第四話 恋愛光線、乱れ撃ち
(1)
マリアは2-Cの仲間にすぐに受け入られた。
数日の間、マリアは休み時間毎に男女問わず囲まれ、あれやこれやと質問攻めにあった。母がドイツ人で、ドイツで育ち、数年前日本に来て地方にいたが、父の仕事の都合で東京にやってきた、ということにしていた。しかしあまり深くは考えていなかったため、想定外の質問に苦慮した。答えに詰まった時は笑ってごまかしていたが、彼女の屈託のない笑顔は取り分け男子を虜にした。
優司は、学校ではできるだけ距離を置こうとしていたので、マリア周辺のことには関心を持たずにいた。
翔子の件はその後問題となることはなかった。後で分かったことだが、翔子の自宅の住所は存在すらしていなかった。優司は、周囲には自分の勘違いで先走ってただけ、と答えていた。マリアの転入もあり、優司と翔子の件はうまい具合にクラスメイトの関心チャートからランク外となった。
しかし、今までとは少し違うこともある。尤も、それは少し前から既に兆候があった。
もともとお調子者で頼りにされると断れない優司は男子生徒とは分け隔てなく仲が良く、教師や周辺のクラスの生徒にも名の覚えがあるのだが、一年時に夏冬問わず上半身ハダカで歩き回るといった少々奇抜な行動があったり女子に一切構わず男子とつるむことが多かったこともあり、女子生徒からは「ホモ」だの「エロキモ」だの「ヘンタイ」だのとさんざんに呼ばれいまいちウケが悪かった。しかし四月になって学年が上がると、何かとクラスの女子から頼まれごとをされたり、からかわれたりすることが多くなってきた。
実の所、優司は女子にはシャイで、思っていることとは裏腹な行動をしてしまい、それが女子に疎まれる要因になっていたのだが、優司というキャラクターが認知されるにつれ、テレ隠しでふざけていたということが理解されてきたのかも知れない。それは同時に、子供っぽいということの証明でもあった。これはプラスでもあり、マイナスでもあった。それと、なり手のなかった副学級委員に立候補したこともポイントを上げた一因かも知れない。休みがちな学級委員の代わりとして、なんだかんだでクラスの取りまとめ役となることも少なくなかった。そこへ来て翔子の件だ。「スカッた」ことが知れ、優司の周りでは、なんとなく女子達が色めき立っていた。尤も当の本人には、からかわれる頻度がきつくなった、程度にしか認識できていないのだが。
この状況がさらにかき回されることになったのは、優司とマリアの関係だ。優司は、マリアが自分の家にいることは隠していた。しかし、一緒に帰宅したり登校する所を目撃されるや、不穏な噂が囁かれ始めた。そんなことをまったく意に介さず、マリアは優司に話しかけるのだからたまったものではない。優司はマリアに「学校ではしばらくは距離を置いてくれ」と頼み、マリアはしぶしぶ了解した。
ある日の休み時間。優司がヒロシと前の晩のバラエティ番組の話題で盛り上がっていると、三人の女子が近付いてきた。例によって優司をからかいに来たのか、彼女達の表情は小悪魔的な笑みを浮かべている。
「ねえ和田っち、ホントのとこ阿部さんとはどうなの?」
「いきなしかよ。…どうなのって別に。特に何もねえよ」
女子にからかわれると、テレ隠しのためかカッコつけのためか、口を尖らしぶっきらぼうになる。とても分かりやすいので女子の格好の餌食となっているようだ。加えていくらセクハラしても人畜無害。言わば、檻の中の猛獣をつつくようなものだ。
「うっそぉ。今朝も一緒に登校してたって聞いたわよ」
「む…」
優司が何気なくヒロシをちら見すると、彼は驚きと悔しさの入り混じったフクザツな表情をしていた。声は出していないが、口は「マジデ?」を繰り返している。
(ぐっ…どいつもこいつも…)
優司はこういう場での機転が利く方だった。要は適当なでまかせを言ってその場を凌ぐわけだが、時折りそれは後になって問題をこじらせる原因になっていた。とりあえず今回も、背もたれに寄りかかって適当に捌いておくことにした。
「あー、阿部さんとは家、近いみたいでさ。登校時間が被るんだよ。ほんで道で会ったら一緒に登校してるってわけ」
「ふ、ふーん…」
つじつまは合っているので、女子生徒は了承するしかなかった。
「あ、じゃあさ、特に付き合ってる子とかいないんだ?」
優司は一瞬、翔子のことが頭をよぎった。
「え? ああ、まあ今んとこは勘違いする相手すらいねえよ」
さらに反転攻勢に出てみる。
「なんだよ、樋口が相手でもしてくれんのか?」
「ぇえ? ち、違うわよなんでわたしが?!」
と言いながら、女子生徒の顔はみるみる赤くなっていった。
三人の女子達は、急になよなよし始めた。いっちゃえ、やだ、だのなんだのと牽制し合っている。
(こりゃまた、モテフラグでも立ってるんかね…)
そう思っていると、教室の後ろの出入口から痛い視線が自分に刺さっていることに気付いた。恐る恐るその発生元を見ると、カスミが黒いオーラを出して立っている。何かまたメンド臭そうなことが起こりそうだ…と思いながら、優司はカスミのいる出入り口に向かった。
「よ、よう。なんかあったか? 機嫌悪そうだな」
「…別っっつに」
いや全然機嫌悪いだろう!と優司は心の中でツッコんだ。
「なんか用?」
「ま、急にモテだしたどこかの間抜け顔を見に来ただけ…ひぐ?!」
優司の後方にいるマリアと目が合ってしまった。マリアはにこやかに手を振っている。カスミはひきつった笑いをしつつ小さく手を振った。そして優司の襟を掴み、引き寄せて小声で話す。
「ちょっと、あのコ探偵さんじゃなかったっけ?」
「探偵じゃないよ。…ICPOの特別捜査官」
もう嘘でもなんでも良かった。
「そ…そのトクベツ捜査官がなんでうちの制服着てるのよ!」
「ああ、もともと彼女、オレの護衛なんだ。近場の方が都合いいとかでさ」
優司は今日も口の滑りが良かった。特にカスミに対しては遠慮がない。足の速さや腕っぷしではかなわないが、口では言いくるめられる、と思っている。
「そ、そう…。え?でも護衛ってどういうこと?」
「あ?あー、それはねー…」
その時予鈴が鳴った。
「(助かった!)あ、ほら、もう次の授業始まるぜ」
「え? …んもう…後でまた来るから!」
カスミは優司の拘束を解き、数歩後ずさりした。
「逃げんなよー!」
カスミは釘をさし、パタパタと忙しそうに去っていった。優司はそれを冷や汗混じりに見送った。
「…まずいな。なんか適当な理由考えんと」
キーンコーン。
授業終了のチャイムとともに、2-Cにダダダと猛烈な勢いで近づく足音があった。ドアがガラッと開けられた。カスミだ。
「優司!」
「あー! 次体育だった。着替えないと~」
優司はすくっと立ち上がると、その場でBGMを口ずさみながらストリップショーを始めた。「ヘンタイ!」と女子から教科書を投げられる人気ぶりだった。
キーンコーン。
ダダダ…。またしても足音が近づく。
「ヘタレ優司!」
教室はもぬけの殻だった。
「…まだ戻ってない…?」
キーンコーン。
ダダダ…ガラッ。
「優司ぃ~!! …あれ?優司は?」
「ああ、メシ食うとかいってまりあちゃんと出てったよ。なんか超ダッシュで」
近くにいた男子生徒が呑気に答えた。
「あンの男~!!」
カスミは昼休みということにも気づいていなかった。
その頃、優司はマリアと校舎裏の遊歩道を歩いていた。春の陽気に誘われ、生徒達は外で弁当を広げるものも少なくない。とはいえ、女の子のグループかいい感じのカップルがほとんどだ。見ようによっては優司と手を繋いで歩くマリアもカップルと言えなくはないが、マリアが楽しそうにその手をぶんぶん振るため、幼稚園児のカップルといった感じだ。しかし、優司にはそのちょっと奇妙な状況にツッコミを入れている余裕はなかった。
後ろを確認したが、カスミの気配はない。少し安心すると、急に腹の虫が鳴った。
「やべ、弁当持ってくんの忘れた。…パンでも買うか。マリアは腹、減ってないか?」
「平気」
「じゃ、ちょっと待っててくれ」
優司は購買で紙パックのコーヒー牛乳とクリームパン、カレーパンを買い、戻って来た。
体よく空いていた遊歩道の隅のベンチで、食事を始めた。カレーパンを綺麗に平らげると、クリームパンに取り掛かった。
「このクリームパン、カスタードとホイップクリームのバランスが絶妙でうまいんだよな~」
クリームパンを半分に割り、中身を確かめる。バニラ粒が散りばめられたクリーム色のカスタードクリームと、真っ白なホイップクリームがぎっしり詰まっている。よし、今日も完璧だと優司は満足した。
ふと、そのクリームパンに穴が開きそうな、キョーレツな視線に気づく。隣のマリアがよだれを垂らし、口をあんぐり開けていた。
(犬かおまえは?!)
優司は半分を差し出した。
「…食うか?」
マリアは目を輝かせた。
「うん!」
マリアはクリームが最も詰まった中央部をぱくりと食べた。優司言うところの絶妙な味を知ると、うっとりと恍惚の表情を浮かべた。ほっぺたが落ちたようにだらしのない顔だった。
「甘ーい。おいしー!」
優司はあまりにもおもしろいので、マリアの様子を眺めていた。マリアは「おいしい」を連発しながら、瞬く間にクリームパンを平らげた。そして、優司の手に残ったクリームパンの片割れを物欲しそうに見つめた。
「…もうちょっとちょうだい」
「いやだよー」
優司はマリアに背を向ける。マリアは優司の背中越しに手を伸ばす。
「半分でいいからぁ」
「もう半分やったろが」
「その半分! ねえちょうだいちょうだーい」
回り込んで取るなりすればいいものを、マリアはまるで出来の悪い飼い犬のように、優司の背中越しにクリームパンに手を伸ばす。優司はとっとと食べればいいものを、この状況を楽しんで、パンの位置をほれ、ほれと変えてマリアの反応を楽しんでいた。
そうしてジャレ合ってると、
「なにいちゃいちゃしてんのよ」
と悪の親玉が登場するような重苦しい空気と共に、恐ろしい声が響いた。
振り向くと、カスミが腰に手を当て仁王立ちしていた。表情は怒れる大魔神状態だった。
「げ!カスミ…。なんでここが?」
「あたしの情報網をナメてもらっては困るわね」
カスミは勝ち誇ったように腕組みした。
「むう…さすが陸上部の魔女」
「え? カスミちゃん魔女なの?」
マリアは無邪気だった。
「あーいや、単なる通り名で…」
「そんなことより、きっちり説明してもらうわよ!」
カスミはじゃれつくマリアとデレる(ようにカスミ視点では見える)優司に我慢がならず、二人のやりとりを遮った。
「え、ああ、えーと…」
優司は結局何も考えていなかったので、答えに窮した。すると、マリアがすくっと立ち上がった。
「わたしはこう見えても国際警察機構の優秀な特別捜査官です。この人、和田優司さんはテロ未遂犯の目撃者で、犯人は今も国内を逃亡中なの」
マリアはさも事実かのように落ち着き払っている。優司は以前にも聞いたこのはったりが自分の母親には通用したが、大丈夫なのか?とはらはらしながら様子を窺った。
「こないだ、犯人とおぼしき輩に優司さんが襲われました。わたしが助けたんだけど、彼ちょっとケガを負ってしまって…。まだ危険だわ。それで、犯人が捕まるまでの間、つきっきりで護衛することになったんです」
(言い切った! この女すげー)
優司はちょっと感動した。
「そうなの優司…?」
カスミは信じたようだ。
「ああ、まあそーゆーわけだ。彼女の立場もあるから、あんまり大っぴらには話したくなかったんだけど」
「犯人はどんなだったの?」
カスミは心配そうな顔で聞いてきた。
「あー、体のでっかい外人だったな…。化け物みたいだった」
いつのまにか、優司の手からクリームパンが消えている。マリアがちゃっかりいただいていた。
「でっかい化け物みたいな外人ね…。見つけたら捕まえてやるわ!」
カスミはブレザーの袖を引き上げ、パキポキと指を鳴らした。
「い、いや! 危ないから。幼稚園児とプロレスラーがケンカするようなもんだぞ」
優司はカスミがケンカに強いということは知っていたが、所詮同学年の小競り合いでの話だ。あんな怪物とやり合ったら、ケガじゃ済まされないと思った。
「えーそうかなー?」
昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
「おっと…そろそろ戻るか」
「あ…あたしお昼まだだった!」
「ふっふーん」
「優司ぃ~、元はと言えばあんたが!!」
カスミは腕を振り上げ、優司に襲いかかった。
「あーほらほら。授業始まっちゃうよ」
優司はゆるりとかわして軽く駆け出した。
「まてこの~!」
二人は蝶が追いかけっこをするようにふらふらと走り回りながら昇降口に向かった。マリアは結局丸々一個のクリームパンを平らげ、満足げに二人の後についていった。
..*
教室に続く廊下を優司、カスミ、マリアの三人が歩いていると、前方から長く艶やかな黒髪をなびかせた女子生徒が歩いて来た。精緻な西洋人形のように配置された顔のパーツ。憂いをまとった伏せ目がちの大きな瞳。これから証明写真でも撮影するかのように完璧に整えられた制服の着こなし。その佇まいは優司に強い存在感を印象付けた。
彼女の視線は、心なしか優司を追っているようだった。優司は、世界がまるでスローモーションで再生されていくかのような感覚を覚えながら、彼女を注視した。
一同とすれ違う時に、彼女は軽く会釈をした。
「ごきげんよう」
「あ…どうも」
彼女は通り過ぎ、2-Dの教室に入っていった。教室に入る時、もう一度優司達を流し見たようだった。優司は彼女の挙動を、完全に見えなくなるまで見つめた。
「ほわ~…。綺麗なコだなあ。カスミ、あのコ知ってるの?」
「え?うん、一応クラスメイトだからね」
優司がクラスの男子と同じような反応をするので、カスミはちょっとうんざりした。
「…彼女は桐崎・クローディア・留華。帰国子女でこないだ転入してきたの。お嬢様って感じ? ほとんど誰ともしゃべらないけど、あの見た目だからうちの男子がうわついてるわ」
「へー。隣のクラスなのに全然気付かなかったな」
優司は目を輝かせた。
「まーわたしもよく知らないくらいだからね…」
カスミは、このデレデレしただらしない男の顔を思いっきりつねってやろうかと思った。
「こらーおまえ達、チャイムもう鳴ったぞ」
いつのまにか教師がやってきていた。
「あーすんませーん。…ほれ、マリア行った行った」
優司はマリアの背中を押し、教室に押し込んだ。そして入り際にカスミに声をかけた。
「じゃあなー、カスミ」
「うん…」
カスミも隣のクラスに向かった。二人がくっつく様子を見ると、胸のあたりがもやもやして気分が悪かった。
「なによ、いちゃいちゃしちゃって…」
(2)
放課後、カスミは陸上部の午後練に出ていた。しかし気分が乗らず、これからタイム計測だというのにいまひとつ調子が上がらなかった。タイムは平凡な数値を記録した。
一本目を走った後、レーンから少し離れて息を整えていると、陸上部の仲間が声を掛けてきた。同じ二年の太田清美だ。
「カスミー、調子悪いねー」
「うん…」
返すカスミの声には元気がなかった。
「あー、もしかして、最近ウワサの和田っちのこととかー?」
清美はからかうように言った。カスミの脳裏に、優司とマリアの顔が浮かんだ。
「べ、別に…! カンケーないよ、あんなやつ」
「えー、そおかなー」
目を反らすカスミの顔を、清美は覗き込んだ。清美はカスミとクラスは違うが、陸上部では同じ種目、ハードル班ということで親友として気の置けない仲だった。しかし彼女には悪いが、カスミは今は放っておいて欲しい気分だった。
「ほらほら、サボってないで、もう一本!」
清美の背中を押し、スタート地点に戻った。
..*
その晩、カスミは自宅の部屋にいた。パジャマ姿で、ドレッサーの前で髪を梳かしている。姿見も兼ねる大きな鏡に、昼間の優司とマリアのじゃれ合いが浮かんだ。そして桐崎留華の美しい姿も。
そして、自分の顔を見た。自分ではそう悪くはないと思っているが、どうも華がないような気がする。ドレッサーのわずかな化粧品を見た。最近使った覚えがない。漠然とした寂しさを感じると、ふいに優司の笑う顔が浮かんだ。カスミはそれを振り払うと、一言呟いた。
「カンケーないよ、もう…」
カスミはもう何も考えたくなくて、早めにベッドにもぐりこんだ。
公園で、小学校低学年の頃の優司とカスミが遊んでいた。優司は鉄棒に乗っかって片足をブラブラさせている。カスミは鉄棒にぶら下がり、時々足を掛けようとするが、うまく届かない。
鉄棒の上の優司を見上げ、声をかけた。
「優ちゃんは、だれがいちばん好きー?」
「うーん、カスミちゃん」
優司はあっさりと言った。
「ほんとー?」
カスミが目をキラキラと輝かせた。
「うん」
「じゃあー、ケッコンしてくれる?」
カスミは丸いほっぺたを赤くした。
「いいよー」
「やったあ!」
カスミはませた感じでデレデレなよなよしている。
「鉄棒のぼれたらなー」
「えー?…」
カスミはんしょ、んしょと声を出しながら頑張るが、やはりうまく登れなかった。
「だめー、優ちゃん、のぼれないよー」
カスミは半ベソをかいた。
小学校中学年の頃。カスミは小学校の鉄棒で大車輪をしてみせた。学校では禁止されている大技だった。ぱっと空中に浮かび、すたっと着地する。周囲の女の子達がはしゃぐ。
「カスミちゃんすごーい!」
「へへへー」
カスミは得意げだった。
ふと遠くを見た。その視線の先には、優司と男子生徒達がサッカーをしている。遠い優司の背中に、カスミはぼそっと呟いた。
「優ちゃん、鉄棒…登れたよ…」
小学校高学年の冬。バレンタインデーの放課後、優司はクラスの女子に、チョコレートを差し出される。教室に残っていた級友から、冷やかしの声が上がった。
「えー困ったなー」
優司は顔を真っ赤にして、受け取るかどうか迷っているようだった。
「ちょっと待ったー!」
なんと、他の女子からもチョコを差し出された。
「ねえ、どっちを受け取るの!?」
と迫られ、どっちにも決められずただデレデレしている。
カスミは、それを遠巻きに見ていた。
隣でカスミの友達が言う。
「カスミ、いいの?」
「べ、別に、あたしは関係ないもん!」
カスミは優司達から顔を背け、つっぱねてみせた。
中学の頃、カスミは男子の上級生に交際を申し込まれた。
「付き合ってる人、いないんでしょ?いいじゃん」
男子生徒は顔はそれなりだったが、軽薄な感じだった。正直カスミはこの手の輩は遠慮したい所だった。
そこを優司が友人達と通りがかった。
「ど、どうしようかな…!」
カスミは、優司に聞こえるようにわざと声を大きく出した。優司はそれに気付いた。
「おお、春だね~」
そう言って、友人との会話を続けながら通り過ぎていった。
カスミはムッとした。
「わかりました。お受けします」
カスミは、例の上級生とデートをした。何をしたか覚えていないほどの、どうでもいい内容だった。別れ際、上級生はカスミにキスを迫った。カスミはそれを拒んだ。
「なんだよ、いいじゃん、キスくらい」
「でも、知り合ったばかりだし、こういうのって…大事なことだと思うんです」
「へっ、気取りやがって! いいよ別に。オメーだけが女じゃねえしな!」
上級生はその辺の物を蹴飛ばしながら、去って行った。
その二日後、カスミが学校の廊下で友達と話していると、上級生は別の女の子を連れて歩いてきた。用がなければカスミ達のいるこの階にくるはずはなかった。
「あ…先輩…」
「ああ? キミ誰だっけ?」
カスミはショックを受けた。上級生は去り際にちらりと後ろを見ると、カスミにはもうまるで関心がないかのように、女の子とベタベタしながら去っていった。あからさまなあてつけだった。
「信じらんない…あの大バカ野郎…!」
カスミは悲しみと怒りがこみ上げた。周りが心配して励ましてくれたが、それが余計悲しくて、泣きたくなって走り出した。
全速力で走り、裏庭のイチョウの木で息を切らす。限界の速度で走ったためか、胸が張り裂けそうに痛い。激しく呼吸をしながら下を向いていると、涙がポロポロと落ちてきた。
「おお、春だね~」
優司の笑い顔がフラッシュバックした。バカなことをした。最高に情けない気分だった。
「もう…いいよ…全部カンケーないよ…」
高校生のカスミは目を覚ました。寝ながら泣いていた。外はうっすらと白み始め、雀の鳴き声がする。
天井を見つめ、カスミはしばらくほうけていた。そして、弱々しく呟いた。
「ホント…カンケーないよ…」