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第八話 ハロー、マイ・フレンズ

(1)


 セレナが優司達の元に来て数日が過ぎた。

 セレナはマリアに対してはもちろん、優司と彼の家族に対しても、努めてそっけなく事務的に応対していた。しかしマリアがセレナにちょっかいを出すと、それなりに反論してみせた。優司は、そんなセレナを見ていると、彼女のクールな態度には何かひっかかるものがあった。何より、クールに振舞った後の複雑な表情、後悔しているような、寂しそうなその表情が気になっていた。


 ある夜、優司は隣の部屋のドアをノックした。

「セレナ、いるかー? 入るぞ」

「ああ」

 優司はドアを開け中に入った。この部屋は半分物置となっていて、以前は優司の母が洗濯物を干すためにバルコニーに出入りする程度にしか利用されていなかった。マリアが来てから多少片付けはされたが、いまだに布団だの季節ものの洋服の詰まった衣装ケースだのが積まれている。しかし広さは八畳あり、二人は寝れるスペースが確保されていた。

「へえ、ここ、こんなんなったのか。適度なタイト感で落ち着くな」

 優司は積まれた衣装ケースに軽く腰掛けた。

 セレナは掃き出し窓を開け、サッシにもたれていた。

「何か用か?」

 まったく愛想のないもの言いだった。

「いや、まあ用ってほどでもないんだが…。どう?うちは」

「快適だ。問題ない」

 セレナは、話している間は優司を見るが、話し終わると外に顔を向ける。

「…うちのメシはどうだ?」

「味付け、栄養バランスとも実に考えられている。いい母親だ。しかし我々は本来、何も食べる必要はない。生体維持に必要な物質は大気中や土中から補充できる」

「あ、そうなんだ…マリアなんかうまそうに食ってるけどな。そういや、マリアはオレと一緒に学校に来てるけど、セレナは普段何やってんだ?」

「学校の周辺を警戒している。今の所不穏な動きはない」


(うわ…こりゃかなりのカタブツだな…)

 こんにゃく問答のようなやり取りに、優司は諦めて部屋に戻ろうかと思った。しかしこのままでは悶々として眠れそうになかった。

「セレナ…ひょっとしてオレのこと、気に入らない? つーかむしろ嫌い?」

 セレナは少し目が泳いだ。

「その質問の意図が分からない。任務に好き嫌いは関係ない」

「……」

 優司は言葉に詰まった。確かにセレナの言うとおりかも知れない。護衛の仕事であれば、いかに近くにいようとも護衛対象の生活には極力干渉しないようにするのがプロだ。でもマリアはむしろ家族のように振る舞い、学校でも周囲にも溶け込み、積極的に優司の傍にいようとする。屈強なガードマンやシークレットサービスならともかく、マリアのように接してくれたほうがこちらも変に気を回さなくて済む。それに何より、女の子ならこんなにムスッとせず、もっと可愛らしくしていたほうがいいんじゃないか? などと頭の中でぐるぐる考えたが、どうにも取りつく島ない。


 苦い顔をする優司に、セレナは問い返した。

「何か問題あるのか?」

 優司はダメ元と思い、とりあえず一番気になっていることを言ってみた。

「あのさ、オレ、セレナ嫌いじゃないよ。顔だって結構かわいいしさ。でもおまえはいっつも難しい顔してる。オレは…その理由が知りたい」

 セレナはやや困った顔をした。

「そんなこと…聞いてどうするんだ?」

「悩みがあるんなら、言ってくれ。オレが気に入らないんならはっきり言ってくれてもかまわない。オレ達まだしばらくは一緒に暮らすんだろうから、お互いに腹ん中に一物持ったまま悶々とするのやめようぜ」

 セレナは動揺したようだった。

「べ、別にあなたに対してネガティブな感情は持っていない。悩みも言うほどのことはない。あとこの顔は…」そういうと頬を紅潮させた。「う、生まれつきだ」

(おお? 反応ありだぞ)

「じゃ、なんでいつも無愛想なんだよ」

 セレナはちらりと優司をみて、すぐに視線を反らした。

「これは…性格だ」

 彼女は不機嫌そうに口を尖らせている。

「おまえ、天使なんだろ? そんな愛想悪くていいのかね」

「天使? …ああ、そんなものだけど。…苦手なんだ…そういうのは」

 セレナは顔を外に向けた。少し顔を赤らめているようだった。

(なるほど…やっぱりバリバリクールっつーわけでもないんだ)

「嘘でもいいから笑ってみなよ」

「拒否する」

「笑いなよ」

「い・や・だ」

「笑わないとくすぐるぞ~」

 優司は指をうねうね動かしながら、セレナに一歩、二歩と近づいた。さすがにセレナもノーリアクションというわけにはいかず、身を引き始めた。

「や、やめろ、何考えて…」

 ガチャリ。

 ドアが突然開き、マリアが飛び込んできた。またしてもバスタオル姿だった。

「あー、優司、部屋にいないと思ったら、こっちにいたのね!」

 優司はジト目でマリアを見た。

「おまえ…その様子だとまたその格好でオレにちょっかい出すつもりだったのか…」

「だってー。まだ汗引かないんだもん。…何なに? わたしに会いに来たのぉ~?」

「いや違う! 断じて!」

 優司は全力で否定した。

「全く、慎みがない。…こういう天使もどうかしらね」

 セレナが呆れたように言った。

「うむ。オレ的にはありだが、世間的にはけしからんな。ローマ法王が腰抜かすぜ」

「な、なによ二人して…!」

 マリアは口をとがらせた。優司はマリアを見るたび、バスタオルで締めつけられひしめく二つの胸の谷間が気になった。

「とにかく早く服着てくれ。でないとまた夢に出る…」

「え?なんのこと?」

「い、いや!なんでもない! …それよりセレナ、おまえもフロ入ったら?」

 優司は強引に話をそらした。

「…わたしは…リフレッシャーでいい。…は、はだかでお湯にはいるなんて…」

 セレナは顔を赤くした。

「ははーん。やっぱりその体型じゃねぇ…」

「たた、体型は関係ない!」

 マリアの言葉に、セレナは露骨にうろたえた。マリアのちょっかいが始まった。

「だって、はだかになる度に気になるんでしょ? 発育の悪さに」

「確かに気にはなっているけど…って言わせるなー!」

 実際の所、ちょっと発育が悪いのは、セレナが最も気にしていることだった。最後に自分の全身を写し見たのはいつだったか覚えていない。

「と、とにかくその差別的発言は撤回してもらいたいわね。わたしだってもうちょっと時が経てば…」

「そー言い続けてどのくらいかしらねー」

「! そ、それは…十五年くらい…?」

 セレナは完全に言い負けた。しかもわざわざ言わなくてもいいことを言ってしまった。

「なぬ?! ひょっとしてセレナってオレより年上…?!」

 優司の驚きはマリアにも向けられた。

「マリアもか?」

「わたしは…正確なところは覚えてないけど、見た目と同じくらいのはずよ。わたし達は精神の成長度に合わせて見た目も変化するの」

 そういうとマリアは横目でセレナを見ながら人差し指を立て、後に続く言葉に合わせて左右に振った。

「だからセレナ姉さんはぁ、精神的にお・子・ちゃ・まってことねー」

「マリア、そりゃ言い過ぎだろ…」

「……」

 セレナは無言で立ち上がり、バルコニーに出た。

「あれ、セレナ…?」

 優司の問いかけに、セレナは振り向かずに答えた。

「ちょっと出かけてくる」

 それから彼女はおもむろに振り向き、怨念のこもったジト目でマリアを睨んだ。

「マリア…いつか死なす」

 言い捨てるとセレナは跳躍して何処かに消えていった。


「…うっわー、あれマジ怒ってるよ…」

「ち、ちょっとからかいすぎちゃったかな」

「うん…ちゃんと謝っとけよ。…謝っても殺されるかも知れんが」

 爆汗の二人だった。


..*


 月夜のきれいな晩だった。セレナは、駅前の一番高いビルの上に立っていた。初夏の涼しい風が吹き抜けていく。その風を体に感じられるように、セレナはシルキー・シェルだけになっていた。月明かりに、ほとんど全裸のような華奢なボディラインが照らし出された。

 セレナはしばらく街の明かりをぼんやり見つめていた。ふと胸の辺りを手でさすり、不足する膨らみを残念に思った。マリアのからかう言葉には腹も立ったが、精霊として過ごしてから、長い間体が成長していないというのも事実だった。

 正直、自分は人付き合いがあまり得意ではない。精霊は数百万人の守護をしているため、飛び回る毎日で個々の守護対象との交流はほとんどなかったのでなんとかなっていた。今回の任務の様に一人の人間を長期間、しかも同居する形で守護するということはなかったので、戸惑いを感じている。精霊になる前の記憶はなかったが、何かとても嫌な思いをしたということが、心の奥深くに大きな黒い痛みとなっていた。それに触れられるのが嫌で、他の精霊と話すこともほとんどなく、クールを装っていた自分の殻を、マリアや優司はあっさりと突き崩してきた。

 セレナは目を閉じ、大きく一呼吸した。


「でも、いやじゃない…」


 その場では恥ずかしさを感じるが、嬉しいようなくすぐったいような感覚も覚える。マリアのちょっかいは、誰とも話さず抑えていた感情を吐き出させてくれるし、優司の言葉には時々、胸の奥にあって自分にも覗けない、秘められたものを揺さぶられるようにドキリとさせられる。そして、彼らから離れると、なんとなく体が冷えていくような寂しさも感じる。彼らとのやり取りは、自分がずっと心の奥底で求めていたことなのかも知れない。もし兄弟や親友がいたら、ああいった接し方をしてくるのだろうか。


(彼らはこんな自分を変えてくれるかも知れない…)

 いつのまにか気が晴れて、セレナの顔にはかすかに笑みが浮かんでいた。


(2)


 翌朝、優司はマリアと学校に向かっていた。

 優司は戻らないセレナが心配になっていた。それでふとこんな言葉が出る。

「セレナ大丈夫かな…」

「優司、それもう朝から百回目よ」

「いやそんなには言ってねえだろ! …まあ、確かに気にしすぎかもなぁ…」

「だーい丈夫よ、わたしだけでも優司は守ってみせるって!」

 マリアは優司の背中をバン、と叩いた。

「いや、オレが心配なのはそーいうことじゃなくてだな…」

「ほら、急がないと遅れるよ!」

「え? あ、おい!」

 マリアは小走りで先を急ぎ出した。

「セレナを怒らせた張本人だろおまえ…」

 優司は遠ざかるマリアの背中に呟いた。


(わかってるわよ…。でもセレナセレナって、気にしすぎなのよ、バカ優司!)

 マリアは小走りしながら、少々ムッとしていた。セレナが来てから、優司の自分に対する関心が薄れているような気がしていた。そこへ来て、ゆうべから優司は戻らないセレナを心配し通しだ。

 マリアは悶々としながら、走り続けた。


「しょうがねえやつらだ、まったく」

 優司はマリアの後を追った。

 ふと、路地の一つ先の十字路を、見覚えのある人影が横切った。

「え?! まさか…」

 優司は十字路に急いだ。人影はすでに、数十メートル先を歩いていた。優司の学校の女子の制服姿。栗色の髪を小さく揺らしていた。

(あれは翔子…なのか?)

 気が付くと、優司の足は翔子に似た後ろ姿を追っていた。


..*


 マリアが気付くと、後方に優司の姿はなかった。

「あれ…? 急ぎすぎちゃったかな」

 マリアはその場に止まり、優司が追いつくのを待った。その路地は学校に最も早く着くルートであり、面倒くさがりの優司は別のルートを通ったことがない。

 数人の生徒達がマリアの前を通り過ぎて行った。が、優司は一向にやって来る気配がない。

 マリアは引き返した。その足は次第に速さを増した。


..*


 女子生徒は学校から数百メートル離れた、閑散とした場所に来ていた。この辺りは川の堤防に近く、人が住んでいるのかいないのかわからないような古い平屋の家屋と、資材置き場や物流倉庫が立ち並んでいる。その企業の所有物すらも、昨今の不況で使われていない所がちらほらある。辺りは静かで、他に人の気配がなかった。

(なんでこんな所に…)

 優司は確かめる勇気がなく、女子生徒から数十メートル後をつけていた。


..*


 マリアは優司と別れた付近まで戻ったが、やはり優司の姿はなかった。

「何かあったのかしら…?」

 ヘイローリングを展開し、優司の意識を検索した。優司の居所は思ったよりもあっさりと探知できた。

「え? なんでそんなところにいるの…?」

 マリアは優司の元に向かった。


 マリアの足ならば、優司に再会するのはそう時間がかからなかった。優司の後ろ姿が見えた。

「優司ー…!」

 マリアの声に気づき、優司は超ダッシュで引き返した。

「優司、もうなんでこ…むぐ!」

 優司はマリアの口を手で押さえた。

「シッ、静かに! …いいか、大声出すなよ」

 手をゆっくりと離す。

「あそこを歩いてるコ…」

 優司は目で女子生徒を指した。

「うん?」

「あのコ、翔子ちゃんに似てるんだ。マリアと出会う前に悪魔が化けてた子…」

「え? じゃあ、そのコも悪魔に取りつかれてただけってこと?」

「わからない…ホントに翔子ちゃんかどうかも確認してないし」

「呼んで来ようか?」

「バカ、いいよ! …あ、まて、あそこに入ってく」

 翔子らしき女子生徒は大きな物流倉庫に入って行った。


 倉庫の鉄板に覆われた大きな搬出口は、人が通れる程度に開いていた。

 優司達は中を覗き込む。中はちょっとした体育館ほどの大きさだが、保護用のビニールシートでぐるぐる巻きにされた大きな木箱がいくつか積まれており、全体は見渡せなかった。少なくとも、付近に人影はなかった。

「誰もいないな…」

「スキャンしようか?」

「ああ…、あ、まて、いたぞ!」

 優司達は奥へ入って行った。

 その先に、女子生徒が背中を向けて立っていた。

 女子生徒は黙っている。

「翔子ちゃん…?」

 優司がおそるおそる呼びかけると、女子生徒はゆっくりと振り返った。

「やっぱり、翔子ちゃん!」

「ああ…この姿は確かそんな名前だったな」

 翔子と思しき女子生徒は、冷ややかに優司を見た。

「! おまえは誰だ?」

 女子生徒がニヤリと笑うと、バキバキと音を立てながら大きな魔物に変貌した。

「おまえは、この間の…!」

 魔物は大きく裂けた口を開け、低くこもった威圧感のある声を出す。

「ああ? そうだ、この間そこの精霊に倒されたのは、オレの仲間だ」

 マリアは優司を庇うように前に立った。

「優司、下がって!」

「ああ…」

 マリアは戦闘殻エンゲージ・シェルを展開した。


 優司は戦闘の邪魔にならないよう、物陰に移動した。だが、その先から別の魔物がぬっと現れた。

「うわ!」

 それは翔子の姿をしていた魔物よりも幾分小柄だったが、姿は別のものだった。皮膚はうろこ状のものが浮いているが両生類のように濡れており、首から先はナメクジのようにやや透き通っている。その先端には、触角のように飛び出した目がついている。そして、皮膚全体がゆっくりとうねっていた。

「フ、フ、フ…おまえはイイにおいがスる。魔力のにおいダ」

 魔物には奇妙な訛りがあったが、優司に分かる言葉を発した。優司は物影を伝いながら逃げ道を探した。しかし、逃げる先逃げる先に魔物は先回りしていた。実際には、同じ姿をした複数の魔物が倉庫内をうろついていたのだった。魔物達はジリジリと優司の包囲網を狭めていった。

「優司!」

 優司に近づく魔物に気づいたマリアは、レイスウォードを振りかざし、瞬時に魔物に接近した。だが、切りかかろうとした所で高速に移動する黒い霧がマリアを包んだ。霧に体が触れると、カミソリのようにチリチリとエンゲージシェルに小傷を付けた。それは翔子の姿をしていた、獣のような魔物の魔術だった。

 ナメクジのような魔物が声を発した。

「助かっタ。…コイツすばシこい。速いのオレ嫌い…」

「もう一体の精霊が見えないな。まあいい、別々のほうが好都合だ」

 獣のような魔物が言った。魔物はセレナの存在を既に知っているようだった。

 マリアがレイスウォードを霧に突き刺すと、霧は裂けるように消え出した。レイスウォードの光の力は、闇の力を打ち砕く力があった。

 動けるほどに霧を消した。が、マリアの周りには、気味の悪い魔物がうようよしていた。その魔物は人のような形をしていたが、全身が肉の塊がゴテゴテとついたような不気味な姿で、体中血液のような赤黒い液体で濡れていた。そして腐った血の匂いを漂わせていた。

「な、なによこいつら…!」

 マリアは体が委縮する気がした。どんなに恐ろしく強そうな敵が現れても動じることはなかったが、この手の敵は生理的に受け付けなかった。

 マリアは意を決し、目の前にいた気味の悪い魔物を切り付けた。しかし、魔物は痛みがないのか、腕を切り落とされても全く動じる様子がなかった。

「うそでしょ~?!」

 背後の気味の悪い魔物が、胴体から内蔵のような真っ赤な触手を伸ばした。マリアは足を取られバランスを崩しかけたが、すかさず触手を切断した。そしてそのまま接近し、魔物をバラバラに切り刻んだ。飛び散り床に落ちた肉片は、それぞれがビクビクと動いていた。

「うえ~!」


「くそっ離せ!」

 マリアが間近の異様な光景に気を取られている間に、優司はいつのまにか気味の悪い魔物の触手で拘束されていた。

「優司!」

 駆け寄ろうとするマリアを、獣のような魔物の声が制止した。

「フフフ。どうする、精霊。このままこいつを八つ裂きにしてやろうか?」

「そんなことしたら、魔王はどんな顔するかしらね」

「ム…。しかし死なない程度にいたぶることはできる!」

 獣のような魔物が両腕を優司に向けると、手の先から黒い霧が吹き出し優司を取り囲んだ。

「うああっ!」

 優司の制服は切り刻まれ、白いシャツに血が滲んだ。

「優司ッ!! …あっ?!」

 マリアの背後から、ナメクジのような魔物がしがみついた。魔物の腕や胴体は軟体動物のように形を変えながらマリアの体に絡みつき、雑巾を絞るように締め付け始めた。

「くっ…!」

 さらに周囲にいる気味の悪い魔物の触手がマリアの手や足にまとわりついて、それぞれが引っ張り合いを始めた。レイスウォードがマリアの手を離れ、床で跳ねた。引き裂かれるような痛みがマリアを苦しめた。

 ナメクジのような魔物の体がずるり、ずるりと動くと、シルキー・シェルが引き裂かれてしまった。

「し、シールドが!?」

 シルキー・シェルは瞬間的な衝撃や熱、ある程度のせん断力等に対して効果的に防御力を発揮するのだが、肌に触れるものであるため、ゆっくりとした動きに対しては防御力が発動しない。魔物の攻撃は、防御力が発動しないような動きで、シルキー・シェルをこそぎ取っていた。

「フフフ…いい眺めじゃないか」

 獣のような魔物は、徐々に露わになっていくマリアの肌を見ていやらしく笑った。

「マリアッ!!」

 黒い霧から解放された優司はマリアの元に駆け寄る。が、あともう少しでマリアに触れる、というところで別の魔物の触手が優司を捕えた。

「仲間の仇だ…二人ともたっぷりいたぶってやる」

 獣のような魔物の合図により、魔物達はマリアと優司に激しい痛みを与えた。特にマリアに対しては、容赦がなかった。ヤスリのような攻撃で、マリアの体からは血が滲んだ。

「くっああ…!」


..*


 駅前をフラフラしていたセレナは、空を飛び優司の学校へ向かっていた。優司達に再会したらどんな顔をしようか考えていたが、結局いつも通りクールに振舞うことにした。できる限りではあるが。

 学校に近づいた時、セレスシャル・ヘイローのスキャナーに警戒表示が出た。付近を見渡すと、地上に得体の知れない怪物が歩いているのが見えた。

「悪魔か…こんな朝っぱらからご盛んなことだ」

 セレナは旋回し、怪物の前方に降り立った。周囲は資材置き場らしく、鉄骨などの建設資材がたくさん積まれていた。

「おまえ…こんな所で何をしている」

 セレナの問いに、ナメクジのような魔物は不器用な喋りで答えた。

「フ、フ、フ…おまえヲ探していタ」

「…へえ、それは良かった。わたしはおまえに用なんてないがな」

 相変わらずのクールフェイスだった。

「オレはおまえヲ殺しに来タ」

「そんなことか。じゃあこっちも相手しよう」

 セレナは太腿のホルスターに手を伸ばし、銃を構えた。

「フ、フ…オレにはそんなモノは通じナイ」

「どうかな」

 言うが早いか、白銀の銃から撃たれた弾が魔物の頭部に命中し、魔物は大きく仰け反った。だが、大抵の場合派手に吹っ飛ぶはずの敵の頭は、その魔物については様子が違った。

「なに…?!」

 魔物のめり込んだ頭部はゆっくりと元に戻り、弾丸がポトリと地面に落ちた。

「ああ…、イタいじゃないか。…今度はこっちの番ダ」

 魔物はフラフラしながら一歩ずつゆっくりとセレナに近づいた。

「だがおまえはすばシこい。少し止まっててクレ」

「何を言ってる…!」

 突然、セレナの両腕に何かが絡まった。次に両脚にも絡まり、身動きが取れなくなった。動物の腹わたのような細長い物体が、セレナの両脇の地面から生え、セレナに絡まっていたのだ。その地面には黒いタールのようなシミがあり、シミはボコボコと沸騰するように大きな泡を出していた。そしてそのシミから、物体の持ち主がせり上がってきた。その物体は人のような形をしていたが、全身が肉の塊がゴテゴテとついたような不気味な姿で、血液のような赤黒い液体で濡れていた。そして体から化膿したような腐臭を放っていた。

 クールなセレナもさすがにちょっとたじろいだ。

 ナメクジのような魔物は、セレナを抱きかかえるようにしがみつき、軟体動物のように絡んでセレナの体を締めつけた。セレナは口を塞がれ、息ができなくなった。

(く…!)

 両脇で触手を絡ませている気味の悪い魔物の体に銃弾を撃ち込んだが、魔物は肉が飛び散っても攻撃を緩めなかった。

(なんてやつだ…!)

 ならばと触手を撃ち抜き、拘束を解いた。そして小さなウィングから光のウィングを広げた。ウィングはナメクジのような魔物の体を焦がした。魔物は「グァ!」と唸りを上げ、攻撃の手を緩めた。セレナはすかさずジャンプして間合いを取り、魔銃まがんから魔弾を魔物の体に二発撃ち込んだ。

「…そんな攻撃は効かナイと言ったはずダ」

「そうかな。…炸裂ブラスト!」

 通常弾の三発分のエネルギーを圧縮した圧縮魔弾ホットバレットが一気に爆発し、魔物は粉々になった。

 残った気味の悪い魔物の触手攻撃をかわし、バラバラになるまで銃弾を撃ち込んだ。

「ふう…」

 魔物達の体は黒い泡となり、蒸発するように消えていったが、セレナは魔物達のいろんな液体でベタベタになった。正直、あまりいい気持ちではなかった。

 セレナは突然思い出したようにハッとした。

「まずい、優司達も…!」


..*


 物流倉庫の中で、獣のような魔物が外界の異変を感知した。

「…外の精霊が手強いな」

 魔物の合図で、数体の気味の悪い魔物が搬出口に向かった。


 セレナはウィングを広げた。飛び立とうとしたその瞬間、気配に気づいた。後方の物流倉庫から魔物が数体、向かってきた。

「一体何体いるんだ? …だが同じこと!」

 魔物は攻撃のヒマも与えられず、セレナによって肉片を飛び散らせた。

 セレナは物流倉庫が気になった。

 近づいて搬出口から覗いて見たが、中はがらんとしていて何もない。

 セレナはセレスシャル・ヘイローのスキャナーで多重解析を行った。スキャナーの解析結果は問題なし(ネガティブ)を示したが、セレナはそのデータのわずかな誤差を見逃さなかった。スキャナーに自分の能力を加えて再解析を行うと、重力場の異変が析出した。そして、位相座標ブレーンポイントを特定した。

「やはりここか」

 セレナの体が白く光った。両手をかざし、円を描くように回すと円陣が現れた。円陣に向かって歩き、中に入った。円陣を抜けると、倉庫には多数の魔物と、マリア、そして優司がいた。

「優司!」

 セレナは優司を拘束する魔物に複数の銃弾を撃ち込んだ。

「ひあ! うわ! あぶっ!」

 銃弾は優司をギリギリ掠めながら全て魔物に命中し、優司は解放された。さらにバラバラになるまで銃弾を撃ちこんだ。

 優司の顔はひきつっていた。

「セレナ、あぶねえだろ! オレに当たったらどうすんだよ!」

 セレナは肩をすくめ上げた。

「…十分当たらないように気を付けたんだけど」


 仲間の加勢に、マリアは少し安堵した。

「セレナ!」

「無様ね。…自分でなんとかしてみて、ナンバーワンさん」

 セレナはマリアのレイスウォードを撃った。レイスウォードが空中に舞い、マリアはそれを掴んだ。しかし相変わらず身動きは取れない。

「…どうしろってのよ!」

 レイスウォードを長剣にし、触手を切断した。腕が自由になった所で、反対側の触手も切断し、背後のナメクジのような魔物の頭部を切断した。

「いたイ…」

 背後の魔物が拘束を解いた。マリアはその魔物の胴体を縦、横十字に切断した。

「よく切れる剣だこと…一本欲しいわね」

 セレナが感心したように言った。

「くそ…!」

 獣のような魔物はセレナをめがけ、黒い霧を飛ばした。それが届くよりも速く、セレナは魔物の頭部を撃ち抜いた。霧はセレナの目の前で消失した。

 マリアは残りの魔物達の掃討に取り掛かった。セレナも加勢し、さほど時間も経ず全ての魔物の動きが止まった。


 あちこちで魔物が消えていくときのグジュグジュという音が聞こえる。

 マリアは大きく一呼吸した。

「ふう、終わったぁ…」

「すげえな、二人とも…」

「優司、あなたも人間にしてはタフね」

 三人は倉庫の中央に集まり、無事を称え合った。


「グフッ…このままでは…終わらせんぞ」

 背後で、大の字に倒れていた獣のような魔物が最後の力を振り絞って手を上にかざすと、黒い煙の塊がみるみるうちに巨大化していった。その煙の中から、ダンプカーほどもある大きな蜘蛛が現れた。

「で、でけえ…」

「優司、下がってて!」


「シャアアアア!」

 蜘蛛は細く長い脚を素早く動かし、怒涛の勢いで三人に向かってきた。そして口から黄色い体液を飛ばした。

「危ない!」

 マリアは優司を突き飛ばした。蜘蛛の体液は、後方の床に落下すると、床を溶かした。

「うわーやべえ…」

 優司は急いでその場から距離を置いた。

 マリアとセレナは二手に分かれ、蜘蛛を撹乱した。背後に回ると、蜘蛛は白い液体を放った。液体は拡散し、無数の糸になった。糸がセレナの体に触れると、強力な粘着力でセレナは身動きが取れなくなった。

「くっ…!」

 蜘蛛はそれを認めると、正面にいたマリアを無視してセレナに向きを変えた。セレナは銃弾を撃ち込むが、蜘蛛の体表は強固で、致命傷を与えるには至らなかった。

「セレナ!!」

 マリアは超高速移動でセレナの前に立った。

「シャアアアア!」

 蜘蛛は馬がいななくように、空中で長い脚を動かすと、二人に襲いかかった。マリアはダッシュし、レイスウォードで蜘蛛の額を割った。だが蜘蛛の勢いは止まらない。セレナは額の裂け目に全ての圧縮魔弾を撃ち込んだ。

炸裂ブラスト!!」

 蜘蛛の体が一瞬ぼこりと膨らむと、内部から爆発した。大量の体液が周囲に飛び散った。


 三人はべたべたになった。お互いの姿を見て、誰ともなく笑い出した。

 ひとしきり笑うと、マリアはセレナの前に立った。

「セレナ、ありがとう。…ゆうべは言い過ぎたわ。ごめん、もう機嫌直して」

 突然のことにセレナは少し驚いたようだったが、おもむろに頬を紅潮させた。

「べ、別に怒ってなんか…。わたしも、礼を言うわ。助かった」

 二人は目を合わせると、わだかまりが取れたように笑みを浮かべた。

 優司は二人の肩をたたいた。

「良かったな、仲直りできて」

 二人の精霊は、ちょっとテレたような顔をした。

「…しかし、早いとここれ、洗い流したいな」

 優司達は、その日は学校を休んで家に帰ることにした。


(3)


 優司は自宅の浴槽で一息ついていた。生傷がしみたが、これも生きている証、と耐えた。

 突然、浴室の折りたたみ式の引き戸が開いた。

「優司ー、背中流そうか?」

 マリアが堂々と中を覗いていた。

「わーっ! バカ、何考えてんだ!! …今出るから、もうちょっと待ってろ!」


 優司はタオルを下半身に巻くと、急いで浴室を出た。

「ったく…」

「へへー」

 そこにはセレナもいた。セレナとマリアは、リフレッシャーで汚れを取ってはいたが、マリアはフロに入る気まんまんだった。

 優司はすれ違いざま、セレナに声をかけた。

「セレナもフロ入ったほうがいいぞ。…なんか匂うぞ。魔物くさい」

「えっ?! …そ、そうかな…?」

 セレナは慌てて腕の匂いを嗅いでみた。

「髪だな。髪から匂う」

「え~…?」

 セレナはしきりに髪をいじる。だがそれは優司の方便だった。

「セレナ、一緒に入らない?」

「え?」

 マリアの誘いに、セレナは少し躊躇した。

「…うん、じゃあ…」

 セレナはやや顔を紅潮させながら、こくりと頷いた。それを認めた優司は、だまってその場を後にした。


..*


 パシャリ…。

 浴室から、お湯の跳ね音と共に二人の女の子の声が聞こえる。

「マリア…やっぱり胸、大きいね」

「そうかな?普通だよ…」

「それで普通って…嫌味?」

「え?そんなつもりないよ~」

「くそ~うらやましい~。これか? この胸か?」

 パシャン。バシャバシャ。

「あんっ…ちょっとセレナ、変なとこ触んないでよ!」

「ほれほれ、嫌味なヤツはこうしてやる~!!」

 ザバザバ…。

「あ~んもう、ダメだってばぁ!! …えーい、このかわいいおっぱいに、仕返しだあ!」

 ザブン!

「きゃん!」

「あらぁ、セレナ? けっこう感じやすいんだあ。ウヒヒヒ…」

「マリア…? や、やめ…! ああん!」

 バシャ、バシャン。ザブン…。


 浴室の外に、人影があった。人影は、畳んだタオルを抱えたまま震えていた。

「す、素敵だわ…」

 それは、薄っぺらな扉一枚隔ててハダカでふざけ合う娘達の姿を想像し、一人萌える優司の母だった。

「…あなた達! 素敵すぎるぅ~!!」

 優司の母は、顔を赤らめ身悶えていた。せっかく畳んだタオルは床に散乱してしまった。

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