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第十八話 フォール・ダウン

(1)


 彼方の深淵、魔界は、小高い丘の城を中心としてにわかに賑わい出していた。空には大小の有翼の悪魔達が飛び回り、枯れた森では地面から次々と小悪鬼達が復活していく。魔界の主の復活により、この世界全体が脈打ち、魔の力が循環し始めたのだ。血の色をした川は流れを取り戻し、周辺に血の潤いを与えた。枯れた森の木々は、小さな悪魔を捕えてはその魔力を吸い上げ、毒の瘴気を放ち始めた。


 丘の上の城内を、扇情的な腰つきでメレルが歩いていた。彼女の顔は、相変わらず精緻な美しさを湛えていたが、以前にも増して自信と威圧的な迫力が漲っていた。

 やがてメレルは王の間にたどり着いた。全体は白い石で統一されており、天井ははるか上の暗がりに消えている。至る所に置かれた燭台には、ろうそくもないのに炎が揺らめいていた。磨き上げられた花崗岩の床には、メレルの立つ入口から百メートルほど先の玉座に至るまで、金の刺繍が施されたワインレッドの密度の高いフェルト地のカーペットが続いている。

 メレルは背筋を伸ばし、そのカーペットの上を歩いていく。壁沿いには、やはり磨き上げられた大理石の円柱が立ち並び、その合間に巨大な白い大理石の石像がいくつも置かれている。それらは人間の男性や女性の裸像であったり、ガーゴイルやミノタウルスのような魔物の姿であるが、そのいずれもが肉感的で、今にも動き出しそうなほど精緻でダイナミックな力強さがある。それを眺めて行けば、この長い部屋を進むのもそう退屈ではなかった。しかし彼女の視線は、前方に据えられたままだった。

 メレルは玉座まで十数メートルの所で立ち止まると、静かに頭を垂れた。

「メレルか…」

 高い背もたれの玉座に座った男が口を開いた。その声は低く落ち着きがあるが、周囲の空気をピリピリと震わすほどの音圧を持っていた。玉座の人物はほぼ全裸で、下半身に白い布を掛けていた。大柄ではあるが引き締まった全身は鋼のような隆起した筋肉で覆われており、やや色の濃い肌は張りがあり、周囲の灯りを鈍く反射させていた。分厚い胸板には黒い胸毛が逞しく湛えられている。その上に立つ首筋は、がっしりと太い乳様突起筋と盛り上がった僧帽筋で固められている。細いアゴの先は逞しく割れており、厚い唇、力強い眉と共に彫りの深い顔立ちを形成していた。髪は黒く長髪で、天然のウェーブがかかっている。その頭には、牡牛のような見事な角がカーブを描きながら上を向いている。左の目は閉じられているが、右の目は赤くギラつき、見る者を圧倒する迫力があった。

 この男こそ魔界を統べる者、魔王アズラエルである。


 魔王の周りには、肉感的な女性型の悪魔が七、八人座っており、玉座に寄り添って、何をか求めるように魔王の体に手を這わせている。いずれも全裸か、わずかな布をかけただけだった。

「顔を上げよ」

 メレルは無言で顔を上げた。視線は合わさない。

「相変わらず美しいな。…もう少し寄るがいい」

「は」

 メレルは半分ほど距離を詰め、玉座まで数メートルとなった。

 魔王は彼女から立ち上がる妖気を感じ取った。

「ふん…。あの人間は楽しめたか?」

「はい…。思っていた以上の力を秘めているようです」

「見せてみよ」

 メレルは片手を前に出すと、掌から小さな光の球を発生させた。光の球は輝きを増すと、突然巨大化した。ズズズ…と地震のような振動が周囲を震わせる。女の悪魔達は騒ぎ出した。

 球の直径は数メートルになり、魔王の目の前に迫った。周囲の女の悪魔達は恐れおののき、我先にと玉座の影に隠れた。だが、魔王は至って冷静にそれを見ていた。

 光の球は巨大化してなお輝きを増し、周囲の空気が渦を巻き始め、今にも爆発しそうなほとばしりを見せたところで、不意に消えた。

 メレルは強大なエネルギーを放出してなお、平然としている。

「素晴らしい…」

 魔王は呟くと、口元に軽い笑みを浮かべた。

「その力、我も早く手にしたいものだ…。だがあの人間の魂にはいまだ光が残っている。あの人間を徹底して貶め、闇に染めよ」

「御意」

 メレルは頭を垂れると、数歩後ずさりして、王の間を去った。


 魔王は一人の女の悪魔の腰を抱いて引き寄せると、彼女の豊かな乳房を鷲掴みにして揉み始めた。

「フフフ…待っていろ、デュナミス・トレシア。積年の恨み、じきに晴らしてくれる」

 その手に力が入り、女の悪魔は苦しそうに悶えた。


(2)


 枯れた森では小さな悪魔達が共食いを始めていた。その小さな悪魔を、より大きな悪魔達が捕え、食らう。この世界では力の弱い者は強い者の餌食になるのがルールだった。そして強くなった者は自己を守るため、より強い者に従うようになり、集団、組織が出来上がる。一見無秩序で混沌カオスに見えるこの世界でも、地上と同じような組織社会が成り立っているのだった。


 その魔物溢れる世界の上空に、光る円陣が出現した。円陣の中から、ウィングを広げた三人の精霊が飛び出した。

 先頭を切るアレシアが口を開いた。

「ついに来たわ!」

「ここが魔界…」

 マリアの顔は険しかった。魔界には無数の悪魔達の気配が満ち満ちており、それを感じ取った精霊達にプレッシャーを与えていた。

 セレナは周囲を見渡した。眼下に巨大な城が見える。

 突然、その視界に有翼の魔物が飛び込んできた。セレナはそれを撃ち落とす。

「早速お出迎えか…」

「そ、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないんじゃない?」

 マリアも飛びかかる魔物を切り裂いた。

 周囲を飛び交う有翼の魔物達の数が徐々に増えてきた。三人の精霊はそれぞれ敵を掃討するが、やがて空も地上も殆ど見えなくなるほど、周囲は魔物達に溢れていた。

 アレシアは忙しく弓を引く。狙いを定めるまでもなく、矢を射れば必ず魔物に当たった。間に合わない時はかわした。

「いくら倒してもキリがないわ!」

「こいつらは無視して魔王の元へ行きましょう」

 効率良く魔物を撃ち落とすセレナの提案に、二刀のレイスウォードを振りまわすマリアが不安をぶつけた。

「挟み撃ちになったりしないかしら?」

「そんなこと言ってる余裕は…?!」

 セレナの言葉に覆いかぶさるように、周囲に低い不気味なハム音が響き渡った。遠くの魔物達が騒がしく鳴き、いくつかの真っ黒な群れが忙しく動き回っている。その動きは精霊達に向かってくる。というよりも、逃げ惑っているように見えた。

 やがて不気味なハム音は、非常に耳障りな、大音量の羽音に変わった。

「何かしら…嫌な音」

 マリアが不安な声を上げた。彼女達が装着している耳あては、このような音を分析したりある程度低減する機能を持っていたが、警戒すべき音を消音するわけにはいかなかった。

「! …みんな逃げて!」

 何かを察知したアレシアが二人を押し出した。その直後、有翼の魔物達が一斉に逃げだした。突然、中型のトラックほどの黒い楕円形の物体が襲いかかって来た。精霊達は瞬時にその場を離れた。

 逃げ遅れた魔物達が、その黒い楕円にごっそりと吸い込まれていく。楕円の物体はとてつもなく長い奥行きがあり、それは無数の節に分かれていた。節のそれぞれには左右に細長い足がついており、上部には大きな半透明の翅が生えている。その翅が、不気味な羽音の発生源であった。そのへしゃげた空飛ぶ円筒形は、全体として巨大なムカデのようであった。先端部の楕円は、その魔物の口だったのだ。

 精霊達の脇を、ムカデのような魔物の躯体が、まるで巨大な貨物列車のように通り過ぎていく。

「なんて大きさ…!」

「こんなのに食われたらひとたまりもないわね」

 マリアに続き、セレナも焦りを滲ませた声を漏らした。

 ムカデの魔物はいずこかに去って行った。だが、不気味なハム音は続いていた。

 有翼の魔物達は混乱しているのか、精霊達の周りを無秩序に飛び交っていた。なかにはその混沌の中から果敢にも精霊に襲いかかるものもいた。三人の精霊達がそれを迎え撃つのは造作もないことだったが、この混乱のため、上下も分からないような錯覚に襲われた。

 再び、大音量の羽音が近付いてきた。

「まずいわ。とにかく逃げましょう」

 マリアは及び腰になっていたが、この状況を考えれば彼女の提案に反対する理由はない。セレナはアレシアを見た。

「アレシア、誘導して」

「少し待って…。こっちへ!」

 アレシアは、魔王の気が最も強く感じられる方角を感知した。彼女の先導により、精霊達は下降を始めた。だが、羽音はどんどん大きくなって来る。

「アレシア、このままじゃ追いつかれちゃう…!」

 マリアは焦っているのか先導するアレシアとの距離を詰めた。アレシアはちらりと後方を確認し、再び正面を向いた。途端に彼女は叫びを上げた。

「うわっ!?」

 三人の行く手を、混乱した有翼の魔物の一群が遮った。三人は身動きが取れなくなった。背後からこちらへ、大量の魔物達が逃げてきた。その後ろには、あの大きな楕円の口が見えた。

 セレナは悲鳴のような声を上げる。

「間に合わない!!」

「みんな、逃げてーッ!!」

 アレシアはイージスを最大に広げた。魔物達がブロックされ、魔物達に横に逃げる流れが出来始めた。だがそこに、黒い壁のような巨大な口が怒涛の勢いで迫って来た。

 マリアとセレナはなんとかかわした。

 マリアが振り向いた時には、黒い壁はその場に留まった金髪の精霊の眼前にあった。

「アレシア!」

 アレシアは巨大な魔物に飲み込まれた。

「アレシア───ッ!!」

「このッ!!」

 セレナは魔神銃を魔物の躯体に撃ち込んだ。マリアもレイスウォードを突き立て、躯体を切り裂いた。だがあまりにも巨大なその魔物には有効な攻撃とはならなかった。

 ムカデのような魔物は、そのまま二人の横を通り過ぎた。

「アレシアッ!!」

「アレシアーッ!!」

 二人は無数の有翼の魔物の飛び交う中、夢中で巨大な魔物の後を追った。だが、多数の魔物に阻まれ、巨大な魔物との距離は次第に離れていった。


 その巨大な魔物が一望できるほど遠ざかってしばらくした後、魔物の躯体の一部が急激に膨れ上がった。膨れ上がった部分に、束になった光の矢が突き出てきた。内部からの圧力によって、その弱くなった部分は爆発するように破れ、魔物の体液が流れ出た。

「ギアアアアア!!」

 巨大な魔物の悲鳴のような鳴き声が響いた。

 その裂け目から、飲み込まれたアレシアの腕が現れた。

「ぷはっ!」

 アレシアが顔を出した。その半身は緑色の体液にまみれていた。

「アレシア!」

「もう少しよ、頑張って!」

 巨大な魔物のダメージは大きいのか、力を失い落下を始めた。二人の精霊はなんとか後を追った。

「くっ、こんのォ!!」

 アレシアはついに脱出した。

 マリアは歓喜した。

「やったわ!」

「…いや!」

 マリアが言うが早いか、セレナがそれを訂正した。

 アレシアの足元には、一緒に食われた魔物達がまとわりついていた。

 巨大な魔物はぐんぐんと高度を下げていく。

「アレシア?!」

「何やってるの、早く逃げなさい」

 二人の精霊も魔物を追いかけた。


「離しなさい…離せ!!」

 抵抗の甲斐もなく、アレシアの足元にまとわりついた魔物達は、彼女と落下する魔物を強力に接着していた。そして彼女自身、巨大な魔物の体内で消化された魔物達の瘴気に当てられ、十分な力を発揮できずにいた。

 魔物を追うマリアの視界には、枯れた森が近づいていた。

「アレシア───ッ!!」


 ズズ…ン…。

 森の木々をなぎ倒しながら、巨大な魔物は轟音と共に地上に落下した。

 その少し後、マリア達はようやく追いついた。

 巨大な魔物は、落下の衝撃で自重により躯体が半分潰れていた。無数の足を波打たせていたが、翅も躯体も動かす力はもうないようだった。

「アレシアッ!」

「アレシアーッ!」

 二人は懸命にアレシアを探した。


「…アレシア!」

 セレナの視線の先に、アレシアがいた。彼女は魔物から少し離れた木の枝に引っかかっていた。

「アレシア! 大丈夫?!」

 セレナはアレシアの元に近寄った。

「いたたた…」

 不幸中の幸いで、落下の瞬間に投げ出され、魔物に潰されずに済んでいた。

「アレシアーッ!」

 マリアがアレシアに抱きついた。

「良かった、生きてたのね?!」

「ええ、な、なんとか…?」

 アレシアを支えていた枝がバキリ、ボキリと音を立てた。次の瞬間、二人は枝を折りながら、地上に落下した。


「痛ったーい…」

 アレシアは尻を擦った。彼女の大きな…もとい安産型の尻は、うまい具合にクッションの働きをしていた。

 セレナが下りてきた。

「何やってんの、二人とも…」

「ふにゃふにゃ…」

 アレシアの傍らで、マリアは目を回していた。

「もう、マリアったら…」

 アレシアは思わず吹き出した。セレナもつられて笑った。

「…ふにゃ?」


 体勢を立て直した三人は、巨大な魔物が落下してできた森の裂け目から上を見上げた。上空は、天敵がいなくなったことにより有翼の魔物達で再び覆い尽くされていた。

「見たこともないやつばかりだわ」

 マリアは上を見ながら呟くように言った。

「上は無理ね…」

 セレナが続いた。

 三人は顔を見合わせた。

「これからどうする?」

 マリアの問いに、アレシアが答えた。

「さっき見えた丘の上の城に魔王の気配を感じるわ。それに、弱いけど優司の意識も…」

「じゃあ、生きてるのね? 良かった!」

 セレナは、森の奥に消える獣道を見た。

「このまま森を抜けましょう」


 アレシアの先導で、三人は森を駆けていた。巨大な魔物を追ったため、城まではかなりの距離があった。細く入り組んだ獣道のため、まっすく進むことはできなかった。時々道はなくなり、倒れ朽ち果てた太い幹を飛び越える必要もあった。彼女達の周辺の暗闇からは、悪魔達のざわめく声が聞こえて来る。それを口に出すものは誰もいなかったが、いつ飛び出してくるかもわからない魔物の気配は全員がひしひしと感じていた。とにかくこの深い森を少しでも早く通り抜けようと、三人は必死に駆けていた。

(はやく、早く行かないと…。優司、無事でいて…!)

 マリアは優司を思った。

「ぅわっと!?」

 彼女は突然、足を何かに引っかけた。と思ったのもつかの間、その何かは足に絡みつき、マリアはもの凄い力で引っ張り上げられた。

「うわ───ッ!!」

「マリア?!」

 前を行くセレナが立ち止って振り返ると、マリアの体は数メートル上に引っ張り上げられ、逆さまの状態で宙ぶらりんになっていた。

「マリア、何やってんの…」

 先行していたアレシアもその場に戻って来た。

「何? どうしたの?」

「見ての通りよ…」

「はーずーれーなーいー」

 頭上から能天気な声が届く。

「遊んでないでレイスウォード使いなさい!」

「あ、そうか。えーと、レイス…うっ!!」

 突如、数本のするどい枝がマリアの体に突き刺さった。枝は蔦のようにぐねぐねと曲がり、後端に向かうほど太くなっていた。

「え、なに?!」

 見上げたアレシアは目を疑った。

 しわがれた枝は、ストローで液体を吸いだすようにマリアの体液を吸い始めた。

「ぅぐあ…あ…」

「マリアーッ!」

 セレナは魔神銃を枝の太い部分に撃ち込んだ。だが枝はマリアを離さなかった。

「だめだわ、もっと細い部分じゃないと!」

 だが枝の細い部分はマリアに近く、不規則に動く枝に狙いを付けるのに手間取った。

「セレナッ! 気を付けて!!」

 下にいるセレナ達の足元にも、似たような根とも枝ともつかないしわがれたものが張り巡らされており、獲物を求めてガサガサと動き出していた。それら枝の先端はイキのいいエサを見つけると、突如動きを活発化させた。その周辺一帯が、複数の食獣樹のテリトリーとなっていた。

 セレナとアレシアは注意深くそれらをかわす。上空からはさらに、マリアに突き刺さったものと同様の鋭い枝も降りかかって来た。セレナ達がかわすと、その枝は地面に勢い余って突き刺さり、体勢を立て直して再び攻撃を続けた。

 周囲の暗闇では、精霊達を襲う食獣樹の「食べかす」のおこぼれに預かろうと、大小の魔物達が取り囲み、様子を窺っていた。


 マリアは苦痛と血の気の引く感覚に気が遠くなりそうだった。しかしなんとか自分を奮い立たそうと、両の拳を力いっぱい握りしめた。

「くああああっ!!」

 その手にレイスウォードが現れ、振り上げて脈打つ枝を切り落とした。枝は、新鮮なマリアの体液をほとばしらせながら落ちていった。枝を切断された食獣樹の幹は、まるで苦痛を感じるかのようにガサガサと大きな音を立てて揺れた。

 マリアは足に絡んだ蔦のような枝も切断した。解放された彼女は落下を始めた。体勢を立て直す余裕はなく、地上に激突した。しかし、プロテクターにより衝撃は和らげられた。

「マリア!」

 アレシアはマリアの元に駆け寄り、迫りくる根や枝をイージスで防いだ。

「マリア、しっかりして!」

「ア、アレシア…ありがとう、庇ってくれて」

 マリアは虚ろに笑った。精気を吸い取られた彼女はかなり衰弱しているようだった。

「当たり前よ。さっきあなたもわたしのこと心配してくれたじゃない」

「じゃあ、これでおあいこだね…エヘヘ」

 セレナは食獣樹の触手を的確に破壊しながら、二人に近づいた。そして、残りを迎撃しながら話しかけた。

「アレシア、マリアは大丈夫?」

「なんとか。でもだいぶ衰弱してる」

「セレナ…、わたしだいじょうぶだよ…」

 マリアはセレナにも微笑んだ。

「しゃべらなくていいから。わたし達に任せて!」

 セレナは防御に集中した。

「アレシア、これ…」

 マリアはレイスウォードに目をやった。

「わ、わたしに、レイスウォードを…?」

「近距離なら少しは役に立つよ…」

 アレシアは頷いた。

「…わかったわ!」

 彼女はレイスウォードを受け取り、立ち上がった。そして、レイスウォードを構えた。レイスウォードは光を放ち出した。

(これ、すごい軽いわ)

 レイスウォードはアレシアの望む長さに変形した。彼女は迫って来た触手を切断した。レイスウォードはヒョン、という軽い風切り音を発し、ほとんど抵抗なく触手を切り落とした。だがアレシアは、攻撃の際に体を巡る気がレイスウォードに吸い取られるのを感じた。

(なに? 今の…?)

 数本の触手を迎え撃つ。やはり、レイスウォードは自分の気を吸い取っているようだった。

(そうか、この剣…アイテールを…!)


 アレシアは謎を解明した。

 精霊の武器は大なり小なり、精霊の活動力の源であるエネルギー、アイテールを圧縮して実体化したり、エネルギーを弾薬として使用する。セレナの魔神銃や聖弾・魔弾(バレット)、アレシアのイージスによる絶対防御および光の矢も同様だ。そのアイテールはもともと精霊が体内に取り込んだもので、それをそれぞれの武器に込めるには、それぞれに最適なやり方がある。言い換えれば、精霊と武器には相性があり、それぞれが使い慣れたものでなければ効率が下がり、十分な威力を発揮できなかったり、アイテールの消耗が激しくなるということだ。武器と精霊の活動力が同じということは、ムダな消耗は精霊自身の活動力を大きく損なうことにも繋がる。なにしろアイテールはそこら中に存在していながら、それを取り込む行為は、もやに含まれる水分が集まってできた朝露を飲むようなことに等しいからだ。この能力に長けたものほど大きな力を発揮できるが、エンジェルズという最下層の精霊階級でそれが可能なものはいない。なぜならそのような能力が持てれば、より上位の階級に格上げされるからだ。

 アレシアは注意深くアイテールの放出を抑えた。だが、レイスウォードは輝きを失ってしまった。

(む、難しいわね…)

 どうやらレイスウォードの機能はマリアの性格に合わせ、過敏に反応するようだった。

 アレシアは多少の無駄を覚悟し、食獣樹を退けることに専念した。幸い、使い慣れた片手のイージスを併用することで、レイスウォードによる空振りは最小限に抑えることができた。


 セレナとアレシアの共闘により、食獣樹は大半の触手を失い、おとなしくなった。

 しかし依然として魔物達に囲まれている状況が解消したわけではなかった。アレシアとセレナは、マリアを庇うように集結した。

 セレナが周囲を警戒する。

「かなり数が多いわね…」

「そうね。マリアを連れて逃げられるかしら」

「連れて行けなかったらここで守るしかない」

「ふ、二人ともごめんね…」

 マリアは半身起き上がった。アレシアはそれを手助けした。

「マリア。この剣、凄く切れて役に立ったけど、わたしにはちょっと難しいわ…」

「ふふ…、そうだよね。わたしも飛び道具、使えないもん…」

「…何かしら…?」

 警戒していたセレナが、魔物達の動きが慌ただしくなったことに気づいた。魔物達は攻撃をしてくるようでもなく、ギャアギャアと騒ぎ立てている。そして群れ鳥が逃げ立つように、その場から一斉に散り始めた。

「助かった…?」

 アレシアが呟いた。

「わからない」

 セレナは警戒を緩めない。

 しばらくすると、体に響く、音にならない低い振動が感じられた。

「これは…?」

 振動はやがて音となり、だんだんはっきりしてきた。

「セレナ、下…下よ!」

 突然、三人のいる地面が盛り上がった。周囲の木々がメリメリと音を立てて揺れ出した。地面は崩れながら恐ろしい勢いで隆起を続けた。セレナとアレシアは、とっさにマリアを引いて上空に上がった。その直後、巨大な蚯蚓ワームが三人を追って上空まで首をもたげてきた。家一軒を丸のみしそうな大きな口には、周囲にびっしりとするどい歯がついており、その歯は鮫のように口の奥に何重にも並んでいた。おそらく、飲み込んだ獲物をすりつぶすのであろう。三人はとにかくその巨大な口から逃れた。

 ワームはそれ以上首をもたげることができなくなると、落下しながら首を地上に向けた。上空から森を見ると、同じように暴れるワームの姿を数体確認できた。

「なんて所なの…!?」

 アレシアの声は少し震えていた。

 三人は戦慄した。


 空中の三人は、すぐに有翼の魔物達に発見され、瞬く間に囲まれた。三人は先ほどの巨大な空飛ぶムカデの出現を恐れた。それに今は傷ついたマリアがいてこの集団をまともに退けることもままならない。

 セレナが提案する。

「やっぱり森を抜けましょう」

「ええ」

 二人はマリアを連れ、ワームの縄張りを回避するように徐々に高度を落とし、再び森へ消えて行った。


(3)


 魔界の城の奥深く、石で囲まれた薄暗い部屋に、女の喘ぎ声が響いていた。

 固く平たい石のベッドに敷かれた毛皮の上で、優司は複数のスキュブスと代わるがわる行為に及んでいた。一人のスキュブスと共に果てると、別のスキュブスが優司を再び奮い立たせ、行為を行う。その狂ったような宴は延々と繰り返された。

 優司はメレルの時と同様に、彼女達に自分の身近な女性を映し見ていた。それは彼の心の奥底の願望がそうさせていたのか、あるいは悪魔達の策略かは分からないが、彼女達と無理矢理行為を重ねるうち、彼の理性や道徳心といった善なるもの、自我とか超自我といった彼を律するものはこころの奥底へと小さく追いやられ、いつしか欲望のままに、獣のようにただその行為に耽った。

 数えきれない行為のためか、優司は激しい息をしていた。目は虚ろになり、顔には疲労の色が色濃く出ていた。体力はもはや限界を迎えていた。それでも複数のスキュブスは彼に休むことを許さなかった。しかし彼女達も限界に達していた。

 最後のスキュブスが優司と体を重ねた。彼は既に心を失いつつあった。激しい行為の末、彼女を征服すると、優司は彼女の上でがくりと倒れた。

 優司のこころは、快楽と罪の意識で深い闇に堕ちていった。


(4)


 三人の精霊は、幸い林道を見つけた。広くはないが、道とも言えない獣道に比べれば地面は踏み固められ、幾分開けている。三人はウィングを広げたまま、低空飛行で先を急ぐことにした。

 アレシアに抱えられたマリアが口を開いた。

「アレシア…」

「なに? どうしたの?」

「たぶんもう大丈夫…。降ろして」

 一行は着地した。アレシアはマリアを介添えしながらゆっくりと着地する。マリアは自力で立つことができた。マリアはおそるおそる一歩、また一歩と歩いてみた。多少ふらつきはあるが、バランスは保てた。マリアは二人に振り返った。

「ね、大丈夫」

 ニッコリ笑うと、ウィングを広げた。

「さ、急ぎましょう!」

「え、ええ…」

 力なく頷くセレナは、マリアが無理をしているのではないかと心配だった。

「マリア…」

 アレシアはまだふらついているとはいえ、マリアの驚異的な回復力にただ驚いた。超高速移動や大量のエネルギーを消費し絶大な切断力を発揮するレイスウォードを自在に操ることを考えれば、マリアのアイテールの集積能力は最下層(エンジェルズ)という階級を越えているかも知れない。頼もしい仲間がいることに心強さを感じると共に、対して自分の能力の低さに落胆した。それでも、仲間の足手まといにはならないようにしよう、と心に誓った。

 三人は再び林道沿いに低空飛行を続けた。先頭をアレシアが担い、マリアはセレナに守られるように中央に位置した。マリアに合わせて速度は落とされていたが、それでもマリアが自力飛行することで、以前よりもペースは改善した。


 暗い林道ではあったが、その林道の先を、真っ黒い塊が塞いでいることに気づいた。

「何かしら…?」

 アレシアはペースを落とし、着地した。

「どうしたの、アレシア?」

 すぐ後ろのマリアが声をかけた。

「しっ、あれ…」

 黒い塊は動いていた。足を忍ばせて近づくと、それは大きな獣、黒い体毛を有した類人猿のような魔物で、何かをしきりに貪っていた。それは同種の魔物だった。

「と、共食い…?」

 アレシアは気分が悪くなり、口を覆った。尤も共食いなどは、この魔界ではそこら中で行われていることではあるのだが。しかし人に近い形の魔物の共食いは、やはりいっそうの嫌悪感を感じる。

 三人が林道を迂回すべきか思案していると、黒い魔物はふいに振り返った。そしてウオォ、という低い咆哮を周囲に轟かせた。魔物は立ち上がり、三人に近づいてきた。

「ま、まずいわ…」

「! 後ろからも来てる!」

 セレナの視線の先の林道で、同様の黒い影が動いていた。

 アレシアは意を決した。

「やるしかないわね…」

 三人は頷き、背中を合わせて身構えた。

 林道を塞ぐ二匹の魔物は、さらに距離を縮めてきた。アレシアは弓を引き、狙いを定めた。だが、魔物は突然足を止め、その場でもがき出した。

「!?」

 よく見ると、魔物の立つ地面の周辺に、うごめく黒い物体があった。それは蟻か何かの小さな虫の大群だった。魔物はまとわりつく虫を払いのけていたが、やがてそれらが顔に達すると、手で顔を覆ったまま、めちゃくちゃに歩き出した。林道の幹にぶつかると、方向を変えまたぶつかる、そんな行動を繰り返した。やがて魔物はその場に崩れるように倒れた。というよりも、下の方から骨が露出して体を支えることができなかった。魔物が倒れると虫達はいっそう群がり、みるみるうちに白い骨に変わった。

 もういっぽうの魔物は逃げたようだった。

 骨になった魔物のほうから、黒い虫がちょろちょろと精霊達の方向に向かってきた。それはすぐに大群となって押し寄せてきた。

 マリアは血相を変えた。

「嫌ぁッ、あんなのひとたまりもないわ!」

 三人は、魔物がいなくなった先を低空飛行した。幸いその道は、これから向かおうとする方向であった。


(5)


 魔界の城がある丘の近くに、血の色をした川が流れている。この辺りは魔物の姿はほとんどなく、川を流れる水(あるいは血かも知れないが)の音だけが聞こえていた。しかし目には見えないが、この周辺を縄張りとする凶暴な魔物によって小さな魔物達は近づくことができない場所となっていた。

 そんな危険な場所を、大きな体の人型の悪魔がのし、のしと歩いていた。身の丈は三メートルほどだが、動きは鈍い。太く長い腕をだらんと下にして、前傾姿勢でゆっくりと歩いている。分厚く大きな手には太く短い指がならび、その先には太く長い鉤爪が伸びており、鉤爪の先端は地をザリザリといていた。目は粒ほどに小さく、恐らくは見えていないと思われる。そして、動物のような黒い大きな鼻が突き出ている。その体には大きな古傷がいくつも刻まれている。長年の戦いを生き抜いてきたと思われるその強固な体から、この魔物もこの辺りでは食物連鎖ヒエラルキーの上位に位置するものであることが窺えた。

 その魔物は、血の色をした川に顔をやると、立ち止った。黒い大きな鼻をヒクヒクと動かすと、岸辺に向かって歩き出した。

 彼の行く先には、黒い髪の人型の悪魔が流れ着いていた。下半身は川に浸かったままであった。彼はその匂いをクンクンと嗅ぎ、平たく大きな舌を出すと、彼に比べれば控え目な大きさの悪魔の顔をベロリと舐めた。

「う…」

 その悪魔はまだ息があった。

「……」

 大きな魔物はしばらくぼーっと立っていた。彼なりにどうするかを思案していた。そして、鉤爪を有する手で控え目な大きさの悪魔を器用に掬い上げると、肩に担いでのし、のしと歩き始めた。

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