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第2話『こいつを表すのには新しい言葉が必要です』

「ほんっと何なのもう! あんな奴初めて見たわ!」


 手をパンパンと払いながら息を鳴らすヤミ。そんなヤミの元へイグサが濡れたタオルを持って小走りで来た。


「お、お手が汚れてます。これで……」


「……はぁ。イグサ、そんなことしなくてもいいのよ」


 ライズを三回もぶん殴ったからだろうか。ヤミの拳には血が滲んでいた。昔ならこの程度は痛くも痒くもなかったはずだが、なぜだかジクジクと滲むような痛みを感じる。

 だが痛みを感じさせないかのようにイグサの頭を撫でた。


「ですが私には価値がありません。だからこんなことしか……」


「価値はあるわよ。貴女がこうやって私の前で元気な姿で居てくれるだけで私は幸せ。それが価値」


「……むふふっ」


 イグサは端正な顔を少し歪ませて笑った。変な笑い方だがヤミからすれば愛らしい。


「……さっきの人は大丈夫でしょうか」


「忘れなさい。貴女の人生で一番最悪な人間よあれは」


 嵐というか津波のような奴だった。思い出すだけでも腹立つのでヤミは頭を振りながら椅子に座る。


「貴女は可愛いからこれからもああいう人間……いや、あんなのはもう居ないだろうけども。多分あれよりも陰湿な人間に絡まれるかもしれない。その時はきちんと断るのよ。『私は軽い女じゃない』って」


「……私を愛してくれる人はヤミ様だけです。愛されてない人間が価値を出すためには人の願いを叶え続けるしかありません。叶えないと……叶えないといけないんです……」


「……はぁ」


 イグサの顔が静かに曇る。おそらく過去の出来事を思い出したのだろう。──曇った顔を晴らすかのように、ヤミは手を叩いた。


「はい。この話はおしまい。品出しするから手伝って」


「──分かりました」


 曇った顔は晴れて笑顔に。もう今年で二十歳になるが、後ろをトテトテついてくる姿を見ると、まだ子供なんだなと感じヤミの顔にも笑顔が浮かんだ。


 ──イグサの自己肯定感の低さは異常だ。

 自分のことを心の底から価値のない人間と思い込んでいる。ヤミも頑張って矯正しようとはしたが、結局はできずじまい。

 自己肯定感の低さの原因は分かっている。それはイグサの過去だ。


 イグサはとある村の村長の妾の子であった。村長の家に引き取られたイグサはその生まれから酷い扱いを受けたそうだ。義理の母親からは虐待を受け、子供たちからは虐められてこき使われる。

 村の人からも疎まれ石を投げられる生活。何をしても罵倒され、殴られ蹴られ、ろくにご飯も食べさせてもらえない。寝る場所は馬小屋の藁の上。

 そんな環境で真っ当に育つはずなどない。自分は愛されていない人間だと断定し、ただ無感情で人に奉仕する。そうすることでしか自分の価値を見出すことができなかったから。


 ヤミがイグサを引き取ったのは十二の頃だ。商人として旅をしていた時に立ち寄った村にイグサはいた。他人に干渉しないというのがモットーであったヤミだったが、どうしてもイグサは放っておくことができなかった。

 そんなわけで死なない程度に村の人間を全員ぶちのめしたヤミはイグサを引き取り今日に至るというわけである。


「ごめんなさいね……学校にも通わせられたら良かったんだけど」


 社会を学ばせるために学校にも入れようとしたがイグサはろくに教育も受けていなかった。算数の『さ』の字もできなかったイグサを入れるわけにもいかず、骨董品店の仕事を手伝わせながら教育させることに。

 そこまで頭がいい方でもなかったので教育には苦労した。その結果、学校に入れる限界の十八歳を超えてしまい、入ることができなかった。


「いいんです。私はヤミ様といることが幸せですから」


「……」


 学校に入ってたなら性格も変わってただろうか。そもそも自分ではなく他の人が引き取っていたなら違う人生があったのではないか。

 後悔することばかりだ。イグサは幸せそうにしているが、もっと幸せにできたのではないかと苦悩して眠れない日もある。


 もし──自分以外にもイグサのことを心の底から愛してくれる人がいるのなら──。


「……早く現れるといいわね」


「? 何がですか?」


「王子様よ」


 不思議そうに見つめるイグサの頭をヤミは撫でたのだった。



* * *



 それからの四日間はかなり大変だった。

 史上でも稀に見る大雨。店の前の通りは洪水のようになりヤミの骨董品店は閉めざるをえなかった。外に出ることもできずヤミとイグサは暇な日を過ごした。


 雨雲が去っても前の道は水に沈んでいた。故にすぐ店を開けることはできないと判断したヤミはまた一日休むことに。イグサと一緒にチェスをして休みを謳歌してると──強く戸を叩く音が聞こえた。


「ヤミちゃん!」


「ハットさん? どしたのこんな日に」


 隣に住むお爺さんであった。いつもはヨタヨタと動いてる人なのだが、今はなんだか焦っているような気がする。


「き、君……何したの?」


「何って……本当にどうしたんですか?」


「店の前で男が土下座してるんだよ! なんかずっと『お願いします』とか言ってて気味が悪くて……」


「……は?」



 ──扉の前。四日前にヤミが叩き出した時と全く同じ土下座のまま、ライズはそこにいた。


「……う、嘘でしょ」


 四日前。ヤミが叩き出したのは四日前だ。まさかとは思うがライズは四日間も土下座し続けていたというのか。

 服は汚れでドロドロ。土下座してるので顔は見えないが、明らかに痩せている。もしや──飲まず食わずのまま、ずっと土下座していたのか。

 この四日間は大雨が降っていた。普通の大雨じゃない。前の道が洪水になるほどの大雨だ。何も無い日だったとしても馬鹿としか言えないのに、洪水ができるほどの大雨の中で土下座し続けるなんて。


「……アンタを表現するのに『馬鹿』はもはや失礼ね」


 ……認めるわけじゃない。どこまで行ってもこの男は馬鹿以上の何かだ。ヤミが最優先するのは現状イグサのみである。イグサに害があるとすればライズを用水路にでも投げ捨てるつもりだ。

 しかし──根性は気に入った。雨にも負けず、孤独にも負けず。四日間も土下座し続けた根性は気に入った。


「顔を上げなさい。強情……の次元も超えてるわね。アンタを表すのには新しい言葉が必要そうだわ」


 ヤミが解放させるかのように肩に手を置いた。──石像が動き出すかのように。土下座で固まっていたライズの体は起き上がった。

 やはり酷い姿だ。顔は泥だらけ。派手なピンク髪も泥水に浸かって変色してる。四日間は食べてなかったから頬はやせ細っていた。──だがその目は。その瞳だけは。汚れ一つなく、美しく。強い光を放っていた。


「先に風呂。その後にご飯を食べなさい。イグサにそんな酷い姿を見せる気?」


「……あ、りがとう、ござい、ます」


 ぎこちなく口角を上げながらライズはまた頭を下げた。

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