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第十二話 ターニング・ポイント

(1)


 ついにセレナの登校する日がやってきた。セレナは前の晩から制服を着ては姿見の中の自分を確認した。以前、マリアの服を着てみたことがあったが、改めて自分のプロポーションに合った制服を着てみると、彼女はちょっと恥ずかしいようなとてもくすぐったい気持ちになった。その朝もずいぶん早くから制服を着て、乱れたところがないように念入りに身だしなみを整えた。普段の服装でもスカートは穿いているが、絹衣殻シルキーシェルなしの生足で穿く箱ひだのついたミニスカートはかわいらしく、下半身が頼りなく、彼女に恥じらいをもたらしていた。

 優司は姉妹達にやや遅れ、半分寝ぼけた状態で朝食をとっていた。

 セレナがおもむろに立ちあがった。

「手続きがあるから、先にいく」

 誰の確認を取るでもなくすたすたとダイニングを去るセレナを見て、マリアも立ちあがった。

「じゃあわたし達も行こっか。ほら優司」

「えー! オレもですかー!?」

 マリアに強引に引っ張られ、優司は朝食を中断して家を出た。


..*


 優司達が学校に到着すると、ちょうど朝練を終えたカスミに出食わした。

「うぃっす、カスミ」

「あ、おはよ…」

「ハイ、…カスミのカレシ?」

 カスミの傍には、レベッカがいた。

「えっ? 違います違います、こんなヤツ!」

「こんなヤツ呼ばわりかよ…」

 優司は全力で否定するカスミに違和感を感じた。紹介されるまでもなく、カスミの隣のかっこいい女性が噂のレベッカ先輩だと言うことはピンと来た。

 レベッカが気さくに言う。

「カスミ、紹介してよ」

「あ、えーと、こいつは和田優司。あたしの近所に住んでるバカ。それと…」

「阿部まりあです!」

 マリアは自ら名乗り出た。セレナは一足先に校内に行ってしまったので、この場にはいなかった。

「…で、こちらがこないだ話したレベッカ・カーヌス先輩」

 レベッカは軽く会釈した。

「はじめまして。…へえ、わたしの話してたんだ?」

「あ、それは…エヘヘ」

 カスミはちょっとバツが悪そうに身をよじった。優司はそんな彼女を見てニヤニヤしている。


 レベッカはマリアの顔をじっと見た。そして口を開いた。

「あなたがマリア…阿部まりあさんね。周りからいろいろ話を聞いてるわ」

「え? そうなんですか?」

「うん。赤毛のかわいい二年生って、クラスの男子が話してたもの」

「そうなんだーえへへへー」

 マリアは嬉しそうに体をふにゃふにゃさせた。

「あー、じゃもうそろそろ行くか。カスミは?」

「うん、まだ先輩と話があるから…」

「そか。んじゃな」

「さよならレベッカ先ぱーい」

 昇降口に向かうマリア達を、レベッカはじっと見送っていた。カスミはレベッカの横顔を見ていた。レベッカがマリアのことを知っていたことを今聞かされ、あまりいい気持ちがしなかった。


(2)


 カスミのいる2-Dの朝のHRに、担任は転入生を連れてきた。転入生が教室に入るなり、クラスの生徒たちからおおっ、と歓声が上がった。転入生は青い髪で、一部の生徒には需要の高い、少し幼い容姿の女子生徒だったからだ。

 カスミはその女子生徒に見覚えがあった。優司の家で、優司やマリアと一緒にいたあの女子生徒に違いない。

「セレナ・サイアネウスです…よろしく」

 セレナはやや俯き加減にぼそっと自己紹介し、こくりと一礼した。主に男子生徒達から喝采を受けた。彼らの目には、セレナははにかむアニメ系ロリロリ美少女に見えていた。しきりにスカートの裾を気にするしぐさもグッとくるものがあるようだ。


 その日は、休み時間になる毎にセレナの周りに人垣ができた。教室移動の時も、実技の時も、自分をあまり出さない礼儀正しいセレナは人気で、クラスメイト達が何かとサポートしてくれた。セレナは人と交流することが恥ずかしくもあったが、周りのやさしさを感じると、暖かい気持ちになった。

「……」

 ちやほやされるセレナを、カスミは一歩引いたところで見ていた。自分の領域に突然彼女が侵入してきたような気がした。それに気づくと、また良くないことを考えている自分が嫌になった。


..*


 カスミは自分の居場所をレベッカに求めるようになっていた。この所は朝錬で出会ったり、帰りも一緒に帰ることが多くなってそれなりに親しくなっていた。練習の時にも何か気になったことがあると、いちいちレベッカに尋ねた。

「先輩、今のフォームどうでした?」

「…うん、悪くなかったよ。でも後半ダレてるから、もうちょっとしっかり走って」

 レベッカは口ではそう言ったが、カスミにはあまり関心がなくなっていた。それよりも、昨日会ったマリアのことで頭がいっぱいになっていた。

「先輩、今のはかなり良かったと思うんですけど」

「え? ああ、だいぶ良くなったよ、その調子」

 レベッカはカスミが走っていることにも気付かなかった。


 午後練が終わり、カスミはレベッカと一緒に学校を出た。カスミは練習のことや趣味のことなどを楽しそうに話していたが、レベッカは正直疎ましく思っていた。彼女は、マリアにどう近づこうかを考えていた。

「…それで、優司の家にまりあとセレナってコが一緒にいるんですよ。特別捜査官とか言ってたけど、なーんか怪しいカンケイで…」

 カスミのその言葉に、レベッカは立ち止って反応した。

「カスミ」

「え?」

「キミは和田君の向かいに住んでるの?」

「ええ、そうですけど?」

「で、和田君の家にまりあちゃんも住んでるってことだよね?」

「え、ええ…?」

「ふーん…」

 レベッカは不敵な笑みを浮かべながら、何か思考を巡らしていた。カスミはレベッカがなぜ優司やマリアの話を問い直したのか不安になった。昨日の様子といい、明らかにレベッカは優司かマリアに興味を持っているに違いない。

「先輩…優司とかマリアが気になるんですか?」

 いつのまにか、カスミはそう口に出していた。

 レベッカは少し意外そうな顔をしたが、フッと軽く笑った。

「うん…いや、まあ、ウワサの人だったからちょっとは気になったけどね…」

 そしてカスミの目をじっとみつめた。

「一番気になるのはキミだよ、カスミ」


「え?」

 辺りは暗くなりかけ、人通りはまったくなかった。レベッカはカスミの後ろのブロック塀に手を付き、カスミとの距離をゆっくりと縮めた。

 背中がブロック塀に当たり、カスミは身動きが取れなくなった。

「あの、先輩…?」

 カスミは少し不安になった。レベッカの顔は、鼻と鼻がぶつかるくらいにカスミに迫っていた。カスミは近づくレベッカの柔らかそうな唇を意識してしまう。今、自分の唇が乾いてカサカサになっていないか、練習後で顔が脂ぎっていないか、汗の匂いは…そんなことが気になった。

「あ…」

 カスミの抵抗がほとんどないことを確認すると、レベッカはカスミと唇を重ねた。始めはソフトだったが、だんだんカスミの唇の味を楽しむように舐った。

(あ、あたし食べられてちゃってる…?!)

 カスミは頭の中が真っ白になって、浅く呼吸しながら、ただレベッカのなすがままになっていた。レベッカのキスは情熱的で、カスミはすっかりその愛撫の虜になっていた。ついにはレベッカの舌で口のあらゆるところを探索され、歯の裏側まで舐められ、へなへなになってしまった。キスをしながらいつのまにかカスミの背後に回っていたレベッカは、崩れそうになるカスミを抱きかかえ、開襟シャツの上からカスミの膨らみを愛撫した。カスミは自分の胸の先端が硬く敏感になっていくのを感じた。


 カスミがすっかり熱くなったところで、その行為は突然中断された。

「…なーんてね」

「え…?」

 カスミはただ茫然としていた。レベッカはあんぐりと口を開けたカスミがおかしくて、クスクスと笑った。

「ごめんね、冗談よ」

「じょうだん…」

 レベッカはカスミの肩に手を当て、頷いた。

「でも今大事なのはカスミ。ほんとだよ。あともうちょっとでフォームが完成するから、一緒に頑張りましょう!」

「は、はい…。でもびっくりしました…」

 レベッカはまたクスクスと笑った。


 少し歩いた後、二人は分かれ道で分かれた。

 カスミはレベッカを見送りながら、胸の先に寂しさを感じていた。女の子同士なんていけないこと、と思いつつも、心の奥ではその先を期待してしまっていた。


(3)


 翌日、カスミは昼休みにレベッカに呼び出された。昨日のことを思い出し、幾ばくかの期待をしながら待ち合わせ場所の女子陸上部部室を訪れた。

「失礼しまーす」

 ドキドキしながら部室の部屋を開けると、そこにはレベッカの姿はなく、代わりに薄緑色の短髪に黒いつなぎのような服装をした若者が立っていた。目つきは悪いが、顔は整っていてなかなかイケメンだった。

「誰…?」

 まったくの想定外で、カスミはただ困惑していた。

「またこんなむすめか…姉御も好きだな」

 イケメンの若者は少々あきれ顔だった。

「あの、わたし失礼します」

 カスミは身の危険を感じ、とにかくその場を去ろうとした。

 だが、突然まるで世界がスローモーションになったかのように、体はゆっくりとしか動かなかった。

「な…に…?」

 若者が目の前に近付いてきた。カスミは懸命に逃れようとしたが、下顎を掴まれた。そして、若者と目を合わせた。若者の瞳は、爬虫類のような縦長の瞳孔だった。カスミは戦慄した。

 若者はニヤリと笑った。

「こんにちは。そしておやすみ」

 若者の黄色い虹彩がギラリと光った。カスミの視界にはその光る眼だけが映り、他には何も見えなくなった。そして、貧血でも起こしたかのように体が冷たくなり、冷や汗とともに頭からスーッと血の気が引くような感覚がして、意識が遠のいた。


 部室にはカスミだけが立っていた。カスミの目は虚ろだった。自分の両手を眺め、全身を見渡す。そして自分の脇の匂いを深く吸い込んだ。

「ああ、いいニオイ。ぞくぞくしちゃう…」

 そう言うと、カスミは不気味に笑いだした。


「さて、それじゃ一働きしますか」

 カスミでないカスミは、そう言うと部室を後にした。


..*


 教室では、優司とヒロシ、マリアのいつものグループにセレナが加わり、昼食を楽しんでいた。

「こーしてみると、まりあちゃんとセレナちゃんって似てるよな」

「えー似てないよー」

 ヒロシの言葉に、マリアは即座に手を振って否定した。セレナもむっつりと否定した。

「全然似てない」

「いや、見た目は違うんだけどさ、なんかこー、美少女オーラが出てるんだよね」

 優司はそう話すヒロシを見ながら思った。

(こいつマリア達が天使ってこと感じとってんのか? なかなかするどいな…)

 そこへカスミがやって来た。

「あ、いたいた」

「おうカスミ、どうした」

「うん、阿部さんにちょっとね。放課後、レベッカ先輩がお話したいことがあるって」

「わたしに? えーなんだろ」

 マリアはまんざらでもない様子だ。

「用事は聞いてないけど…。あの人女の子好きみたいだから、気をつけてね」

「え~? まさかー」

 マリアはカスミの言伝を了承した。

「じゃあセレナ、わたしがいない間、優司をお願いね」

「了解」

「オレは保護者付きのガキか…」


(4)


 放課後、マリアは女子陸上部の部室を訪れた。

「こんにちはー。レベッカ先輩いますかー?」

 部室内にはレベッカはおらず、他の部員も誰も居場所を知らなかった。

「おじゃましましたー。…おっかしいなー」

 マリアが外に出ると、一年の女子部員が駆けよって来た。

「阿部まりあさんですか? カーヌス先輩から伝言なんですが、特別棟の屋上に来て欲しいそうです」

「え?」


 特別棟の屋上はダクトや給水施設があるため、普段は施錠されている。しかしマリアが屋上のドアノブを握ると、ドアはあっさり開いた。普通棟の屋上とは異なり、特別棟の屋上は床に四角いダクトやパイプが至る所に張り巡らされ、エアコンの大型室外機が並んでいて見通しが悪かった。

「レベッカせんぱーい、阿部ですけどいますかー?」

 マリアが呼び掛けると、レベッカは室外機の横から姿を現した。顔には不敵な笑みを浮かべている。

 レベッカはゆっくりと近づいてきた。

「ごめんなさいね、呼び出したりして」

「いえ」

「かわいい顔してるのね」

「はあ、ありがとうございます」

「それにプロポーションもグラマラスで羨ましい…」

 レベッカは立ち止って、マリアの体を上から下までじっくりと眺めた。

(ありゃりゃ…さっきのカスミちゃんの話ホントかも)

 マリアはちょっと焦った。

「あなた、クローディアってコを覚えてる?」

「え、あの長い黒髪の…?」

「そう。スキュブスのクローディア」

 レベッカがなぜそんなことを知っているのか、とマリアは不思議に思った。

「あなたが倒したんでしょう?」

「え、なんでそれを…?」

「彼女、最後はどんな死にかたをしたのかしら?」

「えーと、確か目を…?」

「そう。そうだったわね。あの整ったかわいい顔を…。かわいそうに。さぞかし痛かったでしょうね」

 いつの間にか、レベッカの体から黒い瘴気のようなオーラが立ちのぼっていた。

「先輩…?」

 さすがにマリアもレベッカがただの生徒ではないことに気づいた。

「あなたにも同じ痛みを味あわせたいわ!」

 オーラがレベッカの足元から激しく吹きあがる。やがて竜巻のようになって彼女を包み込んだ。

 突如、竜巻から黒く鋭い切っ先が、マリアの顔を狙い伸びてきた。

「!」

 マリアはとっさに高速移動し、横に避けた。

「先輩…あなたは…!」

 竜巻が消えると、レベッカは黒いボンデージ姿になっていた。瞳は燃えるように赤く、ギラギラしていた。それはクローディアのような姿だった。

「そうよ。わたしもあの子と同じ、スキュブスよ」


..*


 優司とセレナは教室でマリアが戻るのを待っていたが、三十分ほど経ってもマリアは一行に戻らなかった。

「しょうがねえな。先に帰るか」

 優司はカバンを肩に背負った。

 そこへ、カスミが息を切らしながら駆けこんできた。

「優司、大変! 阿部さんとレベッカ先輩が!」

「なんだ?」

 優司は動転しているカスミをなだめた。

「わたし、先輩が練習にこないから心配して見に行ったの。そしたらへんな化け物に取り囲まれてて…。先輩を庇って、阿部さんが一方的に攻撃されてるわ!」

 セレナと優司は、互いの顔を見て頷いた。

「場所は?」

「来て、案内する!」

 三人は駆け出した。


 校外に出た。

 カスミとセレナの脚はとんでもなく速い。優司はへろへろになりながら、なんとか付いて行った。

「外なの?」

 セレナがカスミに問いかけた。

「戦いながら移動していったわ…こっち!」

 カスミは資材置き場のほうへ向かっていた。優司達には見覚えのある場所だった。

「あそこ!」

 カスミの指差した先には、物流倉庫が見えた。

 セレナは振り返ると、やっと追い付いた優司に言った。

「先に行く。優司はカスミを」

「わ、わかった」


 セレナは倉庫に飛び込んだ。確かに悪魔どもがうようよしていた。…が、マリア達の姿が見えない。

「…?!」


 優司が追いついた。

「セレナ!マリアは…? こいつら…いったいどうなってんだ?」

「あーら。化け物に囲まれるのは、あんた達だったようね」

 優司の背後で、普段とは異なる雰囲気のカスミの声がした。

「カスミ…? おまえ何言ってんだ…? それに戻れって言っただろ!」

 セレナはカスミの中に潜むものを感じ取った。

「…! 優司、その子から離れて!」

「え? 何? …そんなまさか、おまえ乗っ取られて…」

「ああ大丈夫、安心しろ。別にこの体でオメーをどうこうしようとは思わねえよ。その役目はマリアとか言う精霊を八つ裂きにした後、姉御がヤッてくれる。オメーも役得だなぁ。姉御は最高らしいぜ」

 カスミは下品に笑った。

(なんだこいつは…今までとは違う)

 カスミに潜むただならぬ気配は、優司にも十分感じ取れた。

「マリアを八つ裂き? 姉御って…あのレベッカとかいう先輩のことか?」

「ほう、するどいねえ。そう、あの人はスキュブスのレベッカ。クローディアのコレさ」

 カスミは小指を立てた。

「くそっ、そこをどけ…!」

「おっとっと、そうはいかねえ、オメーらの相手はそこの臭そうな連中が相手するぜ。オレはこのいいカラダで遊ぶかな…ヘヘヘ」

 カスミでないカスミは、倉庫を去って行った。

「ちくしょう、待ちやがれ…うわっ!」

 駆け出す優司に、魔物の触手が絡んできた。セレナの銃が、触手を断ち切った。

「優司、とにかくこいつらをなんとかするわ。マリアはきっと大丈夫」

「あ、ああ。でもカスミは…!」


..*


 特別棟の屋上では、エンゲージ・シェルを展開したマリアが、姿をくらましたレベッカの気配を探していた。が、それはかなり困難になっていた。校舎は、全体が黒い瘴気、結界に覆われていた。これほどの範囲に結界を張れる悪魔はそうはいない。

 しかし結界の外では、生徒達が何も知らずに部活動をしていた。校舎にも何の変哲もなく、文化会系の生徒達が平穏に部活動をしている。結界の張られた空間は、空間位相ブレーンのずれにより元の世界から切り離されていた。この空間は、悪魔が精霊達の警戒網から逃れ好き放題できると同時に、自己の能力を高めることができる。つまり、この空間に敵を引きずりこめば、戦闘が非常に有利に進められるのだった。

 突如、大型室外機の影から黒い槍が長く尾を引いてマリアへ飛んできた。マリアはそれを避けたが、黒い槍は一か所だけではなく、あらゆる方向から襲ってきた。マリアは超高速移動により、見えるものを避けることは可能だが、見えないものを避けることはできない。黒い槍はマリアの死角を突くように飛んで来る。マリアは可能な限り感覚を研ぎ澄まし、それらの攻撃をギリギリでかわした。攻撃のはずれた槍は、鋭角に向きを変え、なお襲ってくる。曲がり切れずに障害物に突き刺さった槍は、コンクリートだろうが室外機だろうが深く突き刺さり、深く細長い切れ目を作った。

(くっ、レベッカはどこにいるの…?!)

 しばらく攻撃を避けていると、一見あらゆるところから飛んでくるように見える槍は、物影を回り込んでから攻撃してきていることに気づいた。マリアは意を決し、ウィングを広げて空中に上がった。

(いた!)

 案の定、黒い槍の尾の先は一か所に集まっており、そこにレベッカがいた。無数の黒い槍は、隠れる場所のないマリアの元へ一斉に向かってきた。マリアはギリギリまで引きつけて超高速移動でそれらをかわすと、レベッカに向かって急降下した。レベッカの足元から新たな槍が出現し、マリアを迎え撃つ。マリアはするどくロールしてそれを避け、レベッカに切りかかった。レベッカは新体操でもするかのようにしなやかな動きで剣をかわしながら、変幻自在の槍で応戦した。マリアは槍を切り裂くが、槍は手応えなく消え、すぐに別の槍が襲ってくる。


 そんな攻防がしばらく続いた。マリアはいったん引いて距離を取った。二人は対峙した。

「うふふ…おもしろいわ。あの子を倒しただけのことはあるわね」

 レベッカにはまだまだ余裕があるようだった。

 一方のマリアの顔には焦燥感が滲んでいた。


..*


 物流倉庫を離れたカスミは、錆びたドラム缶や鉄骨、筋金が剥きだしたコンクリート片などの廃材が積まれた一角にいた。

「さて、こいつとどうやって遊ぶかな…。とりあえず」

 そう呟くと、カスミは大きくのけ反った。カスミの体から黒い影が分離し、陸上部部室にいた、あのイケメンの悪魔を形作った。解放されたカスミは膝をつき、がくりと倒れた。

 不快な感覚を感じ、カスミは意識を取り戻した。悪魔がカスミの胸を乱暴に揉みしだいていた。さらに悪魔のもう片方の手はカスミの太腿の間に深く入り込み、往復運動を繰り返していた。

「やっ…いやあ!」

 カスミは力いっぱい跳ねのけた。が、全身がけだるさに包まれ、思うように力が入らない。

「へへ、やっと気づいたな」

「なんなのよ、あんた! なんでこんなこと…」

 乗っ取られている時も朦朧とする意識の中で感じていたが、見ず知らずの男に体をなぶられ、恥ずかしさと情けなさで泣きそうな気持だった。

「オメーはさっきのオレの話を覚えてねえのか? 全てはな、」悪魔はカスミの顔を引き上げ、彼女の悲しむ表情を覗き込んだ。「オメーが好きなレベッカ姉さんの指図なんだよ」

 悪魔の笑い顔は、頭のネジが飛んだようにひどいものになっていた。

「そんな…何、言って…」

「レベッカ姉さんはオレ達のボスだ。姉御はな、オメーなんかどうでもいいんだよ。オメーに近づいたのは、あのマリアとかいういまいましい精霊を誘い出して切り刻むためなのさ!」

「うそ…うそよそんなの!」

 カスミには悪魔の言うことが受け入れられなかった。

「ハ!姉さんが誘った部室にはオレがいただろ? オレに乗っ取られた後もオメーはオレの行動を感じ取っていたはずだ」

 この悪魔の言うとおり、カスミは乗っ取られた自分がありもしないことをマリアや優司達に話し、誘い出したことを断片的に覚えていた。

「……」

 カスミは淡い想いを踏みにじられ、何も言えなくなった。

「やっとわかったようだな。ハハハ。嬉しいよ」

 悪魔は、動かないカスミの周りをゆっくりと歩き始めた。カスミは恐ろしくて逃げ出すことすらできなかった。

「さて、オメーをどうすっかはオレに任されてる。まあどのみち最後はあの世行きってわけだが…」

 悪魔はカスミの背後から顔を近づけ、耳元で囁いた。

「オレは淫魔だからな。やっぱり最初はかわいがってやらないとなぁ!」

 悪魔はカスミの開襟シャツの前を開いた。ボタンが飛び、カスミの下着が露出した。

「キャアッ!」

「へへ、ピチピチじゃねえか」

 ブラの下に手を入れ、胸を手荒に揉みしだいた。

「痛ッ…いや…!」

「ああ、こりゃ悪かったな。やさしくされる方が好きか?」

 ブラをずり上げられ、カスミの程よい大きさの果実が露わになった。悪魔はその中央にあるピンク色の突起を弄んだ。悪魔の卑猥な手さばきは、カスミがレベッカから受けた感覚の何倍もの強い刺激を強制的に受けさせた。その感覚は、カスミの抵抗力すら奪った。

「いや、あ…やめ…て…!」

「なんだあ? そういいながら固くなってんじゃねーか。ヨダレまで垂らしやがって」

「ちが…違う…」

 カスミは情けなくて涙を流した。

「ああ、いい顔だ…もっとそういう顔が見てえな!」

 悪魔は手をカスミのスカートをめくり上げ、太腿の間に指を突っ込んだ。


 その時、ドン!という周囲を震わす破裂音がして、強烈な光の球が現れた。振動により、周囲の座りの悪いがれきがガラガラと崩れ落ちた。

「な、なんだ…?」

 突然のことに状況が把握できない悪魔は、その光球をただ見つめていた。

 カスミが顔を上げると、光の中から円陣が現れ、そこから光に包まれた人型がせり出した。人型の光が薄れると、金色の長い髪をたなびかせた女神のような美しい女性の姿が確認できた。瞼は閉じられていたが、豊かな睫毛と優しげな顔立ちに、カスミは今しがたの凌辱を忘れ見入った。円陣からせり出した上半身は、とにかく大きくはちきれそうな2つの胸がその存在を主張した。

 美女が全身を現すと、光の球も次第に消えていった。

 美女は目を開けた。南海の浅瀬の海のような透き通ったエメラルドグリーンの瞳であった。

「卑劣な淫魔インキュブス…その娘から離れなさい」

「なんだオメーは? …ああ、精霊だな。へっ、おもしれえ。相手になってやるぜ!」

 インキュブスが両の拳に力を込めると、拳は燃えるような光を放ち始めた。

「食らいやがれ!」

 インキュブスは美女に拳を打ちつけた。美女の左手に大きな楯が現れ、それを弾き返した。そして、マリアやセレナのように戦闘殻エンゲージシェルを展開した。

「あなたは逃げて!」

 カスミは頷き、よろよろと駆け出した。

「おっとそうはいかねえ!」

 インキュブスは、カスミの逃げる先に光の弾を飛ばした。地面に命中すると、地面や瓦礫が吹っ飛んだ。

「キャアッ!」

 カスミは尻もちをついた。小さな破片がカスミの肌に傷を付けたが、幸い、大きなケガにはならなかった。

「なんてことを…!」

 金髪の美女はカスミの前に立った。左手に出現した弓を引いたが、インキュブスの動きは素早く、狙いをつけられない。

「ハハッ、この距離で弓とは笑わせるぜ!」

(くっ、やっぱりわたしの武器では…)

 金髪の美女は攻撃に転じることができず、カスミを守るため動くこともできず、ただインキュブスの攻撃を楯で防ぐのみだった。

「そらそら!」

 インキュブスは無数の光弾を飛ばす。金髪の美女は楯でなんとか防いだが、楯の範囲外に落下した光弾によって周囲のガレキが吹っ飛んだ。土煙がもうもうと立ち込めた。

「ああ? さっきまでの威勢はどうしたよ? まだまだいくぜ!」


(だめ、このままでは…)

 美女の顔に焦りが浮かんだ。


..*


 一方の物流倉庫では、セレナの手で全ての敵が倒され、グツグツと黒煙を出しながら消え始めていた。

「やったなセレナ!」

「少し手を焼いたけどね…」

「マリアも心配だが…まずはカスミだ。…でもアテがないな」

 セレナは搬出口から漏れる外の光を見た。

「アテならあるわ」

「え?」

「さっきから呼ぶ声がしてた…すぐ近く…こっち!」

「カスミ、待ってろ…!」

 セレナの先導で、優司はカスミの元へ向かった。


 金髪の美女は防戦一方だった。しかしインキュブスも攻めあぐねていた。

「くそ、防御だけは完璧かよ。じゃあ…これはどうだ?」

 両腕を頭の上にかざすと、大きな光の弾が現れた。そしてそれを金髪の美女達にめがけ放った。美女は、それを楯で受け止めた。光の弾は拡散し、無数の矢となった。多くははじき返したが、一部がカスミを襲った。美女は、慌ててカスミに楯をあてがった。ガラ空きになった美女の脚に、矢が突き刺さった。

「あああっ!!」

 矢は金髪の美女の左のふくらはぎを貫通していた。歯を食いしばり痛みをこらえる。

「どうだ、矢の攻撃はこうするんだぜ!」

 インキュブスが近付き、美女の負傷した脚を踏みつけた。

「くふっ!!」

 金髪の美女はインキュブスの腰にタックルして倒し、そのまま抑え込んだ。

「あれー?お姉さん意外と積極的ー」

 美女はカスミを見た。

「あなたは逃げて…!」

 カスミは美女の身を案じながら、その場を離れた。


「あーあ、逃げちまったじゃねえか。まあ後で追いかけりゃいいか」

 インキュブスはカスミを追いかけることはしなかった。そして、まとわりついている金髪の美女をこづいた。

「どけよ!」

 光弾を飛ばし、美女の背後にぶち当てた。美女は吹っ飛ばされた。

 倒れている美女に、インキュブスが近付いた。

「今度はあんたと遊んでやるよ」

 美女は、顔を上げてインキュブスを睨みつけた。頭からは血が流れ、額を伝っていた。

「いい目だ…ゾクゾクするねえ」

 インキュブスはいやらしい目で美女を見ると、彼女の顔をはたいた。美女は仰向けに倒れた。

「へへ、でかい胸だ…だがこいつがじゃまだな!」

 胸部のプロテクターに掌をかざすと、電撃のような強烈な光を発した。ほとばしるスパークが、美女の全身を襲った。

「アアアアア!!!」


 だがまもなく、銃声と共にインキュブスの腕が撃ち抜かれ、攻撃は止んだ。

「ぐああ、痛えっ!!」

 インキュブスはもんどり打った。

 そこに別の精霊が近付いてきた。今しがたそこでゴロゴロと踊っている男の腕を撃ち抜いたセレナだった。

「まったく…オトコはどいつもこいつもやること一緒ね」


「はぁ、はぁ…もうだめだ、死ぬ~」

 優司はへろへろになりながら、廃材置き場に消えたセレナを追っていた。ふと、路地をよろよろと歩く見知った顔に気づいた。

「か、カスミ!」

「優司…!」

 カスミは優司を見つけると、泣きながら走り寄った。


 セレナは金髪の美女に近づいた。

「呼んでいたのはあなたね」

 美女は、なんとか半身を起こした。

「あ、ありがとう…わたしはアレシア」

「セレナよ。とりあえず、このロクデナシを始末しましょう」

「ええ」

 セレナが差し伸べた手を取り、金髪の巨乳美女、アレシアは立ち上がった。

 落ち着きを取り戻したインキュブスも立ち上がってきた。

「へへ…、ちょっとばかし攻勢になったからっていい気になってんじゃねえよ」

 インキュブスは光弾を放った。アレシアはそれを楯で防いだ。その間にセレナはインキュブスの脇に周り、狙いを定めた。

「そうはいくかよ!」

 インキュブスはセレナを狙い、光弾を放とうとする。


 だがその胸に、光の矢が刺さった。

「…う…あ…ばかな…?」

 それはアレシアの放った矢だった。アレシアが再び弓を引くと、そこに新たな光の矢が出現した。

 セレナの銃弾が、インキュブスの体を撃ち抜く。

「く…そ…」

 インキュブスは血を吐きながらがくりと膝を突いた。そして、アレシアと目が合った。

「おまえは終わりよ!」

 アレシアの一撃がインキュブスの頭部を射抜いた。インキュブスは白目を剥いてドサリと倒れ、二度と動くことはなかった。


 優司とカスミは、廃材置き場でセレナ達と合流した。

「アレシアさんか。オレは和田優司。このコ…カスミを助けてくれてありがとう」

「そう、あなたが優司くん…。よろしくね」

「ケガ…ひどそうだけど、大丈夫?」

 優司はアレシアの左足のひどく出血した箇所が気になった。アレシアはそこだけではなく、全身に無数の傷を負っていた。

「え、ええ…大丈夫」

「あとはマリアね…。どこにいるのかしら」

 セレナがヘイロー・リングを展開した所で、アレシアがセレナを止めた。

「大丈夫。もう分かってるわ」

 アレシアの額に、宝石のように赤い光が輝いていた。それは瞳のようにも見えた。

「…! それはプロビデンス」

「彼女が危ないわ、急ぎましょう」

 セレナは頷いた。

「優司達は、家に戻って」

「ああ、マリアを頼む」


..*


「はあ、はあ…」

 特別棟の屋上では、傷ついたマリアが肩で大きく息をしていた。レベッカの攻撃にはスキがなく、執拗に追いかけてくる黒い槍によってマリアは逃げ場も塞がれ、まったく手を出すことができなかった。

(このまま攻めても返り討ちに遭うだけだわ…)

 目の前のレベッカは相変わらず余裕の表情を浮かべていた。

「ホーッホッホ…。いい格好だわ。そろそろいい頃合いかしら?」

 黒い槍が再びマリアを襲った。マリアはそれらをかわした。だが、黒い槍は細切れになりながら無数の矢となって、マリアに突き刺さった。その攻撃はクローディアの黒耀石の小剣に似ていた。

「ぐあっ…!」

 マリアはその場に膝をついた。矢はすぐに消えたが、傷から血が流れ出た。

「どう? 今の、あのコみたいでしょ」

 黒い槍が柔軟なロープのようにマリアの腕や足に絡みつき、マリアは身動きが取れなくなった。絡みついた影は、マリアの体にきつく食い込んだ。

 レベッカは、マリアの目の前に立った。

「さて、これからどうしようかしら…。やっぱりあなたの両眼をつぶす? だめね、生ぬるいわ。精霊って、どうやったら死ぬのかしら?」

 レベッカはマリアの傷口に強引に指を突っ込んだ。

「ぐああああッ!」

「ふーん、痛みはあるんだ」

 レベッカはプロテクターの下側から手を入れ、マリアの胸を乱暴に掴んだ。

「うふふ…羨ましい大きさね…。これ、重いでしょ? 切り落としちゃおうかしら?」

 レベッカの手に黒い影が現れた。影はするどい小剣となった。それをマリアの胸に突き付けると、少しずつ突き刺した。

「うあああ───ッ!」

「いい声…。いいわ、もっと鳴いてみて…」

 黒い小剣は、徐々にマリアの胸に食い込んでいった。マリアは悲鳴をいっそう強めた。


 その時円陣が現れ、セレナとアレシアが現れた。

 セレナがレベッカに銃を撃った。レベッカはマリアから離れた。

「マリア!」

 マリアはがくりと膝をついた。

「せ、セレナ…それと…」

「アレシアよ。マリア、大丈夫?」

「ええ、なんとか…」

 レベッカが精霊達の会話を遮った。

「ああ、セレナ。あなたもクローディアの仇だったわね」

 マリアは立ち上がった。三人の精霊と、レベッカは対峙した。

「セレナ、気を付けて。あいつの攻撃は闇の力よ」

「魔銃は効かないわね…でも神銃しんがんなら」

「アレシア、あなたの武器は?」

「弓と…イージス

「イージス…使えるわ。協力して」


 精霊達は散り、それぞれの間合いでレベッカを取り囲んだ。

「どこからでもいいわよ。…でもやっぱり、こっちから行こうかしら!」

 レベッカの黒い槍が三方に伸び、三人を相手に互角に張りあった。アレシアは光の矢を放つが、黒い槍と相殺された。セレナは神銃で効率よく槍を潰すが、一丁だけでは弾倉の再装填でどうしても間が空いてしまう。マリアは距離を詰めたかったが、傷ついた体で動きが鈍っていた。

 だが、精霊達はレベッカの攻撃と、お互いの戦い方を理解し、連携を始めた。マリアが距離を詰めると、セレナはマリアをサポートした。

「やあああっ!!」

 マリアはレベッカにあと一歩のところまで近づいたが、レベッカは黒い槍を最大限に防御に回し、マリアを跳ね飛ばした。マリアはバランスを崩した。

「死ね、マリア!」

 レベッカはマリアにとどめを刺すべく、黒い槍を飛ばした。だが、セレナによってそれはまたしても阻まれた。マリアはそのまま後退した。

「もう少しで殺せたところを…貴様ーッ!」

 レベッカの怒りはセレナに向かった。セレナは防戦一方となった。

「たあああーッ!」

 アレシアが、レベッカの背後へ突っ込んできた。レベッカは黒い槍で応じるが、アレシアの楯は槍を次々にはね退け、なおも接近した。

「そんなものでッ!」

 アレシアがレベッカの間近に達した時、アレシアの背後からマリアが飛び出した。


 ドン。


「ぐ…あ…!」

 マリアのレイスウォードが、レベッカの胸を貫いた。二人は交錯した。

 一瞬の静寂の後、マリアは悲しげな表情でレベッカに囁いた。

「…これであなたもあの子のところへ行けるわ」

 レイスウォードを引きぬくと、レベッカのカラダを横一線に切断した。セレナが圧縮魔弾を撃ちこみ、ブラストでレベッカを爆破した。


 結界が消え、周囲は平穏な夕暮れの風景に戻った。

 特別棟の屋上で、三人の精霊達が集まった。

 アレシアはセレナとマリアの顔を見た。

「強いのね、あなたたち」

「だって、守護隊のナンバーワンとツーよ」

「そ、それを言うなあ~!」

 マリアは傷ついた胸を押さえながら、冗談を言ってみせた。セレナは気丈なマリアを見て、内心やっぱりあなたはナンバーワンよ、と思った。

「それより…アレシア、いろいろ話を聞きたいわ」

「あ、それじゃ優司ん家に戻りましょ」

 マリアが提案して、精霊達は校舎を後にした。


(5)


 夕暮れのカスミ宅前に、カスミと優司が立っていた。

「…大丈夫か?」

 その場を動かず、黙って俯くカスミに優司が声をかけた。

 カスミは先ほどの出来事を思い出すと、改めて恐ろしさがフラッシュバックしてきた。優司にしがみつくと小さく震えた。

 優司はカスミの頭を撫でた。

「体…汚れちゃったな。フロ入りなよ、ちょっと落ち着くと思う」

「あいつら…」カスミは顔を上げ、優司を見つめた。

「あいつら何なの?!」

「今は!」優司は大声を上げ、カスミを制止した。そして、カスミを強く抱きしめた。

「今は考えちゃだめだ。…落ち着いたら、全部話す」

「……」


 しばらくそのまま抱きしめた後、カスミが落ち着いたのを感じ、優司はそっと離れた。

「さあ」

「うん…」

 カスミはよろよろと自宅に入って行った。


「くそ…!」

 優司はカスミの痛々しい姿を見て、やるせない気持ちになった。


 カスミは熱いシャワーを浴びた。体中にできた擦り傷にお湯が沁みたが、今は強い刺激で全てを洗い流したかった。

「……」

 しかし、恐ろしさと悲しみが、心の奥からとめどもなく溢れてきて、シャワーでは流し去ることはできなかった。カスミは自分の肩を抱き、その場に崩れるようにしゃがみ込むと、一人咽び泣いた。


..*


 優司が自室で行き場のない怒りを悶々とさせていると、精霊達が帰って来た。女の子がさらに一人増えたことと、マリアが大変なケガをしていたことで、優司ママは驚いていた。一行が二階に上がって行くのを見送ると、ママは気が動転した。

「…大変。今からごちそう作ってるヒマなんてないわ!」


 優司の部屋に精霊達が揃うと、優司は彼女達を待たせた。家を出て、向かいのカスミを呼んだ。

「え? カスミちゃんまで?」

「こんばんは、優司のママ…」

「あー、なんにも要らないから」

 優司がカスミを支え、二人は二階に上がっていった。ママは口を開けたまま二人を見送った。

「…よ、四人も?」

 ママはつー…と鼻血が出てきた。エプロンからハンカチを取り出し、それを静かに拭いた。

「優司…あなたも立派にオトコになったのね…ママ嬉しい」

 よよと泣いた。

「でもママ、ちょっと寂しいわ…」

 そしてなぜか顔を赤らめた。


 カスミも揃ったところで、五人は改めて自己紹介をした。そして、カスミにも分かるようにゆっくりと経緯を説明した。カスミは始めは混乱していたが、その都度優司が丁寧にフォローすると、今日自分に起こったことが、このところ生傷の絶えない優司や、目の前で傷ついているマリア達の身にもずっと起きていたことを理解し、全てを受け入れた。

 ことの経緯が今に至ると、アレシアは自分がやってきた理由を説明しだした。

「今までデュナミスと警戒チームがずっと魔界の場所を探し続けてきたけど、現状では残念ながらどうしても見つからない。デュナミスは優司くんの守護の強化を決めたわ。わたしの能力はいち早く危険を察知できるから、わたしがここに来ることになったの」

 セレナが頷く。

「味方は一人でも多いほうがいいわ。…でも三人もよこすなんて、デュナミスはよほど今回の件に危機感を募らせてるようね」

「さっきの…レベッカに対しては三人でやっとだったけどね」

 マリアは胸の傷を押さえていた。シルキーシェルの圧迫止血により既に出血は止まり、回復が始まっていた。

 アレシアは改めてあいさつした。

「これからしばらく一緒にいることになるけど、よろしくね、みんな。あ、それと、魔王が復活したらわたしも感知できると思う」

「そりゃ頼もしいな…」

 優司はそういいつつ、腕組みをするアレシアの腕の上に乗っている…いやぷりんとこぼれている巨大なミルク製造器が気になってしょうがなかった。果たしてこんなに大きな必要があるのか。これをいただく赤ん坊は暴飲でメタボになったりしないか。そもそも天使がこんなけしからんものを持っているのはいかがなものか。いや、もちろんあるにこしたことはない。そしてでかいことも大歓迎だ。あれで顔をひっぱたかれてみたい、あれを枕にして寝たらもう死んでもいい…。目のやり場に困りつつも、ついその胸をチラチラと見ては、いろんなロマンを掻き立てていた。

 その視線をセレナが見抜いた。

「優司…やらしい目でアレシアを見ない」

「えっ? お、オレ、そんなつもりじゃ…ただ、アレシアさんオレのタイプだからつい…」

「巨乳が? それともお姉さんっぽいから?」

「りょ、りょうほう…」

「え? やだ…」

 アレシアは赤くなって、手で胸を覆った。

「こンの男…」

 セレナがそう言うと、誰からともなく、笑いが起こった。


 カスミは、ふと窓の外をみた。日は落ち、薄暗がりに自分の部屋の窓が見えた。明かりの消えたそこは真っ暗だった。

 あそこから見ていた明かりの中に、今自分はいる。とても遠く感じていたこの場に加われたんだ、と思うと、なにかほっとした気分になった。今まで胸の中でつかえていたものが取れたような気がするのと同時に、すぐは無理だとしても、いずれは今日の出来事とも向き合って乗り越えられるんじゃないかと思った。

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