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第五話 接近、魅惑の黒い瞳

(1)


 五月。日増しに春から夏へのうつろいを見せる中、優司達の通う羽高も多分に漏れず衣替えとなった。この季節は男子にとっては女子がキラキラと眩しい、夢のような世界の到来となるわけだ。

 2-Cの男子連中は、今日一日で目撃した、「薄着になった女子生徒」達についての第二回ランキングを始めた。もちろんその中には、かつてエロキモ大王の名を欲しいままにした優司も含まれている。いや、むしろ優司は中心人物と言ってもいい。

「これうちの女子だけか?」

「いや、無制限。美を競う祭典だからな。但し複数の同意がいる」

 ヒロシが議事を進行しはじめた。

「うし、ほんじゃノミネートどうぞ。田中、書記よろしく」

「まずテニス部の加藤先輩な。去年の優勝者」

「今年はまりあちゃんだろ! かわいいだけじゃなくて意外とムネでかいぞ」

「ああ…優勝候補筆頭だな」

 名前が挙がる度、男子達はその肢体を想像する。悲しいかな、過去の栄光よりも最近目撃した記憶の方が圧倒的にインパクトが高く、並べて見比べることができない以上その怪しい記憶力が判断基準の全てであった。

「B組のみっちーは? 体操部の」

「もりまんみっちーか。ああ、あのコも常連だな」

「D組の吉池はどうよ」

「吉池? ああ、カスミちゃんか。顔はまあまあなんだが、ボリュームがちょっとな…」

「彼女陸上部だからな。肉が全部フトモモに行ってるんだよなー。オレはそのフトモモがいいんだけど」

「でもムネはそれなりにあるんじゃないか?」

「そうかな…まあ、入れとくか」

「あ、オレ樋渡先輩に一票入れるわ」

「樋渡ってバレーボール部のキャプテンか? もう一声ない?」

「いいんちょは? オレ好みなんだけど…」

「いや、ない。かわいいけど、ボリュームが圧倒的に不足してる」

「一応入れとけ」

「斉藤さんは? ムネでけえぞ」

「いやー、斉藤さんは、美ってところではちょっとな…」


 怪しげな熱気を帯びる男子生徒の集団に、女子達は遠巻きに冷ややかな視線を送っていた。

「なに? あいつらこの暑いのに…」

「わたし知ってる。なんか女の子の人気投票やってるらしいわ」

「へー、ミスコン?」

「そんなちゃんとしたもんじゃないって! 偏見入りまくりでどんだけエロかわいいか決めてるのよ!」

「やらしー」

「和田っちと矢島が中心になってるわ」

「やっぱあのコンビかー」

「和田っちヘンタイだよねー」


 しかし今年の優司はあまり乗り気でなかった。確かにマリアはかわいいし胸もぽよぽよだ。カスミのスマートなプロポーションも嫌いじゃない。いいんちょも妹みたいでかわいい。しかし、こんな冴えない連中が集まってああだこうだ言うことに、虚しさを感じていた。

(女の子って、顔やスタイルだけじゃないんじゃないか?おまえら…)

 今までモテなかった男がモテ始めると、かくも変わるものなのだろうか。

「あ、わりぃ、オレちょっとトイレ」

 優司はその場を離れた。


 男子生徒のむさ苦しい塊を逃れ廊下に出ると、いくぶん涼しかった。優司は窓から外を眺めた。

(ああ、空がまぶしいな…)

 ふと人の気配を感じ、廊下を見た。黒髪の女子生徒、桐崎・クローディア・留華が近づいてきた。羽高の夏服は、冬服と同じブラウスか、開襟シャツが選択できた。開放的な生徒は少しでも涼しいほうを求め開襟を選ぶが、保守的な生徒やスタイルにあまり自身のない生徒はブラウスを選ぶ。留華は、かくしてブラウス派であった。しかし形の良い胸はブラウスに十分な膨らみを与え、引き締まったウエストとの対比を見せていた。より丈が短くなったスカートからははち切れそうな太腿が二匹の生き物のように躍動していた。黒い髪と白いブラウスのコントラストもまた鮮烈だった。

「あ…」

 優司は胸が高まったが、留華はスマイルを見せて優司の横を通り過ぎ、2-Dの教室に入っていった。

「だよな…」

 優司は期待がはずれ残念だったが、少しほっとした。


..*


 色彩のない廊下で、優司は空を眺めていた。空だけはやたらと青かった。周りには誰もおらず、何も聞こえなかった。

 細い足音が近づいてきた。

「優司、何やってるの?」

 声の主は、黒髪の女子生徒、桐崎留華だった。留華は優司の隣で、窓の外を見た。優司はその横顔に答えた。

「うん…、最近いろいろなことが起こってて、信じられなくってさ」

 留華は優司の顔を見た。

「わたしと今こうしてるのはどう…? 信じられる?」

「そうだな、なんか夢みたい…。夢…?」


 目覚ましの音が現実に引き戻し、全ての光景が消し飛んだ。優司はベッドの上で呆けた。

「あー、やっぱ夢か…だよな~」


(2)


 その日の美術の授業は、校内写生だった。課題は「光と影」を感じさせるスケッチを描く、というものだった。優司の学校では芸術は選択制だが、マリアはあらゆる選択を「優司と一緒」にしていた。当然校内写生でもマリア同伴となるわけだが、優司は他のやつらにみつかるとまた面倒だから別行動してくれ、と頼んだ。

「えー?! 大丈夫だよ、最近はもうみんな落ち着いてきたよ?」

 マリアはちょっとふてくされている。

「ほんじゃあともうちょっと」

「優司冷たいよー!」

 マリアの顔は悲しみに溢れている。

「冷たいって…家じゃその分絡んでくるじゃねーか」

「そ、そうだけど…」

 マリアはバツが悪そうに左右の人差し指を突き合わせた。

 優司はマリアの背中を押した。

「また遊んでやっから。ささ」

「ぶー…」

「あ、まりあちゃーん!」

 他の女子生徒達の呼びかけに応じ、マリアは去って行った。

「やれやれ…オレがセンチになる原因はあいつじゃねーのか…?」


 解放された優司は、一人学園内を歩き回った。しかしなかなかこれだ、という被写体に巡り合えなかった。もっとも、どのみち素晴らしい被写体に巡り合ったところで、それをスケッチブックに描き出すことなどできるわけはなかったが。

 優司はふと、遊歩道の片隅に卒業生寄贈の小さな噴水、「潤いの泉」があることを思い出した。別の卒業生寄贈の恐ろしく成長した植樹、「友情の林」の陰にあるので文字通り隠れた穴場となっている。落ち着いて描けるだろうと思った。

 しかし目的の場所には先客がいたようだった。パシャパシャと水しぶきの音が聞こえる。

(あれ、ここ知ってるヤツいるんだ…?)

 木々の切れ間から覗くと、桐崎留華が、裸足で噴水の中を歩いていた。噴水の水を蹴っては飛沫の行方を追っていた。スカートの裾を片手で握り、濡れないようにしているようだ。そのためいつもよりも太腿の露出が多い。水に濡れた長い生足が妙に色っぽく見えた。留華の顔にはあどけない、少女のような笑みがこぼれていた。

 優司はその光景にぼーっと見とれていた。


 やがて留華は優司に気づいた。慌ててスカートの裾をぱっと離し、シワを直した。少し顔を紅潮させ、優司から視線をはずした。

「こ、こんにちは…」

「やあ…ごめん。ちょっとみとれちゃった」

「……」

 留華はだまっている。

 優司は邪魔をして悪いことをしたと思った。

「オレもう行くから…」

「あ、待って…!」

「?」

 留華は噴水から出ようとした。優司は噴水に近付いた。

 留華がバランスを崩し、転びそうになる。

「あぶねっ!」

 優司は咄嗟とっさに留華の手を掴んだ。

「びっくりした…。ありがとう」


 留華は噴水のへりに腰掛け、濡れた脚を乾かしている。優司もその横に座っていた。

「水、気持ちよかった?」

「ええ、冷たくって。あの…そういえば、お名前…」

「あ、そうか。オレ和田優司。C組」

「和田君、ね。わたしは桐崎留華、D組よ。よろしく」

「うん、桐崎…留華さん」

 優司は女の子については苗字呼び捨てか、わりとすぐにファーストネームにちゃん付けで呼んでいたが、留華に対しては苗字にさん付けで呼ぶことにした。彼女には、なれなれしくしてはいけないというオーラがあったからだ。

「一人なの?」

「うん。被写体がなかなか決まらなくてさ」

 留華が思い出したように口に手を当てた。

「いっけない! そうだわ、そろそろ課題始めないと」

「ああ。オレ、この噴水描こうと思ってたんだ」

「あら、奇遇ね。わたしもここが気に入ってたの」

「そうなんだ。あ、じゃあ一緒に描こうか」

 二人は課題に取り掛かった。

 運よく留華は、優司と一メートルも離れない芝生の上に座ってくれた。彼女の細かいしぐさまで感じられる距離だった。だが優司はよそ見はせず、とにかく課題を進めてしまおうと思った。


 十五分ほど経過しただろうか。優司はなかなかうまくいかず、頭を抱えた。

 なんとなく留華の視線を感じる。優司は顔を上げた。

「どうしたの?」

 留華が話しかけてきた。

「うーん、なんかいまいちイメージ湧かなくて…。桐崎さんは、もうできた?」

「アタリ付けた程度だけど。…見る?」

「うん」

 優司は留華のスケッチブックを受け取った。

 驚いた。しっかりデッサンが取れているだけでなく、課題の光と影も取り入れられていてうまい。

「何枚か描いてあるの」

「え?」

 留華は優司に近付いて、スケッチブックをめくった。ラフだが、さっきとは違う印象の噴水が数枚描かれていた。水の動きまで感じ取れるものだった。

「すっごいうまいよ、これ!」

 優司が顔を上げると、留華は意外なほど近くにいた。目が合って、危うくそのままじっと見つめてしまうところだった。

「あ、ありがとう、なんかイメージ湧いて来たよ」

 優司は視線を反らしてスケッチブックを返した。


 なんとなく要領が分かった優司は、五分ほどで一枚描いた。留華に見せて、何回か指導を受けて修正した。いつになくまともなスケッチが出来上がった。

 そろそろ集合の時間となった。

「桐崎さん、ありがとう。おかげでいいのができたよ」

「良かった。少しでもお役に立てて」

 留華はほほ笑んだ。先ほどの少女のような笑みではなかったが…。


 集合場所に向かう二人はあまり会話もなかった。微妙な緊張感が流れていた。優司は頭の中でいろんな質問を考えたが、どれもバカらしいものだったのでやめた。彼女がそんな浮ついた話に乗ってくるとは思えなかったからだ。

 集合場所の生徒達が見えたところで、留華が口をひらいた。

「和田君」

「え?」

「また…お話していただけますか?」

「あ、ああ、もちろん!」

 優司は留華に変な噂が立たないよう、その場で別れることにした。こんな時、自分のおちゃらけたキャラクターが辛かった。


(3)


 ゴールデンウィークが明け、けだるい一日が始まった。

 学校では距離を置いてくれ、というマリアへの頼みの埋め合わせとして、優司は休み中、マリアに駅前や周辺のプレイスポットやらを引き回された。最終日にはついに「もう好きにしてくれていいから、今日だけは休ませてくれ」と懇願して、家でゴロゴロしていた。そうしている間もマリアが何度となく優司の所に来て、マンガを読んだり学校のことをべらべら喋ったりしていった。マリアが来てまだ二、三週間といったところだが、優司はマリアとずいぶん前から一緒に暮らしていたような感覚で、最初のうちこそ彼女が近くにいるだけで意識していたが、最近はもう、不思議と妙な気になったりはしなくなっていた。それと共に、他の女子生徒に対する緊張もほとんどなくなっていた。しかし桐崎・クローディア・留華については、いまだに神秘的な魅力を抱いていた。


 その日の四限目、2-Cは家庭科の調理実習で通称「お茶会」が開かれた。

 優司達の学校では、家庭科は二年時から行われる。男子は一年間、女子は二年間履修する。調理実習は各学期に一回ずつ年三回開かれるが、初回は家庭科の楽しさを知ってもらうため、比較的簡単なカップドガトーショコラを作る。要は一人分のチョコレートケーキだ。タネを作る所までは共同で行うが、焼きからデコレーションまでは各自が行い、班の中で交換して評価し合うのだ。

 腕に覚えのある女子は、焼きの前にタネに一工夫をする。そして多めに作り、あとで意中の男子に食べさせるというのが伝統となっていた。この場合、相手と付き合っていればもちろんカレシだが、義理などで渡す場合もある。そんなわけで結構盛り上がって人気がある催しだった。


 調理実習室に集まった生徒達は浮ついていた。

 家庭科教師がパンパン、と手を叩いて、声を張り上げる。

「はい、じゃ時間ないからこないだの手順どおりにさっさと始めてー」

 それを合図に、生徒達は慌ただしく動き始めた。

 まったく役に立たない男子、てきぱきと手際よく進める女子、オーブンの前に立つと妙に仕切り始める男子、男子にいい所を見せようとしてとっちらかる女子。調理実習室ははちゃめちゃになった。


 四、五十分後にはチョコレートの焼ける甘く香ばしい匂いが立ち込めた。

「焼けた班はデコレーション始めてねー」

 女子達の一部は、後で食べる「自分用」「プレゼント用」もしっかり作っていた。

 優司は専ら「食べる係」だったので、湯煎やオーブンの出し入れなど、火の回りを担当して仕上げは班の女子に任せた。


 やがて「お茶会」も終わり、C組では季節外れの「ショコラ戦争」が勃発した。奇跡と言うべきか、優司の元にも義理とかで三、四個ほどのケーキが集まった。優司は少し感動していた。女子達は、「食べて感想を聞かせろ」という。どちらかというとやはり檻の中のなんとかだった。優司もそれには気づいたが、全て食べ、ウケのいいように冗談を交えながらそれぞれに感想を言って聞かせた。優司の評価は意外にも的確で、女子達は感心したり、喜んだりしていた。


 すっかり和んでいたところへ、マリアがやってきた。

「和田くーん、わたしも作ったのー」

「和田くん…?」

 取り出されたものは、他の人と同じタネから作ったとは思えない、異様に膨れ上がり、なおかつ得体の知れないトッピングが施されたシロモノだった。

「ボリュームたっぷりでしょ。食べて食べて」

 優司は本能的に避けなければならない、と悟った。

「いや…あーオレ、もう腹いっぱいだわ」

「ひどい…差別するのね?」

 美少女キャラ風に涙ぐむマリア。周囲のギャラリーがブーイングをする。もちろん結果はみんな予想している。それを確かめたくてしかたがなかった。

「わかった、わかったから」

 優司はカップケーキを手にし、立ち上がった。

「親父、母さん、先立つ不孝をお許しください!」

 がぶり。もぐもぐ…。

 優司の顔からサーッと血の気が引き、大量の脂汗が流れ出した。

 吐きだそうとする優司。

「だめーっ、全部食えー!」

 マリアは優司の鼻と口を押さえた。優司はなんとか飲み込んだが、白目を向くとそのまま卒倒した。

 一連のコントに、C組は大笑いと拍手で盛り上がっていた。


 隣のD組にもその笑い声は届いていた。カスミの周辺で、クラスメイトがニヤニヤしている。

「隣盛り上がってるわねー」

「明日はわたし達の番ね!」

「ね、カスミはどうする? プレゼント用作るの?」

「うーん、どうしようかな…」

 カスミは脳裏に優司の顔が浮かんだが、彼女にはプレゼントする理由を考える必要があった。


..*


 翌日、D組の調理実習が行われた。もちろん「お茶会」である。

 カスミも周囲の流れで、プレゼント用を作った。割と快心の作となった。

「カスミ、和田っちに渡すんでしょ?」

「んー、まあ、あいつ甘いもの好きだから、お情けであげようかな…」

 カスミは優司がおいしそうに食べる姿を思い浮かべた。

(あいつ、あたしのこと見直すかな?)

「行ってきなよ!」

「ひ、人前だと恥ずかしいから、放課後にする…」

 理由はともかく、押しつけてみようと思った。だが、渡すにはもう少しの勇気が必要だった。


 果たして放課後。カスミはすこしドキドキしていた。

(なんて言って渡そう? あいつは、なんて言うかな…)

 カップケーキは、友達が分けてくれたラッピングフィルムとリボンで綺麗に包まれていた。


 優司はマリアと教室を出るところだった。呼び止める声で、優司は立ち止った。

「和田君」

 そこには、桐崎留華が立っていた。

「あれ、桐崎さん」

 優司はちょっと意外だったが、声をかけてもらい、内心嬉しかった。

「どうしたの?」

「これ…」

 留華は白い紙袋を差し出した。折り曲げられた袋の口には、ハート型の赤いシールが貼られていた。

「今日D組調理実習だったの。みんなが作ってたから、わたしも作っちゃった」

 優司の心臓が大きくドキンと震えた。そのまま鼓動が止まったかも、と思うほどだった。

「あ、じゃあこれって! …開けていい?」

「もちろん」

 袋を開け、中を覗く。マリアもすきまから覗こうとする。

「おお!? これは…」

 取り出すと、おいしそうにデコレートされたケーキが出てきた。ついでにマリアも目を輝かせた。

「すごいなこれは…」

「あ、でもうまくできたかどうか分からなくて…どうかしら?」

 優司は早速一口食べてみた。

「んん! んまい! うまいよこれ」

「ほんと? よかった」

 さらに食べる優司。

「うん、しっとり感が抜群。…ケーキは甘さ控えめだけど、中に入ってるドライフルーツとクリームのほうで調節してるんだね」

「ええ、男の人ってこういうほうがいいかなと思って」

「すごいなー…。マリア、おまえに一憶分の一でもこれだけの腕があればな…」

 マリアは優司の話など全く聞かず、目をキラキラさせながらよだれを垂らしている。

「む…わかった。…桐崎さん、こいつにも食べさせていいかな」

「クスッ…。ええ、どうぞ召し上がって」

 というが早いか、マリアは優司の手の上のケーキにかぶりついた。

「んんー! おいしー! おいしいよぅ!!」

 マリアは優司の手まで食べそうな勢いだった。

「おまえほんっとに甘い物に目がないな」

 優司と留華は笑った。


「……」

 D組からその一部始終を見ていたカスミは、優司達に気づかれないようにそっと出て、足早にその場を去って行った。

 廊下を歩いていると、先ほどのクラスメイトの一人に出くわした。

「あ、カスミ、どうだった?」

「あ、今日子…。やっぱやめた。陸上部のコに食べてもらうわ。じゃね」

 カスミは笑顔を作って見せたが、一方的に喋ると小走りで行ってしまった。

「え? あ…カスミ…?」


(4)


 優司は校庭の隅の青々とした芝生に寝転んでいた。日差しは少し暑いくらいだったが、爽やかな風が通り過ぎていく。

「空が青いな…」

 さくさくと細い足音が近づく。その音が止まり、優司に日陰を作った。

「待った?」

 女子生徒の声。顔は逆光でよく見えなかったが、優司の待ち人だ。

「ちょっと。でも君を待つ時間が楽しいから、すぐ過ぎちゃったよ」

 歯の浮くようなセリフをシレっと言ってのけた。

「まあ」

 女子生徒はクスッと笑う。

 優司はゆっくり起き上がった。改めて女子生徒を見ると、桐崎留華がほほ笑んでいた。

「腹減ったな…今日はなに?」

 留華は優司の傍らに座り、白い布の包みを解き始めた。

「一所懸命作ったの。今日はね、あなたの好きな…」包みから黒いものが出てくる。「ガトーショコラ」

 優司は昼食としてはどうか、と思った。

「さあ、どうぞ!」

 留華がそれを差し出す。優司はなんとなく気乗りがしなかった。

「う、うん…」

「さあ」

 留華はいつになく積極的…というよりも、強引だった。

「さあ!」

 ケーキが優司の口に押しつけられる。

「え? いやあの…」

「食え」

「もが…?!」

 いつのまにか、留華はマリアになっていた。

「食え、全部食え~!」

 ケーキは巨大な塊となり、優司の口にどんどん押し込められていく。

「もががが…!!」


 優司は目覚ましの音で解放された。今ほどこの目覚ましがありがたいと思ったことはなかった。

「ぐえ、気持ち悪りぃ…夢でまでアレを食わされるんかい…」

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