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第七話 ハウ・ワズ・シー・ア・ナンバー・ワン?

(1)


 どこまでも続く真っ青な空。その空をところどころに白い綿あめのようなボリュームのある雲が流れていく。広大な高原の緑の上を、雲の影がゆっくりと動いていく。大地の至る所には大きな水溜りがあり、空と雲を映し出している。そして無数の岩山が雲を突き抜ける。少し強めの風が通り過ぎていく音以外は何も聞こえない。

 その静寂の果てから、人工的な高い風切り音が聞こえてくる。戦闘殻エンゲージ・シェルのウィングを広げ、綺麗な軌跡シュプールを描いて飛行するマリアだった。

 マリアは少し前の、精霊士官の言葉ブリーフィングを思い出していた。

「デュナミスは今回の任務タスクに二人の人選をし、最終的な決定を保留とした。非常に珍しいことだが、この疑似戦闘でいずれかを決めることにする」

 その一人とはマリアのことだ。そして今、最終的な人選のための疑似戦闘がまさに始まったのだった。

「もう一人の精霊ライバル…負けられないわ」

 この相手こそ、セレナだった。

 マリアはセレナに対してほとんど面識がなかった。精霊の最下層の階級であるエンジェルズは、普段は地上で各々が担当する人間達の守護を行っていて、お互いが出会うことはあまりない。都市精霊デュナミス・トレシアの守護隊は、有事に際して臨時に編成される。今回も特別な任務のために能力の高い精霊が集められて守護隊が編成され、数日間の適性検査を行い、人選が決まり次第守護隊は解散されることになっていた。

 その数日の間でも、精霊達はそれなりに交流を持つことはある。マリアも他の精霊達とまんべんなく話をし交流を深めていたが、セレナはマリアとはもちろん、誰とも話をしなかった。デュナミスのデータベースによると、セレナは大体いつもこの調子で、一部の精霊の間では「アイス・ブルー」のニックネームで呼ばれている、とのことだった。

 マリアは得体の知れない精霊と対することにやや不安を覚えたが、瞬発力と剣の技については絶対の自信があったため、負けるわけにはいかなかった。


 視界の彼方に、白い反射光が見えた。

「…来た!」

 と呟いた直後、前方から超高速の小さな物体が通りすぎていった。近くを通り過ぎる度に、ヒョン、ヒョンと空気を切り裂く危険な音がする。その後から、パンパンという軽く乾いた破裂音が辿りついた。飛翔体が音速を軽く超えるため、発砲音が遅れて届くのだった。即ち、それは相手の攻撃だった。

 弾丸は止むことなくマリアに向かってくるが、マリアは最小限の動きでかいくぐり、距離を縮めていく。反射光が黒い点となり、翼が見えた。マリアは光の剣(レイスウォード)を構える。二人の戦士の距離がぐんぐん近づき、交錯した。

 お互いの攻撃は、相手の攻撃を避けたために当たらなかった。マリアは端から見ていたなら突如視界から消えるような動きで鋭くターンし、相手との距離を縮める。しかし、相手の攻撃はマリアが近付くにつれ正確さを増し、避けるのがやっとだった。マリアの武器レイスウォードは短剣から長剣まで自由に長さを変えられ、あらゆるものを切り裂くことができるが、至近距離でしか攻撃できない。対して相手は飛び道具だった。いや、飛び道具があったとしてもマリアの瞬発力はそれをくぐり抜け距離を詰めることができるはずだったが、この相手、セレナには通用しなかった。

(この正確さは一体なに…?)

 しかも、攻撃はほとんど止むことがない。ほとんど、というのは、一定量の攻撃があった後、ほんの少し弾数が減ることがあるからだ。どうやら相手の武器は弾薬の再装填リロードが必要らしい。突破口は、そのわずかな隙ぐらいしかなかった。

「とにかく距離を縮めて相手の射界からはずれる!」

 マリアは攻撃を避けられるギリギリの距離でタイミングを計った。そして、逆光を利用して相手に近づく。相手のリロードの瞬間、射界からはずれ、一気に距離を縮めた。

「はあぁぁーっ!!」

 長剣に姿を変えたレイスウォードの刃先はついにセレナの武器…拳銃を持った右腕に達した。しかし、あとほんの少しのところで、マリアは回避行動を余儀なくされた。

 セレナの武器は、右腕だけではなく、左腕にも握られていた。きらびやかな白銀色の銃と、重厚な赤銅色の銃。いずれもメタリックに輝いている。その赤銅色の銃が、マリアに向けられていたのだ。

 間一髪、マリアは回避に成功した。幸いにも、赤銅色の銃の弾速はわずかに遅かった。もっとも、マリアでなければ避けることは適わなかったろう。だが白銀色の銃の攻撃も加わり、マリアは太腿と脇腹のボディースーツ、絹衣殻シルキー・シェルに掠り傷を負った。

「くっ、だめだった…。空中では不利だわ…弾避けのある場所でないと!」

 ダメージを負ったように見せかけ、マリアは高度を落としていった。


 セレナはマリアの行方を目で追った。

(くっ、わずかに狙いが逸れたか。ほんの少し触れただけだと思ったが…。あの剣、恐ろしく切れる)

 今しがたの攻撃には少々冷やりとさせられた。右腕には一筋の切り傷があった。

(わたしの自動予測、そして弾の速度を越える高速移動…やつの能力か…)

「しかし常時は発揮できないとみた」

 セレナは加速を付け、マリアの後を追った。


 マリアは高度を下げ、谷に逃げ込んだ。断崖のうねりに沿って進んでいく。セレナは一定の距離を保ち、マリアの後を追従する。

「狙いを定めさせないつもり…? ムダなことを」

 セレナは両方の銃を、時間差を付け数発ずつ撃った。先に撃った弾は絶壁を破壊し、後に撃った弾が岩の破片を突き抜けマリアに迫る。

「!」

 マリアは小さくローリングした。弾は、マリアの体スレスレの所を通り過ぎた。

「なんて攻撃…!」


「今のを避けた…?」

 マリアの予測を越える動きに、セレナは驚きを隠せなかった。

「スピードでは向こうが上か…足を止めないと」

 谷が切れるとセレナは優位に立ったが、谷に逃げ込まれると攻めあぐねた。そんな攻防がしばらく繰り返された。

「こんな鬼ごっこをいつまで続けるつもりだ?」


 何度目かの谷。そこは左右の断崖が迫り、普通に飛ぶことも難しかった。

「失策だな。ここでケリをつける!」

 セレナは赤銅色の銃を二、三発撃ち出した。


「そんなの当たらないわ!」

 マリアは難なく避けた。しかし弾はその先の絶壁を大きく破壊し、大小の岩の破片がマリアの前方に降り注いだ。

「くっ!?」

 マリアは迫る断崖に阻まれて左右に交わすことができず、急降下でくぐり抜けた。地上までの高度はわずかとなった。

 上を取ったセレナは、マリアの反転攻撃を受けない距離まで近づいた。左右の断崖と谷底、そして絶妙な高度でセレナに上を押さえられ、マリアは動きが極端に制限された。

魔弾ホットバレットは近距離ほど威力が高い。そして魔銃まがんイフリートの破壊力なら、断崖ごと吹き飛ばせる」

 セレナは赤銅色の銃の照準サイトにマリアの背中を捕え、タイミングを窺った。

「これでとどめだ!」

 谷底に二発の轟音が響き、輝く銃弾が一気にマリアに襲いかかる。マリアの瞳孔が赤く光った。マリアは谷底にぶつかるほどに高度を下げ、谷底を蹴った。その際、超高速移動を最大に発動した。マリアの超高速移動は、もともと空中よりも踏みしめて走ることができる地上のほうが威力を発揮できた。マリアは驚異的な加速度を付け上昇した。


 弾は谷底に当たり、大爆発した。

「しまった!」

 爆風がセレナを覆った。

 直後、鋭いターンで戻ってきたマリアが残像を見せながら爆風を突っ切り、セレナの眼前に迫った。手にしたレイスウォードは小ぶりに変化していた。距離を詰めるなら、わずかな変化にも対応できる確実な攻撃スタイルだった。

「ぉおおおおおおお!!」

 レイスウォードの刃先がセレナの首筋を狙った。セレナは二丁の銃をクロスし、マリアの攻撃を受け止めた。しかしマリアの勢いはそんなものでは防ぎ切ることはできなかった。


 激しい金属音とともに、セレナは吹き飛ばされ絶壁にぶち当たった。絶壁はクレーター状に大きくえぐれた。

「うああッ!」

 セレナが吹き飛ばされるのと同時に、マリアはレイスウォードを長剣に切り替えセレナに迫った。

 それを認めるセレナ。もはやかわす力はなかった。

「やあああ───ッ!!」


 もはやマリアがセレナをしとめるのは確実と思われた瞬間、マリアの視界が大きくぶれ、セレナは横に逸れていった。正確には、マリア自身が横に逸れていたのだ。


ドガッ!


 鈍い激突音。すんでの所で精霊士官がマリアに体当たりをしていた。しかしマリアの勢いは弱まらず、マリアと精霊士官はセレナのすぐ横に、轟音を伴って激突した。絶壁には二つめのクレーターが刻まれた。

 精霊士官は額から血を流しながら、なんとか言葉を発した。

「こ…ここまで…勝負ありよ」

 三人は気を失い、ずるずると谷底へ落ちていった。


(2)


 クローディアとの戦いのあった晩、優司の部屋では、マリアが優司の元へ来る前の疑似戦闘のことを話していた。多少の誇張と、都合の悪いことを端折りながら。尤も、その度にセレナが訂正を加えたので、優司には一応ほぼ的確な事実が伝わった。

「…まあそんなわけでわたしがナンバーワンになったわけ」

 マリアは得意げに最後を締めた。

「~! まだ言うか…」

 セレナは普段からケンカを売りそうな目つきを、さらに細くしてマリアを睨んだ。その様子は、優司にとってはコントか慣れ合いにしか見えなかった。

「ははは…仲いいな、君らは」

「どこが!」

 二人の精霊は声を揃えて全力で否定した。


 そこへ、優司の母の声が届いた。

「優司~、お風呂沸いたから、パパが帰ってくる前に入っちゃいなさい」

 階段から優司の部屋に続く二階の廊下までの構造は、母の声を反響させるには最適であった。

「へーい」

 優司はセレナを家に上げる際、両親のリアクションについて以前のような心配を全くしなかった。どうせ母は目をキラキラさせながら、

「まあ、セレナちゃんって言うの? 可愛らしいコねー。どうぞどうぞ(はぁと)」

とか言って普通に家に迎え、父を強引に説得するだろうと予想した。案の定、優司の想像は概ね当たった。そして今に至る。

「そういやセレナちゃん、フロ入ったほうがいいんじゃない?」

「フロ…?」

 セレナのリアクションはマリアの時と同じだったため、優司はああそうか、と思った。しかしセレナの疑問には、マリアが答えた。

「たくさんのお湯に浸かるのよ。とっても気持ちいいんだから」

 セレナは天然な質問をした。

「お湯…やけどしないのか?」

「だいじょうぶ。そんなに熱くないから」

 そのやり取りを聞いていた優司は素朴な疑問を投げてみた。

「そういや、天国っつーか?君らの所ではフロってないの?」

 この質問についても、マリアが受ける。

「んーそうね、水浴びをすることもあるけど…。普段はヘイローの浄化機能リフレッシャーを使うわ」

「ヘイロー?なんだそりゃ」

 マリアは首輪を指差した。首輪は乳白色で、金属あるいはプラスチックのような光沢を持ち、やや角ばった輪環トーラス形状をしている。四角いドーナツといったところだ。二、三センチほどの厚みがあり、前方にはルビーのように赤いガラス質のオーナメントがはめ込まれている。その内部には、幾何学的な模様がホログラムのように浮かび上がっている。アクセサリーというよりは、装備品のような感じに見える。マリアは入浴時であっても常にこれを身に着けていた。よほど大事なものなのかも知れない。

「これ。セレスシャル・ヘイローっていうんだけど…」

「ああ、服出したり引っ込めたり窓直したりできるやつか」

「な、なんか凄く地味に聞こえるな…。それだけじゃないんだけどね」

 マリアは立ち上がった。

「見てて。こうやって身体についた汚れを落とすの」

 フィイン、と頭の中に響くような少し高い金属的なうなり音がして、セレスシャル・ヘイローから光の輪が発生した。光の輪はマリアの肩幅とほぼ同じくらいの直径で、マリアの首の周りに浮いている。そして、少し低い音がして光の輪が直径を広げると、金色の光の粒が無数に出て、マリアの全身を包んだ。

 マリアの着衣はセレスシャル・ヘイローに吸い込まれ、全裸になった。しかし光の粒の逆光になり、優司からはシルエットしか見えなかった。

 漂う金色の粒が強めの光を出すと、シュワー…という炭酸飲料から泡がでるような音と共に粒は金色の泡となり、マリアの姿はほとんど見えなくなった。


 やがて金色の泡は消えた。

「ふぅ…けっこうすっきりするのよ」

 優司は絶句したままマリアを凝視している。つー…と鼻血が垂れてきた。

「…何?」

 マリアは想定外のリアクションに、首を傾げた。


 セレナがぼそっと呟いた。

「マリア…見えてる」

 マリアは全裸のままだった。

「わわっ!…」

 その場にしゃがみ込み、胸を手で隠した。

「えへへ…あんまり人前でやるもんじゃないからねー」

 セレスシャル・ヘイローに収納していた絹衣殻シルキー・シェルを展開した。

「ばか…」

 セレナは呆れている。

「あなたもじっと見ない」

 振り返って優司を見ると、優司は固まったままだった。

「…?」

 セレナはいぶかしげな表情で優司を見つめた。優司の目の前で手を振ってみた。優司は微動だにしない。

「器用なやつ…失神してる」

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