第37話『意地っ張り』
時間が反転する。止まることのないストップウォッチが停止ボタンを押す。世界から色は失われ、ただ止まった時間だけがアンダーウェアの前に広がった。
眼前には瀕死のライズ。糸は断ち切った。この世界にはただ一人だけ。アンダーウェアしかいない。
「これでっ──終わりだ──!」
打つ手はなし。ライズを倒してイグサに追いつき秘宝をぶんどる。これゾアンダーウェアの完全勝利。十二神将すら捨て駒にして得る勝利の味。
そのために最大の壁となるこの男を倒す。ただその一点のみを見据え、ライズに拳を振り下ろそうとした──その瞬間だった。
──壊れかけていた木片がちぎれ、地面に落下した。
時間は停止している。埃や破片、雨粒すら静止する絶対零度の世界のはず。なのに木片は埃を舞わせて落下した。
つまり──時間が止まっていない。
「なぜ──」
油断した隙にライズが起き上がった。フリーズしているアンダーウェアの顔面を力いっぱい殴りつける。
溜まった血ごと折れた歯が口内から飛び出した。
「ごっ、の──ぉ!」
唸り声を上げながらライズへ突進。拳が顔面に叩きつけられても怯むことなくライズを押し続け──壁を壊して外へともつれ込んだ。
──空には雲がかかり、綺麗だった満月も明かりを消す。ポツポツと冷たい雨がシャワーのように流れ出し、ライズとアンダーウェアの血を地面へと垂れ流した。
「なぜ……時間が止められな──」
不発だった。魔術を間違えることなどありえない。それじゃあ──そう考えた時、アンダーウェアはふと懐に何かが入っているのに気がついた。
取り出してみるとそれは──魔晶石の欠片。よく見ると『レンフィールド』の魔法式が刻み込まれている。
「よ、うやく……気がついたか」
「貴様っ、どこまで小細工を……!」
魔晶石は魔力を貯められる特性を持つ。それをこっそりと懐に忍ばせたことにより、アンダーウェアは常に魔晶石に魔力が吸い取られてしまう状態となっていたのだ。
そんな状態で魔術をバンバン使っていたのなら魔力が切れるのは当然のこと。殴り合いに集中してたせいでガス欠になっていたことに気が付かなかった。
「これで俺が有利……って言いたいけど、普段は使わないような出し方をしたせいで俺も魔力がからっきしになっちゃった。つまりイーブンってわけだな」
「……そうだな。お互いに魔力はない。魔力を練るほどの体力も残ってない。どちらも残ったのは肉体のみということ」
「言いたいことは……分かるな?」
「……美しくない。不本意だ。だがそうするしかないのだろう」
ライズは肋が折れている。呼吸をするだけで生きるのが辛くなるほどの痛み。他にも頬や鎖骨などもへし折れた。許されるなら倒れたい。泣き叫びたい。
アンダーウェアは顔面の骨が砕けていた。鼻はとっくの昔に原型をなくし、滝のように鼻血を出している。砕けた部位は他にもある。立っているだけで奇跡のような状態だ。
動くことすらままならない。そんな二人は両者を視界に収めながら前へ前へと歩く。痛み。不快感。違和感。──それらを捨て去り、ただ前へ歩く。
口の中に溜まった血を吐いた。折れ曲がった鼻を無理やり戻した。全身が痛くて、もうどこを怪我してるのかも分からない。
だが──何をしているのか。何のために戦っているのか。それだけは忘れていない。
突き詰めれば二人は同じ場所にいる。性欲、情欲、性癖。自分勝手な自分の性。ライズはそれがイグサの方へ向き、アンダーウェアは下着の方へ向いていた。
──だから譲れなかった。同じ場所にいたからこそ譲ることはできない。自分のやりたいことを。やりたいことを果たすため。二人の意思は──ぶつかり合う。
「ぶ──っ!」
「ぼ──っ!」
──殴り合い。魔力が無くなった男の行き着いた場所は何の技術もへったくれもない拳のぶつかり合いであった。
ライズの拳が頬を貫く。アンダーウェアの拳が顔面を叩く。血が。泥が。肉体が肉体を打つ感覚。骨に響くような特殊な打撃なんかじゃなく、ただ単純に相手へ振るう暴力。
血を吐いた。鼻血をばらまいた。骨が折れた。視界が狭まった。肉が悲鳴をあげた。関節が捻れた。皮膚が裂けた。
自分のダメージを度外視した二人の殴り合い。武器であるはずの拳すら砕く勢いで顔面を、胸を、皮膚を、腕を、腹を殴る。
「っらァ──っ!」
片目が腫れながらもライズは拳を振りぬいた。顔面を何度も何度も殴りつける。意地でも後ろへ下がろうとしないアンダーウェアに拳の連撃を叩き込む。
腹に叩きつけられるボディブロー。内蔵を押し出される感覚にせり上がった血を耐えきれずに吐き出した。
「っ──らぁぁああ!」
これで終わり──じゃない。アンダーウェアは大地を踏み抜き、ライズの顔面に拳を叩き込む。
続けて一発、二発、三発。死んでも後ろには下がろうとしないライズに全体重と全意志を乗せた拳を肉体に押し付ける。
引かない。引けない。波打つ肉体が危険信号を鳴らしても。折れた肋が肺に突き刺さっても。呼吸が止まろうと、痛みすら感じなくなってこようと。二人の拳は終わらない。二人の戦いは終わらない。
意識が花火のように弾ける。一撃一撃を食らう度に意識が焼けていく。暗い場所へ引きずり込もうとする。
──どうした、それが。引きずり込もうとする無数の黒い手をライズもアンダーウェアも力づくで引きちぎり意識を保った。
目の前の男を倒す。それだけ。たったそれだけの意思で人間としての本能と生物としての限界点を超える。
だが──不屈の精神があっても、肉体が追いつくとは限らない。
「っ、づ、ああ……」
「ば、ぁぁ、はぁ……」
──二人の両拳は砕けていた。指は折れ曲がり、血で真っ赤。魔力のコーティングがない状態で殴ったのだから当然の代償だ。
痛みを無視してもこれでは倒せない。脚ももうほとんど機能は停止。残っている武器は──人間が生きてこれた最大の理由となったもの。
言葉には出さずとも二人は行き着く先を分かっていた。動かない脚を引きずって前へ。地面に足跡をつけながら二人は近づく。
眼前。鼻先に相手の鼻先があるほどに。二人は両目を見合わせ、上半身を後ろへ逸らした──。
「──っだあぁあ!!」
「──っらあぁあ!!」
──頭突き。二人は同時に額と額をぶつけあった。
脳内に鈍い音が響き渡った。直撃した額だけでなく、頭を支える首も痛みでツバすら飲み込めない。
だが──止まらない。また二人は上体を逸らして──同時に額を叩きつける。
飛び散るのは鮮血。額は砕けた。骨もイカれた。両手は動かない。ダラリと脱力し、今はただ頭突きと同時に揺れるだけのものになっている。
降りしきる雨に混ざって聞こえるのは骨と骨のぶつかり合い。意志と意地のぶつかり合い。魂と魂のぶつかり合い。そして──男と男のぶつかり合い。
五回か。十回か。二人は一回たりとも力を抜いたりしていない。持ちうる全部の力を使って頭突きを放ち続けた。
体力は底を尽きてる。今は根性で動いているだけだ。だが──それもあと一回が限界。どちらもその事実を理解して、また互いを見合わせる。
ラスト一回。これで全てが終わる。両者は腹筋に力を入れ、後ろへと体を逸らした。短くも劇的だった一週間程度の物語。ライズとアンダーウェアの──決着がつく。
──衝突。衝撃は喉を伝わり、背中を伝わり、腕と足に伝わり、指先にまで流れた。
まばたきはしない。目に雨や血が入ろうとも。お互いの目を睨み続ける。自分の意思をぶつけるように。自分の存在をぶつけるように。
決して。決して目は逸らさない。逸らしては──ならない。
「──」
──糸が切れたかのように。ライズの顔面に額の血をぶつけながらアンダーウェアは地面に倒れた。
「──」
雨は振り続けていた。ライズは動かない。動けない。全身から流れる血を雨に流してもらうアンダーウェアを見ながら、静かに、ただ静かに息を吐く。
「……」
歓声などない。これは単なる男同士のぶつかり合い。それに観客なんて必要ないだろう。
──戦いはライズの勝利。ライズが欲しいのはこの言葉だけであった。




