円と夏之夢
夕食を終え、風呂に入った後、円の待つ部屋へ行く。
円には、気持ちを教えてあげると言われたが、円は俺にどんな感情を抱いているのだろうか。まずは知ることが大切だろう、と思い、円の部屋の前に立つ。ドアをノックをし、
「円、入るぞ」
と言うと、
「うん、どうぞ」
と聞こえた。
ドアを開けると、円がいた。
円はピアノの椅子に腰かけていて、先ほどまでピアノの練習をしていたと思われる。
椅子から立ち上がると、ゆっくりこちらへと近づいてきた。
やや白い肌に黒髪ロングの対比が、前に立つ者にある種の特別な感情を感じさせる程に、日常から切り取られた、絵画のような美しい少女が前に立っていた。
少女は黒のドレスを着ていた。これは、コンクールの時に着る、彼女にとって正装のようなものであったため、俺は困惑する。
「なんで寝間着じゃなくて、ドレスを着ているんだ」
「ちょっとさ、私の気合い入れたピアノ、聞いてほしいからさ。今日はドレス来てみたの」
「そうか。じゃあ、一曲、聞かせてもらおう」
「うん」
そして、円はピアノを弾き始めた。引いた曲は、数年前に流行った恋愛ドラマの主題歌だった。以前の円のピアノとは違った音色に、引き込まれていく。
……。
「どうだった? 」
「良かったと思う。なんていうか、大人の恋愛って感じのあのドラマをうまく、曲を通じて表現できている気がする」
「そう、良かった」
「それに」
「それに? 」
「いや、なんでもない」
円の問いに、俺は返答を濁す。実は、円の視線、表情や、やや露出度の高いドレスが、官能的なものに思えたからである。こんなことは、親として、あまり口にしない方がいいと思った。ドレスが、ピアノを弾く円の肉体の線にそってひらひらと舞い踊っていて、まるでクロアゲハ蝶を見ているかのような気分になった。
「その様子だと、私の気持ちは、まだ伝わっていないみたいだね」
ヒントのつもりだったんだけど、と言い、ため息を漏らす円。
「ごめん。円のピアノはとても綺麗だった。技術のほかにも、表現力が付いたと思う。ただ、少し大人っぽい気がする。女性の恥じらいとか、そう言ったものを感じたけど、俺は、まだ、そこまでの表現はしてほしくないなと感じた」
「それは、私がまだ16歳で、あなたの子供で、心配だから? 」
「ああ」
「まだ、私と夏之夢の気持ちは分かり会えてないみたいね。じゃあ、私が言葉や行動で、直接夏之夢に示さないといけなくなってきたのね。でも、もうちょっとだけ、私はお父さんに考えてほしい」
「円がそういうならば、そうなんだろうな」
「馬鹿」
「ごめん」
「お父さんさ、多分、もう私の気持ち、わかってるでしょ。さすがに」
「俺は、分からない」
「お父さんは、優しさから、私に嘘をついた。それはね、別に、いいの。でもね、お父さんは、無意識のうちに自分にまで、色んな嘘をついていると思うの」
「自分に、嘘? 」
「うん。もうお父さんは、無理しすぎてて、自分に嘘ついてることも分からないくらい壊れてるんだと思うよ。お父さんは本当はちょっと、私から逃げてると思う。父親だからとか、家族だからとか、自分の肩書に縛られすぎてて、肝心の私が見えていないと思うよ」
「そうなのか」
「うん。だからさ、一週間猶予をあげる。それまでに考えて、また私に聞かせてよ。思考停止じゃだめ。そして、今度はちゃんと、私を、見て」
円は俺の目を見つめて、そう言った。
「あ、ああ」
「じゃあ私、またピアノの練習するから」
そう言って、俺が部屋を出ると、円は扉を閉めた。
……。




