声を置く場所 ―放課後―
声を置く場所 ―放課後―
雨が降っていた。
静かな雨ではない。
傘を叩く音は執拗で、アスファルトを打つ水飛沫が、圭の足首を容赦なく濡らした。
昨夜、一睡もできなかった。
目を閉じれば、モニターの隅で躍っていた『184』や『210』という数字が、瞼の裏に焼き付いて離れなかった。
誰かが現場にいるかもしれない。
特定されて、隠し撮りされて、またあの「動画」のように晒されるかもしれない。
それでも、行かないという選択肢を選べば、自分は一生、あの部屋の冷却ファンの音の中で腐っていくのだという、死ぬより重い予感があった。
校門までの道が、ひどく遠い。
すれ違う車のエンジン音。
遠くで響く誰かの笑い声。
そのすべてが、自分を監視するリスナーの足音に聞こえた。
圭は傘を深く差し、視界を自分の足元だけに絞る。
「……っ、は、……っ」
濡れて重たくなった制服の布地が、首筋に張り付いて、誰かの手に首を絞められているような錯覚を覚える。
昨夜、かきむしった腕の傷が、雨の湿気でじりじりと熱を持って疼いた。
校門の前に着く。
約束の時間まで、あと五分。
圭は、門から少し離れた街灯の影に、身を潜めるように立った。
背後を通る自転車のブレーキ音に、心臓が口から飛び出しそうになる。
誰かがスマホを構えていないか。
今この瞬間も、配信のチャット欄に
『圭いたぞwww』
と書き込まれていないか。
傘の柄を握る指は白く強張り、冷たい汗が背中を伝った。
十分。
二十分。
誰も来ない。
下校する生徒たちが、数人、圭の横を通り過ぎていく。
彼らは圭のことなど一瞥もせず、ただ雨の中を、日常の体温を持って駆けていく。
彼らにとってここは「学校」というただの場所だが、
圭にとっては、一歩踏み込むたびに魂を削られる「処刑台」だった。
結局、あの子は来なかった。
「……あ」
掠れた声が、傘の内側にこもって消えた。
罠ですらなかった。
もしかしたら本当にあの子が書いたのかもしれないし、
ただのリスナーの悪ふざけだったのかもしれない。
どちらにせよ、事実は一つだ。
自分は、この無意味な数十分のために、吐き気をこらえ、死ぬ思いで境界線を越えてきたのだ。
安堵よりも先に、泥のような虚脱感が押し寄せた。
濡れた靴下の中で、指先が凍えるように冷たい。
その冷たさだけが、自分の滑稽さを証明しているようだった。
「……帰ろう」
誰に言うでもなく呟き、圭は踵を返した。
結局、何も変わらなかった。
誰とも会えず、
謝ることも、謝られることもなく、
ただ雨に打たれて立ち尽くしていただけ。
けれど、部屋へ向かう足取りは、来た時よりも不思議なほど重くはなかった。
達成感ではない。
ただ、最悪の事態を想定して、
最悪の雨に打たれ、
「何も起きなかった」という究極の無意味に直面したことで、
何かがどうでもよくなったのだ。どうでもいい、というより考えることすら面倒だった。
腕の傷が、まだ痛む。
けれど、その痛みすら、
雨の音の中に溶けていくような気がした。




