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インセイン(リライト資料用)  作者: 森内カンナ
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無自覚な穢れ

話の性質上性的な描写が出てきますが、それ目的の話ではないので悪しからず。

天井の鏡に映る自分に醒めた視線を投げ、汗ばんだ男の背に爪を立てながら表情とは裏腹な嬌声をあげる。

男の動きが早まる。

「ああ、もうダメ、早くキて!」

(疲れたから早くしろよ)

男はくぐもった声を出し動きを止めると、しばしカンナの上で荒い息を吐いていた。その後ゴムの処理を終えるとカンナを腕枕に誘う。

「また会えるかな」

「うん、会いたいな。メールするね。」

こんなものは社交辞令みたいなもの、二度と連絡することはない。他愛ないピロートークをこなすとそれぞれシャワーを浴びる。

「これ、約束の」

男は“お小遣い”をカンナに渡す。

「ありがと」

むき身のままバッグにしまう。

「じゃ、帰ろうか」


特定の目的に特化したその建物から男の車で自宅の最寄り駅の一つ前まで送ってもらう。

「すごく良かった」

そう言って軽いキスを交わして別れる。最後まで男の名前は呼ばなかった。知らない名前は呼びようがない。

男の車が走り去るのを見送ってから地下鉄に乗る。一駅だからほんの数分、つかの間ぼんやりと真っ暗な車窓に目を向ける。

一仕事を終えた物憂さで、暗い景色は目に映るだけでいちいち認識していない。

「お腹空いたな」

そう呟くとぼんやり遠ざかっていた周囲の雑音や人々の姿が鮮明になってきた。

自宅の最寄り駅に着くと駅前のコンビニに入る。お茶のペットボトルをひとつ、ネギトロのおにぎり、唐揚げ、奮発してエクレアも買う。

いつの間にか雪が降ったらしく、踏みしめるとキュッと雪が鳴く。今夜はかなり寒い。

コンビニの袋を提げて帰宅すると、自分で鍵を開けて入る。安さと広さだけが取り柄の古いアパートの一室、灯りは点いていない。

「ただいま」

誰も応えてくれるわけでもないのに、必ず言ってから灯りを点ける。蛍光灯の青白い光がビーンズテーブルとラブソファを照らす。変わらないいつもの部屋。

コンビニ袋をテーブルに置き、カーテンを閉めストーブを点ける。BGM替わりにテレビをつけソファに腰を下ろす。

喉が渇いていた。ペットボトルのお茶を1/3ほど一気に飲むとお腹がきゅうっと鳴り空腹を改めて感じる。

唐揚げとおにぎりを交互にかじり、お茶で流し込む。夜も遅い時間に少し罪悪感を覚えながら、それでもどうしても今日のような夜は甘いものが欲しい。欲求に従ってエクレアを味わう。

指についたチョコレートを舐めると、あの行為の続きのような気がした。


シャワーを使う。今日の全ての痕跡を拭うように時間をかけ丁寧に体を洗う。

浴室を出て髪を乾かしながら明日のシフトを確認する。遅番だから12時からか。

一人でベッドに入り伸びをする。目覚ましをセットしあくびをするとするりと眠りに落ちていく。

夢は、見なかった。


翌日アラームに叩き起こされ、世間一般よりは遅い朝が始まった。

身支度を整え出勤する。職場は特に職能のない人間なら気軽に足を踏み入れるであろうコールセンター。

敷居は低いが実際には向き不向きがはっきりしているので人間の出入りは激しい。半年も勤められればベテランと呼ばれるような職場だ。

「めんどくさ、今日も積滞ついてるし」

そう呟くと背後から声がかかる。

「中嶋さん、おはようございます」

振り返ると事務処理チームの坂下という2歳下の男性だった。男性としてはやや小柄で、整った中性的な雰囲気の顔だちをしている。半年ほど前から萌香のセンターで働き始めたそろそろベテランの仲間入りをしようかという青年だ。

「坂下君、おはよう。今日も忙しそうだね」

「そうですね」と折り目正しく会釈すると坂下は去って行った。

「萌、おはよう!」

同じく遅番で出勤してきた同僚にも声をかけられる。

「萌香、疲れてない?目が死んでるよ」

「朝はこれがデフォルトだって」

「そうだよねー」

「あんただって目、死んでるし」

「えーそんなことないって、めちゃくちゃ元気」

軽口をたたき合いながらバッグをロッカーに入れフォンブースに向かい業務端末を立ち上げる。

萌香の業務は顧客からの使用料金請求に関する問合せやサービスについての相談など電話対応だ。

必要に応じてサービスを付加したり解約したりなどの手続きを行うが、それらの帳票を処理するのが坂下がいる事務処理チームとなる。

半年も勤められればベテランと呼ばれるような職場でもう3年目となる萌香は、特別この仕事が好きなわけでもこの職場が好きなわけでもなく、特にやりたいこともないまま漫然と居続けているうちに辞めるタイミングを逃していた。

給料はいいとは言えないが困るほどではない。同僚も人数がやたらと多いだけに、気の合う人間とだけ付き合えばやっていける職場だから居心地も悪くはない。

そんなぬるま湯から抜け出す理由も特にないから、ただそれだけだ。


萌香の勤めているコールセンターには9時から18時までの早番、12時から21時までの遅番、9時から21時までの通し勤務の3つがある。

運良く21時ちょうどに最後の対応を終えすぐに帰り支度をする。何があるわけでもないが仕事が終われば職場からは一分一秒でも早く立ち去りたい。

ロッカールームから出たところで声がかかる。

「中嶋さん、お疲れ様です」

事務処理チームの坂下だった。萌香が出勤してきたタイミングですでに業務を開始していたのでてっきり早番だと思っていた。

「通し勤務だっただね。お疲れ様」

「残念ながら通し勤務でした」

そんな会話をしながら会社を出る。

「じゃ、お疲れ様」

方向が違うので会社を出てすぐに別れる。

やっぱり、もう。そんな寂しい気持ちで坂下の背中を見送った。

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