第二十四話 ともにいるよろこび
(1)
魔界から戻って来た精霊達は優司の自宅付近で人目がないことを確認すると、路地に降り立った。そこからは歩いて家に向かった。
「母さん達、もう起きてるだろうな…」
優司は少なくとも数日は経過していることを思うと、無断外泊したことの理由付けに悩んでいた。
家の門に差し掛かったところで、新聞の一面に目を通す父にばったり出くわした。
「ゆ、優司…?!」
優司の父は思わず新聞を落とした。ひどく驚いた顔をしていた。彼は優司の雰囲気に良く似ていた。まだ四十代前半ということはあるが、優司の兄のような若さを保っていた。美容に気を使う優司ママと違い、彼は特に何もしてはいないのだが。
「た、ただいま…」
「おまえ、無事だったか! …その格好は?」
父は泣きたいのか嬉しいのかよく分からない複雑な顔をしたが、優司が古代ローマ人かチベットの僧侶のように全身に白い布を巻いていることに気づくと、その顔は怪訝な顔へと滑らかに形状変化した。
「あー、ちょっと…」
優司は苦笑いをした。
「体は? ケガはないのか?」
父は優司の体を触りながら、あちこち見る。
「え? ああ、この通りピンピンしてるよ。…あれ、話、なんか聞いてた?」
「うん? ああ、カスミちゃんが話してくれたんだよ。あの子もすごく心配してくれてね。ゆうべも遅くまでうちにいてくれたんだよ」
「あ、そうだったんだ…」
(あいつ、どこまで話したんだ?)
優司はマリア達の秘密が親にバレてしまったのではないかと不安になった。
「まあとにかく家、入れ。ママ、優司帰ってきたぞ! ママー!」
父は半ば興奮した様子で、いそいそと家に入って行った。
優司達は玄関を開け中に入った。
「優司!」
という叫び声と同時に優司ママが駆けこんで、優司に抱きついた。
「ああ、良かったぁ…!」
ママは笑いながら泣いている。優司の体がママの呼吸で震えた。
「母さん、ごめん…心配掛けて」
精霊達は何も言えず、二人を見つめていた。
「体は? どこもケガない?」
「親父もおんなじこと聞いたよ。…大丈夫。三人が守ってくれたから」
「そう。…ありがとう、あなた達!」
ママは三人を見て、笑ってみせた。三人はちょっと照れた。
「とんでもないです。ご迷惑おかけしてしまって」
セレナは少し責任を感じているようだった。
「全然いいのよ、こうして無事戻ってきたんだもの。あなた達には感謝しつくせないわ」
ダイニングから父が顔を出した。
「ママー、醤油どこ?」
ママは興を削がれ、不機嫌な顔をした。
「もう、パパったら。…昨日買ってきて流しの下に入れてあるわよ!」
「えー? …あ、あったよ! 左じゃなくて右だった」
「はあ、ムードもへったくれもないパパね…。優司、あんたはお腹空いてない? カレーもあるのよ」
言われた優司は腹を擦った。
「ああ、なんかすっげー減ってきた。食うか!」
「さ、みんなも早く上がって」
ママは優司達がいつ帰ってきてもいいように、全員分の食事を作っていたのだった。
優司の父は出勤のため、家を出て行った。彼も昨夜はよく眠れていなかったようで、目の下にクマができていたが、中間管理職としての責任もあるため休んでなどはいられなかった。それでも「今日は少し早めに帰るから」と言って家を出た。まじめで、少し不器用な父親だった。
その後優司と三人の精霊は、少し量の多い朝食を平らげた。
「ごっそーさん。あー、やっぱ家はいいな!」
「ほんと良かった…。カスミちゃんからあんたがテロリストにさらわれたって聞いた時は心臓止まるかと思ったわ」
優司ママが食器を回収し始めながら言った。
「テロリスト…? あ、ああ、そうなんだよ。三人組の大男でさ! マリア達が助けてくれなかったら、危なかったな」
「そうなの。ほんと、ありがとうね、マリアちゃん、セレナちゃん、アレシアちゃん」
ママは満面の笑みを浮かべた。マリア達も笑みを返したが、嘘をついていることに少し胸が痛かった。
「オレ、シャワー浴びてくるわ。今日は学校休む」
優司は立ち上がった。
「ええ、そうしなさい」
「じゃあ、わたし達も上へ…。ごちそうさまでした」
マリアも立ち上がった。
「あ、片付けお手伝いします」
と言ったのはアレシアだった。彼女は、学校に通うようになる前は専ら食後の片付け係、掃除係として活躍していた。そしてお茶をすするのが日常だった。
「ありがとう、アレシアちゃん。…そうだわ、カスミちゃんに知らせないと!」
優司はマリアの背中を押しながら、ダイニングの暖簾をくぐった。
「優司」
その後ろ姿を、ママは呼び止めた。
「んー?」
優司は振り向いた。ママは優司の顔をまじまじと見つめた。そしておもむろに言った。
「…なんでもない」
「え? なんだよ…」
怪訝な顔をしながら、優司は浴室に歩いて行った。
ママはその背中を見送った。
(何かしら…。なんとなく逞しくなったっていうか、オトコになったっていうか…)
ママは優司の印象が少し変わったことに気づいた。ママは瞬間的にいくつかの原因を考えたが、とりあえず、
「気のせいかしら?」
ということで深く考えずに済ませておくことにした。
「さて、カスミちゃんっと!」
ママは玄関に向かった。
..*
シャワーを浴びた優司が脱衣所を出てくると、ママがダイニングの暖簾をくぐった。
「あ、優司」
「ん? 今度はちゃんと用ある?」
「カスミちゃん、部屋に通しといたわ」
「あ、そう」
「あんた、カスミちゃんにちゃんとお礼言っておくのよ」
「へ? なんで?」
「あのコ本当に心配してくれたんだから。わたしのことまで心配してくれて、いろいろ手伝ってくれたのよ」
カスミは部活を休んでママに優司の件を知らせた後、遅くまで優司の家でママの家事を手伝っていた。手伝いというのは建前で、ただうろたえるママが心配で傍にいたかったのだ。あるいは自分も不安で、誰かと一緒にいたかったのかも知れない。
幼いころに母親をなくしたカスミは、優司のママを自分の母親のように慕っていた。向かいに和田家が引っ越して来た時、同い年の優司と仲良くしてくれとあいさつに来た優司のママは若く美しく、そして優しかった。カスミにとって優司のママは甘えられる対象であり、凛々しさも備えたまっすぐな生き方は目標であった。女の子が欲しかったママも、カスミをかわいがった。
優司との仲が疎遠になるにつれ、カスミが和田家を訪れる機会もめっきり減ってしまったが、高校生になって再び優司と学校へ通うようになったのも、元はと言えば優司ママの計らいだ。
成長したカスミは、以前ほど優司ママに甘えることはなくなってしまったのだが、それでもママが心配する姿を放っておくことはできず、自分の父親を放置してずっとママに付き添っていたのだった。
「へー、そうなんだ。あいつもいいとこあんだな」
「後で飲み物持っていくから」
「うん。サンキュー」
優司が二階に上がり自室の扉を開けるなり、カスミのアップが飛び込んできた。
「優司!」
カスミは優司に抱きついた。
「なんだよおまえまで…なんか今日はよく抱きつかれるな…」
「あ! やっ…」
カスミはパッと離れた。カスミはヘソが見えるほどの裾の短いノースリーブのシャツに部活用のハーフパンツ姿で、髪の毛を一部、派手なピンク色のゴムで結わえていた。小さい頃よくやっていた髪型で、優司にはちょっと懐かしく、かわいいなと思えた。
「優司、あんたピンピンしてるわね? 向こうで何もなかったの?」
「いやー、それが何が起こったか、よく覚えてないんだよね…。でも、傷を治してくれる天使がいたみたいでさ。オレもケガしてたのかも知んないけど、気が付いたらなんともなかったわ」
優司はけろっと言った。
「ふうん…。でも、すぐ戻って来れて良かったわね」
カスミの言葉を聞いた優司は怪訝な顔をした。
「すぐって…オレ何日向こう行ってたんだ?」
「何言ってんのよ。さらわれたの昨日よ」
「へ? たった一晩? オレ一週間くらいだと思ってた」
カスミは優司の頭に手を添え、彼の首を捻りながら左右を眺めた。
「あんた、頭打ったりしてないわよね…。あれ、そういえばマリア達は?」
「ああ、隣にいると思う。呼んで来ようか?」
「うん。会いたい」
優司は部屋を出て、マリア達を連れてきた。
「カスミちゃん!」
マリアは入るなり、カスミに抱きついた。
「いた…痛いよ、マリア…」
そういうカスミの顔は嬉しそうだった。
しばし抱き合った後、二人は顔を見合い、笑った。
「でも良かった、みんな無事で」
カスミはマリアと繋いだ両の手を軽く上下に振った。
「うん、最後はほんとド根性だった!」
「クスッ。あなたならやれると思ってた」
マリアの肩越しに、二人の様子を窺いセレナがほほ笑んでいるのが目に入った。
「セレナ、おかえり。魔王は?」
「バッチリ、ぶっ飛ばして来たわ」
そういうと彼女としては精いっぱいの笑みを浮かべた。
「アウリエル様っていう偉くて凄い精霊に助けてもらったけどね。あと、すごくたくさんの仲間達も駆けつけてくれたわ」
「そうなんだ…。アレシアさんも、お疲れ様」
精霊達は、優司が魔王に取り込まれ、一時は人の形を為さない肉の塊と化していたことを優司にも、カスミにも言わないことを決めていた。彼らにとってはショックが大きいだろうし、そこから奇跡的に元の姿に戻ったこと自体、彼女達にも説明できなかったからだ。
「でもすごいわ、あなたたち。言った通りにやっちゃうんだもん」
カスミは精霊達に正対した。
「ほんとにありがとう。優司助けるために命がけで戦ってくれて…。あたし、こいつがいなくなって、みんなも行っちゃった後はすごく心細くて…」
カスミの顔はみるみる悲しみで溢れ、言葉に詰まった。
「…もう、誰も…帰って来ないんじゃないかって…」カスミはそこまで言うと、むせび泣いた。
精霊達も貰い泣きし、四人の女子達は一つになってしばし泣いた。マリア達精霊も、もうだめかと思うほどの絶望と恐怖と苦痛を何度も味わい、それを改めて思い出した。普段はどんなに辛いことがあってもへこたれない彼女達だったが、今はただの女の子として、胸の奥に無理矢理押し込めていた感情を吐き出していた。
「……」
優司は女の子が泣くのを見るのが何より苦手だった。どうやったら彼女達の悲しみを和らげてあげられるのか分からないからだ。
しばらく彼女達が泣くに任せていたが、泣きやむと誰かが泣きだし、またみんなで泣く、という繰り返しでどうにも重い雰囲気だったので、優司は我慢できなくなり、ついに口を開いた。
「いやーでもまー、みんな無事で良かったよな!オレも含めて。魔王もやっつけたしさ!」
女子四人の視線は優司に向かった。その中で、カスミの視線は妙に冷たかった。
「何のんきに…。元はと言えばあんたが悪いんでしょーが!」
カスミの行き場のなかった不安や悲しみは、優司への怒りとなった。
「い、いやそんなこと言ったって…。オレ何もしてないし、オレも被害者だし…」
優司はカスミに気合負けし、最後はゴニョゴニョと呟いた。
「何言い訳してんのよ! このぉ~!」
カスミは優司の頬を引っ張り、グリグリと回し始めた。
「いででいででででで!」
「まあまあ…」
精霊達はカスミをなだめた。
優司はやっと解放されたが、頬は真っ赤に脹れていた。
「ああオレのもち肌が…」
優司は自分の頬を優しく撫でた。女子達は思わず吹き出した。このやり取りで、やっと重い雰囲気から解放されたようだった。
ひとしきり笑いが収まったところで、優司は一つ息を吐いた。
「…そういやオレ、みんなに礼言ってなかったっけな」
そう言うと、優司は姿勢を正し、精霊達に正対した。一同は静まり返った。
「みんな、オレなんかのためにホント迷惑かけてすまなかった」
それから一人ひとりの顔を見た。
「マリア」
「セレナ」
「アレシア。ありがとう。君らはオレの命の恩人だ…!」
そう言って、優司は深々と頭を下げた。
普段とは違う優司の態度に、マリアは戸惑った。
「優司…」
その思いはセレナも同じで、彼女は優司の肩に手を置いた。
「もういいわ、顔を上げて」
「そうよ、わたし達もあなたを助けたかったから助けたんだもの」
アレシアも歩み出て優司を見つめた。
だが優司はしばらく顔を上げなかった。顔を上げた時には、目に涙が滲んでいた。
カスミは驚いた。
「やだ、あんた泣いてたの…?」
「いや!? 泣いてなんかないよ!」
優司はおどけてみせた。女の子達は笑ったが、そんな優司がまた愛おしく思えた。
それから優司は、カスミの顔を見た。彼女がそれに気づき、目を合わす。
「…あとカスミ、おまえもありがとな」
「え、何が?」
「母さんのこと心配してくれて…。母さん、嬉しかったみたいだ」
「うん…。来る時ママと抱き合って来たわ。ママ、泣いてありがとうって。わたしも嬉しかった」
優司はママに先を越されたなと思った。
「そうか…。あと、母さんにうまく説明してくれて助かったわ。おかげで余計な心配かけなくて済んだよ」
「…だって、優司は悪魔にさらわれました、なんて言えないじゃん」
「あ…まあ、そーだよな…」
優司は頭を掻いた。一同はまた笑った。
「あんたもあんまりマリア達に迷惑かけちゃだめよ。自分のことなんだから、自分でなんとかしないと」
「いや、自分でなんとかなってたらマリア達いらないだろ…」
「ま、まあね…」
カスミは少しバツが悪いように頬を赤らめた。
それから彼女はじっと優司を見た。
「優司、ほっぺた脹れてる…さっきの痛かった?」
「ああ、痛かったな! …撫でて」
カスミは優司の頬をやさしく撫でた。
「ああ、気持ちいい…」
優司はにへら~としていた。そんな彼を見て、カスミは気分が良かった。
実際の所、優司の頬は心配するほどのことでもなかったのだが、カスミは彼と触れ合いたかった。本当は彼をもう一度抱きしめたい所だったが、マリア達の手前であること、そして優司に自分の気持ちを知られてしまうのが恥ずかしく、そうすることはできなかった。取り敢えず今の所は、その手に気持ちを込めた。
「カスミちゃんばっかりずるい…!」
カスミの想いを知ってか知らずか、マリアも負けじと、反対側の頬を撫でた。しかしそれは少々乱暴で、意味不明だった。
「……。これは一体なんなんだ?」
優司は顔を歪ませながら呟いた。
「マリア、代わって」
アレシアがマリアに代わった。
「アレシア…」
優司は再びにへら~とする。アレシアの優しい手と天使のようなほほ笑み、そしてどうやっても視界に入ってしまう胸の膨らみは、彼のツボにはまった。
「…い、いかん!」
優司の下半身は再びやんちゃになり、パジャマに大きなテントが張られた。女子達の視線は何気にそれに集中した。
「え? わたし、変なことしちゃった…?」
アレシアはパッと手を引き、顔を赤らめた。
カスミは再び優司の頬をグリグリとつまんだ。
「もう、あんた何考えてんのよ!」
「いやー、アレヒアは存在ひょのものがエロヒュなんれひゅい…」
優司は前かがみになりながらカスミに頬をつねられるというなんともカッコ悪い状態になっていた。その姿を見ていたマリアは、あることを思い出した。
「あ! そういえば、魔界で敵がなんか変なこと言ってたわ。優司のたくましいアレとかスゴイとか…」
「は?」
その言葉にセレナが続いた。
「あと、あの爆乳スキュブスもなんか匂わせてたわよね…。いいオトコになったとか、体がうずくとか…」
「え?」
「ゆーうーじぃ~…!」
四人の女子の冷たい視線が優司に突き刺さった。優司は蛇に睨まれたカエルのように動けず、爆汗をかいていた。
カスミの突き刺すようなジト目は特に怖い。
「あんた…みんな大変な思いしてたのに向こうで何やってたの!?」
「い、いや! 全然覚えてないんだよ! …ホントだって!」
優司は全力で弁解した。
「あー…でも、なんか君らと代わるがわるセッ…じゃねえ、抱き合う夢を見ていたよーな…?」
優司は言わなくてもいいことを素直に告白した。しかも訂正する前の部分はしっかり聞こえていた。
四人の女子の顔は真っ赤になり、震えていた。
「へ、ヘンタイ───ッ!!」
優司が女子一同に今にもフクロにされようとしていたその時、ドアをノックする音がした。
「優司、飲み物持って来たわよ」
ママの声だった。
「た、助かった~! はいはいはい~」
優司は包囲網をすり抜けると、ドアを開けトレイを受け取った。
「やあ君達、ノドが乾いたろ? 冷たいお茶だよ!」
「……」
女の子達は無言でコップを取り上げると、それをごくごくと飲み干した。その動作は完璧にシンクロしていた。
優司は震撼したが、どうやらその飲み物のおかげで女の子達は落ち着いたようだった。
「ふぅ…」
優司はやっと生きた心地がした。
「そろそろ解散しようぜ。なんかオレ、すげえ疲れた。眠いわ…」
「そうね、あたしもそろそろ学校行かないと。マリア達はどうするの?」
マリア達は顔を見合わせた。
「うん…今日は、ちょっと休もうかな」
「わかった。じゃ、あたし行くわ。みんな、ゆっくり休んでね」
カスミがドアに手をかけたところで、優司が声をかけた。
「あ、カスミ」
「何?」
「おまえのその髪型…なんかいいな。懐かしくて」
「え…? そ、そう?」
カスミは頬を気持ち赤らめた。
「ありがと…。それじゃ」
「ほんじゃなー」
カスミは部屋を出て行った。カスミのトントンと階段を下りる音が小さくなっていった。
優司はそれを聞きながら微笑んだ。
「やっぱりいいな、ここは…」
彼は地上に戻ってから今までの一連のやり取りに、改めて家族や仲間のありがたさを感じていた。メレルにさらわれる前にも考えていたが、やはり悪魔なんか来ないに越したことはない。自分が狙われるにしろ他の人が狙われるにしろ、やつらが来れば誰かが悲しむことになる。そんなことは、もう金輪際起こってほしくはなかった。
そして魔王を倒した今、悪魔が来ることはもうないのだ。
優司はポツリと漏らした。
「そういや、もう魔王って死んだんだよな?」
セレナは頷いた。
「一応ね。少なくとも数百年は心配はないわ」
「もう悪魔も来ないんだよな?」
「…地上に逃げたやつらはいるかも知れないけど。組織的な活動はないと思うし、見つければ仲間が始末するわ」
「そりゃ良かった。…でも、マリア達はこれからどうすんだ?」
「え…?」
一瞬、場の空気が固まった。
「全然、考えてなかった…」
アレシアも視線を落とし、呟くように言った。
「確かに魔王から守る必要はなくなったから、やっぱり帰るのかな…」
それから一同は黙ったままになってしまった。
(2)
翌日、カスミは部活の朝錬がなかったため、優司やマリア達と登校した。
玄関を出た優司は、カスミを見るなり言葉を発した。
「アレ? またその髪型にしたんだ」
「え? う、うん…」
それは、昨日彼女が見せた、髪の一部をゴムで縛るものだった。まとまった髪は跳ねっ毛のように斜め横に伸び、彼女の歩みに合わせ小さく揺れた。
「いいじゃん。かわいいよ」
「そう? …ありがと」
カスミは優司の期待通りの言葉が嬉しかった。その髪型は、当面彼女のお気に入りとなった。
「うぃーす」
「お、優司じゃん」
優司が教室に入ると、数人の級友達が寄って来た。
「おお、友よ…!」
優司は久々に会った気がして再会を喜び合いたかったのだが、
「風邪引いたんだって? だせー、こんな時期に引くかよフツー」
「和田っち体弱ーい」
と、つれない言葉が飛んできた。さらにヒロシも言葉をかける。
「なんとかは風邪引かないってゆーけど、優司もバカじゃなかったんだな!」
「お前、後半伏せてないじゃん…」
ヒロシのアホさ加減に和んでいると、女子グループの間でほとんど目立たずにいた倉田紀子が口を開いた。
「優司くん、あの、だいじょうぶ?」
「ああ、大丈夫」
といったところで、優司は違和感を感じた。
「って、いいんちょ、今オレのこと優司って呼んだ?」
その場にいた一同の視線が紀子に集まった。
「え!? あ、あの…」
紀子は頬を真っ赤にさせたが、今日ばかりは引かなかった。
「…いいかな、これからもそう呼んで」
「ええー!?」
一同は驚きの声を上げた。
「いや、そんな大騒ぎすることでもねえだろ、クラスメイトなんだから。ああ、いいよ。他の奴らも好きに呼んでくれ、変態魔王でもなんでも」
「いいぞ優司!」
周囲に笑いが巻き起こった。
だが、紀子は一人、やや不満げな表情であった。そしてぼそっと呟いた。
「クラスメイト…。ま、負けない!」