写真
長い冬が終わり、やっと春めいてきた。
萌香は相変わらずコールセンターで働いている。たまの気晴らしに岡村とカフェに行くのも変わっていない。
「そろそろバッグ変えようかな」
冬の間は雪が入らない様にキャスキッドソンのサドルバッグを愛用している。オイルクロス加工だから濡れないし、両手が空くのでポケットに手を入れていられるからだ。
休日の午後、しまっておいたショルダーバッグを出し、入れたままになっていたポケットティッシュなどを取り出す。
ショルダーバッグの底に敷いてある固い下地の下から、何か白い紙が覗いていた。
「なんだろ」
引っ張りだしてみると、それは名刺だった。
「フリーフォトグラファー、真田明日香」
何故こんな名刺が入っていたのか全く記憶になかった。名刺にはURLも記載されている。
PCは立ち上げたままだったので早速そのサイトにアクセスしてみる。淡い青を背景にした柔らかい雰囲気に好感が持てた。
写真は『空』『人』『モノ』の三つに類別されていた。ひとつのページを開いて萌香は息を飲む。
こんな鮮やかな色彩で世界を見ている人がいるなんて。
空も花も、普段萌香が何気なく見ているものよりも生命感に溢れて色彩が躍っていた。
時間を忘れてサイトに見入る。『人』の項目を開くと、開け放した笑顔、はにかんだ笑顔、たくさんの人の笑顔ばかりがあった。
気づけばもう、長くなった日も暮れようとしている。
「いけない、夕ご飯作らなきゃ」
サイトのトップページをブックマークにいれPCから離れた。
最近よく聴くようになった札幌のインディーズミュージシャンのCDを流しながら夕食を作り始める。今日は大根と鶏手羽元のさっぱり煮、ほうれん草のお浸し、切り干し大根とひじきの煮付け、ワカメと長ネギのお味噌汁に白いご飯だ。
最近はもっぱら和食が多い。
CDを止めテレビをつけると録画しておいた大好きな海外ドラマを再生する。わずかな証拠を科学的に分析し犯人を追い詰めていく警察物で、マイアミを舞台にしたスピンオフシリーズだ。
「いただきます」
手を合わせるとまずはお味噌汁を一口すすり思わずほっと息をつく。
「やっぱりお味噌汁は日本人のソウルフードだねぇ」
ゆっくりと夕食とドラマを楽しむと食器を洗い、一人暮らしの気楽さで服を脱ぎ捨てるとそのまま洗濯機に放り込み冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出すと浴室へ向かう。
「今日は、お風呂」
浴槽に湯を貯めながら髪や体を丹念に洗う。洗い終わる頃には浴槽に半分ほど湯が貯まっていた。
大好きなバスソルトを入れて体を沈める。やや熱めの湯が心地よい。
ペットボトルの水を口にしながらぼんやりするこの時間が萌香は大好きだ。
「あの写真、綺麗だったなぁ」
先ほど見た真田明日香の写真を思い出す。
「あんな笑顔を撮れる人って、どんな人なんだろう」
きっと温かくて優しい綺麗な人だろう。私みたいな汚れた人間じゃない。
胸に小さく棘がささった気がした。この棘はきっと消えない。
突然湧いてきた暗い気持ちを払うようにばしゃばしゃと浴槽の湯を顔にかけてから拭い、大きく伸びをする。
「さて、あがるか」
浴室を出て体を拭うとパジャマを着る。一通りスキンケアを終えるとまた真田明日香のサイトを開く。
何度見ても色彩の鮮やかさや被写体になった人達の笑顔が眩しい。
サイト内にはメールフォームまで設置してあった。きっと仕事の依頼を受ける為のものだろう。
素敵な写真を見られたお礼なんて、送ってもいいのかな。
被写体をこんなにも輝かせる人なら、そんなメールでもきっと嫌な顔はしないだろう。
「はじめまして。たまたま真田さんのサイトを拝見したのですが、あまりにも被写体が生き生きと鮮やかで時間を忘れて見入ってしまいました。素敵な時間をありがとうございます。サイトの更新を楽しみにしています」
メールフォームには名前を入れるところもあったので何も考えずに本名を入力した。
「返事なんてこないよね」
若干の期待が否定する言葉を呟かせる。
「さて、寝るか」
PCの電源を落としベッドに潜り込むと小さく伸びをする。
「返事、くれないかな」
密やかな期待のせいか、遠足前の小学生のようにその晩はなかなか寝つけなかった。
拙作をお読みくださりありがとうございます。
『インセイン』が新しいパートに入ります。
是非お読み頂いた感想や評価をお寄せ下さい。
よろしくお願いいたします。