第3話『狂人と呆人は紙一重』
食卓には豪勢な料理が並べられていた。作ったのはイグサ。いつもは女性二人だけなので男性の食べる量が分からず、とんでもない量になっている。
お風呂に入りリフレッシュしたライズは両手を合わせて会釈をしてから目の前の料理に食らいついた。
──美味。圧倒的美味。極められた味付け。口に広がる旨味。特に空腹のスパイスが加わったおかげでライズの口の中に入った料理はすぐに食道へと飲み込まれた。
「美味しい……美味しいですイグサさん! こ、これ、美味しいです!」
「ありがとうございます。私なんかの料理でいいのでしたら、いくらでも作りますよ」
美味すぎて涙が出ている。……まぁ四日間も飲まず食わずなら当たり前。胃袋がはち切れそうな時でもイグサの料理は美味しいのだから、空腹ならもはや隕石級の衝撃な美味しさだろう。ヤミは心の中でそう思った。
「……貴方、人形店をしてるのよね。四日間も土下座してたんでしょ? 店はその間どうしてたのよ」
「こうなるかもと思って事前に休んでおきました。母親には『遊びに行く』と言ってます」
「なんかもうアレね。言っちゃ悪いけど頭イカれてるわね貴方」
「この世に普通の人など存在しませんよ。どこかイカれてるものです。それが生きるということだと私は思います」
「全然分かんないし深くないからね」
ヤミはため息をついた。この男の根性は認めたが、どう頑張っても狂人は狂人。まともに話そうとすればこっちが引っ張られてしまう。
……ただライズがイグサを好きなのは本当のようだ。イグサに水を注いでもらって「ありがとうございます」と心底嬉しそうに会釈してるのを見れば分かる。
──だからこそヤミは気になった。こんな頭のおかしい狂人がなんでイグサのことを好きになったのだろうか、と。
もちろんイグサは可愛い。それはそれとして、イグサは控えめな性格だ。人と話すのが苦手というわけではないので初対面の人間にも尽くすところがある。てか事実ライズの「エッチしてください」の申し出にヤミが止めなければ受け入れようとしていたところだ。
しかしこれまでにライズがイグサと関わる機会などなかったはずだ。イグサの尽くす性格は知ってるのでヤミは必要以上に人と関わらせなかった。
だからイグサとライズがどこかで出会ったことはないはず。なのになぜこんなにも狂気に満ちた好意を向けているのだろうか。
「……ライズ、よね」
「はい」
「なんでそこまでするの。イグサと貴方は初対面よね?」
「はい。僕はずっとイグサさんを見ていましたが、イグサさんは僕のことを知らないでしょう。こっそりと家の窓から眺めるだけでしたから」
「……分からないわね。貴方は自分がイカれてることを分かってる? 雨が降らなかったら乾きで死んでるかもしれない。雨が酷かったら溺れ死んでたかもしれない。なのに貴方は土下座し続けた。……私は長く生きてきたけど、貴方は初めてのタイプよ」
ライズは食事の手を止めてヤミに目を合わせた。
「……泣いてたんです」
「……え?」
「僕は人形作りの練習の一環として絵を描いていたんです──」
* * *
客に飽きられないために毎日違う人形を作る。その練習をするには絵を描くことが一番であった。絵を描いて自分の創造力を拡張する。母親からはそう教えられてきた。
ライズは一日一枚。二階の窓から外の景色を書いていた。変わらぬ景色のように見えて、その実は変化が多い。歩く人も変わるし砂の色も変わる。天気によっては暗くなるし、希望に満ちた明るい光が差す。
最初は義務感でやっていたライズも徐々に絵を描くことそのものを楽しむようになっていた。
店の前の道には黄色い花が咲いていた。さして綺麗でもない花だ。どこにでもある花。誰にも見られずに通り過ぎられるような凡庸な花だ。
ライズは外の絵に必ず付いてくるこの花に愛着を持っていた。別に近寄って愛でるなんてことはしなかったが、風に吹かれて折れそうになってる時は心の中で「頑張れ」と応援までした。
しかしどんな物にも無限は存在しない。咲いていた黄色い花は誰かに踏まれて折れてしまったのだ。誰が踏んだかは分からないが、その人間が花を踏んだことにすら気が付いていないのは理解できる。
悲しかった。どこか寂しい気持ちだった。愛用していたマグカップが割れた時のような。そんな虚無感に襲われた。
だが今更日課を辞めるわけにはいかない。折れた花を供養する気持ちも含めてまた絵を描こうとした──その時であった。
黄色い花の前に女──イグサが現れたのだ。イグサは歩く人に怪訝に見られるのにも拘わらず、その黄色い花に触れて──宝石のような碧の瞳から、涙を流したのだ。
供養するようにその花を掘り返し、道の端に埋める。その行為に意味などない。意味などないはずだ。
「──綺麗、だ」
ライズからすれば意味のないイグサの行為こそが美しいと感じた。愛すべきと。守るべきと。慈しむべき行為だと感じたのだ。
* * *
「──これがイグサさんが好きになった理由です」
……思っていたよりも真面目な理由だ。予想外の言葉にヤミは目を丸くして固まる。
「驚いたわね……そんなに、この子のことを見てるなんて。私はてっきり見た目で好きになったのかと」
「もちろん見た目は好きです。艶がありながらも息を飲むほど綺麗な紫の髪。どんなに色を混ぜても再現できない宝石のような碧の瞳。凹凸の少ない体ながらも節々から感じる色気は僕の心を──」
「言わなくていい。貴方が頭がおかしくて変態なのを少し忘れてたわ」
だが忘れるほどに真面目で納得のいく理由だというのは事実だ。ヤミは少し照れてるイグサの頭を撫でながら言葉を続けた。
「はぁ……好きな理由は分かったわ。納得もする。そこら辺の外見だけしか見ない愚者共と比べれば貴方は立派と手放しで褒められるくらいにね」
「で、では──」
「待ちなさい。そもそもの話をするわね。その……エッチっていうのは、信頼してる人とやるものなの。信頼は長い時間をかけてじっくりと築くものよ。イグサを好きな理由だけを聞けば貴方は誠実な方よ。エ……エッチ……っていうのがそういうものってのは知らないの?」
「分かります。性行為というのは男女が性的欲求を満たすだけでなく、ある意味ではコミュニケーションでもある。どちらが一方的でも快楽を得ることはできない。どちらも誠実に、かつ互いに配慮をしなければならない行為であるものと。僕は感じてます」
「なんで性行為って言うのよ。わざわざ恥ずかしがりながらエッチって言ってる私が馬鹿みたいじゃない」
「ヤ、ヤミ様は馬鹿ではありません……!」
「はい。お母様は馬鹿などではありません」
もう感情が分からなくなってきた。迷子だ。とりあえずかき混ぜられた感情を整えながらヤミは疑問を投げかけた。
「それが分かってる貴方が。なんで話したことのないイグサにあんなことを言ったの?」
「兄にアドバイスを受けました。『お前は性欲を隠そうとしてるが滲み出てる。それは女性にとって不愉快なものでしかない。だからもうオープンにいけ。性欲をおおっぴろげにしろ』と」
「……あぁ」
ヤミは天を仰いだ。これまで色々な言葉を考えてきた。頭に入ってる文字の知識をフル活用してライズを表す言葉を作ってきたが──あえて初心に戻ろうと思う。
この男を表す言葉はもう一つしかない。一周どころか十周して戻ってきた言葉をライズにぶつけた。
「アンタ……馬鹿でしょ」




