再会
真田と待ち合わせた当日、萌香は朝からシャワーを浴び、万全の支度を整えて出掛けた。事前に考えていた通りお気に入りの黒い膝丈のワンピースに淡いラベンダー色のカーディガン、春物のコートにブーツ。春は意外と紫外線が強い上に、明るいのが苦手な萌香はサングラスも欠かせなかった。
待合せの時間よりも10分ほど早く到着し辺りを見渡す。特にそれらしい人の姿は見えない。とりあえずベンチに座り待つことにする。
テレビ塔の向こうに見える空は抜けるように高く青かった。春の空気を思い切り吸い込むように伸びをする。
まだあと5分か。真田の到着が待ち遠しい。
「どんな人なんだろ」
はやる気持ちが思わず独り言を呟かせる。
「違ったらすみません、中嶋萌香さんですか?」
背後からやや低めの柔らかい男の声がかかる。聞き覚えのないその声に萌香は振り返り小首を傾げて声の主を見上げた。
「あ、え、嘘」
何故か男はひどく狼狽えている。
萌香はサングラスを外し目を眇める。誰だろう。
「あの、去年俺、あなたの写真を撮らせてもらって。えっと、札幌市役所のところで。夏に」
不審そうな萌香の表情にさらに男は狼狽えながら懸命に説明する。
その懸命な姿に記憶がよみがえる。そうだ、札幌市役所のところで唐突に声をかけられ写真のモデルを頼まれた事、その相手。
思い出した萌香の様子に安堵したのか、男がくしゃっと笑う。
「俺、真田明日香って言います。名前があれなんでよく女性と間違われるんですよね」
この人が真田明日香だったのか。メールの中では一人称が「私」だったので名前で勝手に女性だと決めつけていた。
「ごめんなさい、私もてっきり女性だと思っていました」
思わず正直に告白する。
「こっちこそごめんなさい、ちゃんと言っておくべきでしたよね」
「いえ、大丈夫です。サイトのモデルの人たちの笑顔を見れば、きっと素敵な人が撮っているんだろうなって思っていましたから」
率直な賛辞を口にしてから萌香は自分の言葉に顔を赤くしてとっさに俯いた。
顔の火照りが収まるのを待って顔を上げると真田が口を開く。
「また会えてほんとに良かったです。あの時に撮らせてもらった写真、サイトに載せていいのか本人に確認できないままだったし」
また顔をくしゃくしゃにして笑いながら真田が続ける。
「俺にとって最高の一枚だって思っているんです。あなたの写真、サイトに載せてもいいですか?」
真田の直球にまた萌香は顔が赤くなって俯いてしまう。
「あ、ごめんなさい、嫌でしたか」
焦った様子で真田が尋ねる。
嬉しさと照れで声が出ない萌香は思い切り顔を左右に振ってから顔を上げた。
深呼吸をしてなんとか気持ちを落ち着かせるとやっと声が出た。
「いえ、嬉しいです。ありがとうございます」
ぱっと真田の顔が明るくなる。
「あの、もしよかったらその写真、いただけませんか?」
「もちろんです!じゃ、次回持ってきますね」
さらっとまた会うことを約束されてしまった。悪くない。
「どうしましょうか。もう写真は撮らせてもらっていたわけだし。そういえばお昼ご飯って食べました?」
すっかり忘れていた。そういえば朝からまだ何も食べていない。
「いえ、まだですね。真田さんは?」
「俺もまだなんです。そうそう、札幌と言えばスープカレー?俺まだ食べたことないんですけど、どこかいいところ知りませんか?」
まだ会うのが二回目だというのに、すっかり馴染んだ雰囲気の真田が面白くて萌香は思わず小さく笑ってしまう。
「え?俺なんか変なこと言いました?」
また焦る真田がおかしくて萌香は笑いが止まらなくなってしまう。左右に首を振りながらしばらく笑い続け、やっと収まって声が出る。
「ごめんなさい、なんでもないです。スープカレー、私の好きなお店でよければ案内しますよ。ちょっと歩きますけど大丈夫ですか?」
ぱっと顔を明るくして真田が頷く。感情がストレートに顔に出るのが可愛い。
大通の一丁目と二丁目の間を南に向かってまっすぐ歩くと大きなアミューズメント複合施設があり、その裏手にひっそりとスープカレー屋がある。目立たない場所にあるが人気店なのでランチタイムは行列が出来ている場合もある。
今日は運の良いことにすぐに席に通された。
その店では、メニューを決め、辛さの度合いやトッピングなどを選ぶことが出来る。ライスは通常どのカレーにもついてくるようになっており、ライスなし、少な目、普通、大盛りが選べる。
萌香はいつもライスなしで中辛である辛さ2番で野菜カリーを選ぶ。
真田は辛さ3番でチキン野菜カリーをライス大盛りで頼んだ。
頼んだメニューが来るのを待つ間、改めて自己紹介をした。
真田は一年ほど前に東京から引っ越してきたそうだ。札幌に来てから趣味で写真を始めたこと、撮ってみると非常に楽しくついついのめりこんでしまったことなど嬉しそうに語る真田の表情を見ていると萌香まで嬉しくなってしまう。
注文したカレーがきた為話をいったん中断する。
「食べ方は特に決まりはないんですけど、一般的にはスプーンでライスを掬ってスープに浸して食べる、ということになっていますね。でもそうしないでスープはスープ、ライスはライスで食べるという人もいるので、色々試してみてくださいね」
スプーンやフォークは事前に席に備え付けられナプキンで包まれているので、萌香はナプキンを開きスプーンとフォークを真田に渡す。
「ありがとう。いただきます!」
真田は手を合わせると早速ライスをスプーンで掬い、スープに浸してから口に運ぶ。
「!!」
よほど気に入ったのか、咀嚼しながらなんとか感動を萌香に伝えようとする様子があまりにも少年のように可愛くてまたつい萌香は笑ってしまう。
「うまいです!」
ライスとスープを飲み込んでやっと真田が声を出す。
「お気に召したようで何よりです」
大きなチキンレッグを解体しながら旺盛な食欲で真田はスープカレーをあっという間に平らげてしまった。ライスなしで頼んだ萌香とほぼ同じタイミングだった。
「ご馳走様でした」
声が重なる。
「すげーうまかったです、また来たいな、ここ」
私も一緒に来たいなと一瞬思い、そんな自分に驚く。
「食後に美味しいコーヒー飲みたくないですか?」
咄嗟に自分の口をついて出た言葉にまた驚く。
「いいですね、コーヒー。お薦めのお店教えてほしいな」
スープカレーの店を出て、来た道をそのまま大通公園に向かって戻っていくと去年岡村と行ったカフェに行き当たる。しかしその店の手前のビルに隠れ家的なカフェを見つけていたので今回はそちらに行くことにする。
その店はコーヒーが美味しいのはもちろんだが、カップとソーサーにも凝っており行くたびに毎回器が違うのだ。
ジャズの流れる落ち着いた店内でコーヒーを飲みながら真田が現在どんな仕事をしているのか、どこに住んでいるのかなどいろんな話を聞く。
「ごめんなさい、なんか俺ばっかり話してますね。萌香さん聞き上手なんでついつい話しちゃって」
名前で呼ばれて耳たぶが赤くなる。
「あの、去年の写真、いつ差し上げましょうか」
「真田さんは土日がお休みなんですよね」
手帳に書き込んだシフトを確認する。
「当分土日のお休みがないので、今度の金曜日の夜でよかったら大丈夫ですけど」
「じゃ、それで。詳しい時間は近くなったら連絡ください」
萌香は頷く。
カフェを出るともう夕方だった。
大通公園に戻ったところで別れ、萌香は徒歩で帰宅した。
部屋の鍵を開け、カーテンを閉めて灯りを点ける。ソファに腰を下ろしほっと息をつく。まだ耳には真田の柔らかい声が残っている。
早く来週の金曜日にならないかな。真田に会うことが楽しみになっていることに萌香は気付いた。
拙作をお読み下さりありがとうございます。
ぜひ感想や評価をお寄せください。
よろしくお願いいたします。