第二十三話 夜明け
(1)
魔界の城の上空では、精霊と悪魔達が見守る中、魔王アズラエルと偉大な精霊アウリエルがせめぎ合っていた。彼らの放った奇蹟により、地面のほうぼうは大きく抉れ、乾いた森の至る所で火災が起き、煙が立ち上がっていた。
魔王が無数の黒い槍を飛ばすと、アウリエルは淡く輝く球体に身を包み、攻撃を防いだ。攻撃が止むと、アウリエルは腕から大きな光の球体を飛ばした。その球体は魔王の近くで拡散し、光の矢となって魔王を襲った。
「ふん!」
魔王は体から黒い瘴気を発散させて、光の矢を相殺した。
「はあああ!」
魔王は両手に黒い球体を発生させた。中央部は紫色に光り、激しいスパークを発していた。そしてそれらをアウリエル目がけ投げつけた。アウリエルは光の球を両腕に出して黒い球体を弾いた。黒い球体の一つは空中にいる精霊達や悪魔達の方へ飛んだが、みな回避した。もう一つは乾いた森に落下すると、広がりながら地上物を黒い闇に飲み込み、霧と共に消し去った。
アウリエルは光の球をリング状に変え、魔王に飛ばした。魔王はそれを避けたが、リングは軌道を変え魔王の腕を掠めた。傷口は光の力で焼き焦げたが、すぐに新たな組織が再生し、焼焦げた部位はかさぶたのようにカサカサになった。
「ぬああああ!」
魔王は両腕を広げ、上に掲げた。上空の空間が歪むと、燃え盛る巨大な岩の塊が多数姿を現し、アウリエル周辺に次々と降りかかった。アウリエルはそれらを涼しい顔でかわしていく。地上に落ちた岩はその周囲を破壊し、焼いた。少なくとも魔王達のいる半径数キロメートルの領域は、地上にも空中にも安全な場所はなかった。精霊達や悪魔達は、徐々にその場から距離を置き始めた。
降り注ぐ岩をかいくぐりながら、アウリエルは両手を上にかざした。その上方に大きなリングが発生した。アウリエルの手が魔王へ向けられると、リングは魔王めがけて飛んでいった。リングが魔王を囲むと、それは縮小しはじめた。リングのエッジが魔王に触れると、魔王の体を光の力で焼きながら、締め付けていった。
「ぬう…!」
魔王は全身から黒い瘴気を吹き出し、リングを消し去った。
彼はするどい眼光でアウリエルを睨んだ。だが口元には余裕があるようだった。
「…なるほど。口ほどのことはあるようだな、アウリエル」
魔王の傷は再生を始めていた。
それを見ても、アウリエルの顔は無表情だった。
「アズラエル。わたしがおまえを倒した時、わたしはアークエンジェルズだった。おまえが呑気に眠っている間、わたしの力は以前にも増し高みにのぼった。今ではわたしはプリンシパリティズの位にある」
「フン、精霊共の能力階級などに興味はない。だがつまり、貴様は一つ都市精霊に近づいたということだな。情動の機微も慈悲もない、ただシステムを維持するだけのつまらん存在に」
魔王の傷はほぼ跡形もなく回復した。
「笑止。悪魔が情動や慈悲という言葉を出すとはな。だがおまえがわたしの心配をする必要はない。いずれにせよ、おまえはここでこの魔界と共に滅びるのだからな」
アウリエルは右手を前方に差し出した。その手から、前方に円陣が生じた。円陣には奇妙な文字や記号が書かれている。
「滅びよ、魔王」
アウリエルがそう言うと、円陣から大量の光が放射され、野太い光のビームとなって魔王を目がけ一直線に飛んでいく。魔王は瘴気をまとった手でそれを受け止めた。ビームはほうぼうに拡散していく。魔王の瘴気は強烈な光のビームを受け止め切れず、彼の手は炭化を始めるが、その傍から物凄い勢いで再生していく。
マリアはその光景をやや離れた空中で見守っていた。周囲には悪魔も精霊もいなかった。みな巻き添えを恐れ、大きく後退していた。ただ、マリアから見える位置で監視者達もその様子を見つめていた。
マリアの元へ、ウイングを広げたセレナとアレシアがやって来た。だが彼女達は回復がまだ十分ではないようだ。
セレナはマリアに近寄った。
「…どう、状況は?」
「今の状況がずっと続いてるわ。ねえアレシア、優司はどう? 感じる?」
「…少しだけ。とても弱いわ」
アレシアの表情は険しかった。
「二人とも、わたしと手を繋いで。見せてあげる」
「そんなこと、できるの?」
マリアは少し驚いた。
「ええ、たぶん…」
三人は手を繋いで目をつぶった。アレシアの額のプロビデンスの眼が赤く光った。
果てしなく続く暗闇の中で、優司の意識がぼんやりと見える。それは見えると言うよりも、風や電気や熱のように、目に見えないものを別の感覚器官で捉え、イメージとして再構成するような要領だった。そのため、三人が目にする光景は、それぞれで少しずつ違っていた。
暗闇の中で、優司は再び目を覚ました。暗闇の淵にどれほど深く落ち込もうとも、上方の水面はそこにあった。それを見ると、優司は安らいだ。
水面から差し込む光が強くなったように感じられる。
「ああ、あったかい…」
『まだこんなところに残っていたのか…しぶとい人間め』
どこからともなく周囲を震わすような低い声が響いた。暗闇に鈍く光る人影が近づいてくる。その人影はもやっとしていて全身がはっきりしないが、左右に揺れながらどんどんと大きくなってくる。何かとても恐ろしいもののように感じられた。
「さあ、貴様の持っているものをよこすのだ!」
恐ろしい人影は裸の優司に近づいた。その優司は実体ではなく、彼女達がイメージする優司の魂の最も重要な部分だった。恐ろしい人影は、優司の腕を掴んだ。優司の腕はとてももろく、彼が少し抵抗するだけでもぎ取れてしまった。
優司は驚いた。
「な、なんで…うわあああ!」
痛みは感じなかったが、彼は心の中の大切なものを失ったような気がした。
(逃げて、優司!)
精霊達は意識の中で必死に声援を送った。
優司は走ってまた逃げた。
恐ろしい人影は優司を少し追ったが、途中で止まった。そして、もぎ取った優司の腕を見た。
「逃げたか…。だがこれだけでも十分だ」
アウリエルの攻撃はひとまず途絶えた。だが魔王にさしたるダメージは与えられなかった。
どういうわけか、魔王の気は一段と大きくなっていた。それはアウリエルにも感じられた。
「少しだけ見せてやろう。鍵の力、アイテールの泉の力を」
魔王は自己の気を練った。アウリエルはその間も光のリング、そして光の矢の攻撃を加えたが、魔王は黒い球状の瘴気を作り、それらを跳ねのけた。
「ふううう…はあああああ!!」
魔王の筋肉は再び膨張し、体全体が巨大化していく。最終的には以前の二倍以上、アウリエルの三倍ほどはあろうかという大きさになった。体が単に大きくなったというだけではなく、魔界全体が魔王に呼応するように、恐ろしく大きな邪気を放っていた。
「……」
アウリエルの表情から余裕が消えた。彼は言いようのない不安に襲われていた。
魔王はアウリエルが気迫で押されていることを見抜くと、低い笑い声を上げた。
「ふふふ…言葉も出まい。無理もない。この力はもともと貴様らのくだらん階級で言えば貴様の二つ上、デュナミスの持つもの。貴様が苦労してアイテールの朝露を飲む間に、我はアイテールの蛇口を捻り顔を洗うことができる」
魔王の両の掌から赤く燃えるような光の球が現れ、巨大化した。その球はクローディアが見せたものに似ていた。だが規模ははるかに大きく、まるで宇宙に浮かぶ太陽のように灼熱の紅炎を吹き出していた。
「だがこれは副次的なもの。鍵の最も重要な部分は、知っての通り儀典だ。プロトコルがあれば、デュナミスなど赤子の手を捻るも同然」
「そうはさせん!」
アウリエルは円陣を発生し、光のビームを放った。魔王は片方の燃える球を飛ばした。燃える球はビームに当たると膨らみながら、円陣を飲み込み強烈な光を放った。辺りは目がくらみ何も見えないほどだった。そして、灼熱の衝撃波がやってきた。アウリエルが次の攻撃を行う間もなく、魔王はもう一方の燃える球を飛ばした。
「く…!」
アウリエルは淡い光の球体で全身を覆い、魔王の攻撃を防いだ。
「む!?」
だがその球体は燃える球に浸食されていく。
「…ならば」
アウリエルは、両手を広げた。彼の体から、虹色に輝く小さな球体が次々と現れた。小さな、とはいっても、直径は五十センチほどはある。七個の小さな球体が同一周回上で回転を始めると、魔王の燃える球は消失してしまった。
魔王はピクリと眉を動かした。
「ふむ。絶対防御か…」
「そうだ。かつておまえを打ち滅ぼした七つの封印だ。そしておまえは再びこの聖なる雷槌によって滅びる!」
虹色の小球が青白く輝いた。小球の回転運動が次第に早まると、それぞれの小球の間で放電が起こった。輝く小球がハレーションを起こすと、それぞれが青白いビームを照射した。
「おあああ!」
ビームは魔王の体に命中し、魔王の胴体に円状の焦げ目を作りながら組織を深く抉った。魔王はその苦痛に天を仰いだ。
「あああああ…は、はは、ははははは!」
魔王は笑っていた。ビームの当たっている焦げ目部分はぐじゅぐじゅと泡立ち始めた。やがて泡は表面的なものとなり、しまいにはいくらビームが当たっても少しの跡ができるだけだった。魔王の再生能力は、アウリエルの攻撃による破壊を上回っていた。
「効かんな」
魔王はそう言うと、アウリエルを睨んだ。魔王の眼が怪しく光ると、アウリエルは前触れもなく小球と共に物凄い速度で飛ばされ、地上に叩きつけられた。周囲にズズンと鈍い衝撃が広がった。すると、アウリエルの両側に巨大な岩がせり出した。そしてそれらは加速しながらアウリエルを挟んだ。何度も、何度も、何度も。
「ぬぅ…」
傷ついたアウリエルは、七つの小球を体の周囲で回転させ、岩を破壊した。
「こざかしい」
魔王は右手から黒い球体を発生させ、飛ばした。その球体が小球と衝突すると、小球は激しく火花を散らした。そして小球は黒い塵となって消滅してしまった。
「ば、ばかな。絶対防御が…?!」
黒い球体はそのままアウリエルに当たり、激しい電撃を与えた。
「ぐわあああ───ッ!」
力尽きたアウリエルは、その場に倒れた。
「もの足りんな…。権天使の力とはそんなものか」
魔王はアウリエルの傍に着地し、彼を見下ろした。
「アウリエル様…!」
「アウリエル様───ッ!」
上空から戦況を窺っていた二人の監視者が、アウリエルを守るべく魔王に急降下していった。しかし魔王が彼女達に気づくや否や、彼の目がカッと見開かれ、次の瞬間彼女達は強力な力によって吹き飛ばされた。
「……!?」
「うわ───ッ…!」
二人の監視者は、ぐんぐん加速しながら、魔界の果てへと消えて行った。
魔王は彼女達が見えなくなると、満足げな顔をした。
「無粋なクズ共だ…再会のひと時を楽しむ我々の間に割って入ろうとは。貴様もそう思うだろう、アウリエルよ?」
アウリエルの返事はなかった。
アウリエルは浅く速い呼吸をしていた。魔王はその女性的とも言える美しい体をしばし眺めた。
「ふん…。首を取るなら、体はいらんな」
魔王は大きな手でアウリエルの胴体を鷲掴みにすると、腕が水平になる高さまで持ち上げた。そして、徐々に握る力を強めていった。アウリエルの骨が軋んだ。
「ぐ…ぐああ、あああッ…」
アウリエルの顔は苦痛に歪み、悲鳴を上げた。だが肺が圧迫され、悲鳴は長く続かなかった。アウリエルの押し潰された肉体は再生をしていくが、苦痛を取り去ることはできなかった。
「この感触はたまらぬ…簡単には死ねぬ体というのは、時として残酷なものだな!」
魔王はじわじわとアウリエルを苦しめ、その反応を楽しんでいるようだった。
暗闇の中で、わずかに残された優司の意識は不快な感覚に気づいた。
(なんだ…?)
目を開けると、上方には水面がきらめいている。だがその水面は騒がしく揺れていた。そして、周囲が赤色に染まった。
(なんだよ、これ…?)
不快な感触はだんだんはっきりしてきた。自分の手の中で、暖かいものが握り潰されていくような感覚。
(いやだ…)
いくら優司が拒絶しても、その行為はやめられなかった。まるで優司のすぐ隣で、別の優司がその感触を楽しんでいるようだった。
(いやだ…やめてくれ…!)
ゴリゴリと骨が砕ける感触が手に伝わってきた。
「へへへ…。この潰れていく感触、たまらないだろう?」
もう一人の優司はニヤニヤしている。その手は血に染まっており、その手には小さな人が握られていた。もう一人のものと思われたその手は、優司自身の手であった。
優司はひどく混乱し、全身で叫びを上げた。
「やめろ…やめろおおおおおおおおおおおッ!」
「ぐっ?!」
魔王は突然、頭の血管がズキンと動くようなするどい痛みを感じた。その痛みは鼓動に合わせるように断続的に起き、耐え難い痛みで体の力が抜けていくほどだった。
魔王はアウリエルを離した。アウリエルは地面にドサリと落ちた。
やがてその痛みは首筋を通り、胸の中央部に移った。彼の全身をめぐる何かが、その中央部に集まって行くような感覚を覚えた。魔王の呼吸は浅くなり、彼は胸を掻きむしった。
「ぐぅ…ぐうおあああああ!」
魔王が大きく仰け反ると、彼の心臓に位置する辺りが盛り上がり、魔王の体の大きさからすると人差し指ほどの大きさの血にまみれた肉が飛び出した。それは、粘土で乱暴に作った人の上半身のような形であった。
マリアはその肉芽をみて叫んだ。
「あれは…優司?」
「優司?!」
セレナは不可解な顔をした。とてもそんな連想が出てくるようには見えない。
「そうかも…」
傍らのアレシアが頷いた。彼女もマリアと同じことを感じているようだった。
マリアは思わず飛び出した。セレナとアレシアもマリアを追った。
「ぐう…逃して…なるものか!」
魔王は肉芽を手で押さえると、自分の肉体に押し込もうとした。
「やああああああ!」
マリアが突っ込み、レイスウォードで魔王の大きな手を切り付けた。魔王の手はマリアを払いのけようとする。彼女は超高速移動でそれをかわす。
アレシアは叫んだ。
「マリア! 無茶よ!」
銃声が響いた。
「炸裂!」
その声と同時に魔王の右手首が爆発した。
「こうなったらマリアをフォローするしかないわ!」
セレナは神銃を撃ち込みつつ、魔銃を全て圧縮魔弾にして可能な限り撃ち続けた。それは体内のエネルギーを激しく消耗したが、彼女は撃ち続けた。
「わかったわ…」
アレシアは泣きそうな顔になりながら、光の矢を圧縮し破壊力の高まった雷撃の矢を放ちまくった。
グラディスとブレンダ、二人の監視者は、可能な限りの速度で戦場の中心地へと戻っていた。やがて彼女達が見た光景は、信じ難いものだった。
「どうなってる…? 何をやってるんだ、あいつらは…?!」
グラディスが驚嘆の声を上げた。彼女達の目には、三人の小さな精霊達が魔王の周りで飛び回っているのが見えた。速度を落とし近づくと、アウリエルが地上に投げ出されているのが見えた。
並んで飛ぶブレンダが嬉しそうに笑った。
「…全く信じ難いコ達だね。ぼくらも参加しようじゃないか!」
「ブレンダ、待て!」
グラディスの声も聞かず、ブレンダは再び加速した。
一方、取り残されたグラディスはまだ信じられないようだった。
「あり得ない…。アウリエル様でも太刀打ちできない魔王に最下級精霊達が立ち向かうなんて…」
精霊が攻撃を加えても、魔王の体は直ちに再生した。
「くっ精霊共め、ちょこまかと…」
魔王は黒い球体を放った。
(やめろ!)
魔王の頭の中で誰かが叫び、魔王は苦しんだ。
「貴様あ…!」
魔王は肉芽を押し潰そうとした。
「はああ───ッ!」
ブレンダの槍が魔王の指を数本、切断した。だが、魔王の指は直ちに再生を始めた。
「滅せよ!」
光を帯びた大鎌が、魔王の手首を切断した。
「ぐうおッ!?」
「グラディス! やっぱり来てくれたね!」
ブレンダの顔が明るくなった。
「…ここまで来たら地獄の果てまで付き合うしかないだろう?」
グラディスは苦々しい笑みを浮かべた。
だが魔王の手首は再生を始めていた。
「させない!」
セレナのブラストが再生を遅らせた。
「優司───ッ!」
マリアは肉芽に近づいて行った。
優司は、暗闇の中で水面の方からその懐かしい声を聞いた。
「ゆう…じ…? ゆうじ…」
聞こえてくる声を復唱する。知っている声。知っている名。
血まみれの肉芽の先端が、人の顔になった。
マリアはそれに抱きついた。
「優司! そうよ、目を覚まして!」
だがそれはとても優司の顔とは認識できるものではなかった。それでもマリアは確信を持っていた。彼女はまとっていた戦闘殻を解き、シルキーシェルとなってその肉芽の顔を自分の胸にうずめた。
「マリア、離れて───ッ!」
セレナの声がした。再生した魔王の手がマリアと肉芽に近づく。セレナは魔王の手を破壊した。マリアは飛び散る魔王の肉片から、身を呈して彼女が優司と信じる肉芽を庇った。もう片方の手を、グラディスが切り落とす。アレシアは雷撃の矢で魔王の眼を射抜いた。
「ぐぬううう!」
優司は心地良い柔らかなものに、懐かしさを覚えた。
(ゆうじ…。優司…)
優司の中で、イメージが次々にフラッシュバックしていく。父や母に連れられている子供の自分、幼いカスミと遊ぶ自分、級友達とふざけ合う自分、そして円陣から現れた、天使のような赤毛のかわいらしい顔…。
(ああそうだ、彼女は…!)
肉芽の顔型が、優司の顔になった。
「優司?! 優司ッ、ああ優司ッ!」
マリアは泣きながら血まみれのその顔を拭った。
「ま…りあ…」
優司の顔は、苦しそうに目、そして口を開けた。二人は目が合った。涙と返り血でぐしゃぐしゃになった少女の顔を見た優司は笑みを浮かべた。
「マリア…ひでえ顔だな…」
マリアは笑った。
「優司…また逢ったね…」
マリアは優司に唇を重ねた。
彼女の全身は淡く輝きを放った。背中からは、光る翼のようなものが見えた。
それはアウリエルの光背と同じようだった。
暗闇の中の水面に映ったマリアから、まぶしい光が差し込んだ。
優司の意識は水面の明るい方へぐんぐん引き上げられていく。
(ああ、あったかい…あっちへ行きたい…マリア!)
「おああああ! やめろおおお!」
魔王は体内を掻き乱されるような強烈な痛みに苦しんだ。再生は著しく遅くなり、両手は肉と骨と血管が露出したままだった。
優司は息苦しさを感じた。それは生きているという証だった。彼は息を吐きながら、水面に突っ込んだ。その先は、まばゆい光の世界だった。
ズルッ。
優司の肉体はついに魔王から分離した。
マリアは優司を抱えた。落下する二人を、セレナが掴んだ。
魔王はその場に膝をついた。強大なその体は次第に縮小し、復活した頃の大柄な男に戻っていた。だが、両腕は再生しなかった。
「なぜだ…なぜ再生せぬ?」
魔王は上空の優司を見上げた。
「鍵の人間…貴様、我の体に何をした?」
「…へ、人間のオレが知るかよ…」
優司は吐き捨てるように言うと、がくりと気を失った。その言葉は魔王には恐らく届いていなかったが、マリアは優司を強く抱きしめた。
「う…」
アウリエルがゆっくりと立ち上がった。彼は魔王を見下ろした。
「魔王アズラエル…時が来たようだ」
アウリエルは光の球を発生し、魔王に飛ばした。光の球は無数の矢を発し、魔王を串刺しにした。
「ぐうおおお! 痛い…! なんだこの痛みは?!」
魔王に付けられた傷は再生することはなかった。
しかしアウリエルは片膝をついた。
「くっ…。わたしも少しやられすぎたようだ」
監視者達がアウリエルの傍に寄った。
ブレンダが言った。
「アウリエル様、私達の力をお使いください」
グラディスはアレシアを見た。
「アレシアとか言ったな。来てくれ」
「はい」
「おまえの力で、我々の力をアウリエル様に」
「え?」
そんなことが自分にできるのか、とアレシアは思った。
「いや、それよりも」アウリエルが言った。彼はブレンダを見た。「その槍を使おう」
グラディスとアウリエルはアレシアの肩に手を添えた。アレシアは急速に自分の中にアイテールが高まっていくのを感じた。アレシアはブレンダの肩を掴み、それを送った。
「来たよ…」
ブレンダの双刀の槍が青白い光を放ち始めた。ブレンダが抑えきれぬほどのアイテールの高まりを感じた時、ブレンダはツインブレイズを構えた。
「聖なる業火で…焼かれろ!」
ツインブレイズは青白い光を放ちながら、魔王を貫いた。
「ごふッ!」
魔王は何も感じなかった。
「ふ…ふふふ…こんなもの、痛くもかゆくもないわ!」
精霊達は叫んだ。
「滅せよ!」
ツインブレイズから青白い炎が噴き出した。魔王の体はたちまちその炎に包まれた。
「ごあああああ…!」
それは激しい高温で、周囲の空気を揺らしながら魔王の体を焼いていく。
やがて魔王の体は炭となり、その炭すらも燃えていった。
(2)
征伐隊の精霊達は慌ただしく動いていた。部隊毎にまとまると、それぞれ空中に舞い上がり撤収を始めた。
アウリエルの周囲では、数十人の護衛が悪魔の残党を警戒していたが、悪魔達は森に姿を隠したか、あるいは魔界から逃げ出したようで、戦闘が起こることはなかった。
三人の精霊と優司の傷ついた体は、治癒能力を持つ精霊が治療した。だが優司に限って言えば、その必要はないようだった。彼の肉体は血で汚れてはいたが、傷一つなく再生していた。
マリアを始め、セレナ、アレシアはエンゲージシェルを解いていた。
「う…」
優司はマリアの胸に抱かれながら意識を取り戻した。
「優司、気が付いたのね? 良かった…!」
マリアは優司に頬ずりした。
「ち、ちょっとマリア、いつまでくっついてんのよ…!」
セレナがジト目でマリアを見ている。
優司は半身を起した。
「みんな無事か…。ここは、魔界…だよな?」
優司の声はしっかりしていた。
「うん。魔王はやっつけたよ」
「そうか…やったな、ついに」
「うん! みんなと優司の力だよ」
マリアは優司を見つめた。
セレナがそのいい雰囲気の二人に割って入り、ジト目でマリアの顔を覗き込んだ。
「…そういえばマリア、さっき優司にキスしてなかった?」
「え?! あ、あれは成り行きで…」
マリアは顔を赤くしてどぎまぎしている。
セレナは優司のほうを振り向くと、おもむろにキスをした。彼女はむりやりちゅー…と優司を吸った。そしてちゅぽん、と唇を離した。
「…え?!」
優司は面食らい、わけが分からなかった。
彼女のキスは子供がするようなものだったが、彼女は優司の顔を見ると、顔を真っ赤にした。
「…こ、これで許す」
「ちょっとセレナ! 卑怯よ!」
「ふん、成り行きよ!」
マリアとセレナがいがみ合ってると、アレシアが優司の顔を引き寄せた。そしてとろける様なキスをした。
「…ええ?!」
優司はやはりわけがわからなかったが、なんだかとてもありがたい思いがした。
「わ、わたしも…許す」
アレシアは頬を紅潮させた。優司は女神のような彼女の顔をじっと見つめた。
「…そ、そんな見ないでっ!」
アレシアはなぜか優司の顔を自分の胸に引き寄せた。
「もふっ!?」
アレシアは胸の中で優司の存在を感じると、優しげな表情を浮かべた。
「良かった…おかえり、優司…」
彼女のおっぱい攻撃はハンパではなかった。優司の顔はアレシアの大きな胸に完全に埋没していた。シルキーシェル越しから、彼女の胸の圧力を力いっぱい感じた。
「ああーっちょっとアレシア、何やってんのよ!」
「アレシア、それは反則よ、離れなさい!」
二人はアレシアを揺すった。
(おおお、す、すげー…。オレもう死んでもいい…)
優司は窒息しそうだったが、その顔は幸せに満ちていた。
「ゆ、優司…?!」
セレナは真っ赤な顔をして、ある一点を凝視していた。
優司は全裸のままだった。そして彼の下半身はやんちゃになっていた。
「きゃあああ!?」
三人の女の子は真っ赤になりながら手で顔を覆い隠す。が、指の隙間から、彼の元気の象徴をしっかりと見ていた。実の所、マリア以外は優司が気を失っている時からそのだらっとしたパーツがずっと気にはなっていたのだが…。
「え? …うわあああ!」
自分の状況にようやく気付いた優司は、慌てて下半身を隠した。
「ふ…おまえ達は元気だな」
アウリエルが近付いてきた。アウリエルが優司に手をかざすと、大きな白い布が出現した。
「おまえ達には世話になった。誰一人欠けても、あの魔王を倒すことはできなかっただろう。礼を言わせてもらう」
「そんな、畏れ多いです…」
アレシアは頭を垂れた。
その時、空で雷鳴が響いた。今まで雲ひとつなかったこの空間に、今は怪しげな雲が渦巻き、至る所で稲光が発生していた。
「始まったようだ…」
アウリエルが空を見上げ呟いた。
「始まったって?」
マリアが周囲に尋ねた。セレナがそれに答えた。
「魔界の崩壊…。もともとここは魔王が作った結界。魔王が死んだから、ここはもうすぐ跡かたもなく消え去るわ」
「少し違うな」
アウリエルが言った。
「魔王は確かに倒れたが、完全には滅びない。またいつか復活する」
「どういうことですか?」
マリアはアウリエルに尋ねた。
「それがこの世界の摂理だからだ。さらに言えば、魔王はアズラエルただ一人でもない。別の魔王がいつ蘇るかも分からない。だから精霊達よ、今は体を休め、次に備えるのだ」
「はい…」
精霊達は身の引き締まる思いだった。
「我々はもう行く。おまえ達も早めに去った方がいいぞ」
アウリエルは優司をちらりと見た。優司は思わず会釈をした。
「ではさらばだ」
アウリエルはきびすをかえすとその場から立ち去った。
その入れ替えで、グラディスとブレンダが近づいてきた。
「我々もとりあえず役目は終わり。アウリエル様と引き上げるよ」
ブレンダが言った。
「おまえ達にはたまげたよ。役に立たない、っていうのは撤回しないとな」
グラディスの言葉に、三人の精霊は軽く笑みを浮かべた。
監視者達も去って行った。
やがて、全ての精霊はいなくなった。
周囲は地響きが鳴り、空間の軋む大きな音が響き始めていた。魔界全体が、縮小しているようだった。
三人の精霊は、再びエンゲージシェルをまとうと、セレナとアレシアが優司を抱え飛び立った。
「……」
優司は地上の城を見た。魔界での出来事はほとんど覚えていなかったが、ひどく長い間そこにいたような気がした。
「さあ帰りましょう、元の世界に」
先行するマリアが円陣を広げると、一行はそこに飛び込んだ。
そして魔界は消え失せた。
..*
三人の精霊と優司は円陣をくぐり抜け、元の空間に戻ってきた。
どうやら周囲はまだ早朝のようで、日は低く、空気はひんやりしていた。赤く陰鬱だった魔界の空に比べると、その空は目に痛いほど明るく、どこまでも広く、心地良かった。
地上を見ると、見覚えのある町が見えた。
優司がほっとしたように言う。
「戻って来れたんだな…」
「ええ…」
彼を抱えるセレナとアレシアが頷いた。
一行は家族の待つ家へと向かった。