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第二十話 絶望と希望と

(1)


 メレルは石のベッドに大の字になった優司の上で彼の放出を受け、恍惚の表情を浮かべていた。優司は既に心のない人形のようになっていた。そこに女が来れば、誰であろうと見境なく襲いかかり獣のように腰を振った。

 メレルは立ち上がった。優司から得た精は、直ちにメレルの力へと変換された。腹の奥から湧き起こる御し難い強大な力を、メレルは必死に抑えた。

「ああ、すごい…。短時間でこれほどまで高まるなんて…。和田優司、おまえはほんとにすごいよ」

 彼女のはち切れそうな胸から、瘴気の混じった乳が溢れ滴った。

「あん、溢れちゃう…」

 メレルはそれを掬い、自分の口に運んだ。

「ふふふ…。早く、早くここへ来い…!」


(2)


 ついに森を抜けた精霊達は、丘の急斜面に沿って飛行していた。三人は満身創痍だったが、優司は無事でいる、というクローディアの言葉が彼女達を駆り立てていた。

 城はもう視界に捉えられていた。だが城の入り口の両脇の大きな石像が、にわかに動き出した。

「なんかでっかいのが動き出したわ!」

 マリアの言葉に、アレシアが答えた。

「戦わず一気に抜けましょう!」

 だが、彼女達はそれ以前にそこまで辿り着けるかが問題となった。上空から、有翼の魔物達が大挙して押し寄せてきたのだ。

「うわ、まずい!」

 セレナは魔物を数匹撃ち落とした。しかしそれは殆ど意味がなく、三人はたちまち黒い翼に囲まれた。その勢いはすさまじく、徐々に押し込まれた三人は飛行して接近することができなくなっていた。丘の斜面はひどく傾斜がきつく、遮るものはほとんどなかった。小高い丘に作られているのは、この形状が攻めにくい天然の要塞だからだ。三人の進む速度は著しく落ちた。

「個別行動はムリだわ。集まって突破しましょう」

「ええ」

 アレシアの提案にセレナが同調した。

 アレシアを中央にして上空をイージスで抑え、マリアが先頭に立ち道を切り開き、セレナが後方と支援を受け持つという密集型の陣形が出来上がった。その歩みは遅かったが、着実であった。城はすぐそこだというのに、三人にはこの斜面がまるで断崖絶壁の様で、しかもとてつもなく高くそびえるように感じられた。

 そしてさらに、その斜面を不気味なハム音が揺らした。

 マリア、そしてセレナは嫌な顔をした。

「え、これって…?」

「まさか?!」

 ハム音は大きな羽音に変わった。羽音が高周波を含むに従い、音源の位置がはっきりしてきた。

 アレシアは斜面の下を注視した。

「下よ!」

 楕円形の黒い口が、斜面に沿って登って来た。周囲の魔物達はザッと飛び立った。地面の振動が次第に強くなってくる。

「こんなとこを…むちゃくちゃだわ!」

 眼前に捉えたセレナは恐怖した。

 アレシアが叫ぶ。

「避けて───ッ!!」

 三人は十分引き付け、左右に散って巨大な空飛ぶムカデの攻撃を避けた。地上すれすれを飛ぶ様は、まさに暴走列車のようであった。

 ムカデの魔物はそのまま斜面を登り、城の方へ消えていった。

 アレシアは上方を睨んだ。

「気を付けて、戻ってくるわよ!」

 だが、上方で重い物体が衝突するような大きな衝撃音が発せられ、「ギアアアア!」というムカデの怪物の悲鳴のような鳴き声が響いた。衝撃音は二度、三度と続き、しばらくすると上方から何かが落ちてきた。それらは三人のすぐ近くに落ちると、べっしゃりと潰れた。それは、ムカデの巨大な肉の破片だった。多くの破片は、斜面でバウンドしながら下方へ転げ落ちていった。

「ど、どうなってるの?」

「上で一体何が…?!」

 マリアとセレナがほぼ同時に言った。

 三人はまだ見ぬ恐怖に震撼した。


 場が騒然となっている隙に、三人は上へ向かった。だが、有翼の魔物達は次第に集まり、またしても障害となった。

「マジ信じらんない。この魔物達、一体どんだけいるのよ?!」

「ま、マリア、その言葉遣いどこで覚えたの…?」

 アレシアはジト汗を垂らした。

 セレナとマリアは口をそろえた。

「学校ッ!!」

 後方のセレナは、斜面の下の方で土煙が上がっているのに気づいた。

「何か…いやな予感がするわ…」

 その土煙は、森に潜んでいた小悪鬼インプの集団であった。それはおつまみのアソートのように、多種多様ごった煮の一団だった。

「下から大群!」

 前方のマリアは前を向いたまま叫ぶ。

「ザコに構ってるヒマないわ。セレナ、後ろよろしく!」

「言うのは簡単だけどね…!」

 セレナは圧縮魔弾を撃ち出した。

炸裂ブラスト!!」

 圧縮魔弾が爆発すると、小悪鬼の集団は面白いように吹っ飛んだ。

「いいじゃない! …セレナ、もっといい技持ってたでしょ」

「無理。この状況じゃ、溜めてる余裕ないッ!!」

 セレナは即答した。

「じゃあ、わたしがその余裕作るわ。アレシア、前お願い!」

 マリアは後方に回り、セレナの前に立った。

「え? ま、マリアぁ!!」

 アレシアは涙声で迫りくる集団をイージスでこらえた。だが、上の防御が弱くなった。

「うおりゃああああ!」

 マリアは両手のレイスウォードを振り回し、迫りくる小悪鬼を根こそぎぶった斬った。

「マリア…あなたのそのバイタリティはどこから来るの…?」

 セレナは少々呆れ気味に呟きながら、アイテールの圧縮魔弾をさらに圧縮した。

「…できたッ、どいて、マリア!」

「オーケー!」

 マリアはセレナの射線から退いた。

「行っけ───ッ!」

 魔銃から、超圧縮魔弾を撃ち出した。

業火インフェルノ!」

 超圧縮魔弾が燃え上がり、灼熱の炎が小悪鬼達を焼き尽くしていった。

 マリアはにっかりと笑った。

「やったわッ!」

「すごいわ、あなた達…!」

 アレシアは感動していた。

 マリアは再び前方に戻った。

 だが、下方で燃え盛る炎のなかから、黒い大きな影が突進してきた。

「うっそ!?」

 セレナがキャラ違いの声を上げた。

「何?」

「またやばいのが来た!」

 それは三つの首と三つの尻尾を持つ巨大な狼の魔物だった。狼の魔物は小悪鬼達を踏みつけながら、物凄い勢いで近づいてきた。四足の獣は、瞬く間に精霊達との距離を詰めた。

「来るッ! みんな避けて!」

 セレナの叫びで、三人の精霊はほうぼうに散った。獣の着地点に残った魔物達が吹き飛ばされた。

 三人は乱れた陣形をなんとか整えた。

「こ、このままじゃ隙をつかれて全滅だわ!」

 アレシアの声には不安と共に疲労が隠せない様子だった。

 マリアは後ろを向いて、セレナに呼びかけた。

「セレナ、ブラストであの魔物、一気にしとめられないの?」

「無理。動きが速すぎて避けられちゃうわ」

「動きを止めればいいのね?」

 そのやり取りに、アレシアが続いた。

 マリアは彼女の顔を見た。

「どうするの、アレシア?」

 アレシアはマリアにウィンクすると、後方のセレナに振り返った。

「セレナ、あなたにわたしの意識を送るわ。あの魔物の位置を正確に割り出して」

「そんなこと、できるの?」

「わからないけど、あなた達に森で意識を送ってた時に少し感じたの。たぶん、行けるわ」

 アレシアの真剣な顔を見ていたセレナは頷いた。

「わかった」

 セレナは魔銃の弾丸を圧縮した。そしてアレシアと連携して位置を探る。

「…来た、三時の方向!」

「セレナ、構えて!」

 アレシアはイージスを横に掲げた。有翼の魔物達が群がった。そこに、何かが衝突してきた。そして魔物をかき分けながら、狼の魔物の大きな口が現れた。その口は、アレシアのイージスによって防がれた。

「セレナ、今よ!」

「バッチリ!」

 アレシアがイージスを下げるのに合わせ、セレナは圧縮魔弾を二発撃ちこんだ。アレシアはすぐさまイージスを掲げ直した。

炸裂ブラストォ!!」

 精霊達の目の前で、狼の魔物は破裂した。

 マリアはまたしてもにっかりと笑った。

「すごい、やったわ!!」

「うまくいったわね、アレシア」

「ええ、みんな、ありがとう!」


 三人は陣形を戻すと、なおも先へ進んだ。だが今のやり取りの間に、有翼の魔物や小悪鬼達から多くの傷を受けていた。

 ほどなくして斜面は急に平坦になった。

「みんな、城よ!」

 マリアの眼前には、石造りの巨大な城がそびえていた。

 城の入り口まではたった数十メートル。だが、その前の広場のように開けた場所には、あのムカデの魔物の残骸が横たわっていた。そしてその後方には、巨大な石の怪物が二体、頭を見せていた。

 マリア達は魔物の残骸に飛び乗った。その途端、石の怪物の壁のような拳が飛んできた。

「うわっと!」

 三人は飛びのいた。拳は残骸にぶち当たると、それを粉々に吹き飛ばした。飛び散った残骸はその周辺を飛び交う有翼の魔物達を巻き添えにして周辺にバラ撒かれた。

「こ…こっわ~」

 マリアは冷や汗を垂らした。

「これがさっきの衝撃の原因ね…」

「みんな、油断しないで!」

 石の怪物(ゴーレム)の足元には、ガーゴイルが群れをなしていた。ゴーレムと比較すると小さく見えるが、二・五メートルほどはあるだろう。翼の生えた人の形をしているが、口にはくちばしがあり、頭からは二本の短い角が生えている。そして腕は隆起した筋肉を湛え、指先と足には鋭い鉤爪を有している。さらにそれぞれが身長と同程度の長さの鉾を携えていた。そのある意味機能美とも言える姿は、城を守る屈強な衛兵として適役であった。

 斜面を上がって来た小悪鬼達は、その広場の光景に圧倒され、先に進むのを躊躇していた。下からの突き上げにより前に出た小悪鬼が、慌てて他の悪魔達の上を通り後方へ逃げていく。そんな状態で騒々しくなっていた。上空では相変わらず有翼の悪魔達が飛び交っている。やはり衛兵たちに威圧されてか、広場の周辺は避けているようだが、飛行しての侵入は難しいと思われた。

 二体のゴーレムは歩き出した。ムカデの魔物の残骸を迂回するかのように、二手に分かれ、挟み討ちをするつもりのようだった。

「ど、どうするの?」

 焦るマリアにアレシアが答えた。

「あんなの相手にしたくないわ。無視して先に進みましょう!」

「でかいのはトロそうだからいいとして、問題はあの悪魔達ね…」

 セレナは残骸越しにガーゴイルの一団を見た。二人も続いた。

 マリアが言った。

「見て、城の門は上に隙間があるわ。出たとこ勝負だけど、あそこに飛び込めば、あの悪魔達をかわせるかも」

 だがセレナがするどくツッコんだ。

「あの悪魔も飛べそうだけどね…」

「う…」

 そうこうしているうちに、ゴーレムが回り込んできた。

「時間がないわ。マリアの言うとおり、出たとこ勝負で行きましょう。みんな、離れないで」

「やれやれ、策なくして勝機なし…」

 セレナは首を振った。

 三人はゴーレムを引きつけ、残骸を飛び越えた。ゴーレムは大きな拳を残骸に打ちつけた。大きな鈍い音と共に、肉片がハデに飛び散った。

「いやいや、こわい~!」

 ペースアップするマリアをアレシアが諌めた。

「マリア、急ぎ過ぎないで! ついて行けないわ」

 セレナは振り向き、圧縮魔弾を一体のゴーレムに撃ち込んだ。

炸裂ブラスト!」

 圧縮魔弾が爆発し、煙が上がった。ゴーレムは少しひるんだが、表面が少し崩れた程度で、致命傷は与えることができなかった。

「やはり内部に撃ち込まないとだめか…!」

 城門の内外の通路を埋め尽くすガーゴイル達は、陣形を取ったまま動かない。マリア達の方から突っ込んで来ることを知っているからだ。三人はガーゴイルに近づくと、ウィングを広げ、上方の隙間を突破する作戦に出た。ガーゴイルはそれを察知すると、後方のガーゴイル達が翼を広げ浮かび上がった。隙間はほぼ完全に塞がれた。さらにその奥の暗がりに、またしても大きな巨人の姿があった。よくは見えないが、一つ目の鬼のような怪物であった。

「この陣形…まずい、囲まれる!」

 セレナが呟くように言った。

 三人は手前のガーゴイルの上空を通り過ぎた。そのガーゴイル達も空中に上がり、三人は前後を挟まれた形になった。さらに、残骸を迂回したゴーレムも退路を塞ぐように近づいてくる。

 三人は交戦状態に入った。ガーゴイルの集団は非常によく訓練されており、連携しながら次々に攻撃を繰り返してくる。マリア達が攻めれば引き、引けば再び攻撃を繰り返してきた。さらに、ガーゴイル達は部分的に石のように硬化することができ、マリア達の攻撃は魔物に致命傷を与えることができなかった。

 ガーゴイル達の長い鉾は、マリアの間合いの外から攻撃ができた。諸々の条件を鑑みると、まともに当たっては不利だった。マリア達は互いに連携を取りながら、一点突破で無理矢理押し進んだ。だが時折り、ゴーレムのガーゴイルを無視したむちゃくちゃな拳が飛んできた。その度に陣形は大きく崩れ、態勢を立て直すのに苦慮した。多少のダメージは、この際痛みすら考えている余裕はなかった。

 息つく暇もない戦いが続いた。少しずつ押し進んではいたが、精霊達の消耗は激しかった。誰かが気を抜けば、一気に押し返されるかも知れない。そんな緊張の中、精霊達は互いを信じ必死に戦った。

 ついに、その前方を塞ぐ巨大な一つ目の鬼に近づいた。ゴーレムに比べるとその体は小さいが、動きは驚くほど俊敏だった。ガーゴイルと戦う精霊達の隙を窺うようにじっとしていたかと思うと、おもむろに手を伸ばし、精霊を捕まえようとする。

「ま、マジコレ?」

「冗談じゃないわ!」

 マリアとセレナは息が合ったかのように言葉のやり取りをする。

 三人は分厚い城壁の中の通路をくぐり抜け、少し開けた場所に出た。だがその空間も一つ目の鬼、そしてガーゴイルが大挙していた。三人は上空を飛んだが、城の中に入るには、地上に降りてアーチ状の通路に再び突っ込んでいく必要があった。通路の入り口は数体の一つ目の鬼達によって塞がれていた。背後には、城壁を潜り抜けたゴーレムが近づいていた。

 三人はなかなか突破の機会が掴めなかった。何度目かのゴーレムの攻撃で陣形が崩れた。三人が態勢を整えようとしたところで、一つ目の鬼の手が伸びてきた。

「逃げてッ!!」

 マリアは超高速移動でかわした。だが、残る二人はかわしきれず、一つ目の鬼の手に握られた。

「うあああ───ッ!!」

「セレナ、アレシア!」

 二人は鬼の強力な握力で押し潰されそうになった。

「このーッ、二人を離せ───ッ!」

 マリアは超高速移動で鬼の大きな手に近づくと、レイスウォードで斬り付けた。鬼の手からドロッとした体液が流れ、そのダメージは有効と思われたが、マリアは鬼のもう片方の手でたたき落とされた。

「くッ!!」

 マリアは見上げた。鬼の手の下から、二人の脚が見えた。

「セレナ…アレシア…!」

 マリアは立ち上がろうとしたが、叩き落とされたダメージは大きく、体が言うことを効かない。二人のプロテクターは限界に達し、バキバキと割れる音を立てた。

「いや───ッ!!」


 その時、多数の光の矢が鬼の体に刺さった。鬼が握る手を緩めたため、二人は落下してきた。マリアはとっさにウィングを広げ、二人を受け止めた。

「うッ…!」

 腕に痛みが走り、長くは飛べなかった。マリアは高度を落とし、二人を降ろすと落下して地上を滑り、転がった。少しの間彼女は動けなかったが、なんとか力を振り絞り、身を起こした。

「セレナ…アレ、シア…」

 マリアの顔は苦痛に歪んでいた。だがそれ以上に仲間が心配だった。目が霞む。

 ふと上を見ると、光を放つウィングと、白い影が多数見えた。それは、応援に駆け付けた守護隊の一団だった。みな女性の姿で、有翼の魔物と戦っていた。そして弓を持った精霊達が、ガーゴイルや一つ目の鬼達に矢を穿っていた。さすがにゴーレムには苦戦しているようだったが、多数の精霊に囲まれたゴーレムは狙いを定めることができず、その攻撃は宙を切っていた。

「みん…な…」

 マリアの顔に希望が戻った。彼女は這いつくばって倒れた仲間の元へ近づいた。そして、二人にしがみついた。

「セレナ、アレシア…みんなが助けに来たよ」

 もう二人とも動かないのではないかと思うと、マリアは湧きあがる不安と悲しみを抑えることができず、涙を流した。

「セレナぁ、アレシアぁ…死んじゃやだよ…」

「誰が…死ぬって?」

 マリアは顔を上げた。セレナは苦痛の表情を浮かべていた。

「セレナ!!」

 マリアは嬉しさのあまり、彼女をきつく抱きしめた。

「いだいいだい…! あんたバカ? さっきまでアレに締めつけられてたの忘れたのッ!」

「あ、ごごご、ごめん!!」

「う…」

 アレシアも意識を取り戻した。

「アレシアも! 良かったぁ…」

 マリアは感極まって、今度は嬉し涙を流した。アレシアを抱きしめそうになったが、セレナが首を振るのをみて、しかたなく自分を抱きしめた。


(3)


 魔界の城の周囲が騒々しくなる中で、王の間は静寂を保っていた。魔王は一人玉座に座り、深く瞑想していた。

 王の間の入り口から続くワインレッドのカーペットを、黒く小さな丸い小悪鬼がぴょこん、ぴょこんと飛び跳ねながら進んでいた。全身が毛で覆われた目玉の魔物、ビホルダーだ。ビホルダーはやがて玉座の前までやって来ると、だまったまま城の主を見上げた。その口は逆への字に曲がり、薄ら笑いを浮かべているようだった。

 魔王はゆっくりと目を開けた。そして、魔王の低い声が響いた。

「在りてあるべき姿に」

 ビホルダーはぴょこん、ぴょこんと飛び跳ね、魔王の足元にたどり着き、魔王の膝に乗った。そして、瞼に相当する部分が上下に割れると、脱皮するかのようにずるりと全身の毛皮を脱ぎ捨てた。

 ビホルダーは剥き出しの眼球の姿になった。

 眼球は宙に浮きながら縮小し、魔王の顔まで移動した。魔王は今までずっと閉じていた左の瞼を開けた。そこには真っ黒な空間が空いていた。眼球となったビホルダーは、その空間に滑り込んだ。

 眼球が百八十度回転すると、まるでずっと前からそうであったかのように魔王の両眼は左右対称になっていた。すなわち、ビホルダーは魔王の左目であり、復活する前から全ての出来事を見ていたのだ。

「期は満ちた…」

 魔王の黒目の周りが赤く光った。魔王は玉座の背もたれにもたれかかると、フー…と大きく息を吐き、また静かに目を閉じた。


 まもなく、王の間に複数の足音が響いた。カーペットの上を、優司が二匹のガーゴイルを従えて歩いてきた。玉座の近くに来るとガーゴイル達は立ち止り、優司だけが前に進んだ。

 優司は玉座に数メートルの距離まで近づくと、立ち止った。全裸だった。以前の明るくひょうきんな表情は消え、影を引いていた。魔王を前にしても全く憶する様子はなかった。冷たい目はどこか虚ろで、口元はわずかに開き、笑みを含んでいた。その表情は邪悪ですらあった。

 魔王は立ち上がった。下半身にかけていた白い布が落ちると、魔王も全裸であった。その肉体は彫刻の様に美しかった。

 魔王は両手を広げ、気を漲らせた。腕や胸の筋肉が隆起し、太い血管が浮かび上がった。周囲がビリビリと震え、低い地響きとなった。すると優司の体から白いオーラが立ち上がり、それらは魔王の体へと吸い込まれていった。その量は次第におびただしくなり、オーラなのか、優司の体そのものなのか判別がつかなくなった。地響きはなおも強さを増し、城全体が震えた。

 優司の顔は歪み、魔王に引き寄せられていく。優司は無意識のうちに唸り声を上げた。

「う、うう…うおおおおおおおお!!」

 次の瞬間、優司の体は消えた。地響きも止み、王の間は再び静寂を取り戻したかのようだった。

 魔王は両手を広げたまま中空を見つめていた。

「おお…」

 魔王の深い呼吸は、いつしか声になっていた。その両手は、体の奥底から漲る力に震えていた。

「フ…フフ…フハハ…フハハハハ…これはすごい…!」

 魔王の体から、鈍く光る瘴気が漂い始めた。


 優司は完全に魔王に取り込まれた。


..*


 城の外で、マリアは、先遣隊の精霊の治癒ヒールを受けていた。マリアは全身が淡い光に包まれ、周囲にはホタルのように無数の光の粒が漂っている。その光は暖かく、痛みを取り去っていった。

 やがてその光は消えた。

「ふう…。あまり時間がないから完全じゃないけど」

 奇蹟ミスティックによる治癒を行った精霊が、額の汗を拭いながら言った。彼女は少女のように華奢で、戦闘ができるようなタイプではなかった。エンゲージシェルを身につけてはいたが、そのシェル自体もプロテクターというよりは肩当てのようで、そこから白いマントが伸びていた。もともとエンゲージシェルと呼ばれるものは、戦闘殻というよりは、精霊の能力を最大限に発揮することをサポートする勝負服を意味する。彼女達の特性に合わせ、エンゲージシェルの形状も異なっていた。

「ありがとう。すごくよくなったわ!」

 マリアはニッコリと笑った。既にセレナとアレシアの治療は済んでいた。

「あなた達、だいぶ消耗してるみたい。あまり無茶しないほうがいいわよ。…っていってもみんな言うこと聞かないんだけどね」

 少女のような精霊がため息交じりにそう言うと、マリア達は苦笑いした。

 セレナはその精霊に問いかけた。

「魔王の征伐隊にしては数が少ないみたいね」

「わたし達は先遣隊。後から本隊が到着するわ」

 その時、城が震えた。

「ハッ!?」

 アレシアは優司の意識が一瞬大きくなり、消えるように小さくなっていくのを感じた。

「優司…」

「アレシア、優司がどうしたの?」

 アレシアの不安げな顔はセレナ、マリアの顔も曇らせた。

「わからない…でも、何かいやな予感がする」

 マリアは立ち上がった。

「先を急ぎましょう!」

 三人は治癒の精霊に別れを告げると、城内に向かって走り出した。

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