目覚めてから一年後
朝が来たのか、起床する。カーテンは開けられていて、そこから入ってくる光は少し眩しかった。隣のベッドを見ると、そこには誰もいない。思縁はもう起きているみたいだった。
もう、思縁がいる日常が、少しずつ、いつもの日常になりつつあった。
「……」
思縁が目覚めてから、もう1年が経った。
思縁はリハビリも懸命にこなしたこともあって、もう自立して歩行や家事ができるくらいには、少しずつ元気になってきていた。
「おはよう、夏之夢」
「ああ、おはよう。思縁」
下に降りると、ダイニングには緑さんと思縁がいた。緑さんと思縁はテレビを見ながら、家族が揃うのを待っているようだった。こちらを見ると、二人は笑っていた。俺も、緑さんと思縁に会釈して返した。
「今日の朝ご飯当番は私だったから、もう作ってあるよ」
「ありがとう。体の方はもういいのか? 」
「まあ、だいぶ良くなったから」
「そうか。ならよかったよ」
なんて他愛もない会話をしていると、
「おはよ」
円もやってきた。円は朝が弱く、四人の中では、いつも遅くなって朝食にやってくる。俺たちは、円におはよう、と返した。
なんてことのない日常だが、俺はとても幸せだった。
「今日の予定は、みんなはどうだ」
朝食を終え、俺は尋ねる。
「私は、いつもどおり仕事かな」
緑さんは言った。
「俺も、緑さんと同じく」
「私は学校かな。で、ピアノと、」
と円が言いかけたところで、
「私と勉強するんだよね、円ちゃん」
と、思縁が嬉しそうに口を挟んだ。
思縁は円と同じ時期に大学に行きたいそうで、円とは最近はよく勉強をしていた。
「うん、そうだね、えっと思縁ちゃん」
少し照れくさそうに円は言った。
円は内向的な性格のため、中々人に心を開かないきらいがあるが、思縁とは仲良くやっているようであった。
思縁と円の関係はというと、親子でもあり、精神年齢が近い友人でもあるような、関係になっていた。思縁の方はコミュニケーション能力もあり、打ち解けている様子だった。
「思縁、まあ無理はするなよな。楽しそうなのはいいが、リハビリや勉強も程々にな」
俺は、やっぱり思縁が心配だった。回復が嬉しくもあるが、俺はまた思縁が倒れてしまうのが、怖かったからだ。
「これくらい、大丈夫よ。高校を卒業したと認めてもらうためのテストもあるけど、絶対に満点で合格してやるんだから。」
それに、と思縁は続けて、
「私、今楽しいんだ。みんながいてくれて、娘であり、友達の円ちゃんもいて、ね。この大切な今を、後悔なく生きたいと、目覚めてからは一層思ってるんだ」
「そうか、なんだか、思縁らしいな。まあ、じゃあ、応援しているぜ、二人とも」
「うん」
「ええ」
ただ、少し言いたいことがあった。
「だが、ちょっといいか、二人とも」
「なに、お父さん」
「どうしたの、夏之夢」
「二人とも、勉強を頑張るのはいいけれど、二人とも、同じ大学を目指しているんだよな」
「うん」
「ええ」
「そうなると、学力的に、そのー、二人にはかなり開きがあってだな。片方が、とんでもなく勉強しなくてはならなくなるぞ」
「そうだね、お母さん、17年も寝ていたし、頑張らないとね」
と、円は思縁を見て言う。
「そうなの? じゃあ、頑張らないとね」
と、思縁はきょとんとした顔で、応える。
「うん。お母さ、いや思縁ちゃん、頑張って」
うんうん、と、円はうなずいている。そこに事実を突きつけるのは、忍びないとは思ったが、俺は口を挟む。
「いや、頑張らなくてはならないのは、円、お前の方だ」
「え」
「思縁は、もともと学生時代から勉強はよくしていたんだ。17年前の記憶もしっかりあるみたいで、心配はない。ただ円は、いささかピアノに全力を出しすぎていて、このままだと進級も危ういと、この前学校から電話がかかってきたんだが」
「あ、へえそうなんだ」
突然の事実に、苦笑いが隠せない円。円は、バツが悪そうに、目を合わせようとしない。俺にも、思縁にも。
「大学は、円のピアノの実力ならば芸術学部は突破できるが、高校は俺らの通った普通科だしなあ。進級できなければ、そもそも大学にすらいけないぞ。頑張るのは円の方だ」
「そうなんだ。じゃあ、一緒にがんばろう、円ちゃん」
「は、はい、お母さん」
その光景を見て、あまり笑えない状況であったが、俺はふっと笑みがこぼれていた。
その光景を見ていた緑さんも笑いながら、
「じゃあ、思縁と円ちゃんは今日から受験生ね。家事は私と夏之夢君が多めにするから、二人は受験に集中できるようにするのはどうかしら」
「確かに。それもいいと思います」
「いいの、夏之夢」
「ああ、いいよ。二人とも、ベストを尽くしてくれ。」
「ふふ、ありがとう、お父さん」
「おう、みんなで助け合うのが、家族だからな」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね。ありがとう」
「ああ、まあ、話はこのくらいにして、もう準備しなくちゃな」
「そうだね」
と円も賛同した。
「じゃあこの辺で。あ、そうそう、今日は夜に、家族会議したいことがあるか、みんな夜は明けておいてもらえる?」
と円は言った。
「うん分かったよ」
「分かったわ」
と各々返事をした。
俺は、おそらく、円と俺の関係について、話す日が来たのだろうな、と思った。
円も、いい頃合いだと思ったのだろう。
少し緊張するものの、夜を迎えることにした。




