内省
翌日。夜。
「って、ことがあったんですよ」
俺は、昨日のことを緑さんに相談をした。
「そうね、あの子、年頃の娘だものね。色々、考えちゃうんでしょうね」
緑さんは食後の皿を洗っている。俺は面と向かって、しっかり話したいと言ったが、緑さんは今は忙しいから、と言って皿を洗っている。そのためか、緑さんの表情はこちらからは見えなかった。
「自分は、どうすればいいのでしょうか」
「あの子、円は自分で考えなさい、と言ったのよね」
「はい」
「なら、私のアドバイスに頼るのはよくないわ」
「分かってはいるんですけれど」
「そうねえ、私から言えることとすれば、夏之夢君は、家族が大事なのよね」
「はい。もちろん」
「大事なら、やっぱり、嘘はこれからはつかないようにした方がいいわね。自分にも」
「そうですよね。ただ、自分に嘘をついているというのがよくわからなくて」
「今は分からなくてもいいと思うわ。ただ、円の前では、自分の気持ちに素直になること。これが大事だと思うわ」
「分かりました」
「相談はこの辺でいいかしら」
「はい。ちょっと、歩や穂乃果にも相談してみます」
「それがいいと思うわ。夏之夢君、一人で抱えこみがちだしね」
「はい。……では、もう寝ます」。
「うん、今日もお仕事、お疲れ様、夏之夢君」
と緑さんは言って、俺は部屋を後にした。
自分の気持ちに素直になる、か。
なにか、見落としてしまっていたり、当たり前だと思っていることを、もう一度、洗いなおしてみようと思う。
また翌日。
俺は会社帰りに、電話で歩、穂乃果に相談した。
「なるほどね、円ちゃん、そう来たのか」
「円さんに、本当のことを言ってから、様子が変わってしまったのですね」
「ああ。普通にグレるとかじゃないんだ。なにかもったいぶっているかと思えば、急に甘えてきたり、なかなか手を焼いていてな」
「僕は、円ちゃんの、私をよく見て、がひっかかるかな。過去の円ちゃんの言動や態度をよく思い出せば、円ちゃんの気持ちに気が付けると思うよ」
「そうか」
「私はそうですね、ヒントは、ピアノでしょうか。とても表現力が増したと、夏之夢さんは思ったのですよね。5年ほど前のコンクールで、どうやって表現力をあげるか、相談していましたよね。きっと、そこに答えがあると思います」
「分かった。考えてみる。二人とも、忙しいのにありがとうな」
「いいよ別に。友達が悩んでるときは、お互い様だよ」
「そうですね。それより、夏之夢さん、おそらくあなたはこれから、重大な選択を迫られると思います」
「そうだね」
それを聞いた俺は、驚く。
「な、どういうことだ」
「それは、言えないです」
「僕もね、こればっかりは。ごめん」
「そうか、二人はもう分かっているのか」
「うん。多分、緑さんも。あとは夏之夢君、君だけだよ」
「分かった。色々、考えてみるよ」
「ええ。選択を迫られたときに、自分の心に素直になって、後悔しないような選択を、よく考えてくださいね」
「分かった。慎重に、これからの選択についても考えてみるよ」
「それがいいと思います」
「じゃあ、電話、切るわ」
「うん、じゃあね、夏之夢君」
「では」
そして、電話は切れた。
寝室の机から、ベッドに転がり込み、思考を巡らせる。
今までのこと。円の言動について。
「私、もうお父さんとは思わない」「対等な関係になりたい」
そんなことを言っていたな。
そして、ピアノの最近の上達について。
5年前のコンクールで確か、円は、「先生がね、恋をすれば表現力が上がるって言っていた」
と言っていたな。
恋か。誰に?
少しずつ、答えにたどり着きつつある気がした。そして、ある会話を思い出した。
まさか。はっとする。
「私、お父さんみたいな人がタイプかな」
「そうですか、円さんはきっと、夏之夢さんに恋をしているのかもしれませんね」
そんな会話が頭に過った。
いや、まさか。娘が、俺のことを異性として好きなのか。
確かに、血のつながりはない。戸籍も、俺は明田の戸籍のままのため、結婚も可能だが、いや、倫理的にありえない。
だが、もしそうだとすると、全て合点がいく。急に俺に甘えるようになったり、恋愛ドラマの主題歌を、俺に聞かせたり。
俺のことを父としてみるのではなく、対等な男女としてみてほしいと、円は思っていたのかもしれない。
それならば、俺は
円の気持ちに、どう、返事をすればいいだろうか。円の心を少しだけ、ようやく分かってから、急に円の声や匂いが頭の中に過る。
いやいや、よくない。こんなことはあってはいけない。
そこに、円の、「自分の気持ちに素直になって」という言葉をもらったことを思い出した。
俺は、これからのことを考えなくてはならない。これは、俺の問題だから、俺自身で、答えを出さなくてはいけないなと感じた。
あと5日ほど、時間がある。俺は、それまでに頭を冷やして、そして自分の心に従って、円と向き合わなくてはいけないなと思った。
「俺は……どうすればいいんだろうな。どうすればあの子の幸せになるんだろうな、思縁。できたら教えてくれないか」
「……」
隣のベッドの思縁の額に手を当てる。
思縁の体は、温かかった。生きている。
そのことを確認すると、どさっとベッドに寝転んだ。
……。
思縁と円。二人はあまり似ていないが、どちらもとても美しい少女だ。
片方は神になることを目標に、徳を積んできた子。華奢な体ながら、いつも周りの人のためにといって、頑張ってきた。
もう片方はピアノにひたすら打ち込む日々を送る、黒髪の似合う少女だ。父親である俺のことを思ってくれる、いい子だ。
白状しよう。俺は、円の思いを知ってに、気持ちが揺れ動いている。
このまま思縁が目覚めなかったら、それこそ円が俺の、生きる希望になる。
もう15年も目を覚ましていない。だったらいっそ円が望むままに、心の望むままにした方がいいんじゃないか。いや、それはだめだ。
なぜだ。世間体か。
俺は、思縁の夫で、円の父親だ。円の将来にも、よくない。
円は俺に女性としてみてほしいと言っている。その思いに応えないことが、円のためなのか。
いや、円と結ばれることは思縁にも悪い。思縁はいつ目をさますか分からないのにか。
ああ。
……。
自問自答しているうちに、俺は、俺がどうしたいかが、見えてきた気がした。
ひとまず、来週の日に、また円に会いに行くとしよう。




