トランス
旭山記念公園へ夜景を見に行ってから坂下とはたまにメールをしたり、タイミングがあえば会社で一緒にランチを摂るようになっていた。
憂鬱な通し勤務だったその日、夕方の休憩にメールをチェックすると業務後遊びに行こうという誘いだった。一気に元気になり、了解した旨即答する。
定時で上がってそそくさと会社を出ると坂下の車が待っていた。すぐに助手席に乗り込む。
「お疲れ様」
また声が重なり笑う。やっぱり悪くない。
「どこ行くの?」
「内緒」
「えー、ヒントは?」
「ふふ。楽しいところ」
「ヒントになってないー」
甘い。甘酸っぱい。そして我ながらちょっと痒い。
いつも通りの柔らかな笑顔のまま坂下は車を出した。車はススキノ方面に向かっている。
コインパーキングに車を入れると坂下が萌香の手を取って歩き出した。
一気に鼓動が跳ね上がる。顔が上気しているのがわかる。
坂下は目立たないビルのドアを開けて萌香を促す。ドアを入るとすぐ下りの階段だった。坂下に手を取られたまま階段を降りる。
萌香は目を見張った。
眩い照明、耳を聾する音楽、思い思いに音楽に身を任せ踊る男女。
「こういうの初めて?」
耳元に口を寄せて坂下が声を上げる。そうしないと声が聞こえないくらいの大音量で音楽がずっと流れている。
大きな声を出すのは苦手なので頷いて返事をする。
坂下は笑顔のままフロアへと萌香を連れて行く。
「ダンスなんてしたことないよ」
坂下の耳元に口を寄せて声を張る。
「周りと同じくリズムに乗ればいいんだよ」
音楽に疎い萌香にはフロアに流れているこの大音響がなんというジャンルのものなのかわからない。しかし音に合わせて体を動かしているうちに陶酔するような心地よさを感じていた。
どれくらい踊っていたのだろう。坂下に促されてバーに移動した頃にはすっかり喉が乾いていた。
坂下が車なのでそれにあわせて萌香もソフトドリンクを注文する。
ドリンクを飲み、踊り狂うフロアの男女を眺める。
「どうする?」
坂下が耳元で訊く。
「楽しいけど、疲れちゃった」
坂下は笑顔で頷くと萌香がドリンクを飲み終えたのを見て手を取る。
「じゃ、送っていくね」
萌香は黙って頷く。こういう時ってこんな返事で良かったのかな。わからない。
ビルを出ると熱気から解放されて夏の夜気が心地よい。そのままコインパーキングまで手を繋いで歩く。
「びっくりした、あれがクラブっていうの?」
「うん。楽しかった?」
「すーっごく。でも意外だな、坂下君、ああいうところ行ったりするんだ」
「うん、結構好きだよ」
前回同様、自宅まで坂下は車で送ってくれた。
「じゃ、また。今日はありがとう」
そう言って萌香は車を降りた。車が出るまで見送ろうと思って待っていると何故か坂下は車を降りた。
「どうしたの?」
坂下は萌香の前まで来るとそのまましばらく立ったまま萌香を見つめる。
これってもしかして。
「今日の中嶋さん、すごく可愛かった」
そういうと頭をぽんぽんと軽く撫でて車に乗り込んだ。
「じゃ、また」
車が見えなくなるまで萌香は動けなかった。こんなの、間合いがわからない。
翌日、岡村の餌食になったのは言うまでもない。
二歳年下の坂下に完全に翻弄されていた。
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