表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

桜井さんのお花見

作者: 夜月光介

某サイトの御題小説で書いた昔の作品です。

当時はそこまで評価されるとは思っていなかった、自分では

そこまで力を入れて書いていなかった作品だったので驚いています。

 それは、何時もと代わり映えの無い晴れた日の事だった。

「――初心の人、ふたつの矢を持つ事なかれ。後の矢を頼みて、はじめの矢に等閑の心あり。この文章の中に出てくる『等閑の心』とは何か」

 僕は古淵先生の言葉を耳にしながらも、窓の外に立っている桜井さんの事が気になって仕方が無い。

 他の生徒は教室で授業を受けているけれど、桜井さんはそうする事が出来ない理由がある。

「桜井、等閑の心とは一体どういう心の事か解るか」

 灰色に近い頭髪を掻きながら片耳に付いている無線インカムに意識を集中させた先生から目を離し、教室中の視線が外にいる桜井さんに集まった。

 皆と同じ教科書を手に持っている桜井さんが何かを言っているのが解る。古淵先生は微笑みながら頷いた。

「そうだ、なおざりの心。すなわちどうでもいいと思ってしまう心の事だな。

 この文では二本の矢を持ってしまうと二本目の矢があるから大丈夫だろうと思ってしまうから、初心者の場合自分を戒める為にも二本の矢は持つなと諭しているワケだ」

 外に立っている桜井さんに皆の視線が集まる。

「流石桜井、頭良いよな」

「でも、頭でっかちとも言えるぜ。見た目もそうだけど」

 桜井さんがこの場にいない事を良い事に軽い悪口を言う者もいた。校庭に立っている彼女の事は当然他のクラスや他の学年の生徒もよく知っている。

 恐らく学校内だけでは無くこの市内で彼女を知らない人はいないだろう。誰よりも知名度がある彼女は、誰よりもまた孤独だった。


『最初はちょっとした事だったんです。でもそれが大変な事になってしまうのですから難しいですよね、人生って』

 桜井さんの言葉が脳裏をよぎる。僕は彼女の言葉を頭の中に浮かべながら彼女の境遇に関して思いを巡らせた。

 彼女が普通の人とちょっと違う様になってしまったのはこの私立桜ヶ丘明星高校に入学するずっと前。

 当時まだ幼稚園児だった頃に起こった出来事からだと彼女は言っていた。

『先生が私達に種を抜いたさくらんぼを持ってきてくれたんですよ。先生の実家から沢山送られてきたみたいで。

 でも手作業で種を抜いたと言う事は当然不手際も有り得ますから、私が運悪く種が入っていたさくらんぼを引いちゃったんですよね』

 彼女は誤って種を飲み込んでしまい、その場は何も無かったけれど数日後に髪の毛が全て桜色に染まってしまった。

 さらに数ヶ月後には頭の頂辺から芽が出てきて、あっと言う間に成長して桜の木が生えてきてしまったらしい。

『芽の段階で抜こうとしたり、成長した後に切り株にしてしまおうとか両親も色々してくれたんですけど、全部駄目でした。

 痛くて痛くてどうしようも無かったんですよ。木が生えてきた事以外は体も普通なので今はそのままにしちゃってますね』

 桜井さんが校庭にいる理由はこの大きな桜の木にある。あまりにも大きいので教室に入って授業を受ける事が出来ないのだ。

 自宅ではお父さんがお金持ちなのでとても高い天井の家を作ってもらい生活しているのだが他の場所にはそうそう入る事が出来なかった。

 他の人の家、施設、電車にも車にも乗れない。勉強は出来るが体育関係は全て見学。彼女は孤独だった――


「毎度ただ得失なく、この一矢に定むべしと思へといふ。本村、この文章を今の言葉に変換して答えてみろ」

 考えを巡らせている時に突然指名された為、僕は慌てて立ち上がった。

「ハッはい。何時も仕損じる事が無い様に、一本の矢を射つ事に集中するべきだと言う事ですよね」

「そうだ。その矢が敵に当たらないと言う事は即ち敵の矢が自分に向かって飛んでくると言う事でもある。

 何時も神経を集中させて一本の矢を射つ事に臨まなければ戦いには勝てないと言う事だな。

 それにしても本村が授業に集中していないとは珍しいな。頼むから私の授業の時でもちゃんと集中してくれよ」

 古淵先生の軽いジョークに他のクラスメイトも笑って僕を野次ってくる。

「そうだよ委員長、満開の桜井さんを見てる暇があったら先生の話を聞いてろって」

 僕は赤くなりそうな顔を必死に抑えて再び席についた。他の人達も薄々僕の気持ちに気が付いているのだ。桜井さんの事が、とても気になっていると言う事に。


 放課後、僕は何時も桜井さんと一緒に下校する。帰る道は途中で分かれるが家の前まで送る事にしていた。

「桜井さんの桜も丁度今頃が見頃だね」

「そうなんですよ。家の中で風を避けるので散らずに済んでいます。でも、満開なのはもってあと数日かもしれませんね」

 今の所風も穏やかでTVで見た行楽地では桜も見事な花を咲かせていた。だけど、僕の目には桜井さんの桜が一番綺麗に映っている。

 でも僕は恋に関しては臆病で、今まで彼女に自分の気持ちを伝える事がどうしても出来ないでいた。

 彼女の家の前でさよならを言い、帰ろうとしたその時、後ろから声をかけられる。

「有難うございます。本村君だけですよ、私とまともに話してくれる人は。これからも仲良くしてくださいね」

 僕の頬に涙が伝い、振り向く事が出来なかった。彼女を助けてあげたい。その為に何をするべきなのか。

 僕は桜井さんと他のクラスメイトに交流を持たせる為に何か企画をしなければならないと思った。


「古淵先生、何か良いアイディアはありませんか?」

 翌日、授業が終わった後で僕は担任でもある古淵先生に桜井さんの事について話を持ちかけた。

「そうだな、私も桜井が優秀な生徒であるにも関わらず避けられているのは良くない事だと思う。

 集団の中に紛れ込んだ異分子であると認識されて避けられるのなら、いっそ異なる所を利用して混じってしまえばいいんじゃないか」

 古淵先生はそう言うと教室の壁にかけられているカレンダーに目を向けた。僕の視線もそちらへ動く。

「明後日は日曜日だな。近くに広い公園があるから桜井の花見でもしようじゃないか。

 あそこなら徒歩でも充分行ける距離だし桜井が入れない様な場所じゃ無いからな。たまにはワイワイ騒いでみるのも一興だろう」

 黒縁眼鏡と口髭が似合う先生は僕に向かってそう言うと、校庭に立っている桜井さんを見て微笑んだ。

「あんなに綺麗な桜は都会ではなかなか見れないぞ。この辺は常緑樹ばかりが植えられているからな」

 確かに彼女が他の生徒と交わる事が出来れば、今の状況を改善出来るかもしれない。

 期待に胸を膨らませ、僕は全ての授業が終わった後、帰りの会での皆の反応に期待する事にした。


 そして当日、古淵先生と僕の呼びかけによって集まったクラスメイトは全体の八割にまで達した。

 用事があって来れない者を除いてもこれだけの仲間が集まってくれたのは心強い。何処でその話を聞いたのかお祭り感覚で参加した他のクラスの生徒も数名いた。

「皆も知ってる場所だと思うが、近くの公園まで歩くぞ。蓙を敷いて飲み食いする許可は取ってあるが、あんまり騒ぎ過ぎるなよ」

 全員に釘を刺しながら先頭に立って歩き始めた先生の後を僕や今日の主役である桜井さん、そして生徒達が続いて歩く。

「桜井さんの桜も今日まで散らずに済んだね」

「本当、先生から話を伺った時には今日までずっとドキドキしてましたよ。散ったら申し訳が立たないとずっと思ってました。

 何とか満開の状態を保ってくれて良かったです。それに、皆と色々お喋り出来る機会も今までありませんでしたから……」

 桜の事も心配だっただろうけれど、桜井さんとしてはこれ程大勢の人達と行動を共にするのは初めてだろう。

 桜井さん本人や御両親に頭を下げて通った今回の企画を、僕は何としても成功させなければならないと思っていた。

『うちの娘を見世物にする様な真似は、ちょっとねぇ』

 最初に僕と先生が直にその企画の話をした時、やはり明らかに御両親は乗り気では無かった。

『でも私、皆と話せる機会が持てるのなら、そうした方が良いと思うの。

 私がこういう頭だから上手くコミュニケーションを取れないできて、初めて巡ってきたチャンスだから逃したくない!』

 彼女本人の説得により最後は折れてくれたもののそこまでこぎつけるだけで数時間はかかってしまった。

 この企画は僕と桜井さんがもっと親密になれるチャンスでもある。女生徒と笑顔で話している彼女の姿はキラキラと輝いていた。


 高校から歩いて二十分程の距離にある広々とした公園には遊具らしい遊具は殆ど置かれておらず、少し盛り上がった一面の芝生になっている。

 ベンチが何個か置かれているが僕達は芝生に蓙を敷くと桜井さんを中心にして昼食の準備を始めた。

「おい、桜井の方にも蓙敷いてやれ。座っていいからな」

 靴を脱いで蓙に座った彼女に皆が作ってきたサンドイッチが手渡される。桜井さんは授業中には出来なかった雑談を存分に楽しんでいた。

「この公園桜が全然無いから、花恵ちゃんがいると美しさが際立つねー」

「先生、今日は無礼講ですよね」

「馬鹿、酒なんか持ってきてないだろうな。酒はあくまで成人している奴が飲むもんだ」

 古淵先生はそう言いながら自分が持参した日本酒を御猪口に移すとぐいっと飲み干す。

「ホラ、桜の花びらが酒が入った御猪口に落ちて綺麗だろう。上杉謙信は一生は一杯の酒の様なものだと言ったが、まさにそんなものなのかもしれん。

 美しい桜を見ながら奴さんも一杯やったんじゃないか。ま、後で全員が片付けなきゃいかんがな」

「えー、片付けなきゃいけないんですか?」

「当たり前だ。この公園の芝生に桜の花びらが落ちたままになってたら苦情が来るぞ」

 特に大騒ぎする事も無く花見は進行していった。どちらかと言えば桜井さんとの親交を深める為の企画だったのでそれが一番なのだろう。

 僕も皆の輪の中に入って会話を続けていた。


「そういやさ、お前って桜井さんと仲良いみたいだけど付き合ってるの?」

 唐突にクラスメイトにそんな事を聞かれ、僕は面食らった。桜井さんも顔を少し赤くしている。

「いやさ、俺達も桜井さんは綺麗だなって思ってたんだよ。でも会話する機会があんまり無いじゃん。

 それでいて大人しいから全然話す事が無くなっちまったんだよ。それでも本村は一緒に帰ってたりしたろ?」

「そうそう、私達も花恵ちゃんと話す機会があんまり無いからちょっと近寄り難くなっちゃって……

 今になってみればもっと色々話しておけば良かったわ。花恵ちゃんの方は本村君の事をどう思ってるの?」

 酒が入っているワケでも無いのに突っ込んだ質問をしてくる彼等に対して、僕と桜井さんは顔を赤くして俯く事しか出来なかった。

「わ、私は本村君の事は好きですけどまだそんな所には……」

「じゃあもう公然に付き合っちゃえば? 本村君もその気はあるみたいだし」

「そうだよ。いっその事カップル成立しちゃえばいいじゃん。相思相愛なら尚更さ」

 男子生徒も女子生徒も無茶な事を押し付けてくる。すっかり顔を赤くしてしまった僕は何も言う事が出来ないでいた。

「コラコラあんまり本村と桜井を虐めるな」

 古淵先生が笑いながら助け舟を出してくれた。皆虐めているワケでは無いと言い訳しながらもその話を切り上げてくれる。

「私も恋の話は嫌いじゃ無いが……覚えておけよ。恋には勇気と覚悟が必要だ。支え合いが一番大事って事もな」


 風は穏やかだったけれど、満開の桜は散り時だったらしく帰る頃には沢山の花びらが落ちてしまい、片付けも大変だった。

 自分が出したゴミだからと桜井さんは懸命に箒で掃いていたが、僕やクラスメイト、先生も一致団結して協力し何とか全ての花びらを拾い集める。

「ちょっと寒くなってきたしそろそろ帰ろう。綺麗な桜も殆ど落ちてしまったが、また来年が楽しみだ」

 公園での現地解散だった為殆どのクラスメイトはバラバラになり、古淵先生と数名の生徒と共に僕達は家路を急ぐ事にした。

「夏休みになったら高校生活最後の夏だし遠出出来ると良いな。私の息子がトラックの免許を持ってるから荷台に桜井を乗せて運べばいい」

 古淵先生は早くも次の企画を考え始めている様子だったが、僕も桜井さんも先程の話がまだ少し気になっていた。

「なぁ本村、お前は大学行くの?」

「まだ、ハッキリとは決めてないけどその為の勉強はしてるよ」

「そっか。俺は卒業したら親父が手伝ってくれって言ってるんだよ。思いっきり遊べるのも多分今年までだな」

 周りの皆も桜井さんも僕も、結局は同じだった。子供から大人になる最初の扉、それが高校を卒業すると言う事なんだろう。

 まだ僕達は子供でいれるけれど、きっと来年はこうやって花見をする事は出来ない。そう考えると少し寂しかった。

「あの、さっきの話ですけど本村君は私の事……どう思ってるんですか?」

 他の生徒と距離が遠くなったのを見計らったのか、桜井さんは僕の近くに行き小声で僕に聞いてきた。

「好きだよ。でもまだ……そうやってハッキリ言うのは照れ臭いし先生が言ってた覚悟が足りないと思ってる」

「そうですか……奇遇ですね、私もそんな感じです」

 桜井さんは微笑むと、付け足す様にこう言ってくる。

「でも、貴方の事をヨウ君って呼んでもいいですか?」

 僕は頭を掻きながら笑って頷いた。



「皆、高校最後の夏休みだ。勉強も大事だが息抜きもちゃんとしろよ。遊べる時に遊んでおけ。メリハリをちゃんと付けろ」

 季節は移り変わって夏になった。夏休み前日の帰りの会では既に僕を含め多くの生徒達が期待感を隠せない。

「それと……前々からお前達には言っていたが桜井と一緒に海を見に行こう。まだ桜井は海を見た事が無いらしいからな」

 校庭に立っている桜井さんは外に立っている為に日焼けが目立ち、美しい青葉を木に沢山茂らせていた。

 皆も僕も彼女が笑顔でいる事に喜び、窓の近くに立って彼女に見える様に大きく手を振る。

 淡い恋も僕達の最後の夏休みも始まったばかり。眩しい太陽の下で佇む彼女の姿を想像しながら、僕は彼女の笑顔に応えてまた大きく手を振った。

こういう作品がもっと書ければいいかもしれませんね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ