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第十五話 曇り空

(1)


 彼方の深淵。そこは砂漠の砂嵐のような赤い空に覆われ、太陽が黄色い月のように弱々しく地上を照らしていた。周囲は岩山と砂、そして枯れたような乾いた森で構成され、唯一の潤いである川は、空の色を反映してか、あるいはそのものかは分からないが血の色をしており、流れは淀んでいる。時折り見られる人造の建造物とおぼしきものは、全て瓦礫と化していた。

 魔の者が住む世界、即ち魔界と呼ばれる空間だ。


 乾いた森の中央にそびえる小高い丘には、ギリシャ神殿を思わせる太い大理石の柱が立ち並ぶ巨大な城が建っており、唯一瓦礫化を免れていた。上空には、鷲とも翼竜とも言えぬ黒いシルエットの大きな鳥が数羽、時折りグアーと鳴きながら旋回している。

 その城の一角から周囲を見下ろす人影があった。扇情的な姿態のスキュブス、メレルだ。

「ふん、いつ見ても陰鬱な景色だ…」

 そのやや後方で、小さな悪魔がケケケと笑った。五十センチほどの球状の体は黒い毛で覆われ、一方に大きな目が一つ付いていた。眼球に毛が生えている、といっても良い。鼻はなく、目の下には大きな口があり、常に笑うように逆への字に開いている。そして体の下部には、鳥のように細く頼りない足が二本生えていた。

「だがこの景色もいずれ見納めとなる…」

 メレルの言葉に続き、目玉の小悪鬼インプがまたケケケと笑った。


「来たね」

 メレルの後方に、黒い霧とともに人影が現れた。細身だが筋肉質のボクサー体型で、血の気の多そうな若い男性型の悪魔だ。

「お呼びですか、メレル様」

 悪魔は全身黒づくめだった。

 その後ろにひときわガタイの大きな悪魔も現れた。

「オレ達に何の用だ」

 身の丈は二・五メートルほどだろうか、広大な肩幅から続く腕は人の胴ほどの太さがあり、異様に発達した筋肉の塊である上半身に対し、下半身は短足気味だった。

「おや…この面々は珍しい」

 いつのまにかもう一人、長身で美形の悪魔も現れた。キザったらしく垂らされた前髪が片目を覆っていた。


 三人の悪魔は、その場で立て膝をついた。

「貴様らも聞いていると思うが、人間かぎを守る精霊が三体となった。陛下が目覚められたとはいえ、まだ力の復活は完全ではない。目覚め始めたばかりの我々の勢力では、三体の精霊を相手にするのは難しい」

 メレルはゆっくりと悪魔達の方に体を向けた。

「そこでルクス、イーラ、スパービア。我々の中でも能力の高い貴様らには陽動に当たってもらい、隙を見てわたしが人間かぎをさらう作戦を立てた」

 美形の悪魔、スパービアが口を開いた。

「なるほど。しかしその精霊達、私はまだ見たことがないのですが…」

「貴様らは遠隔視ビジョンを共有しなかったのか。…ビホルダー」

「ケケケ!」

 目玉の小悪鬼、ビホルダーの眼がくるくる動き、カッと見開くと、黒目が白色に抜けた。その場にいた三人の悪魔の意識に、ビホルダーが過去に見た遠隔視の記憶がかいつまんで流れ込んだ。


「ハハ、こいつぁいい! どいつもおいしそうじゃないか」

 血の気の多そうな悪魔、ルクスが不敵な笑いを浮かべた。

「メレル様、こいつらは殺してもかまわないんでしょう?」

「ああ、精霊の処遇は問わない」

「ってことは、っちまってもいいってことっすよね?」

「…その余裕があるのならな…」

「よっしゃ、やる気が出てきたぜ!」

 ルクスは平手に拳を打ちつけた。


 用向きを伝えると、メレルは再び向き直った。

「沙汰は追って出す。それまで待て」

 三人の悪魔は煙とともに消えた。


「まあ、待てと言って待たないのがあやつらの欠点だが…」

 再び赤く染まった景色を眺めた。


..*


 ルクスは、一人暗い森の林道を歩いていた。

 その道の幹の影から、待ち伏せたように美形の悪魔スパービア、大男イーラが姿を現した。

 ルクスは立ち止った。

 スパービアは幹にもたれ、その長い片脚をルクスの行く手を阻むように前に投げ出した。そして、ルクスの顔を見ることもなく話した。

「どこへ行くのですか?」

「へへ、ちょっとな」

「やつらのところ、ですか」

「…よく分かってんじゃねーか」

 ルクスは顔を上げ、スパービアにガンを飛ばした。

「メレル様は沙汰を待てとおっしゃっていたのを忘れましたか」

「んなもん、精霊を一匹でも倒したところで大した違いはねえだろ。オレはいろいろたまってんだよ!」

「あなた一人で精霊達と交えようというのですか…愚かな」

 スパービアは掌を上に向け、やれやれと呆れたようなそぶりをした。

「ヘッ、まともにぶつかるかよ。一匹ずつおびきだしゃどうってことねえよ」

 言い終えるとルクスはすたすたと歩き、スパービアの真横で止まった。そして視線を合わすことなく、口を開いた。

「じゃあな」

 スパービアの長い脚を跨ぎ、森の奥へと消えて行った。


 スパービアはルクスの背中を目で追った。そして、思案するように目を閉じた。

「まったく…さてどうしたものですかね。放っておいても構いませんが」

 傍らの大男イーラは何も言わず、自分の平手に拳を打ちつけた。ズン、という重苦しい音が周囲に響き、腕に幾重にも巻かれた太い鎖が激しく揺れた。その音に驚いた森の翼獣達が、ギャアギャアと鳴き声を上げて飛び立つ羽音がした。

「あなたも…ということですか。いけませんねぇ…」

 そう言ったスパービアの口元には笑みが浮かんでいた。


(2)


 一転して青い空の下、はしゃぎながら通学路を歩く制服姿の金髪美女がいた。アレシアだ。

 開襟シャツに冬用のスカート。マリアのものを拝借したため、シャツもスカートもぱっつんぱっつんになっている。特に胸はヘタに動くとボタンが飛びそうだ。ブラウスでは胸のボタンが留められず開襟にしたが、前方に引っ張られて大きく開いた襟元から胸の深い谷間が見えて大変なことになっている。スカートは、ウエストはなんとか入ったが、彼女の奔放なヒップは箱ひだの入った元々短めのキュートなスカートをさらに上に押し上げ、立っているだけでギリギリの丈になっていた。そのため、歩く度に張りのある二本の太腿が会合する部分の白いものがちらちらと見えるのだった。何一つ校則に違反していないが、見つかり次第即刻職員室に呼び出されそうな姿だった。


 校門についた。アレシアはなぜか仁王立ちし、ビシッと校舎を指差す。

「いざ、潜入!」


 一限後の休み時間、廊下に出ていた生徒達の視線は、次々にある方向に釘付けとなっていった。みんな口を開けて茫然としている。なぜなら、パツキンで実にけしからんむちむちボディの見慣れない女子生徒が、陽気に鼻歌を口ずさみながら腰をぷりぷりさせて歩いているからだ。アレシアが2─Cに着くころには、彼女の後ろには少なくない数の追随者フォロワーがついていた。


 アレシアは出入口から出てきた生徒を捕まえて話しかけた。教室がざわつく。

「…ん?」

 ヒロシ達とだべっていた優司は異変に気づいた。そこへ級友が小走りで近づいてきた。

「おい優司!」

「なんだよ慌てて」

「あのコあのコ!」

「あん…?」

 ひょいと見ると、アレシアがニッコリ笑って手を振っている。しかしその姿はどう見てもエロDVDの女子学生コスプレにしか見えない。

「ぶっ!」

 マリアも気づいた。

「アレシア!?」

 二人は急いで出入り口に駆け付けた。それを追うように教室内にもギャラリーが出来始めた。

 その台風の目であるアレシアは、至って気にしていないようだった。

「ハァーイ」

「アレシア、な、なんだよそのカッコ…」

「あ、これ? 今日一日学校見物しようかなーと思って」

 アレシアは豊かな髪を手ですくい上げる。

「どうかしら…?」

 セクシーなポーズを決め、優司にウィンクした。ギャラリーから「おおー…」というため息のようなどよめきが起こった。

「…そのボディはもはや兵器だ」

 優司は少し赤い顔をしてこめかみを押さえた。

「つーかなんでいきなり学校見物なんか…」

「あ、そうそう、これ忘れていったでしょ?」

 アレシアは弁当の包みを差し出した。

「あ、ああ。朝ごたごたしてたからすっかり忘れてたよ」

 優司は弁当を受け取った。

「サンキュー。…でもそのカッコはまずい。悪いがすぐ…」

 騒ぎを聞き、隣のクラスからカスミとセレナがやって来た。

「あ、アレシアさん!?」

「なんであなたがここに…」

 優司は頭を抱え、くわーと口を開いた。上唇と下唇が左右別々の方向を向き、斜めになっている。

「まずい! またトラブルの火種が…」

 その時予鈴が鳴った。

「助かった! …アレシア、おまえさんのそのカッコは目立ちすぎるんだよ。教師にバレるといろいろと面倒だから、悪いが帰ってくれ」

「えー?!」

「へへーん、その悩殺ボディが裏目に出たねー」

 マリアはずいっと前に出て嫌味っぽく言った。アレシアはちょっとムッとした。

「な、なによ…」

 さらにセレナの冷たい言葉が飛ぶ。

「全く、余計なトラブルは謹んで欲しいわ」

「うう…」

 アレシアは立つ瀬がなく、たじたじになった。

(こいつらまたやってんのかよ…)

 優司が割って入った。

「おまえらアオるなよ! …アレシア、ほんとスマン!」

 優司は手を合わせて頼み込んだ。


 本鈴が鳴った。

「じゃ! あーほらほら、見世物はもう終わり。おまえら散れ、ほら散れ」

 優司は自分の席に歩いて行ってしまった。

「優司…」

 アレシアの顔は悲しげだった。

「んだよー優司、説明しろよー」

 ぞろぞろと生徒が散っていく。

 やがて教師がやってきて、前後の出入り口はぴしゃりと閉められた。


 アレシアは誰もいない廊下に一人残された。

「ひどい…」

 しかし今日の彼女はいつになくアグレッシブだった。

「…でも、負けないわ!」

 グッと拳を握りしめた。


 次の休み時間までとりあえず時間をつぶそうと、アレシアは歩き出した。

 それぞれの教室から、教師の教鞭を取るこもった声が聞こえてきた。たくさんの生徒がいるはずなのに、ドア一枚隔てた廊下には自分一人しかいない。不思議な感覚だった。

「せっかくだから、いろいろ見て回ろ」

 アレシアは腰を振りながら階段に向かった。


 階段を降りようとした所で、下の踊り場に若い筋肉質の男がいることに気づいた。男は、腕組みをしてニヤニヤしている。アレシアはちょっと考え、このアングルではスカートの中が丸見えだと分かると、恥ずかしくなって前を押さえた。

「精霊だな。…ヒュウ、こりゃそそるねえ」

 いやらしい笑みを浮かべ、アレシアのつま先からてっぺんまでを視姦した。

 アレシアはこの男がただの人間ではないことを感じ取った。

「?! 悪魔ね!」

 アレシアは二、三歩後ずさりした。その悪魔、ルクスもゆっくりと階段を上り始めた。

(ここはまずいわね…)

 アレシアは向きを変え、階段を上り始めた。

「おっと、鬼ごっこかい?」

 ルクスも後を追った。


 アレシアは屋上に出たかったが、その階段は三階から上に出ることはできなかった。廊下を隔てた反対側の階段に向かう必要があった。アレシアは素早く廊下を走り抜けた。教室の出入り口は、その風圧で軒並みガタガタと音を立てて揺れた。

「ん?」

 頭の薄い中年教師が気付き、廊下を見た。しかし、見渡しても誰も、何もいない。

「…風でも吹き込んだか?」


 アレシアは最上階の階段を上がり、屋上に出た。屋上の奥まで進むと、振り返って追手を確認した。

 まもなく屋上のドアからルクスが現れた。

「行き止まりだな!」

 ルクスはニヤニヤしながら歩いて近づいた。

「もう鬼ごっこは終わりかよ?」

「終わりじゃないわ!」

 アレシアはエンゲージ・シェルを展開した。

 ルクスは動じず、そのまま歩いて近づいて行く。その前方に長身で美形の悪魔、スパービアが現れた。

「手伝いましょうか?」

「へッ、テメーはオレが楽しんだ後だ」

 ルクスはスパービアを見ることもなく、彼の前を通り過ぎた。


 アレシアはウィングを広げ、空に上がった。

「そうか、精霊は飛べるんだったな!」

 ルクスは翼も何も持っていなかったが、コンクリートの床を蹴ると、勢いよく飛び上がった。それは単なるジャンプではなく、自在に浮遊する能力だった。ルクスはあっという間にアレシアとの距離を縮め、そのままアレシアを追い越して前方に回った。

「さーて、ほんじゃ悪い鬼さんが捕まえる番だな!」

 ルクスは言うなり回転蹴りを繰り出した。その蹴りは鋭く、アレシアはかわせずに腕のアウターフレームでガードした。柔軟なアウターフレームによって多少は威力が緩和されたものの、彼女は大きく横に吹き飛ばされた。

「くあッ!」

 ルクスはすぐにアレシアを追い、パンチとキックの連打を浴びせる。すっかり態勢を乱されたアレシアは、防戦一方だった。

 かろうじてルクスのスキが生じたため、逃げることができた。だがルクスはすぐに追いつき、自慢の筋肉からしなるような攻撃を浴びせた。ルクスのスピードとまともに張りあえるのはマリアくらいのものだろう。息つく暇もないアレシアは、一発、二発と攻撃を食らい出した。

「まったく、ちょこまかとせわしないお嬢さんだぜ!」

 いまひとつ手応えのない獲物に、ルクスは苛立ちを覚え始めた。

 その様子を屋上からずっと眺めていたスパービアは、肩をすくめて「フッ…」と笑い捨てると空中に浮かび上がった。そして、ルクスの攻撃をガードするアレシアの後方に移動した。

「やはり手伝いましょう」

 ニヤリと笑い、右手をかざすと、その先に中央が紫色に輝く闇の球体を生じさせた。その球体がアレシアの背中に触れると、


バチッ!


という大きな炸裂音とともに彼女の全身に電撃が走った。

「つあッ!」

 アレシアが無防備となった所で、ルクスの踵落としが彼女の肩を直撃した。アレシアは物凄い勢いで落下し、屋上の床面に激しく叩きつけられた。屋上のコンクリートはクレーター状にひび割れ窪みを作った。

 鈍い衝突音と振動が響き、階下の生徒がざわついた。


「スパービア! テメー邪魔すんじゃねえ!」

「私はあなたのように野蛮ではないので、獲物を弄ぶさまを見ていられないんですよ」

 二人の悪魔はいがみ合いを始めた。


「!?」

 教室にいたセレナは、上で何かが起こっていることを察した。周りの生徒には、アレシアの落下音は気づかれていないようだった。

 セレナはすっと手を上げた。

「…先生、気分がすぐれないのですが」

 カタブツそうな現国の教師が、黒縁のメガネを直した。

「あ?あー君は…?」

 出欠簿を見る。

「さ、さいあねうす君…か。あー保健室。行きなさい」

「失礼します」

 セレナは静かに後ろの出口に向かい、ぴしゃりと引き戸を閉めた。


 シュン!と風切り音を伴いながら廊下を何者かの影が通り過ぎ、扉の窓がまた音を立てて揺れた。

 頭の薄い教師がまた外を見渡したが、やはり何もなかった。

「…?」

 教師は首を傾げた。彼が毎朝念入りに手入れする頭頂部のバーコードが数本、下に垂れた。


 マリアも振動は感じていたが、セレナの動きを感じて、ようやく憂慮すべき事態であることに気付いた。

「せんせー。お腹が痛いです」

 やたらとガリガリの数学教師が困った顔をした。

「大丈夫ですか阿部さん? 早くトイレに行ってきなさい」

「はーい」

 優司を始め、クラスの皆がマリアを目で追った。マリアはお腹が痛い割にはすたすたと歩いて教室を出た。


 またしても廊下に風が起こり、ドアがガタガタを音を立てた。

 頭の薄い教師は今度こそ逃すまい、と急いで外を見た。しかし結果はやはり空振りだった。

「いったいなんなんだ…?」

 振り乱したため、バーコードはだいぶ荒れていた。

 その後教壇に戻った彼は、やや威厳を損なうことになった。


..*


 アレシアは上空でいがみ合う二人の悪魔のスキをついて起き上がり、とにかく学校を離れようとその場を離れた。しかしすぐに気が付かれ、いくらも移動しないうちに周囲に結界が張られた。普通棟と特別棟に挟まれてはいるが、閉鎖されていない空間に結界を張るにはかなりの能力がいる。侮れない敵だった。

 アレシアは空中で二人の悪魔に挟まれた。

「アレシア!」

 幸いなことに、セレナが上がってきた。アレシアの背後に周り、背中を合わせる格好になった。

「セレナ!?」

「こいつらは一体…?」

「気を付けて。どっちも並みはずれて強いわ!」

 精霊を挟んで浮かぶ二人の悪魔は、声を掛け合った。

「今度はかよわそうなお嬢ちゃんか。スパービア、獲物を分けよう」

「いいでしょう。お好きなほうをどうぞ」

 ルクスは選択にはさほど時間をかけなかった。

「じゃあオレは…こっちだ!」

 ルクスはアレシアを視界に捕え、瞬く間に距離を詰めた。

「はああ!!」

 ルクスの拳は黒い瘴気をまとい、アレシアの顔面を襲った。しかし、拳は彼女を吹き飛ばすどころか、襲いかかる速度と同じ勢いで跳ね返された。

「な、なんだぁ?!」

 アレシアは神の楯(イージス)を構えていた。


 セレナは魔神銃を手にし、十数メートル先の敵の出方を窺っていた。背後で攻め手を欠くアレシアに加勢をすべきか考えていたが、今はこの敵から目を反らすことができなかった。

 その相手、スパービアは腕組みをし、薄ら笑いを浮かべたまま動かない。スパービアの体の周囲では、アレシアを攻撃した黒い球のミニチュア版がいくつも漂っている。

「…どうしました、お嬢さん。そのご自慢の銃はおもちゃですか?」

「おもちゃかどうか…試してみて!」

 スッと銃を構え、二つの銃から一発ずつ、二発の銃弾を撃ち出した。聖なる属性を持つ神銃と闇の属性を持つ魔銃から打ち出された弾は、それぞれ異なる効果を示した。だがいずれも手ごたえはなかった。スパービアの腹を狙った魔銃まがんの弾は、一つの小球に飲み込まれた。そして額を狙った神銃しんがんの弾は、別の小球と相殺され、スパービアの不敵な顔がまた現れた。

「ほほう。これはおもしろいですね…。では次は私の番ですね」

 スパービアは腕を下におろし、両の掌を前方に広げた。その掌にバスケットボール程の黒い球が発生し、蜂が巣から一斉に飛び出すように、無数の小球に分散した。それらはブーンという低い不気味なハム音を伴い、スパービアの周囲を勢いよく周り始めた。

 小球が回転しながら蜉蝣かげろうかバッタの大群のようにいくつかのグループを形成しだすと、スパービアの眼が怪しく光った。次の瞬間、その大群がセレナに一斉に飛びかかった。セレナはムダのない動きでかわしたが、小さな大群はすぐに唸りを上げて進路を変え、彼女を追跡しだした。セレナは魔神銃を撃ち出すが、やはり魔銃は効果がなく、頼みの綱は神銃だけだった。彼女は小球の体当たりをかわしながら、神銃で正確にそれらを撃ち落としていく。しかし、銃には弾倉の再装填リロードが必要だった。スパービアは死のダンスを踊るセレナを遠巻きに見物しながら、その再装填の隙を見抜き、攻撃に強弱を加えた。

(くっ…)

 いくら撃ち落としても一向に減らない小球に囲まれ、セレナは焦りを感じていた。正確だった動きにやや乱れが生じ始め、小球が一つ、また一つと体を掠めた。その度に、小球はバチンと電撃を放って破裂し、細く短い鞭で叩くような苦痛を彼女に与えた。

「うっ…!」

 セレナはバランスを崩し、そこへ小球が次々と襲いかかった。

「うあああーー!!」

 セレナの全身に激しい苦痛が走った。

 スパービアは、憐れむような顔で彼女を見た。

「…少し物足りませんが…ルクスと違い、私は野蛮ではありません。このままとどめをさしてあげましょう」

 その時、スパービアは背後に何者かの気配を感じた。次の瞬間、彼の脇腹に横一文字の閃光が走った。スパービアはわずかにかわしたため、それは深いダメージを与えるには至らなかったが、セレナを襲っていた小球は姿を消した。

 スパービアを脅かしたのは、少し出遅れたマリアだった。

「遅れてごめん!」

 マリアはセレナに近寄り、かばうようにスパービアとの間に入った。

「ホント、あなたはいつも遅いよ…」

 セレナは全身の至る所に焦げを作り、耐え難い痛みに耐えながら、笑みを作って精いっぱい皮肉ってみせた。

「…精霊がまた増えましたか。一人が二人でも同じことですが」

 スパービアはクールに言ってみせたが、脇腹の傷口からは血は出ず、代わりに焼け焦げたような黒い煙が出ていた。マリアのレイスウォードは、闇の者には特に絶大な威力を発揮した。

「では本気でいきますよ!」

 スパービアが腕を前に突き出すと、その掌に黒い球が生じた。

「おああああああ!」

 黒い球はうなりを上げ、人をすっぽり覆えるくらいにまで巨大化していった。

「マリア!あの敵の攻撃は闇の属性を持ってるわ」

「…わかった」

「食らえ!」

 黒い球がレールガンで加速されたようにマリア達を襲った。だが、マリアがレイスウォードの切っ先を突き出すと、黒い球はレイスウォードに触れた先端から彼女達を避けるように拡散してしまった。

「な…何?!」

「あいにくだったわね。闇の力ならレイスウォードの敵じゃないわ」


 形成は逆転したかに見えたが、セレナの背後に、不意に大きな黒い影が現れた。と同時に黒い影、大男のイーラが手を組んで振り上げ、「フン!」と声を上げ、打ち下ろした。突然の襲来に、セレナはなすすべもなくその攻撃を背中に受けた。鼓膜が張り裂けるような固い衝突音が響いた。

「がはっ?!」

 その威力はすさまじく、彼女は加速しながら地上に落下していった。プロテクター越しではあるものの、相当なダメージは免れなかった。

「セレナーッ!!」

 マリアはセレナの身を案じたが、二対一となった今、自分の危険を心配しなければならなくなっていた。

 そこへ、防戦一方のアレシアが近付いてきた。外観からはあまりわからないが、彼女はイージスで防ぎ切れない攻撃を相当食らっていた。彼女の消耗はマリアの目でも覗うことができた。

 二人の精霊は三人の悪魔に囲まれる形になった。

「アレシア! 無事?」

「わたしはなんとか…。ごめん、わたしじゃ接近戦はムリだわ。セレナは大丈夫かしら?」

「あの子のことだから、たぶん」

(単独で戦っていては不利だわ…)

 マリアには有効な打開策はなかったが、出たとこ勝負でこの場を切り開くしかなかった。

「アレシア、手を貸して! 相手に隙を作るわ」

「わかった!」


 スパービアは再び黒い小球をまとい始めた。

「やさ男! オレのオンナに手ェ出すんじゃねえぞ!」

「ひどいですね、私のほうが善戦していたと思いますが。ならば…と」

 マリアを睨み、大男イーラは首を鳴らす。

「そちらも予約済みですか…。まあ、そのお嬢さんには私の攻撃は相性が悪いようですから、お譲りしましょう」

 スパービアは手を胸に回し、軽く一礼した。

「お二人とも、御用命とあらばいつでもこのスパービアにお申し付けください」

「へっ、いらねーよ!」

 ルクスはアレシアに突進した。勢いづいたルクスの猛攻を、アレシアはイージスでひたすら防御して耐えた。


「行くわよ!」

 マリアは大男イーラに挑んだ。イーラの挙動は一見おっとりして見えたが、瞬間的な動作はマリアに拮抗した。彼女の攻撃は、イーラの腕に巻かれた鎖によって防がれた。鎖そのものはダメージを与える度に千切れたが、呪術エンチャントを掛けられ、幾重にも巻かれたそれは十分な防御力を誇った。

 イーラはカウンター攻撃でマリアを脅かした。マリアは、避け切れない時はレイスウォードで攻撃を受けたが、体格の違いは明らかで、体ごと大きく弾かれた。そしてじりじりと後退した。

 アレシアも押され、マリアと背中合わせになった。

「もう逃げられねえぞ。イーラ、どっちの拳が上か、試してみようぜ!」

 ルクスは拳を握りしめた。黒い瘴気が彼の拳、そして腕に発生し始めた。イーラも上半身の筋肉を震わせると、体全体から怪しいオーラを放ち始めた。

 二人の悪魔の拳が、二人の精霊に襲いかかった。

「アレシア!」

 マリアがそう叫ぶと、アレシアは頷いた。

 二人は素早く体を入れ替えた。アレシアはイーラの怒涛のナックルをイージスで受け止めた。衝撃インパクトの瞬間にイージスが輝くと、イーラのナックルは弾き返された。マリアは振り向きざまにルクスに下から上へ刃を浴びせ、逆袈裟斬りにした。

「ぐあっ!」

 ルクスはなんとか致命傷は免れたが、レイスウォードの光の刃はこの傲慢な男に激しい苦痛を与えた。

 三人の悪魔によって張られた結界の一部に歪みが生じた。


 一方、イーラは攻撃を緩めなかった。全身の体重を乗せた攻撃は、アレシアの鉄壁の守りに揺さぶりを掛ける。消耗の著しいアレシアのイージスは次第に輝きを弱め、ついに彼女はイージスごと吹っ飛ばされた。その衝撃により、周囲の空気は切り裂かれんばかりに震えた。

 彼女はコントロールを失い、加速しながら地上に落下していった。その先は結界が破れかかっていて、もとの空間との境がなくなっていた。彼女は、校舎を結ぶ渡り廊下を渡っていた白衣の教師にぶち当たり、なおも数メートル吹っ飛んだ。

「アレシア!!」

 不測の事態に、マリアは血の気が引いた。

「へへ…ざまあねぇ」

 ルクスは傷の痛みに耐えながら、無様なアレシアを、そして救うべき人間を傷つけてしまった精霊達をあざ笑った。

「笑うな」

 いつのまにか、ルクスの背後にセレナがいた。その背中に、魔銃を突きつけていた。ドン、ドン、と二発の魔弾が撃ち込まれ、ルクスの背中に食い込んだが、一見何事も起こらなかった。

「ヘッ、痒いぜ…」


炸裂ブラスト!」


 魔銃の怒りに火が付き、ズン、と大きな音を立てて炸裂した。

 ルクスの背中は大きくえぐれ、赤黒い血が肉塊とともにボタボタと落ちた。

「うああ痛え…! 痛えよ…!」

 ルクスは泣き叫んだ。

「…ざまあねぇ」

 セレナは、冷やかな目でルクスの言葉を返した。


「セレナ後ろ!」

 マリアの声に、セレナはハッとした。振り向くと、イーラがセレナの眼前にいた。両腕を掴み上げられ、彼女の魔神銃はくるくると宙を舞い、地上に消えた。

「セレナ!!」

 スパービアは無数の小球を浴びせ、マリアの足を止めた。マリアは小球の攻撃を振り払いセレナに近づこうとしたが、それは叶わなかった。

 イーラはセレナの華奢な腕を二本とも片手で締め上げていた。腕が軋み、彼女は抗うことすらできなかった。

 イーラはもう一方の腕に力を込めた。筋肉が隆起し、野太い血管がくっきりと浮かび上がる。腕全体に燃えるような瘴気が立ち込める。大きく振りかぶり、全体重を腕に乗せた。

「フン!!!」

 恐るべき結果をもたらすであろう拳が、セレナの腹部をめがけ放たれた。


 だが、イーラの太い首を光が貫き、拳は動きを止めた。

 その光は、アレシアが地上から放った光の矢だった。


 マリアは全ての小球を打ち消し、スパービアに襲いかかった。彼女の素早い攻勢に、スパービアは次の攻撃を繰り出す間も与えられず、肘から先の右腕を切り落とされた。

「ぐあっ!」

 スパービアはなんとか態勢を立て直した。

「…こうなっては分が悪いですね…」

 スパービアは黒い霧に包まれ、姿を消した。いつのまにか、イーラと瀕死だったはずのルクスも姿を消していた。


 間一髪助かったセレナは、腕を押さえながらよろよろとマリアに近づいた。

「三匹とも逃げたわね…」

「手ごわかった…大丈夫?」

 セレナは頷いた。

「わたしは。それよりアレシアが…」

 二人はアレシアの元へ向かった。


 彼女はうつぶせに倒れていた。

「大丈夫?アレシア」

 マリアがアレシアを抱きかかえた。

 セレナも傍についた。

「アレシア…ありがとう、おかげで助かったわ」

 アレシアは手をついて、自らを支えた。

「わ、わたしは大丈夫…。でも、この人が…」

 傍らで、白衣の教師が頭から血を流していた。


..*


 セレナが他の教師を呼び、まもなく救急車がやってきた。その頃には授業が終わっていたので、現場にはギャラリーができていた。

 救急車は教師を乗せ、サイレンを鳴らさずに学校を後にした。


 不安顔のマリアとセレナの元に、優司が駆け寄った。

「マリア、佐藤先生どうなんだ?」

「アレシアのスキャンでは命の危険はないそうだけど…回復にはしばらく時間がかかるだろうって」

「そうか…」

 マリアは残念そうに目を伏せた。

「わたし達に治癒ヒールの能力があれば…」

 セレナの顔も暗く沈んでいた。

「人間を傷つけるなんて…わたし達失格ね…」

「ま、まあまあ、事故だったんだからしょうがないだろ? 先生にゃ悪いが、他に大した被害がなかっただけでも良かったよ」

 優司は二人の背中をポンポンと叩いた。

「…あれ? そういやアレシアは?」

「彼女は先に戻ったわ」

 マリアが答えた。

「アレシアが一番責任感じてるかもな…。心配だな。彼女結構思いつめるタイプだからな」

 優司は救急車が去った方向を眺めた。セレナとマリアは、だまって優司を見つめた。それから、三人は空を仰いだ。


 空はいつしかどんよりと曇っていた。季節は梅雨にさしかかろうとしていた。

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