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泥濘

前半シャルムアーテ視点

後半ヒツキ視点

 





 何十回も繰り返してきた生の中で、初めてヒツキから「愛している」と告げられた。

 その言葉だけで、天にも昇る心地になった。


 初めて彼に求められた。

 ヒツキの腕の中で、初めて求められた喜びに、嬉しくて涙が止まらなかった。


 わたしはなんて現金なんだろう。



 ヒツキは、わたしを得ても魔王にはならなかった。

 すでに魔王と呼ばれているからかもしれない。


 いや、姿は変わらなくても、彼はもう魔王になっているのかもしれない。

 かろうじて人の理性を失わずにいるだけで。


 なぜ、わたしには彼を送り返すか、魔王にさせて世界を滅ぼす選択肢しかなかったのだろう?

 今更それを思っても、古い記憶は曖昧で、分からない。



 自分自身を迷いも躊躇いもなく、簡単に叩き殺す彼を見た時は、痛みで胸が張り裂けそうになった。


 ヒツキは、自分を平気な顔で殺せるほど壊れていた。

 魔王を討伐していないから、歪んでいないと思っていた。

 そんな訳はなかったのに。


 わたし同様に、ヒツキも繰り返している影響を、少なからず受けているのだ。


 何十回も前の生だったので、あまり思い出せないが、もともとヒツキの住む所は、荒事が少なかったような気がする。

 簡単に人の命をやり取りする、そんな生活ではなかったはずだ。


「本当に、戦わないといけないのか?

 俺には無理だ、怖いよ」


 記憶の彼方の一度目で、ヒツキ自身が、そう言っていたような・・・気がする。


 何十回もの繰り返しで、もう一人分、ヒツキのはりぼてを作れるほど、彼は欠けてひび割れてしまっている。

 もう修復できないほど、彼もわたしも歪んでしまっている。


 わたしが早々に舞台から退場すれば、ヒツキは今生で、このまま天寿を全うできるのではないか?と思った。

 ヒツキだけなら、平穏に暮らせるかも?と思った。

 だから「殺してくれ」と頼んだのに。


 ヒツキはわたしを愛している、と言ってくれた。

 わたしだけで良いと。


 同じ想いを、持っても良いだろうか。

 わたしも、わたしにもヒツキしかいないと。


 ()の壮大な自殺に巻き込まれている、この世の住人には本当に悪いけれど、わたしはもうヒツキを失いたくない。


 あと、数回、多くても五回くらい?

 それが()の消滅までの残り回数。


 不思議とそれが、わかる。

 あと数回だとしても、今のわたしには受け入れ難い。


 ヒツキと本当に結ばれた今、わたしは特異な展開となった今生で、決着をつけたい。

 ヒツキと生きて、共に笑いあいたい。


 わたしは、死にたくない。

 死んでたまるか。

 砂になどなってたまるか。


 そう思った時、ぞくり、と背筋に氷を入れられたような、皮膚を強引に剥がされたような感覚が走り、わたしは知った。


 わたしは今、()から乖離した。


 わたしが()を拒否したから。

 ()の存在理由〝消滅したい〟を拒絶したから。


 ()とわたしは別の存在になった。


 つまりわたしは、死ねばそのまま消滅する存在になった。

 今この時に。


 磨り減って薄っぺらになったわたしは、生まれ変わることはできない。

 おかしな話だ。

 消滅したくないわたしは今生で死ねば消滅し、消滅したい()は消滅できない。


 ()は、わたしを許さないだろう。

 もう少しで完全に消滅できたのに、中途半端に弱体化させられた所で、駒に逃げられてはたまらないはずだ。


 ()が、来る。

 わたしを引き裂き、ヒツキをループの始点に戻すためには、自ら動くしかなくなったから。




  ◆




 わたしは今、ヒツキに横抱きにされ、城壁の上でそれを見ていた。


 黒々とどこまでも地面を覆う、()()を。


 ・・・まさか、これが自分の本当の姿?と、古い記憶が不確かなわたしは、嫌悪感と共に思った。

 少なくとも、人の姿だと思っていたのに、わたしは随分と思い違いをしていたらしい。


 わたしが(一応?)人でも、わたしの本体の()も人とは限らない。

 そんなこと、考えもしなかった。


「これは、一体?」


 ヒツキが眉間に皺を寄せて、眼下に広がる黒いものを見ている。

 先ほど「調べに行った者達が、戻って来ない」と報告を受けてから、城壁に行くというヒツキに、わたしは強引に付いてきたのだ。


「・・・まさか、遙かなる太古より彼方に存在する泥濘(デイネイ)


 その言葉にヒツキが首だけ振り返ると、そこにはわたしの侍女長がいた。

 わたしの侍女という名目ではあるけれど、彼女はヒツキの部下という訳ではない。


 ヒツキよりも年上で、わたしの母親くらいの年頃の女性。

 満足に立つこともできないわたしを、哀れんで面倒を見てくれている、と思う。


 ヒツキ以上に、わたしはヒツキしか求めていない。

 誰がそばにいても、ヒツキしか覚えられない。


 ・・・あれ。

 わたし、人として欠陥品すぎる?


 でも、わたしが本当は人じゃないなら、それもおかしくないのかもしれないし。


「泥濘?」


 ヒツキの問いは、よく分からない、と言いたげだった。


「はい、そう言い伝えられております。

 いつの頃からか、そこにある命持つ物だと」

「ヒツキ様、わたし、行かなくてはいけないの、下ろしてくださる?」


 終焉の幕を引くのはわたし。

 ヒツキには()は殺せない。


 まだ全ては思い出せないけれど、()は、ヒツキに頼る道しか、消滅する方法がなかった。

 そんなふうに思った。


「何言ってる!?」

「お願いします、ヒツキ様。

 終わりにしたいの、貴方と一緒にいたいから」


 ヒツキが望まないから、この黒い何かがわたしの大元だとは言わない。

 ・・・ちょっと言いたくなくなったのもある。


 いくら何でも、本当のわたしは、なんだか分からない物の一部です、って自己紹介する勇気がない。




 ヒツキはわたしを抱えたまま、城壁から跳んだ。

 彼の身体能力なら、三回の屋根よりも高い壁から飛び降りるくらい簡単なのだろうけど、周囲からは悲鳴と息を飲む音が聞こえていた。


 すたり、と軽く飛び跳ねた後のように着地し、ヒツキはわたしを抱いたまま歩き出そうとする。

 それを胸元を押して止めて、わたしは険しい顔をしているヒツキの唇を奪う。


「必ず戻ってまいります。

 待っていてください」


 触れただけの唇を離して微笑んで言えば、驚いたような表情と困ったような眉毛で返されて、わたしは再び、もう少し情熱を込めて口付けをする。

 言葉にならないお願い、おねだりをしていると、渋々といった様子で、ヒツキの手から力が抜ける。


「あれがここに届くまで、待つのか?」

「いいえ、迎えにきます」


 ほら、わたしがここにいる、と()が気がつかない筈がない。

 わたしは()で、()はわたしなのだから。


 ヒツキ様は納得いかない顔をしながらも、大きく跳んで、城壁のでっぱりに手を掛けると、そのまま器用に上まで登っていった。


 さあ、始めましょう。

 死に(消滅し)たがりの私、死にたく(消えたく)ないわたし、元は一つでも、相反する心が触れ合えばどうなるか、確かめなくては。











  ◆  ◆




 シャルは一度言い出したことは、決して引かない。

 今回もそうだ。

 ・・・理由は聞いていない。


 シャルは遥か遠くの地平線まで覆っている、黒い何かを知っているような顔をしていた。


 しかし侍女長の言葉を聞いて、何か複雑そうな顔をしていた。

 彼女の内心はわからないが、約束をした。


 必ず、戻る、と。


 俺にできることは、ただシャルを待つことだ。




 城壁の上から歯噛みしながら見守っていると、地の底から湧き上がるように、黒い液状とも泥状とも見える何かがドロドロと溢れ、その場に座るシャルを包み込んだ。


 思わず飛び降りそうになる俺を、シャルは姿が見えなくなるその時まで、笑顔で「メッ」とでも言いそうな顔で見ていた。

 そこには恐怖など微塵もなく、彼女の言っていた、終わりにしたい、の意味を考える。


 なんとなくだが、俺は何度もシャルに出会っているような、そんな気がしている。

 記憶はないが、シャルを抱き上げるたびに、細い腰を抱えるたびに既視感(デジャヴ)を覚えている


 俺は、ただ、この場でシャルを待つ。

 彼女が戻る、その時まで。




  ◆




 明るいうちは城壁の上で立ち、夜はその場で座って眠る。

 そんな風に数日過ごす内に夢を見た。


「ヤリナオシ、ダ」

「いいえ、わたしはやり直さない」

「ヤリナオセ」

「いやよ」

「モウスコシナノニ」

「そう、もう少し。

 すでにわたしは、普通の人と変わらないほど弱いから、この生で消滅するわ」

「私ハ、私ハ」

「あと数回、ほんの数百年でしょう、待ってちょうだい。

 わたしが消滅してから、もう一度やり直して。

 わたしが離れたから、かなり目減りしたでしょう?

 もう二度と、ヒツキを巻き込ませない。

 彼を失うくらいなら、あなたを、いいえ、私であろうとも喰らってやるわ」


 シャルは泣きそうな顔で、酷く怖いことを言っている。

 そして、シャルの前には、シャルにそっくりな子供。


 ただその髪も瞳も真っ黒だ。

 つやつやとして、どろりと垂れるような重厚な黒。

 陶器のような肌には生気がない。


 シャルは子どもに向かって微笑む。

 いつもの柔らかな嬉しそうな笑みとは違い、とても自嘲的な悲しげな微笑みだ。


「ヒツキを何もなかった状態には戻せないのでしょう?

 それなら、せめて一緒に生きさせて」

「イキタイ・・ト?」

「ええ、そうよ。

 わたしは彼がいればなんでもできるもの。

 彼がいれば全てを思い出しても、きっと狂ったりしないわ」


 シャルの言葉に、子供が眉を八の字にして、元から細い肩をさらに縮こませる。


「ナレバ、私ノキオクヲショウショウモラッテクレルカ?

 テヲダサヌカラ」

「・・いいわ、わたしはあなた、あなたはわたし。

 死にたがりはもうおしまい、ね?」


 子供がシャルと手を繋ぐ。

 歳と色が違えどもそっくりな二人は、少女が手遊びをやるように手を繋ぎ・・・・・・。



 目が覚め、自分が城壁の上で、座ったままもたれかかって寝ていたことに気がついた。

 何日目、だろうか。

 シャルは、まだ戻らない。


 まだ・・・・・・・・・・・・・シャル!!


「魔王様!?」


 背後の声を無視して、城壁から飛び降りた。

 着地など気にしないで、転げるように走り出す。


「シャル!」

「ヒツキ!」


 いつの間にか、シャルが俺を呼ぶ名前から、様が抜けていた。

 でも、それでいい。


 俺はシャルのために生きている。


 広大なこの世に、ただ一人の愛おしい女性を抱き上げ、俺はくるくると回った。

 自然と笑顔が溢れる。

 シャルも嬉しそうに微笑んでくれる。


 俺は生きている。


 愛おしい女性と、ただ、このどこだかも分からない世で。

 確かに、生きている。



 

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