが笑う。



「僕、とろいから。それによく変わってるって言われるし、えっと、」

「うん」

「だから友達も少なくて、」

「うんうん」

「でも、僕、本とか好きで、図書委員やってるんだ。だから、もし図書室に来たら、話しかけてくれるとうれしいな」

「うん……ん?」

「栗橋さんと、前から話してみたいと思ってたんだ」


蒼井くんは恥ずかしそうにはにかんだ。


「いま話してるじゃん」

「そうだね」

「蒼井くんはさあ」


にこにこしている彼を不思議なきもちで眺める。


「自分が一方的に嫌ってたんだけど話してみたら意外とすっごく楽しくて、でも気づいたのがその人と二度と会えなくなる別れ際だったってこと、ある?」

「え? う………ううん、ないかなあ。ぼく、ひとと話すの苦手だから、そもそも仲良くならないし……」


うーん、と頭をひねってから、蒼井くんが続きを口にする。


「でも、もし仲良くなれるなら、仲良くなりたいなって、思うよ。その、最後の一回でも、なんでも」

蒼井くんらしい答えだ、と思った。

「栗橋さんは?」

わたしはゆっくりと首をふる。


「わたしは違うな。なんで今まで嫌ってたんだろう、仲良くなる機会を自分でドブに捨てていたんだろうか、って思いたくないから絶対に気付きたくない。最後まで話さなければ気づかないでいられたのにって、むしろ相手を逆恨みしたくなるね」


最後の一回なら、飛ばなければよかった。それが私の結論だ。けれど、けれども。


「けど、蒼井くんがそういう答えをしてくれたのは、すくわれた気がする」


わたしがそう言うと、視線をうろつかせたのち蒼井くんは小さくうなずいた。






こうして、わたしの最初で最後の飛行体験は幕を閉じた。


その後なにが変わるでもなく、ただ少しだけ呼吸のしやすくなった日常で、蒼井くんとは図書室で見かけたときにしゃべるようになった。おどおどしていて時々言っていることが意味不明だったけれど、嬉しそうにはにかみ笑う彼と本の話をするのは意外と楽しかった。でもお互い連絡先を聞くこともなく、中学を卒業した後はそのままぱったり別れてしまった。

翼はというと、高校生だったある朝突然生えなくなり、肩甲骨の下に引き攣れた跡だけが残った。ああやっぱりなという感慨はあったけど、思ったよりも悲しくなくて、多分これはあの日に蒼井くんがいてくれたからだろうな、となんとなく思う。なんであの日、蒼井くんはいたんだろうか。少し思案したものの、まさかなと考えを消した。


ほのかな疑問が解けるのは、それから三年後。








「く、栗橋さん?」



それは大学を友達と歩いているときだった。

戸惑いを含んだ呼び声に振り向くと、優しげなイケメンが立ち竦んでいた。サークルの勧誘だろうかと一瞬思ったが彼の手に看板やチラシは見当たらない。それに、呼ばれたのは確かにわたしの名前で、この見知らぬイケメンとどこかで会ったことがあっただろうか。


「やっぱり栗橋さん、だよね。……あの、同じ中学だった蒼井だけど………ええと、覚えてますか?」


そう言われまじまじと顔を見て、はっとなる。


「蒼井くん、蒼井くんね!」


うろたえるあまりのわたしのハイテンション気味の返事に、蒼井くんがちょっとびびった。


「蒼井くんも同じ大学とか知らなかったよ」

「うん、今日はもう講義ないんだ」


私の友達をちらりと見た蒼井くんが「引き止めてごめんね」と行こうとして、咄嗟にひきとめた。


「時間あるなら久しぶりにちょっと話さない?」




と誘ったはいいものの話したいことがある訳でもない。学食の苦いコーヒーを飲みながら蒼井くんにぎこちなく世間話を振られた後、「翼はまだある?」と妙に真剣な顔で声を潜めて聞いてくるものだから「あるわけないじゃん」と笑ったら、「そうなんだ…」と蒼井くんはあからさまに残念そうにした。失礼な奴だと思いつつ私は目をすがめた。コーヒーを飲む振りをして俯く顔に、痛みを蒼井くんは隠している。そのとき、蒼井くんの背中からあの青白い羽が舞った、気がした。


それをみて分かった。やはり、蒼井くんは天使だったのだ。

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