第35話『信じてる』
──リアスは蹴り飛ばされていた。
ぶっとい木をなぎ倒して地面へ落下。苦い土が口に入っても吐き出すのすら後回しにして立ち上がる。
「っ──!」
ナナシごと馬車から落ちた時に持ってきた護身用の棍棒を構える。夜は光どころか音すら遮断された世界。風が葉を切る音が自分の魂を切っているかのように流れ続ける。
「醜き男め! 弱き男め! それでいて面倒な男め! 貴様のような弱い男のせいで馬車を見失ったではないか!」
葉が擦れる音の中に──ナナシの声も混ざっていた。重力を感じさせないほどの軽やかな動きで木と木を移動。止まることのない滑らかな体捌きに目で捉えることすらできない。
蛇のように木を滑りおり、木を蹴って加速──リアスの背中をナイフで切り裂く。
「っ、あぐっ──っ!」
咄嗟に背後へ棍棒を振り回すが無意味。ナナシはそこには折らず、またもや背後から左肩を切り裂く。
「っぎ──っ!」
飛び散る鮮血すら視認できない暗闇でもナナシは見えているかのように木々を飛び回る。まるで忍者。もはやこれこそが忍者か。
「く、そ……!」
かっこよく飛び出しておいてこのザマ。これで死んだらライズやテルドリン、スカイにだって顔見せできない。
せめて一撃なんて思考は初めから捨ててる。──なんとしてでもこの手でナナシを倒す。気合いのケツを叩いて奮起するが──現実はそれほど甘くない。
飛び回るナナシに棍棒は掠りすらせず。ライズは頬を切られ、足を切られ、目元を切られ。怯んだところに飛び蹴りを食らう。
「がぁ──はっ!」
布のように弾けた体は太い幹を持つ大木に背中から衝突。鈍る思考を奮い立たせて体ごと立たせようとするが──ナナシは胸部を踏んでそれを阻止する。
実力差は分かっていた。自分はただの商人。戦闘なんてできやしない。喧嘩っ早い性格だから何度もいざこざは起こしたが、殺し合いなんて夢のまた夢。
それでスカイに迷惑をかけてしまったな──。迷惑ばかりかけて、何も出来ずに死んでいく。
スカイの両親に天国で会ったらなんと言い訳をしてやろう。リアスは虚空を眺めながら言い訳を考えていた──。
「蟻の分際で私の思考を邪魔するか!? 愚か者が……貴様がいなければあの小娘の下着を全て切り裂けたというのに!」
「……は?」
──下着を切り下げた。全て切り裂けた、だと。
「貴様を殺したらすぐに追いついてやる! そして残ったパンツを切り裂き、ノーパンにさせてから殺してやるのだ!」
「……ふ、ざ、けるなぁ……!」
拳を握る。力など残っていなかったはずの体にエネルギーが生み出される。歯をギリギリと鳴らし、目をかっぴらげる。
「あの下着はぁ……俺が、俺が買った下着だぞぉ……!」
「……む。なんだ、この力──」
十年前に無理やり連れていかれ、誕生日プレゼントの代わりとして買わされた下着セット。サイズが変わってないからか、ずっと買い換えずに使っていたらしい。
それを──それを切り裂いただと。そしてパンツすら切り裂くだと。
「俺の、俺の優越感を……スカイが俺の下着を身につけてるって優越感を──返せぇぇ!」
──足を真正面から押し返し、ナナシの顔面を拳で貫いた。
「ながっ──!?」
「らぁっ──!」
殴る。殴る。ぶん殴る。ナナシは突然の反撃に困惑して動けていない。チャンスは今。このタイミングを、勝機を逃すな──。
一撃。
二撃。
三撃。
四撃。
五撃──。
拳を振り上げてさらに構えるが──ナナシの蹴りが先にリアスの腹部を蹴り抜いた。
「ぐっ……ふっ──!?」
倒しきれなかった。だが今のでかなりダメージは与えたはず。あと少し。残りカスしかない力を根こそぎ絞り出して前を向く──。
──剣先が眼前にまで迫っていた。これは──避けられない。刺される。顔面を貫通させられる。
あと少しだったのに。こんなところで──。
「──『ワールドエンド』」
いつまで経っても来ない痛み。疑問に思ったリアスが目を開けると──そこには指一本に至るまで完全に凍らされたナナシが立っていた。
「えっと……君がリアス? 弟がお世話になったねぇ」
木の影から出てきたのは──ピンク髪の飄々とした男。──ライズの兄であるラスカであった。
「あ、なたは……?」
「ライズの兄貴だよぉ。弟とは似てないって言われるけどねぇ。主に性格の方で」
命の危機を救ってくれたとは思えないほど軽薄のイメージを突きつけてくる男。リアスがどう反応していいか困っていると、ラスカは手を差し出した。
「弟を助けてくれたんだな。ありがとう」
「……」
──弟とは似ていない。その言葉は嘘だったんじゃないかと思えるほどに。ラスカは軽薄な顔を捨て去り、一人の兄としてリアスに感謝を告げた。
「……と、当然ですよ。友達ですから」
照れくさそうにしながらリアスはその手を取るのだった。
* * *
「──ヤミ様!」
馬車から飛び降りたイグサはヤミの元へと駆け寄った。
「イグサ! 無事だったのね……!」
イグサの頭を撫でながら強く抱きしめる。
「貴女がスカイちゃんね。ありがとう、イグサを助けてくれて」
「私じゃなくてライズですよ。……あれ、私のこと知ってるんですか?」
「テル君から『テレパス』で聞いたわ。屋台で金使い切って行き倒れてたライズとテル君を助けてくれたって」
「そ、そんな。当たり前のことをしただけ──あの時行き倒れてたのそんなくだらない理由だったんですか!?」
照れることすらぶっ飛ぶ衝撃。話を聞いたヤミも呆れたようにしていた。
「──そ、そうだヤミさん! お願いします! リ、リアスが私たちを先に行かせるために一人で十二神将と戦ってるんです! 助けてください!」
「大丈夫よ。それについては援軍を呼んでるから」
「え、援軍……?」
泣きつくスカイ──その後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「スカイ!」
「──リアス!」
リアスだった。ラスカに肩を貸してもらいながら歩く。スカイは半泣きになりながらリアスへと飛びついた。
「生きてて良かったぁ……!」
「告白してすぐ死んだら笑いものだろ。天国のお義父さんとお義母さんに説教くらっちまう」
涙で胸を濡らしてくるスカイに困りながらも頭を撫でる。
「急に悪かったわね、夜中に呼び出して」
「いいっすよ。どうせ非番でしたから暇ですし」
「……しかし意外ね。貴方が聖騎士だったなんて」
そう。何を隠そう──ラスカはアフロディーテが誇る聖騎士団『アンタッチャブル』の二番隊隊長。『氷像のラスカ』と呼ばれるほどの実力者だ。
見た目からは想像もできないほどの強者。最初に会った時から食えない奴とは思っていたが、まさかそこまでだったとは。
「……どうりで底が見えなかったわけね」
「『赦しのヤミ』から褒められるとは光栄っすねぇ。これからもどうぞ仲良くお願いしますよ」
「考えとくわ」
イグサはヤミの胸から顔を離す。
「ヤ、ヤミ様! ライズさんが、ライズさんが……!」
「……分かってるわよ。一人でアンダーウェアとかいうのに挑んでるんでしょ?」
「おね、お願いします、助けて、あげて……!」
「ははっ。イグサちゃん面白いことを言うなぁ!」
ラスカは手を叩きながら笑う。
「ライズは俺の弟だぞ? ──負けるわけがない。あの馬鹿が途中て止まるなんてことはないからな」
「そうだよイグサちゃん。ライズの奴は国王の前でも『イグサさんとエッチしたい』って叫ぶような狂人。こんなところで死ぬわけないさ」
「逆に死んだら驚きだよね。イグサちゃんのためなら死んでも生き返りそうだし」
心配しているのはライズが大事だから。心配していないのはライズを知っているから。共通しているのは──ライズのことが好きということ。
「ってことよ。私たちは見守りましょう。ライズの結末を」
「……はい……っ!」
ヤミも同じだ。最初は『なんだあんなヤツ』と思っていたのに、いつの間にか好きになって、心配するようになってしまった。
不思議な魅力……魅力なのかあれは。だが人を惹きつける力はある。どれだけの時間が過ぎ去っても、アレを忘れることはできないだろう。
思いは一つ。五人は同じ方向──ライズのいる骨董品店を見続けていた。




