自らを殺す
ヒツキ視点
ついに、英雄が近づいて来ている、という一報が俺の元へ届いた。
時間と人員を割いて調べたというのに、英雄についての情報はほとんど入ってこなかった。
男で、阿呆みたいに強いということくらい。
なんせ〝英雄〟というくらいだ。
俺と同等の力を持っているとしたら、城くらいぶっ壊しそうなので、外で出迎えることにした。
別に魔王が英雄を迎えに行っても良いだろ?
草原のど真ん中で、魔王とエンカウント!とか、クソゲーらしくて良いじゃないか。
俺が自分で「俺様が魔王だぁ!」って名乗ったわけじゃないし。
名乗る気もない。
英雄が弱ければ、誰にやられたか気がつかずに死ぬだけ。
英雄が強ければ、知らないうちに最後の敵?をクリアしたってだけだ。
やられる気は、ないけどな。
シャルを生贄にさせる気はない。
黒い上下に黒い皮鎧という普段通りの格好で、いつもの武器を持って、ぶらりと城を出て行こうとしたが、そこにシャル付きの侍女長がやってくる。
「魔王様、シャルムアーテ様が随伴を望んでおいでです」
「・・・断ったら?」
「是が非でも、と仰っておられます」
俺はため息をつきつつ、シャルの同行を許可するしかなかった。
シャルは滅多にわがままを言わないが、たまに、どうしても譲らないことがある。
彼女の基準を、俺は測り知ることができない。
それでも、何か大切なことなのだろう、とは思う。
我を通そうとする時のシャルは、ひどく思いつめていることが多く、今にも壊れそうなほど儚く美しく映る。
俺は彼女に壊れてほしくない。
いつまでも側にいてほしい。
俺が、彼女を守れるような、英雄がその程度の相手であることを望んでいる。
「シャル、英雄を城に近づけたくない、走っても良いか?」
「はい、ヒツキ様」
侍女長や護衛の伴を断り、俺はシャルを横抱きにした。
走るなら背中におぶった方がいいんだが、俺の背には長大な金属塊が括りつけてある。
体格は良くないし鎧は革なので、全く雄々しくないが、某黒の剣士のようだ。
俺は学生の頃の授業で、柔道の真似事をやったくらいで、他に格闘技や武術の経験はない。
剣道すらやったことのない俺は、剣術なんて当然使えないし、一から教えてくれる者もいないので、とりあえず馬鹿力+武器のリーチでぶん殴る方式で、こんなものを持ってる。
ゴリマッチョな練達の武人VSど素人、なのに勝てるんだよ。
変な話だ。
俺が一回ぶっ壊して、補習と補強が済んだ城壁を外へ出る。
門番達がええ!?という顔で俺たちを見ていたので、笑顔で手を振っておいた。
シャルの許可を得たことで、彼女に振動が伝わらないように気をつけながら、英雄の目撃情報があった草原へ向かう。
俺は魔王って呼ばれていても、この国跡地を治めているわけじゃない。
城にいないといけないって事はない。
むしろ俺が一番、向かってくる奴等を蹂躙しに出張っている気がする。
それでも、ここで暮らしている人達の生活を壊させたくない。
勝手に集まって暮らす、自給自足な集まりだと思うが、俺には良き隣人で、シャルが受け入れた者たちだ。
守ってやりたいとまでは思わないが、シャルを悲しませるのは嫌だ。
草原まで人の足で丸三日って所だから、人外な俺の足の速さなら、明日には出会うだろう。
英雄も目撃時より進んでいるはずだ。
シャルは、久しぶりの二人きりが嬉しいです、と頬を染め、俺の胸に擦り寄ってくる。
俺も男だ。
シャルにこうして無垢の愛情を向けられるたびに、俺は欲情している。
それでも、彼女とそういう関係になることはなかった。
愛おしい。
それは間違いのない事実なのに。
俺は彼女を抱くことができない。
怖がっているのでもなく、求めていないわけでもない。
それでも、彼女を抱けずにいた。
シャル自身も、俺が手を出さないことを、残念がっているような素振りは見せるが、理由を聞いてきたりはしない。
俺自身、シャルを抱けない理由がわからないから、説明も何もできないのだが。
これから英雄と殺しあいだというのに、こんなことを考えるのは、シャルを抱えているからだろうか。
しまらないな・・と思いながら、膝丈の草の中を走っていった。
◆
そいつは、草原をひたすら進んでいた。
足元を見もしないで。
茫洋とした草原と空の間で、そいつはひどくちっぽけな染みのように見えた。
黒い、染みだ。
「・・・」
「・・・」
俺が自身の間合いのすぐ外で足を止めると、そいつは眠たそうな顔をもたげて、それから薄く笑った。
その顔は、俺が、鏡の中に見る顔だ。
「・・・何の冗談だ、これは」
「やあ、会いたかったよ、俺」
俺の目の前には、俺がいた。
いや、俺より若い俺だ。
ちょうどこちらに来た時の俺くらいか。
白髪もないし、目立った皺もない。
一瞬、俺も老けたなぁとか思っちまったよ。
「お前は、誰だ?」
「俺だよ、俺」
電話口で言われたら、詐欺かよ、と思いそうな台詞を言い、若い俺は薄く笑う。
それが真実だと、嘘ではないと、俺は知っている。
知っている?
目の前の空が、突然夜のように暗くなり、空気が重たく粘ついた気がした。
「何、になってんだよ、ってことらしいぞ。
俺はお前だけど、オリジナルじゃない。
この世界で壊れてこぼれ落ちた、今までのお前の残滓で作られた俺だってさ」
何を言ってるんだこいつは。
俺はここにいるのに。
今までの俺の残滓?
・・・確かに俺は、壊れているが。
自覚はある。
シャルへの想いが強すぎる。
彼女のためなら、他を全て切り捨てられる。
この想いがおかしいと自覚はしているのに、普通ではないと理解しているのに、止められない。
「修正が効かないから、やり直すしかないってさ」
そう言いながら、俺が無造作に踏み込んでくる。
気圧されているわけでもないのに、一歩後ずさってから、俺は、俺を殺すのか?と惑う。
「ヒツキ様!」
シャルの声が、遠くから微かに聞こえた。
喉から血を吐くような悲痛な叫びで、体の硬直が溶け、俺は瞬間的に身をかがめ、背中の金属塊を腕力で振り回す。
「ぐぁっ」
それを避けきれなかった若い俺は、くの字に折れて地に倒れ伏す。
しかし、追撃をかける前に転がり、口の端から垂れた涎を拭いながら、立ち上がった。
「オリジナルは強いな、おっさんのくせに」
若い自分におっさん呼ばわりされるのは、ひどく嫌な気持ちだが、ここは俺も答えておく。
「最近の若いもんには、まだまだ負けられん」
流石俺だ、と若い俺が言い、背負っていた大剣を振りかぶる。
それを見て、野球のバットかよ、と思ったが・・・俺もそうなんだろうな、と墓穴を掘りそうなので突っ込まないでおく。
遠くで、シャルが泣いているのを感じた。
慰めに行きたくても行けない。
こいつをぶっ壊して、シャルの元へ戻る。
「おっさん、来いよ」
「お前が来い、若造」
俺達は息のあった双子のように、笑顔と武器を向けあった。
同時に駆け出したが、俺にはここに来てから、ひたすら殺し続けてきた経験がある。
若い俺が、本当に若い時の俺なら、運動能力はともかく、他は負ける気がしない。
金属塊を振り回し、大剣とかち合わせる。
そして、互いに、察した。
見た目はおっさんでも、俺の方が遙かに強い、と。
俺は一息に踏み込んで、俺を薙ぎ払った。
若い俺は、大剣を両手で押さえ込んで、衝撃を減らそうとしたが、思い切り転がって痛みに呻いた。
「なんだよ、おっさんのくせに強いな、さすが俺」
荒い呼吸の下からそう言い、眠そうな顔でこちらを見る。
嫌な感じだ。
こいつは俺だが、俺じゃない。
何も考えずに金属塊を振り下ろす。
油断すると俺が死ぬ。
そうなったら、終わる。
何もかも、終わる。
そんな直感に従い、若い俺を叩きのめす。
向けられる刃を腕力で押しのけ、何度も力任せに叩きつけて、剣をへし折った。
「おいおい、俺を殺すのか?
俺はお前なんだぞ」
「それがどうかしたのか?」
何も考えずに、これまでの経験則に従い頭を空っぽにして、金属塊で俺を潰した。
口と鼻から血を噴き出しながら、若い俺は倒れた。
更に殴る、潰す、叩いて、叩いて。
俺は絶叫と苦悶の中で、血塗れになっていく。
きっとシャルの元に帰ってきたばかりの俺は、こんな赤黒い姿なんだろうな、と他人を見る心持ちでそれを見た。
何度も、何度も、何度も、何度も。
俺の息が止まり、心臓が潰れ、骨がへしゃげて、ただの挽肉になるまで。
「ヒツキ様」
すぐ傍で聞こえた声に驚いて、慌てて振り向くと、頬を濡らしたシャルがうずくまっていた。
俺を、膝で立った姿で見上げているが、ドレスは汚れて、草と砂埃に塗れていた。
這ってここまで来たのか?
一度こうする、と決めたシャルが覆さないことを、なんで忘れてたんだ!
彼女を、安全圏に留めておこうとした自分を責める。
シャルを抱き上げようとしてから、今の自分の姿を思い出す。
若い俺を執拗に叩き潰していたので、身体中に色々と飛び散っていた。
武器をこの金属塊にしてから、流血沙汰が減っていたので、油断していた。
「ヒツキ様、ごめんなさい」
抱えるのを逡巡する俺に、シャルはほろほろと涙をこぼして謝る。
何をだ?
「ごめんなさい、ごめんなさい、許してほしいなんて言えないけれど、もう・・・」
泣きながら謝り続けるシャルを、俺は迷うことなく抱き上げた。
彼女は俺の知らないことを知っているのだろう、と思いながら、それでもシャルを責める気にはなれなかった。
何しろ俺は、彼女の国を滅ぼし、家族も国民もほぼ皆殺しにしたのだ。
恨まれこそすれ、なぜ、微笑みを向けられているのか、その理由は今でも分からない。
俺にとって、生きている事はシャルの側にいる事。
シャルの笑顔を見ている事。
それ以外は、大した問題じゃない。
俺は、もう、とっくに壊れているんだ。
今更取り繕うとしても無駄だ。
「シャルは悪くない、大丈夫だ」
ひどく臭うだろうなと思いながら、シャルを胸に抱きしめた。
絶対に、今度は守ってみせる。
そう思うことを、俺はおかしいと思わない。
「ヒツキ様、わたしを、殺してください」
しゃくりあげるシャルから告げられた言葉に、俺は動きを止めた。
「ヒツキ様が、戦わねばならぬのは、わたしの、せいなのです。
わたしが、いなければ、ヒツキ様がっ」
泣きじゃくりながらも必死で伝えてこようとするシャルを、思わずきつく抱きしめて、唇を塞いだ。
言わないでくれ。
お願いだから、俺にそれを教えないでくれ。
初めて味わうシャルの唇は柔らかく、血の味がした。
それが(若い)俺の血の味だと気がついたのは、シャルが、俺の強引な口付けに応えてくれてから。
◆
俺の遺骸を処理してから城に戻って、いつものように風呂を浴びてから、シャルと一緒のベッドに転がる。
シャルに頼まれたから、一緒のベッドで寝ているが、今までは添い寝しかしていなかった。
俺と同じように、風呂上がりのシャルはふんわりと頬を上気させ、ベッドの上に半身を起こしている。
見下ろしてくる瞳は、夜空の星のように青白く光っていた。
青白い星は、温度が高い・・んだったか。
そんなどうでもいいことを思い出す。
「シャル、俺は、正直言うと、ここにいる理由なんてどうでもいいと思ってる。
俺の中にある一番強い想いは、シャルの側にいて、シャルの笑顔を見ていたいというものだけだ」
「・・・ヒツキ様」
言外に、シャル以外は俺には必要ない、と告げる。
だから、シャルを殺すことなどできない、と。
もしもシャルの知っている事を知って、恨まずにはいられなくなったら・・・。
俺は生きている理由を失う。
ヒラから店舗運営責任者になった時だって、こんなに生きている実感は感じなかった。
勤務時間が増え、責任も増え、給料は少し増えただけだ。
今はシャルの笑顔を見るだけで、心から満たされる。
夜明けに安らかな寝顔を見れば、彼女を守るために鍛錬しようと思える。
心配されれば、大丈夫だ、と見栄を張りたくなる。
俺は、生きている。
シャルが生きているから。
俺の言葉を受けたシャルは、ひどく憔悴した様子で、静かにすすり泣いている。
もっと早く、彼女に俺の気持ちを伝えなくてはいけなかった。
シャルから全てを奪った負い目が、彼女に俺の想いを告げる事を躊躇わせていた。
「シャル、愛してる。
お前の他には何もいらない」
「は、い、ヒツキ様っ」
その夜、俺はシャルを抱いた。
今までなぜ、彼女に触れずにいられたのか、分からなくなるほど何度も。
シャルに俺のものだという証を刻み、俺もまたシャルのものなのだと刻み込むために。
そして、翌朝、ソレはやってきた。