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声を置く場所  作者: ケイ
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声を置く場所 ―交差のあと―

声を置く場所 ―交差のあと―


安物のWebカメラが回る。

画角は、いつもと同じ。


けれど、画面の隅には、昨日まではなかった「異物」が映り込んでいた。

椅子の背もたれに、乱雑に脱ぎ捨てられた学校の制服だ。


雨を吸って湿り、泥が跳ね、シワだらけになったその布地は、

死骸のように無残に垂れ下がっている。


カメラの前に座る圭は、Tシャツ一枚の無防備な姿だった。

けれど、その瞳からは、昨夜までの怯えが消え失せている。


「……こんばんは」


声は低く、平坦だった。

熱に浮かされたようなパニックも、

絞り出すような悲壮感もない。


「今日……学校へ、行きました。

校門の前まで行って、雨の中、ずっと待ってました」


チャット欄が、獲物を見つけたハイエナのように騒ぎ出す。


『結局どうなった?w』

『誰にも会えなかったんだろ』

『雨の中立ち尽くしてて草』

『特定班、現場の画像まだ?』


圭は、その悪意に満ちた文字を、真っ向から見据えた。

以前なら呼吸を止めていたはずの罵詈雑言が、

今はただのノイズにしか聞こえない。


「……誰とも、会えませんでした。

手紙の主も。リスナーの誰かも。

……ただ雨に濡れて、冷たくて、惨めなだけでした」


一息。

圭は、脱ぎ捨てられた制服をちらりと一瞥し、自嘲気味に笑った。


「何の意味も、なかったです。

勇気を出して外に出ても、世界は一ミリも変わらなかった。

……笑いたくなるくらい、空っぽな時間でした」


画面の向こうで、誰かが『負け犬w』と打ち込む。


圭はそれを視線で捉え、静かに言葉を返した。


「……でも。

一回、底まで負けてみたから……

……もう、これ以上失うものがないって……思えた、かな……たぶん」


これまでは、怖かった。

期待されるのも、笑われるのも、誰かに壊されるのも。


けれど今日、雨の中で……究極の無意味、みたいなのに当たって、

自意識が……泥水と一緒に、流れ落ちて……しまった、気がする。


行っても何も起きない。

誰も助けてくれない。


その絶望を……飲み込んだら、

足が地面に着いてるはずなのに……なんか、浮いてるみたいで……。


「明日、学校に行きます」


チャット欄は静まらず、いつも通り流れ続ける。


『それで?w』

『マジで明日行くんかよ草』

『唐揚げ食いたい』

『配信外で死ぬなよなw』

『猫動画はよう』


「行っても、何も変わらないと思います。

また嘲笑われて、居場所なんてなくて、

死にたくなるだけかもしれない。


……でも、それしか思いつかないんです。

無意味に傷つくだけでも、

部屋で腐っているのと、ほとんど変わらないと思っただけ」


圭は、脱ぎ捨てられた制服へ手を伸ばし、

その湿った感触を確かめる。


それはもはや「呪い」ではない。

明日も学校へ行くために身に纏う、ただの作業着だ。


「ここは、解決する場所じゃない。

……ただ、声を置く場所です」


彼はマウスに手をかけ、

レンズの奥に潜む「悪意」の群れをただぼんやりと見つめた。


昨夜、口にすることさえ拒絶した挨拶。

空っぽな明日に向かって、

彼は自分自身を宣告するように、その言葉を叩きつけた。


「……また、明日」


カチッ。


配信終了。


一瞬で静まり返る部屋。

暗転したモニターには、

シワだらけの制服の傍らで、虚空を見つめる少年の顔が映っている。


部屋を支配していた冷却ファンの唸り声が、

どこか遠くを走る電車の音のように、冷たく響いた。


窓の外は、もう雨が上がっている。


救いなんて、どこにもない。


けれど圭は、明日、

またあの泥だらけの服を着て、玄関のドアを開けるだろう。


絶望みたいなものを自由だと思い込んで、

細い肩に背負ったまま。

この物語を、綺麗に終わらせることはできなかったなぁ。


それが、全編を書き終えた今、自分が真っ先に抱いた本音です。


当初はもっと、瑞々しい再生の物語になるはずでした。

けれど、圭という一人の少年の苦しみと向き合い、その喉の渇きをなぞるほどに、安っぽい「勇気」や「希望」という言葉が、彼を辱めるような気がしてなりませんでした。


雨の中、誰にも会えずに立ち尽くしていた彼の数十分。

それは、客観的に見れば「無意味な空振り」に過ぎません。けれど、その空虚さを、誰にも消費されない自分だけの真実として抱え込んだ時、彼は初めて自分自身の人生を奪い返したのだと信じています。


救いはありません。明日からも、彼は嘲笑われ、傷つき、出口のない日々を歩むでしょう。


それでも、椅子に投げ捨てられた制服をもう一度着る彼の背中に、自分は「強さ」とは違う、もっと泥臭く、もっと切実な、生きるための「執念」を込めました。


「また、明日」

その一言が、読者の皆様の心に、冷たく、けれど消えない火を灯すことを願っています。

これまで圭の「声」を置いていく場所に立ち会ってくださり、本当にありがとうございました。

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