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第二十八話 決意

(1)


「行ってらっしゃーい」

 アレシアは登校する優司達を玄関で見送った。

「さて、わたしも行くかな」

 そう言うと、アレシアは優司達とは別の方向に歩き始めた。


「用事ってなんだろな」

 優司は歩きながらマリア達に尋ねた。

「うん…。あんなことがあったからね。これからどうしたらいいか、デュナミスに戻って確認してくるって」

「へえ…。電話じゃだめなんだ」

 優司のあまりにも無神経な質問に、マリアは顔を赤くして反論する。

「で、電話なんてないわよ! 凄く遠いんだから…」

 セレナが説明を加える。

「本当なら、メッセンジャーっていう通信担当の精霊か、向こうから一方的に通信が送られてくるんだけどね。今回は向こうからの動きがないから、こっちから直接行くことにしたの」

「ふーん…」


..*


 暗い虚空に円陣が現れると、そこからアレシアが飛びだした。眼下には、その暗闇の空間を太陽のように照らす真っ白な都市が広がっていた。周囲に光源はなく、都市全体が自ら淡い光を放っていた。都市は直線と滑らかな曲線で構成され、極めて人工的かつ未来的な様相を呈していた。

 この都市そのものが、都市精霊デュナミス・トレシアであった。

(戻って来た…。前に来た時から一ヶ月くらいしか経ってないのに、ずいぶん昔だったような気がするわ…)

 アレシアは都市に向かい、ゆっくりと高度を落としていった。時折り、別の精霊が上昇して、円陣を作りそこに飛びこんでいく。

 やがて、彼女は都市の通りに着地した。エンゲージシェルを収納すると、そこからは歩き出した。

 通りと言ってもそれほど広くはなく、自動車などは通っていない。道行く人もみな女性型の精霊で、その人通りもまばらだった。

 アレシアはいくつかの無人のゲートをくぐり、都市の中央部にある、なだらかな曲面を持つ巨大なピラミッドのような建造物へと入っていった。


 入口を入ると、彼女は小さなセキュリティゲートの下に立った。ゲートの上部から円状の光が降りてきて、アレシアをスキャンした。

『コード確認。ゲー・ノナミッレ・セプティンゲンティ・トリギンタセクス…アレシア・グレーサム。所属、デュナミス・トレシア。階級、エンジェルズ。…目的は?』

 合成音声のような声が響いた。

「プロポジテュム・クラヴィスの件で、今後の対応について確認に来ました」

 アレシアがそう言うと、しばらく静寂が訪れた。

『…そこで待て』

 普段は開放されている入口の先の扉が突然閉まり、ロックされた。

(何? こんなの初めて…)

 しばらくすると、複数の護衛を従えた精霊が現れた。彼女もシルキーシェルの上に白い衣服を羽織っていたが、それは僧侶のような服装だった。彼女は見事なブロンドの長い髪をしており、顔も体つきもセレナ以上に幼く見えた。だが階級はアークエンジェルズに当たり、デュナミス直付きの親衛隊長の任にある。

「アレシアだね…。わたしはルチア。クラヴィスに異変は?」

 アレシアは優司が覚醒したことを言うべきか迷った。だが、そのことは恐らく既に伝わっていることだろうから、言う必要はないと考えた。

「…報告以上の変化はありません」

「そうか…。まあいい、中で聞こう」

 ルチアが手を上げると、入口のロックは解除された。ルチアに促され、アレシアは歩き始めた。

 二人の少し後方には護衛がついている。いつでもアレシアを取り押さえられる間隔だった。

 歩きながら、ルチアはアレシアに話しかけた。

「活躍は聞いている。アウリエル様はたいそうそなた達を評価しておられた。いろいろ大変だったな」

 アレシアは頷いた。

「ええ…。魔王を倒した後、わたし達はどうすべきか空間位相間通信ブレーントランスミッションを送ったんですが…。すぐに届きませんでしたか?」

 ルチアは一拍間を置いた。

「届いていたよ。ただ、魔王を倒した直後でこちらもいろいろと混乱していてね。対応が遅れてしまった。迷惑をかけたね」

「いえ。そうですか…。今は落ち着いたのですか?」

「ああ、もうすっかり平常状態だ。この通り、静かなものさ」


 一行は通路の中央にある、床とは少し色の違う大きな円の上に立った。天井から円と同じ大きさの筒状の光のカーテンが降りて来ると、一行は円ごと上昇していった。

 数秒後、一行は筒型の狭い空間に辿り着いた。筒の一部が扉となって両方に開くと、その先は薄暗い部屋になっていた。天井には控え目なアップライトが散らばり、反射した光が周囲を柔らかく照らしていた。そして、部屋の隅にはモニターのような四角い光がいくつか並んでいる。ちょっとしたラウンジのようにも見える。

 床がコースを指し示すように光ると、一行はそれに沿って再び歩き始めた。

 アレシアは似たような場所を見たことはあるが、普段は滅多に来るような場所ではなかった。そもそもデュナミスに来ることも殆どなかったが。

「あの…。今日は今後の対応をどうすればいいかだけ聞ければいいのですが」

 不安に思うアレシアの問いに対し、ルチアは彼女を安心させるように言った。

「それは単純明快。しかるべき時に引き揚げるだけだ。…漸次撤退セケッシォ・レンテという通知を送ったはずだが?」

「ええ、それは受け取りました…」

 聞きたかったのは、それがいつかということだった。

 部屋の片隅に、低めのソファが置いてあった。ルチアは手で座るように合図した。


 アレシアはソファに腰掛けた。それはとても柔らかく、彼女の大きなヒップ、そして体を包み込むようにゆっくり沈んだ。

 ルチアは体重が軽いのか、アレシアほどは沈まなかった。

「聞きたいのは、いつ戻るべきか、ということであろう? しかしそなた達も、クラヴィスと短くない期間共に過ごし、情が移ったことだろう。別れを惜しむ時間を与えたいと言うのがデュナミスの意向だ」

「はあ、しかし…」

 アレシアは視線を落とした。彼女達は、別れの思い出作りはもう済ませていた。これ以上共にいれば、想いは募り余計離れられなくなるだけだと思った。

「そなた達がもうよい、というのであれば、今日にでも戻って来るがいい。だがそれも唐突ではないかな? クラヴィスも悲しむだろう。それは相談すればいい。ただ、代わりの者を遣わせる必要があるのでな。引き揚げる前に連絡をして欲しい」

「……」

 そうなったとしたら、またずるずると時間が延ばされることになる。アレシアは、このまま代わりの者を引き連れて、今日中に別れてしまおうと考えた。

 ルチアは話題を変えた。

「ところで、さきほど軽くスキャンしたのだが、そなたはついに秘められた能力を獲得したようだな」

「え? はい…」

 あの短時間で分かってしまうのかとアレシアは驚いた。

「そなたの力は、アークエンジェルズ、…いや、ともするとプリンシパリティズにも匹敵するほどの力だ。その力を伸ばしたくはないかな?」

 アレシアは頷いた。

「ええ、人々の役に立つのなら…」

 ルチアは感心したように何度も頷く。

「謙虚な物言い、感じ入る。昇格の準備として、少し詳しいスキャンをして行かないか? 技術の連中も興味を持っている。なに、スキャンは三十分もあれば終わる」

「あ、はあ…」

 ルチアはニッコリと笑った。

「そうと決まれば早速行おう」

 ルチアが手を上げると、部屋の一角の床が円形に光った。

「さあ、行くがよい」

 アレシアは一抹の不安を感じながら、円形の床の上に乗った。床から光の輪が出現し、アレシアを光のカーテンで覆った。再び光の輪が床から出現すると、彼女の姿は消えた。

 ほどなく床の光も消えた。


「さて、どう引き留めたものか…。それともすぐに送り返すべきか」

 ルチアはソファに深々と体を預けた。


..*


 どこかの部屋に筒状の光のカーテンが現れ、光の輪がその中を動くと、アレシアの姿が現れた。そこはやはり薄暗かったが、周囲には大小さまざまな金属質のパイプが有機的なうねりを持って張り巡らされ、部屋の中央部には液体が詰まった透明の大型チューブがいくつも並び、下側から照らし出されていた。

 アレシアが呆けていると、ボタンのない白衣をまとった華奢な精霊が近付いてきた。

「メディカルラボにようこそ。アレシアね。話しは聞いているわ。わたしはここの主任のソフィアよ。よろしくね」

 白衣の精霊、ソフィアは、ルチアに比べればずいぶんと気さくな雰囲気だった。アレシアはほっとした。

「アレシアです。よろしくお願いします」

「さてと。じゃーこっちに来て」

 ソフィアに付いてラボの奥へと歩いて行くと、人がすっぽり入れそうな大きさのカプセルが立っていた。カプセルはやや角度が付けられており、その後方から上方に向かい、たいそう大げさなパイプがごてごてと伸びていて、ものものしい雰囲気を出していた。

(ひょっとしてここに入るのかしら…?)

 アレシアは体をいじられるのではないかと少々身の危険を感じた。

 ソフィアはにっかりと笑った。

「ここに来たら、入るしかないわよね? さ」

 彼女は至って普通にアレシアを誘導した。アレシアはカプセルの前に立つと、振り向いた。

「あのぉ…」

 ソフィアはアレシアの肩をポンポンと叩いた。

「だいじょぶ大丈夫! スキャンは五分もあればすぐ終わるわ」

 そういうと、ソフィアはアレシアの肩を押した。アレシアはカプセルに沈み込んだ。

「きゃっ!?」

 カプセルの半透明のキャノピーが上と下から閉じ始めた。

「スキャンのあと、ストレステストが二十分くらいあるわ。そっちはちょっと疲れるかも知れないけどねー」

 ソフィアはいたずらっぽく声を飛ばした。

「ええ~っ?!」

 アレシアがやられた! と思った頃には、キャノピーは完全に閉じようとしていた。


..*


「う…んん…」

 アレシアはカプセルの中でうなされていた。ストレステストにより、彼女の精神状態がスキャンされていた。そのスキャニングの中で、彼女自身忘れてしまった、過去の記憶が呼び覚まされていた。彼女の顔は、苦痛と苦悶に満ちていた。

「いや…なぜこんな…?! くっああっ…! ふあっ…」

 彼女は涙を流した。拒絶と不快感、快楽と絶望が、喘ぎとなって彼女の口から漏れた。

「はぁっ、ああっ…ああ───ッ。いや…もういやあぁ…。……!」

 全身を硬直させた後、彼女はもうそれ以上は耐えられないかのように、脱力してうなだれた。


「…シア…アレシア…!」

「う…うにゅ?」

 まるで少女のように、無防備なアレシアは目覚めた。目の前にソフィアがいた。

「あ…ソフィア、さん…? あ! わたし寝ちゃって…」

 アレシアは自我を取り戻した。何か急に恥ずかしくなった。

「フフ。だいぶおつかれみたいね」

 ソフィアはアレシアの手を引き、アレシアはカプセルから出た。

「なんか、どっと疲れた…」

 アレシアは深くため息をついた。うなされていた時のことは全く記憶がないようだった。

「そういうテストだからねー。みんな嫌がるんだよね」

 言いながらソフィアはカプセルのコンソールパネルを弄る。カプセルの周りから、蒸気が勢いよく排出された。

「あの、わたしどのくらい寝てたんでしょうか?」

「え? …うん、二十分くらいかな。大いびきかいてたわよ」

「えっ、うそ?」

 アレシアは思わず両手で口を押さえた。顔は真っ赤になっていた。

「うっそ。だいじょうぶ、天使みたいな顔ですやすや寝てたわよ。なんかチャーミングね、あなた」

 ソフィアはいたずらな顔でウィンクした。

 アレシアはほっとした。また疲れた出てきた。

「…さて、そろそろ結果が出る頃よ」

 ソフィアが何もない所に手をかざすと、琥珀色(アンバー)の文字や図が浮かび上がった。

「えーっと何々…? ほお。…ふーん。おお~…」

 彼女は難しい顔をしたり、驚いたりしている。

「あの…ど、どうなんでしょう?」

 アレシアは恐る恐る尋ねた。

「うん! あなたいい体してるわね」

 ソフィアはアレシアの胸をむんずと掴んだ。

「なっ…!? なな何するんですかぁっ!!」

 アレシアは慌てて身を引いた。

「じょうだんよ。でもその胸、羨ましいわ…」

 そう言うソフィアの胸は、確かにとてもスッキリしていた。


「精神的には若干弱い面もあるけど、能力はまだまだ伸びるわ。取り敢えず、アークエンジェルズが妥当かな」

「わ、わたしがアークエンジェルズ…?」

 アレシアは緊張で耳まで熱くなった。

「とりあえずね。今後次第では上も狙えるわ。でも…今の肉体はちょっと容量不足ね。それが能力の伸び悩みを引き起こしているわ。特にアイテールの供給量は大問題。エレメンタルシェルも含めて入れ替えたほうがいいかも」

 ソフィアの言葉を聞いたアレシアの顔が少し曇った。

「肉体を入れ替え…? それって、見た目が変わっちゃうってこと?」

「うーん…。ゲノムにいくつか要素を加えて再構成するだけだからそう大きくは変わらないと思うけど…。階級が上がると、意識が広がって魂がより洗練されていくから女性的な体つきは薄れていくのが一般的よ。そういう意味じゃ、変わっちゃうかな」

「そ、そうなんだ…」

 アレシアは優司の顔を思い浮かべた。もともと、体や顔にそう思い入れがあるわけではなかったが、優司は好みだと言ってくれた。それからはなんとなく愛着が持てている。もしこの姿が大きく変わってしまったとしたら、例えば…胸が小さくなってしまったとしたら、優司はどう思うだろう…。

 俯いて考え込むアレシアに、ソフィアは選択肢オプションを提示した。

「ま、最終的にどうするかはあなた次第だけどね」

 彼女にとっては、肉体が変わると聞いて悩む精霊達はよく見られる姿だった。

「少し考えたいわ」

「いいわよ。一ヶ月以内なら、いつでも処置できるから。それを過ぎると再スキャンが必要だから、気を付けてね」

「処置は、あなたがするの?」

「ううん。そういうのはハイヴでやるわ」

「ハイヴ…そう」

 それは精霊にはあまりいい思い出のない場所だった。

「いろいろありがとう」

 アレシアは歩き出した。しかし足元がもつれ、倒れそうになった。

「おっとっと!」

 慌ててソフィアが支えた。

「ちょっとキてるわね。休憩所リフで休むといいわ」

 傍らに、円形の光が現れた。アレシアはそこに誘導された。

「じゃ、またねー」

 ソフィアはニッコリ笑うと、手を振った。アレシアはどこかに飛ばされた。


..*


「ここは…?」

 アレシアの行き着いた場所は、ルチアに案内されたラウンジに似ていた。だがそこはさっきよりも明るく、数人の精霊達がいた。みなアレシアと同等か一回り大きかった。

 一人の美しい精霊が近付いてきた。シルキーシェルを身につけているが、全身を覆うものではなく、胸に最低限まとわりついているだけだった。下半身はシースルーのパレオのようなものを身に付けているが、その下には何もつけていなかった。周囲の精霊達も同じように、それぞれ解放的な服装をしていた。

「あら、新顔さん? あなたエンジェルズ…?」

 その精霊は怪訝な顔をした。

「アレシアと言います。ここは…?」

「あら! あなたがアレシア?」

 精霊の顔は一瞬でパッと明るくなった。周囲の精霊が注目した。

「え? はあ」

 精霊達は近づいてきた。

「そうなんだ…ここはアークエンジェルズのリフよ。わたしはエレナ。よろしくね」

 美しい精霊、エレナは握手を求めた。アレシアはそれに応じた。それはしっかりと握るというよりは、お互いの指を取りあうような親愛の意を示すものだった。

「はい。…あの、なぜわたしの名前を?」

 エレナは握った指を軽く振った。

「だって、魔王を倒したんでしょう? デュナミス中でもう有名人よ」

「あ…そうなんですか…」

 エレナはなかなか扇情的な体つきをしていた。

(アークエンジェルズでも体つきは女性っぽいのね。良かった…)

 アレシアは妙に安心した。


 アレシアはエレナの誘いで、リフの中央部のソファへと連れられた。

 エレナは気軽に話しかけてくる。

「何か飲む? 強めのアイテールのカクテルがあるわ」

「いえ、大丈夫です」

「あなた一人? 他のエンジェルズは?」

「あ、今日はわたしだけです」

「あら、そうなんだ」

 エレナは少し残念そうな顔をした。

「ここで征伐隊に参加した人達っていないのよ。…ねえ、魔界ってどうだった?」

 彼女はまたパッと表情を明るくした。

「ええと…悪意の瘴気が満ちてて、空は赤くって、すごく陰鬱な感じでした」

「まあ…嫌なところね」

 エレナは眉をしかめた。

 それからエレナは、魔界のことや魔王のこと、アウリエルの戦いぶりなどを根掘り葉掘り聞いた。アレシアが適当に答えを返すと、彼女は表情をくるくる変えながら喜んで話を聞いた。

 エレナは突然立ち上がった。

「いっけない! 今日はわたしこれからラボ入りなのよね。ああ、嫌だわ…」

 エレナはカーリーな黒髪を指に巻いて、体をくねらせた。

「わたし行くわ。それじゃアレシア、またね。ゆっくり休んでいってね」

「ええ、ありがとう、エレナさん」

「そんな、さんなんて言わないで。わたし達友達よ!」

 エレナはウィンクした。そんな彼女に、アレシアは親近感を覚えた。

「ええ、エレナ。また会いましょう」

 エレナは光の円に乗ると、どこかへ消えて行った。


「ふう…」

 アレシアはため息をつき、ソファに深くもたれかかった。

(わたしおしゃべりはやっぱりちょっとニガテかな…。あのコ達や優司とならいくらでも話せるんだけどな…)

 彼女は何も考えず、体を休めた。


 しばらくして、アレシアはふと、後ろのソファで話をする精霊のおしゃべりが気になった。

 後ろをちらりと見ると、四人の精霊が世間話をしているようだった。

「…そういえばさ、そろそろ大本営発表らしいわ」

「ええ、最近その話題でもちきりね」

「それって機密がだだ漏れってこと?」

「やあね。知ってるのは一部の幹部だけよ」

「詳しく教えてよ」

「あなた幹部じゃないからね。…どうしよおかなー」

「んもう! もったいぶらないでよ」

「…いいわ、ここだけの話ってことにしてね」彼女はそこだけ小声だった。

完全なる統治プリンキパータス・オッピードっていう計画なんだけど」

「うんうん」

「エクスシアイを締め上げて、人間を完全に統制することにしたらしいわ」

(うそ…?)

 アレシアは耳を疑った。デュナミスの人間に対する「完全な統制」とは、人間の自由の束縛を意味する。そんなことがあったら、人々から笑いが消えてしまうかも知れない。アレシアは注意深く話を聞いた。

「なんでそんなこと?」

「ま、人間の自業自得ってことでしょ?」

「デュナミスは環境汚染の影響モロに食らうからねー」

「システムに過負荷がかかって、ぶち切れたってとこかしら」

「まー今まで五百年ガマンしてきたんだものね。しょうがないわ」

「でもこれからどうなるのかしら。わたし、人間ってきらいじゃないのに…」

「あなたの守護対象は都市でしょう? 関係ないじゃない」

「その都市だって、人間がいなかったら意味を持たないじゃない!」

「ま、それもそうね…ホント、どうなるのかしら?」

 精霊達はしばし考えているようだった。

「でも人間を殺すわけじゃないでしょう? 平和になっていいことだわ」

「つまらない世の中になりそう」

「いいじゃない。わたし達はここでくつろぐ時間が増えるわ」

「そうね」

 アークエンジェルズの精霊達は笑っていた。


 リフを出たアレシアは、すぐに地上に引き返した。ルチアにことの真偽を問いただすことも考えたが、嫌な予感がしていた。デュナミスや彼女が自分達の撤収を遅らせていたのは、この動きを察知されまいとしていたからだろう。もしルチアの元に行ったなら、その場で取り押さえられるに違いない。そうなったら誰も止める者がいなくなってしまう。

「でも…止めるってどうやって?」

 アレシアは自分に問いかけた。相手がデュナミスであれば、とても敵う相手ではなかった。


(2)


 アレシアが地上に戻ったのは昼過ぎだった。この時間では優司達はまだ学校だった。だが、一人になるのが怖かった。彼女は制服を着て、学校に向かった。

 昼休みになると、アレシアはセレナとマリアに意識を飛ばし、皆を特別棟の屋上に続く階段に呼び出した。

「優司!」

 優司を見るなり、アレシアは飛び付いた。

「ど、どうしたんだよ、アレシア…?」

「…ご、ごめんなさい」

 アレシアは落ち着きを取り戻すと、先ほど聞いた話を手短に話した。


「…つまり人間は操り人形になるってことか? どうやって?」

 優司の問いに、アレシアは視線を横にやり答える。

「わからないけど…間接的な方法は、天災や資源の枯渇を誘って人間の生活圏を破壊するとか、世界的な経済損失を招いて活動力を低下させることが考えられるけど…直接的ならマインドコントロールで気力を奪ったり、戦争で互いに殺し合わせることが考えられるわ」

「どっちにしてもひどいことになるな…」

「でもなんでそんな? わたし達はデュナミスの命で人間を守護してきたんじゃないの?」

 マリアは眉をひそめた。

「話してた精霊ひとは自業自得とか、環境汚染の影響とか言ってたわ」

「なるほど…」

 セレナは顎に手を置くと、思考をめぐらせた。一同は彼女に注目した。

「デュナミスは地球の営みを管理しているの。昔ならある程度の環境汚染は回復できていたけど、だんだんそれが難しくなってきているのね」

 優司は複雑な表情でセレナの話を聞いている。

「デュナミスにとっては、人間の守護なんていうのは体裁が整っていればいいのよ。環境の制御ができるくらいに人を減らすなり文明活動をできなくすれば、地球も守れるし、残った人間を守護すれば体裁は整う」

「なんなんだよそれは! それじゃ人間を守護してる意味なんてねーじゃねーか! 一体何のためにやってるんだ? 守護って遊びかよ?!」

 興奮する優司をセレナがなだめる。

「優司。地球のバランスが崩された時はそれを調整する。それは昔から行われていたことなのよ。…それが人間に集中して、規模が大きくなっただけ」

「だからって、君らが守護する人間が大量に死んでも構わないってのか? 君らはそんな程度の気持ちでいたのか? だとしたら、守護なんて笑っちゃうよ!」

 優司の言葉に、誰も反論できなかった。いい加減な気持ちで任務に当たっていたわけではない。だが、デュナミスという大きなシステムに抗うには、三人の最下級精霊エンジェルズはあまりにも力が小さ過ぎた。

「オレの力…プロトコルってのはそのデュなんとかってやつを完全に操ることができるんだろ? なら、オレが行ってそいつをだまらせてやる」

「ムリよ!」

 マリアが制止した。彼女は優司が心配だった。目を離せば、彼は一人でもデュナミスに乗り込んで行くかも知れない。

 セレナも同調する。

「優司…わたし達も気持ちは一緒よ。でも、相手があまりにも強大過ぎる。デュナミスは、大自然の猛威にも匹敵するわ。わたし達があがいてみたところで、その猛威に飲み込まれるだけ」

 セレナの言葉に、マリアも頷いた。

「わたしもそう思う。デュナミスのやり方を見て判断すべきだわ。そんなにひどいこと、するはずないもの…」

 しかしマリアの望みは薄いものだった。

 優司は首を振った。

「そいつがどんなに下手に出ようとも、オレはやだね。そいつの勝手な事情だけで一人だけでも苦しんだり死ぬなんてのは、だまって見ていられない。たとえオレが死んだとしたって、ちっぽけな命だ。大したことねえよ」

「わたしには大したことよ!」

 マリアは優司に抱きついた。そして優司のシャツの背中を握りしめた。彼女の体は震えていた。

「わたしには…あなたに死んでなんか欲しくない…」

 マリアは嗚咽した。

 優司は女の子に泣かれるのが苦手だった。今マリアが泣いているのは、自分のせいだ。そう思うと彼女が泣いている間は、何も言えなくなった。


「いいわ、優司。やりましょう」

 黙っていたアレシアが声を上げた。

「アレシア…?」

 優司はアレシアを見つめた。

「優司、前にわたしに言ったわよね。助けを待つ人のために手を差し伸べてあげてくれって。わたし、みんなを救うのを諦めたくない! だからまずは、あなたを助けてあげなきゃ」

 アレシアの真剣な言葉に、優司は心を打たれた。優司は頷いた。

 彼はマリアの髪をくしゃくしゃと撫でると、「マリア…」と語りかけた。優司の胸を伝ったその声は、マリアの頭に響いた。彼女は顔を上げた。

「要はオレが死ななきゃいいんだろ?」

「え…?」

 マリアは驚いた。

「そ、そうだけど…」


「ならオレを守ってくれよ」


 マリアはドキリとした。

 優司を守る。それは、この任務の最も基本的な内容であり、マリアが絶対に果たすと誓った言葉だった。何があろうと優司を守る…それが自分がここにいる全ての理由と言っても良かった。マリアは立ち上がった。

 優司は三人を見渡しながら話す。

「みんながオレを守ってくれたら、オレはでゅ…デュナミスの所に行ける。あとはオレに任せてくれれば、オレがやつをだまらせる」

 それはひどくシンプルであったが、達成が困難であることは自明だった。だが優司は続けた。

「こないだの君らの力があれば、絶対できるよ。逆に言えば、誰一人欠けても達成できない」

 精霊達は顔を見合わせた。ここにいるのは、今までどんなに苦しくても共に闘い、互いに信頼し合った最高の仲間だ。それを今、改めて認識させられた。

 優司は、一人ひとりの顔をまっすぐに見つめた。

「セレナ」

「アレシア」

「マリア。みんなオレのかわいい守護精霊ガーディアンだろ?」

 優司は笑みを浮かべた。

「頼りにしてるぜ」

 三人の精霊は頷いた。優司の力強く迷いのない決断に、心を打たれた。無謀だと分かっていても、できる所までついて行こうと誓った。


 優司達は午後の授業を中断して、家に戻った。


..*


 カスミは陸上部の午後錬には出ず、家路を急いでいた。昼から姿の見えない優司やマリア達に、彼女は不安を覚えた。もう、優司が魔王にさらわれた時のような悲しい思いはしたくなかった。

 カスミは、遊園地で優司に買ってもらったペンダントを握りしめた。彼がどこか遠くへ行ってしまう気がした。まだ自分の想いすら伝えていないのに。


 カスミはカバンも置かずに、優司の家のチャイムを鳴らした。果たして優司は家にいた。

『今出てくから、そこで待っててくれ』

 インターホン越しに優司の声を聞き、カスミは少しホッとした。

「よう」

 玄関のドアを開けた優司が、とても遠く見えた。カスミは嫌な予感がした。

 優司は玄関先で、手短に話をした。また一日か二日家を開けるけど、ママを頼む、程度の内容だった。カスミを不安にさせるようなことは、敢えて隠した。

 優司が話す間、カスミはじっと彼を見つめていた。あまりのまっすぐさに、優司がずっと目を反らしていたくらいだった。

「…きっと戻ってくるよね?」

「もっちろん! そのつもりだよ」

 優司は笑ってみせた。その笑いすらも、カスミには悲しく見えた。

「優司…!」

 カスミは優司に抱きついた。

「はは、な、なんだよ…」

 カスミは泣いていた。茶化そうとする優司に怒るように、彼の胸を何度も叩いた。彼女のいじらしい態度に、さすがに優司もそれ以上は何も言えなくなり、彼女のしたいようにさせた。

 カスミは落ち着くと、顔を上げた。キスができるくらいの距離だった。

「あたし…今変な顔してる?」

「ああ…ひでえな。涙でぐしゃぐしゃだぜ」

「もう…!」

 カスミは照れ笑いを浮かべた。それを優司に見られないように、おでこを優司の胸に付けた。

「…でも、オレを心配してくれてんだよな。ありがとう」

「ん…」

 カスミは優司の胸におでこを付けたまま、こくりと頷いた。

 カスミは再び顔を上げた。優司を見つめる目は潤み、頬は紅潮していた。泣き晴らす彼女の鼻や目は赤かったが、優司にはそれが可愛らしかった。

「カスミ…今いい顔してるぜ」

「ほんと…?」

「ああ」

 優司は微笑んだ。

「優司…」

 カスミはつま先立ちになって優司の首に手を回し、優司を引き寄せた。そして優司の顔が十分近づくと、優司の瞳をじっとみつめ、次に唇をみつめ、そしてゆっくりと目をつぶった。それはもう、キスをしてという無言の願いだった。優司は、半開きになった彼女の唇を見つめた。

「……」

 優司はカスミの願いを聞き入れた。カスミの目から、涙がこぼれた。カスミは言葉にできない想いを全て唇に託し、優司を激しく求めた。優司は少しとまどいながら、カスミの想いを受け止めていた。

 長い長いキスが終わると、二人は再び見つめ合った。

「カスミ、おまえオレのこと…」

 カスミはその先の言葉を遮るように首を振った。

「いいの、今は何も考えないで! …今は感情が高ぶってるだけ。たぶん、明日になったらあんたを引っぱたくかも知れないから…」

「はは…。ほんじゃ餞別として受け取っておくわ」

「うん…」

 カスミは数歩後ずさりした。その場に落ちていたカバンに気づき、それを拾った。

「それじゃ」

「ああ」

 じれったく振り向くと、走って向かいの自宅に入って行った。

「カスミ…」

 優司はカスミを見送ると、ひょっとしたらあいつと会うのはこれが最後かもしれないと思った。もっと何か気のきくこと、彼女が心に残ることを言うべきだったと思った。だが、そんなことをしたら彼女が悲しむだけかも知れない。

「…これでいい」

 優司はそう呟くと、家に戻った。


..*


 草木の寝静まる頃、優司達は家を抜け出し、人気のない公園にいた。精霊達は、みな戦闘に備え戦闘殻エンゲージシェルをまとっていた。

「じゃ、始めるよ」

「ああ」

 マリアが手をかざした時、優司はそれを制止した。

「待ってくれ。オレにやらせてくれ」

「え…?」

 優司は白い都市、デュナミスの場所を思い浮かべた。

(待ってろよ、おまえを必ずぶッ倒してやる!)

 手をかざし、カッと目を見開くと、腕に幾何学的な模様が浮かび上がり、大きな円陣が現れた。彼の力を目の前で見るのは初めてだったので、精霊達は驚いた。

 優司は腕を見た。両腕の幾何学的な模様は、消えることはなかった。この力がやつをぶっ潰すと思うと、そのままでいいと思った。


「行こうぜ!」

 優司を先頭に、精霊達は円陣に飛びこんだ。

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