月が眠る夜.2
“変なもの”は屋台をやっているくせに自分から話しかけてくることはなかった。恵が近づいていって「これください」と言うと、お金を要求することもなくただずいっと物を差しだしてくるだけだ。
キツネのような顔をして、熊みたいに大きな身体をしている浴衣姿の“変なもの”に差しだされたかき氷はとくに変わった様子もなかったのだが、“変なもの”がまともなものを用意するとも思えない。しかし、一種の好奇心にも似た誘惑に耐えきれず、怖々と口に運んでみたところ、舌に広がった味はなんの変哲もないかき氷だたtので、頭の奥にまでキーンと来る冷たさとわかりやすい甘さにひたされた氷を舌で溶かしながら、妙に拍子抜けしてしまった。屋台の中をのぞき込んでみると電動のかき氷機とシロップが並んでいる。本当にただの店をやっているようだ。
見ると、そこかしこで恵がやったようなやり取りが繰り広げられていて、クラスメートたちも同じように“変なもの”と接していた。恵が普段そうしているように、“変なもの”との間になんの境目も感じとっていないかのように溶け込んでいる。普段から会話を交わしている何人かを見かけたので声をかけてみたのだが、その返答がことごとくまるで学校で交わす会話のようにあまりに普通すぎて、それがおかしかった。
「ここ、変だよね」
恵がそんなふうに単刀直入に訊ねても、クラスメートの少女は不思議そうな顔をして答える。
「なにが?」
“変なもの”が見えていないわけではない。見えているうえで、それがなんでもないこととして受け入れているのだ。
その不自然なほど普通で、あまりに自然な無意識で行動しているいまのクラスメートたちの姿には見覚えがあった。この祭りの場にいる皆がやっていることは“変なもの”の中でも幽霊と呼ばれる存在の動きに、とてもよく似ている。恵が知る幽霊というものは、生きている人となんら変わらない生活を無自覚にやってのける“変なもの”だ。
一瞬、恵はここが“あの世”なのではないかと思い、背筋に冷たいものを感じとった。あの暗闇は神話に出てくる黄泉路のようなものだったのではないだろうか。
そんなはずはない。まとわりついてきた気味の悪い暗闇のことを思いだしながら、浮かんだ考えを否定するために頭を振る。
“変なもの”がやっている屋台を渡り歩きながら楽しそうに笑うクラスメート達の姿がそこかしこに在る。
こんなものはただの妄想だ。“変なもの”がいままで一体なにをしたのというのか。人をあの世に連れて行くなんていう、大それたことをどうしてするはずがあるだろうか。
瞼を下ろし、視界になにも映らないことを確認してから、目をふたたび開く。変わらず、祭りの景色が広がっている。
これは、“変なもの”だ。クラスメートも、きっと本物なのではなくて、恵にしか見えないただの“変なもの”に過ぎないはずだ。太陽が落ちるのと同じように、月が形を変えるのと同じように、この景色はすぐに移り変わってべつのものになる。移り変わったとき、花火をもったクラスメートの皆の姿がまた見えることだろう。
かき氷をさらに二つもらい、来た道を戻る。千紗都と双子の少女のぶんももらっていこうと思ったのだが、一度に三つ持つのが精一杯だった。落とさないように両手で支えながら参道から外れた場所にある池へと向かう。千紗都たちは池のわきにあるベンチにいるはずだった。
しかし、帰ってきた恵を待っていたのは双子の少女だけだった。
かき氷を二人に渡すと、まったく同じタイミングで「ありがとー」と左右から聞こえてくる。
「千紗都ちゃんは?」
訊ねるも、双子の女の子はかき氷をさっそく口に含んでいて、鏡合わせのように顔をしかめて「ちゅべだい!」と同時に声をあげた。本当に動きがシンクロしている二人だ。
「どこにいったの?」
「あっち」
「こっち」
ユイとメイは別々の方向を指さしていた。恵が首を傾げると二人はお互いを威嚇するように唸りだすと、やがて叫んだ。
「あっちだもん!」
「こっちだもん!」
「えーと、どっちなの?」
「めーちゃんいっつもウソつく! バカだから!」
「ウソじゃないもん! バカじゃないもん!」
どちらかはわからないが、とにかくどこかに行ったのを二人は見たようだ。こんな場所で千紗都を一人にさせたくはないと考え、同時に恵は不思議な気持ちに襲われた。
つい先ほどまで、暗闇に包まれていたときまでは千紗都がいなければ不安でたまらなかったはずなのに、気づくと逆に千紗都のことを心配するぐらいの余裕が生まれている。そんなに暗い場所が怖かったのだろうか、と自問するが、記憶を探ってみても過去にそれほど暗闇に対して強い恐怖を抱いた覚えはない。
やはり、あの暗闇が特別だったのだ。あれはなにかが明らかにおかしかった。
「おねえちゃん、いこ」
「こっちいこ、こっち」
「あ、うん。千紗都ちゃんを探しに行くけど、いい?」
「いいよ」
「ダメー」
「……探しに行くからね」
「これたべながらいっていい?」
「めーちゃんもたべながらいく」
二人は恵をはさんで立ち、かき氷を持ったままついて来た。この双子の話し声はあまりに似すぎていて、しかも同時にしゃべることが多いものだから二重になって聞きとり辛い。そのうえ左右に分かれられるとなると混乱してしまうことがわかりきっているようなものだが、無理やり立ち位置を変えさせるのも気が引けて出来なかった。
参道に戻り、恵が最初にやったことはまず自分の目を疑うことだった。
“変なもの”は相変わらずで、屋台から漂ってくる匂いもさきほどまでと変わらない。賑やかさも変わっておらず、どこに向かっているのか参道にはやはり“変なもの”に混じってクラスメート達の姿がある。ただ、つい先ほどまでとはその人の流れの様子が大きく変わっていた。
信じられないことに、クラスメート達の姿がことごとく子供になっていた。しかも服が浴衣に変わっている。
「あ、あれ……なんだろう、これ。やっぱり夢でも見てるのかな」
自分の姿を見下ろしてみるも子供になったりはしていない。当然浴衣姿にもなっていない。参道を離れている間になにか起こりでもしたのだろうか。
「あしたはゆめのなか」
「きのうもゆめのなか」
「今日は明日でも昨日でもないよ」
「でもあしたになるし」
「きのうにもなるし」
「う、うーん。それはそうかもしれないけど。なんだか哲学的だね」
「でもあしたはかきごおりがとけちゃう」
「きのうはかきごおりがなくなっちゃう」
「やっぱりきょうだね」「きょうがいちばん」
「あ、うん、そうだね」
夢でもなんでも良い。とにかく、今は千紗都を探さなければいけない。
しかし、もしかすると、千紗都も子供の姿になってしまっているのかもしれない。さすがにそうなると簡単には見つけられそうにもなかった。千紗都の小さい頃なんて見たことがあるはずもなく、わかりようがないのだ。
「ねえ、千紗都ちゃんも小さくなったりしてた?」
「なんで?」「なんで?」
「なんで、って。探してるから。二人が見ててくれたならわかるんだけど」
「あの子がほしい?」
「あの子じゃわからん?」
「あの子じゃなくて千紗都ちゃん。さっきまでいっしょにいたでしょう」
「いたけど、いなかった」「いないけど、いた」
「……あの、お姉ちゃんにもわかりやすく教えてくれないかな」
「むずかしい」「わかんない」
「そっかー……」
ユイとメイの言うことが要領をまったく得ない。ぼうっとしていて一言も口を利かないような“変なもの”――そしてそんなものが大半を占めるのだ――に比べれば、こちらの質問に答えてくれるというだけでもやりやすい相手と言えるのだけれど、このままだと事態が進展しない。しかし、かといって双子の少女相手にどう質問すればちゃんとしたことがわかるのかもよくわからなかった。
携帯電話を確認する。バッテリーはまだ十分にあるとはいえ、相変わらず圏外マークが表示されている。なんとかいまの状況を変えないと、姉とはもう連絡が取れないだろう。
恵は観念して、参道の人の流れにまじった。とりあえず上まで行って往復してくれば千紗都を見つけることができるかもしれない。おそらく、ここより下、来た方向には行っていないはずだ。あんな暗闇の中に舞い戻るわけがない。
参道にまじってみると、この祭りがあらためて不思議なものに思われた。“変なもの”と
人が並び歩いて参詣する様は、過去に何度も見たことがある。初詣なんかがそのひとつで、大勢の人の流れの中には必ず神さまや妖、幽霊がまじっている。
ただ、誰も気づかないだけだ。恵だけがそれをいつも見ている。恵の目だけが、皆とは違う。
「……探さないと」
幼い姿となって“変なもの”と何気なく接しているクラスメート達を意識しないようにしながら、千紗都の姿を探す。
鳥居を抜け、本殿を前にしたところで、“変なもの”に囲まれておみくじを引いている小さな女の子がいるのが視界に入った。顔をあげて、“変なもの”に向けて屈託なく笑い、なにかを話している。
恵は誘われるようにして、その女の子の下へと向かった。




