第十四話 吹き荒れるラブ・ストーム!
(1)
ある日曜の朝、優司は暑苦しさで目覚めた。中途半端に閉じられたカーテンの隙間からは、角度からしてもう朝とは言えない強い日差しが差し込んでいた。珍しく誰も絡んでこなかったので、優司は久々に自然に目が覚めるまで寝ていた。寝過ぎだった。
カーテンと窓を開けると、いくばくか涼しい風が入って来た。特にやることはない。取り敢えずトイレに行こうと思い、パジャマ姿のまま部屋のドアを開けた。
「きゃっ!?」
部屋の外で誰かが尻もちをついた。それは大きなお尻…いや、アレシアだった。幸いドアは当たらなかったのだが、とっさに避けようとしてバランスを崩したらしい。
「ああっ、アレシアさん、ごめん!大丈夫?!」
優司は慌ててアレシアに近寄った。
「うん、大丈夫。ちょっと驚いただけ」
「立てる?」
優司は手を差し出した。
「えへへ、カッコ悪いよね、精霊のくせにどんくさくて…」
アレシアは苦笑いしながら優司の手を取って立ち上がろうとした。
「痛ッ…!」
またしても尻もちをついた。
「やっぱりケガしたんじゃ?!」
「あ!ち、違うの、これは」
アレシアはうろたえる優司を慌ててなだめた。
よく見ると、アレシアの左足には既に包帯が巻かれていた。
「そう、これ…。こっちに来た時の戦闘の傷が治ってなくて…」
「…?」
優司は不思議に思った。マリアやセレナが傷を負っても、大抵丸一日経てば傷跡もなく綺麗に治っていた。アレシアがこっちに来てからもう二週間も経つ。あの時は確かにひどい傷だと思ったが、これはほとんど「普通の人間」と変わらない回復ペースだ。考えてみれば、優司は歩いているアレシアをみたことがほとんどなかった。会う時はいつもにっこり笑って、ケガのことなど一言も言ったことはなかった。うるさいくらいに快活なマリアやカスミ、いつのまにか近くにいて辛辣なツッコミを入れるセレナに比べると、彼女は見た目のゴージャスさとは裏腹にずいぶん控え目に感じられた。
優司は肩を貸した。
「ありがとう…」
そう言ったアレシアの笑顔はどこか寂しげだった。
優司は肩でアレシアの重みを感じた。百七十ないし百七十五センチほどだろうか、優司よりも一回り背は低いが、思ったよりも軽く、華奢に感じられた。立ち上がる際、軽くウェーブのかかった柔らかで豊かな金色の髪が、優司の顔に触れた。母が使うリンスの香りがフワリと広がった。わずか二、三十センチ先のアレシアの伏目気味の瞳に、優司はしばし見入った。
「…あの、もう大丈夫」
「え?」
優司は肩に回されたアレシアの手を握ったままだった。
「ああ、ご、ごめん!」
「それじゃ…」
左足を庇いながら階段に向かおうとするアレシアの後ろ姿を、優司は思わず呼びとめた。
「アレシアさん」
「え?」
「…良かったら、ちょっと話さない?」
優司は親指で自分の部屋を指差した。
アレシアは優司のベッドに腰掛けていた。そこへ、優司が二つのマグカップを持ってやってきた。
「アレシアさん、甘いの大丈夫?」
カップを一つ手渡す。カップには、ミルクココアが注がれていた。
「ありがとう」
アレシアはココアを一口飲んだ。そして弱々しい笑みを浮かべた。
「おいしい…。ほんとだ、甘いね…」
そういうと、アレシアはココアの上に立った泡を見つめてだまってしまった。そしていつしか、嗚咽を漏らしていた。
優司はアレシアにかける言葉がなかった。この人はたぶん、なにか大きな不安か悩みを抱えていて、ずっと耐えてきたんだろう。ここでこうして泣いているということは、多少なりともその心の中で膨れ上がったものを吐き出す一助になっているかも知れない。今はしばらくこのままにしておこう。
そういえば、前にも同じように泣いていた女の子がいた…。ああそうか、クローディアだ。あの屋上での話は作り話だったかもしれないけど、もしあの時言っていた友達がレベッカのことだとすれば、こっちに来て本当に寂しい思いをしていたのかも知れない。悪魔が寂しい思いをするかどうか、という問題はあるが…。
優司はローテーブルに両肘をつき、カップに書かれたくだらない英語の文字を読むでもなくただ目で追った。窓から時折り入ってくる涼しい風が、重苦しい空気を吹き流した。
カップのぬくもりが薄れかけた頃、アレシアのむせぶ声が止んだ。
「…ちょっと落ち着いた?」
「ええ…だいぶ」
アレシアは笑い顔を作ってみせた。
「良かったら話してよ。無理にじゃなくてもいいから」
「うん…」
アレシアはカップの中身を二、三度飲んだ。
「ん…もうぬるいね」
「はは…」
「…わたしね、デュナミスの能力評価は高いんだけど、使い方がよく分からないの。戦闘の時も焦っちゃうし。せいぜい神の楯で防御するのがやっと。あとはプロビデンスの眼でいろんなとこを見ることができるくらい」
時折り、アレシアは優司のほうをちらっと見た。優司はだまって頷いている。
「ほかの精霊と比べると回復力も低いから、前に出て戦うと足手まといになっちゃう。わたし、戦闘とか向いてないのかな…」
そう言うと、アレシアは物思いにふけるように、その長い睫毛を伏せた。
精霊が戦闘を行う場面はあまり多くはない。彼女達の人間の守護は、災害の救助や生命の維持、振りかかる不幸の低減といった「運」に関わるようなものが大半を占める。彼女達は一人で数百万の人間の守護を行うため、ハッキリ言ってキャパシティオーバーとなっている。そんなわけで人間と精霊の素敵な出会いは極めて少なく、仮に関わったとしても人間の前に直接姿を見せることもほとんどない。大抵は「天使のような光を見た」といった類のあっち側の体験として片付けられてしまう。
ともかく精霊の主業務は人道援助という平和的な活動と言っていいのだが、時折り、悪魔のような精霊達の目的を阻む敵対勢力と戦わなければならないことがある。多くの精霊の武装は弓、剣あるいは槍、もしくは多くのエネルギーを消費する奇蹟である。ミスティック、有体に言えば魔法を攻撃に使える者は兵卒レベルのエンジェルズでは極めて少なく、大抵は治癒などで細々と使われる。接近戦闘に長けたものほど剣や槍を使うが、非常時の身を守る武装として剣を携行するケースを除き、接近戦を得意とする精霊は実はそう多くはいない。例えばマリアのレイスウォードは光の力を調節することで切れ味を変えたり形状を変化させることができるが、そのような能力を駆使したり、実際に敵と戦う技術を高めるためには資質やセンス、そして多大な努力が必要とされるからだ。つまり大半の精霊は、結果的に距離を置いて戦闘が可能な弓を選択することになる。アレシアもその一人だ。セレナのように銃を使う精霊はかなり少なく、彼女のような連射可能なオートマチック銃にいたってはそれを見つけるのも難しい。銃の構造は複雑で、それを実在化するのはかなりの知識と大量のエネルギーを必要とするからだ。
それにしてもアレシアはこと戦闘に関しては自信がないようで、それが彼女の最大の悩みとなっているらしい。一般の精霊ならそれほど悩むこともないが、敵対勢力に対抗するために編成された守護隊にあっては、確かに憂慮すべきことではある。
次にアレシアが優司を見ると、彼はアレシアをまっすぐ見ていた。彼女はドキリとした。
「アレシアさんさ、オレらんとこに来る前は何してたの?」
「え? この任務に就く前は…普通に人間の守護をしてたわ」
「それって何百万って数なんでしょ?」
「ええ…?」
「オレ天使の仕事はよくわかんないし、天使がオレんとこ来たのもあんたらが初めてなんだけど…。ある人が本当に困ってて、誰かに助けてもらいたい、藁にもすがりたいって思った時に、誰かが手を差し伸べてくれたとしたら、もうそれだけでかなり救われると思うんだ」
「……」
アレシアは驚いた顔をしていた。優司はそのまま続ける。
「人間ってさ、辛い時とか、結局全部自分で背負っちゃうんだよな。そんで、出口が見つからなくなって絶望する。歯食いしばって頑張っても無理だって思うと、もう楽になろうって、必死に掴んでた手を離しちゃう。そんな時に天使が現れるだけで良かった、まだ生きてていいんだなって思うんだ。オレがマリアやセレナに会った時もそう思ったもん」
アレシアは優司の一言一言に、無意識にうなづいていた。
「アレシアさんは…ひょっとしたら戦いは苦手なのかも知れない。でも、あんたはとっても優しい人だと思うよ。今まで見ててそう感じる。だからさ、うまく行かないこともあると思うけど、あんたの助けを待つ何百万のために、その手を差し伸べ続けて欲しいな。その優しさを、みんなに分けてあげて欲しい」
優司の顔は少し赤かった。彼の言葉には、自分が抱いているアレシアへの想いが込められていた。
「優司…くん…」
アレシアの目はまた涙でいっぱいになっていた。だが、それはもう悲しみの涙ではなかった。
「いいよ、優司で」
「優司…ありがとうッ!」
アレシアは優司に抱きついた。アレシアの体がローテーブルに当たり、カップの残りがこぼれかけた。その勢いのまま、優司は頭と背中を机の椅子にぶつけた。キャスターのついた椅子がガタンと音を立てて揺れ、くるりと回った。
「あいてて…。はは、激しいな」
優司には椅子にぶつかったことよりも、彼女のきつい抱擁のほうが激しかった。優司は彼女の胸の圧力を強烈に感じていた。
「あ! ごめんなさい!」
アレシアはパッと離れ、顔を背け恥ずかしそうにもじもじした。
「あの、わたしもアレシアでいい…」
「うん、わかった」
こんな天然っぽい子はいいんちょとアレシアくらいだな、と思って、優司はちょっと笑ってしまった。つられて、アレシアも笑った。
その笑いが終わると、妙な間が訪れた。二人は互いを意識した。
が、アレシアはぱっと立ち上がった。
「あ、じゃあわたし、もう行くわ」
「あれ? 足…」
「え? …あ! 不思議、だいぶ痛みが引いてる!」
アレシアは傷のある脚に体重をかけてみた。多少の痛みはあるが、ついさっきとは比べモノにならないほど、その痛みは軽微になっていた。
「へえ…良かったじゃん」
アレシアは嬉しそうに優司の顔を見た。
「ケガまで治してくれるなんて、優司は魔法使いみたいね!」
「オレ? オレは何にもしてねえよ」
「ううん、塞ぎこんでたわたしの心も治してくれたもの」
「あ、そう…」
優司はちょっとテレた。
「じゃあ、また後でね」
「ああ」
アレシアは静かにドアを閉めた。
「よかった…。やっぱり女の子は笑ってないとな」
優司は満足げだった。
廊下のアレシアは胸の前で手を組んでいた。
(不思議だわ…さっきまであんなに悲しかったのに、今は嬉しさでいっぱいになってる…)
アレシアは踊り出したい気持ちだった。
彼女の足はその後「普通の精霊」のように順調に回復した。
(2)
その日の午後、優司は学級委員の倉田紀子にメールで呼び出された。なんでも兄の誕生日なのでプレゼントを買うが、何がいいか一緒に探して欲しい、ということだった。優司はなぜ彼女の兄の誕生日プレゼントを自分が選ばなければならないのか疑問に思ったが、どうせ家に居ても精霊の姉妹に絡まれるだけだと思い、喜んで引き受けた。
優司はヒロシの家に行く、夕方には戻ると言って抜け出し、駅前のショッピングセンターに向かった。
紀子は白い水玉の入ったピンクのワンピースに白いサマージャケットを羽織り、赤いリボンのついた小つばのストローハットという出で立ちで現れた。学校では見られないかわいらしい姿に、優司は眼福に預かった。
紀子は優司と一緒に、いろんなテナントを見て回った。中にはプレゼントとは全く関係ないショップや、自分が気に入った男物の服を優司に当てがったりしてはしゃいでいた。その辺りでは終始紀子のペースで進み、優司は何の目的でここにいるのか忘れかけた。優司が「そろそろ決めようぜ」というと、彼女は「あっ、そ、そうよね、そうだっだよね…」と少し残念そうな顔をして、その後笑って歩き出した。
紀子の兄は大学生で、予算は四千円ということだったので悩んだが、最近ケータイをスマートフォンに買い替えたらしいので、優司はそれに合うスエード調の携帯ケースを勧めた。四千八百円と予算はオーバーしていたが、シックで質感も高かったので、彼女も納得してそれに決めた。
紀子がお礼をしたいと言ったので、優司は二段重ねのアイスクリームを所望した。二人とも一つも被らないフレーバーを注文したので、お互いにこっちがうまい、と主張し合い、ついには食べっこをしたりしてプチ恋人気分を味わった。
その後、兄にプレゼントを渡すために紀子は帰っていった。
..*
優司が家に戻ったのは日も落ちかけた頃だった。何やらカレーの香料の匂いがしたが、あともう少しかかるから部屋で待て、とセレナに言われ、優司は腹の虫を鳴らしながら待っていた。
ほどなくして、優司の部屋のドアがノックされた。セレナが小皿を持って現れた。
「優司、ちょっと味見する?」
「おう…。おお、これはっ?!」
デミグラスベースの欧風ビーフカレーだった。既によく煮込まれており、ブイヨンと肉のうまみ、そして短時間で作ったとは思えないデミグラスソースのコクが混然となって深い味わいを与えていた。
「う、うますぎる…」
「ほんとは一日置いたほうが馴染むんだけど…」
セレナは小皿を回収した。
「いや、これで十分です」
「じゃ、味はもういいわね」
「ああ。セレナは料理ホントにうまいな!」
「…お、お世辞なんていっても何も出ないよ」
セレナはテレて顔を頬を赤らめた。
「お世辞じゃないって。母さんも勉強になってるって感心してただろ?」
「う、うん…」
セレナは言われて嬉しいのか、なんとなくしなを作っていた。そんなしぐさや顔を赤らめる表情を見て、優司は改めて思うものがあった。
「そういやさ…なんかセレナ、ずいぶん女の子っぽくなったよな」
「それどういう意味?」
「話し方とかもそうだけど、なんかこー、カドが取れたっつーか、曲線が出てきたっつーか…」
優司はセレナの立ち姿を上から下まで眺めながら、両手で女性のボディラインを描いた。
「ば、ばか…!」
セレナはまた顔を赤くした。
少なくとも優司ビジョンでは、以前よりも腰が張ってきたように見える。それはあるいはセレナのしぐさがそう見せているだけかも知れないが、そうだとしても以前のヘタをすれば小学生と見間違えそうな雰囲気であれば、そのしぐさにしたって「かわいいお嬢さんですね」で終わってしまっていたに違いない。今は、そのしぐさは確実に「かわいい女の子」に見えている。そんなことを考えつつ、優司はセレナの顔や体を観察していた。
いつもなら視線に気づいた彼女がこの辺でスケベ、とかいいながら部屋を出て行くのだが、今日のセレナは少し違った。
「ねえ」
「ん?」
「ゆ、優司は…わたし達の中で誰が、好き?」
それは唐突で、しかも想定外の質問だった。
「おまえさんからその質問を聞くのはちょっと驚いたな…」
優司はしばし天井を見上げた。
「まー、ぶっちゃけみんな好き、かな。ありがちの答えだけど。マリアは…明るくてまったくカベ作らなくて、幼馴染か妹みたいな感じだし。そういう意味ではカスミに似てるかなあ」
セレナは軽く頷きながらだまって聞いている。
「アレシアは、あのナイスバディの割に、健気でかわいいとこあるんだよな。そーゆー意味ではオレ的にツボだな」
「……」
アレシアに対し「さん」付けがなくなったことに、セレナはまず違和感を感じた。次に、やっぱり男はアレシアみたいなグラマラスな女性が好みなのかと思った。いや、ひょっとすると優司は好みというレベルを越えて、アレシアのことが…。
「ほんでセレナ、おまえさんは…」
セレナはピクッと反応した。優司はしばしセレナを見つめた。セレナは緊張のためか、固まっている。
「最初はクールなイメージだったけどな。実はツンデレだったってのがまたツボだな」
「つんでれ…?」
「まあ、人前じゃいつもおカタい態度取ってるけど、意外にかわいいとこもあって、好きな人にはそれをさらけ出しちゃう、好きな人にだけ甘えちゃう、っていうギャップを持つ性格かな。今のおまえさんみたいな感じ」
「え、そんな…あ甘えてなんか、ないよ…」
セレナは思わず下を向いた。頬から鼻の辺りが紅潮し、視線が泳いでいる。
「料理もうまいし、気もきくしな。奥さんにしたらダンナは幸せになれるな」
セレナはボッと湯気が出そうなほど顔を真っ赤にし、唇を噛みしめていた。
「惜しむらくは、そのちょっと残念なプロポーションだが…」
「そ、それを言うなぁ…!」
「いや、それがさ」
「…?」
「なんか最近、セレナ胸大きくなってない?」
「え?! そんなこと」
セレナは肩をすくめ、胸をかばうように手で覆った。
「いや、オレには分かる。オレのこの目は、一ミリ単位の成長も見逃さない!」
「そ、そうかな…?」
優司は敢えて「一ミリ」と言ったのだが、セレナは既に細かい点を聞きとる冷静さを失っていた。
「絶対そうだって! 触ればもっとわかるかも…」
と言って手をにぎにぎする。
「や、やらしいな! …まったく、せっかくちょっといいやつだなって思ってたのに」
セレナは立ち上がり、ドアの外に出ると、顔だけ出して
「…スケベ」
と言ってドアを閉めた。
驚くほど女の子女の子した彼女の挙動に、優司は思わず吹き出しそうになった。
「まったく…なんなんだろねえ。アレシアといいセレナといい…。またモテフラグでも立ったんか?」
セレナは一階へ続く階段の所で立ち止った。そしてそっと胸を押さえてみる。
「成長…したのかな」
セレナは嬉しそうに頬を赤らめた。
実際に彼女が思うほど成長しているかはさだかではないが…。
(3)
セレナが出て行ったあと、優司は腹ペコだったことを思い出した。あのごきげんなカレーをいただきますか、とドアノブに手を伸ばしたところでドアが勝手に開き、
「あーいいお湯だった!」
とマリアが入ってきた。優司は「うわ☆」と反射的に飛び退いた。
「おまえまたそのカッコ…! ちゃんとノックしろよ、オレにもプライバシーってもんがあるんだぜ」
「あれー? 最近リアクション薄くなったねー」
「…おまえ、実はオレをからかってたのか。…いや、薄々は感じていたが」
「へへーん」
マリアは色目遣いになり、優司ににじり寄った。優司が後ずさりし、ベッドにつまづいてベッドの上に大の字に転ぶと、その横に妙にしなを作りながら寝っ転がり、優司の腰の辺りをつんつんぐりぐりと突き出した。
「マリアお姉ちゃんはぁ、優司くんの成長をぉ、いつも見守ってるのよぉん」
「い、いや、別におまえに見守ってもらわんでも…」
マリアは半身起き上がった。
「わかったわ。もう見るだけじゃだめなのね? わたし達は次のステージに進むのね?」
胸元のバスタオルを持ち、ちらちらとはずすそぶりをする。
「だーかーらー!」
突如バン!と扉が勢いよく開き、セレナとアレシアが入ってきた。
「まったくもーこの子は!」
二人はマリアの両腕をガシッと抱え込むと、ずるずるとひきずっていく。
「え?何? あっ、タオルが…!」
はらり、と取れそうになるバスタオルの端をセレナがギリギリのタイミングで掴み、マリアの胸の谷間に乱暴に押し込んだ。
「おじゃま様ー」
去り際、アレシアは引きつったスマイルをした。
扉がパタンと閉められた。
数秒後、壁向こうの部屋からキーキーと言い争う声が聞こえてきた。
優司は精霊達の振る舞いを見て、何か悟った。
「ああ…なんだ、もうみんな家族なんだな」
優司は、これは兄弟や姉妹間にある、おふざけだと思ったのだった。
ところが、コトは優司が思っていたよりもガチだった。
(4)
それは翌朝のことだった。
「ういーす」
「おはよー」
支度を終えた優司がダイニングに出ると、三人姉妹が声を揃えてにこやかにあいさつをした。が、その笑みは心なしかひきつっている。
突然、ママが凄い勢いで優司をさらい、リビングに移った。
「な、なんだよ母さん…?」
「あんた、どうしたのよ! あの子達、朝からお互い一っ言も喋らないのよ! 空気が重くてわたし窒息しそうだったんだから!」
「へ? …いやー、思い当たるフシがないこともないけど…」
優司は昨日の出来事を極端に自分の妄想方向に振って考えた。
「いや、その線は薄すぎるな! …うん、それはないわ」
何か一人で納得したようだった。
「ママも女だから、大体わかるわ。あれはもう、ライバルよ。恋のライバル!」
「なぜその結論を導く」
それは優司がないとした結論だ。
「あんたが来たとたん、さらに空気が張り詰めたのよッ!」
ママの顔は恐ろしい光景を見たかのように険しかった。
「そ…その空気はオレには読めなかったー!!」
「それに夕べのことだって大変だったじゃない」
その前兆はママの指摘するように、すでに昨夜の夕食時に起こっていた。高級ホテルの高級レストラン(といっても優司はそういう所に行ったことはない)でしか食べられないような特製欧風カレーを食べた一同は、セレナをべた褒めした。セレナは優司の真正面の席に座っていたので、優司の食べる様を眺めては、彼の質問に対しこれはこうした、あれはああしたと回答した。そして二人の精霊に目で「勝った」と宣言した。
優司の隣に座るマリアは優司の腰の骨のない部分をづん、と突いた。それは見事にキまった。
「おがっ!? …な、なんだよ?」
と優司がマリアを見ると、彼女は「別に!」とすました様子で言ったが、その後自室に戻った優司は、アレシアとセレナが救出に来るまでマリアにねっとりと絡まれることになった。
食事を終えた優司が立ち上がると、アレシアも「わ、わたしも部屋に戻ろうっと!」とわざわざ言わなくてもいいセリフを言って立ち上がり、バリアフリー設計で何もないフローリングの床になぜかタイミングよくつまづいて、優司の腕にしがみついた。
「大丈夫か、アレシア?」
「ちょっと足が…」
「え、まだ痛いの?」
「あ、ええ、そうまだ、少しだけ。…ちょっとこのまま支えになってくれる?」
「ああ、いいよ」
と強引に権利を獲得し、絶大なアピール度を誇る胸をぐいぐいと押しつけながら階段を登っていった。
残された二人の精霊からほとばしる憎悪の念は、居合わせた和田夫妻を震撼させたのだった。
「いい? ママはいい加減な行動は許さないわよ。もしヤるんなら、誰か一人に決めなさい」
「な…何をヤるんだよ」
もちろん優司には分かっている。
「決まってるでしょ。…でも、そうなったらこの平和な家族が崩壊すると思いなさい!」
優司の肩を掴むママの指が、グググと食い込んだ。
「お、大げさな…」
優司はママの腕をそっと掴んだ。
「まあ、安心しなよ。母さんの幸せな今は、まだしばらくはオレが守るから」
「そう?そうなの? …あんたいい息子だわぁ…」
優司はひきつった笑いを浮かべた。
「ささ、ご飯食べて、学校いきなさい」
ママはすっかり機嫌を直していた。
優司がダイニングに戻ると、三人の間には確かにすさまじい空気が流れていた。そこに飛び込めば、激しい烈風に巻き込まれ吹き飛ばされるか、はたまた飛び散る火花に身を焦がされるかも知れない。
しかし優司は果敢にも飛び込んだ。最大の注意を払って。
もくもくとメシを食べ、さっさと家を出た。その後ろにマリアとセレナがほぼ密着状態で続いた。二人は優司の両側にぴったりと貼り付き、優司は両方からぐいぐいと押され、真っ直ぐ進めずに登校する羽目となった。
ダイニングに一人残されたアレシアはそわそわしていた。
「わ、わたしも…行こうかしら」
ママはほっとした様子で食卓を片づけ始めた。が、優司の弁当が残っていることに気づいた。
「あらやだ! …渡しそびれちゃった」
「どうしました?ママ。大きな声出して」
「…これ」
弁当の包みをプラプラさせた。
「……!」
それを見たアレシアの目が輝いた。