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10年後


……。


毎日、忙しい日々が過ぎていく。円を育てるのは、緑さんのフォローもあってなんとかやれていた。気が付けば、10年経っていた。


「ただいま」


自宅に帰ると、家には緑さんはいる時刻だろうと思った。緑さんは、会社勤めから時間に融通の利きやすいフリーランスのWEBデザイナーになり、在宅での仕事が多くなっていた。

俺は病院の警備員の仕事を続けている。ただずっと警備しているだけでなく、時には木を切ったり、時には郵便物を届けたり、雪かきをしたり、まあ要は何でも屋に近いことをしていた。それなりにハードだったが、家族のことを思えば力が湧いてきた。


「おかえりなさい、夏之夢君」

「はい、緑さん」

「今日は夜勤の日よね。ご飯食できているから、食べるといいわ」

「今日は当番俺なのに、すみません」

「いいの。気にしないで。そういえばあの子、円が今日は1/2成人式って言って、将来の夢を話す会があったのよ」

「そうだったんですか。行けなくてすみません」

「大丈夫。夏之夢君が頑張ってるの、あの子も知ってるから。それに、あの子が寂しくないように、私もフリーになってそばにいるからさ、夏之夢君は夏之夢君のできることを頑張ればいいと思うわ」

「ありがとうございます。それで、円はどんなことを言っていたんですか」

「そうね。あの子はピアノが好きだから、ピアノ関係の仕事に就きたいと言っていたわね」

「そうなんですか。円には新しいピアノと防音のリフォームをせがまれてますし、仕事、頑張らなくてはいけませんね」

「そうね。ただ、無理しちゃだめよ、夏之夢君。思縁には、昔はよく夏之夢君が肩の力抜きなって言っていたと聞いたけど、今は夏之夢君も、疲れたら休んで頂戴ね」

「そうですね。自己管理も、気を付けたいと思います」


そうこう話していると、二階から円が下りてきた。

黒髪のロングヘアの少女は、目筋の通った顔つきで、10歳にしてかわいらしい、というよりは美しい、という言葉が似あうような風貌をしていた。年齢よりも大人びた顔つきをしているのは、ピアノを真剣にやっているため、競技の世界に身を置いているからだろうか、それとも異国の血が混ざっているからなのかとか、そんなことが頭に過った。父親に似たのか、あまり思縁には似ていなかったが、思縁と同じくらいか、それ以上に美しく成長しつつあった。


「おかえり、お父さん」

「ただいま、円」


何気ない家族のあいさつだった。俺にはかけがえのない日常でもあった。


「今日も楽しかったか、円」

「まあほどほどにね。コンクールが近くなりつつあるから、練習に打ち込む日々だけど」

「そうか。お母さんの様子はどうだ」

「今日もいつも通りだよ。すやすや寝てる」

「分かった。さて、円も降りてきたことだし、ご飯にするか。……いただきます」

俺はそう言うと、緑さんは祈りを始めた。俺と円は別の宗教のため特にしないが、黙って緑さんの祈りが終わるのを待ってから、ご飯を食べ始めた。

「ん、美味しい。今日はお父さんが作ったの? 」

「いや、緑さんだよ」

「よかったわ。円に喜んでもらえて」

「こっちこそだよ、おばあちゃん」


緑さんは野菜を中心に食べて、俺と円はハンバーグを食べている。これも、宗教の違いからくるものであったが、我が家では別段、特別な光景ではなかった。

食事中、ふいに、

「ねえ、お母さんって、どういう人だったの」


と円は聞いてきた。


「どうした、急に」

「うん。ちょっと、今日は1/2成人式があって、色々話したんだけれど、みんなお母さんが来てて、私はお母さんが起きてたら、どんな子に育ったのかな、なんて思ったんだ。あ、おばあちゃんが来てくれたのはほんとにうれしかったよ。本当に、ちょっと気になっただけなんだけど」

「そうか」

それを聞いて、見た目は大人びた風貌をしていても、中身は自分の子供なんだなと俺は思った。また、愛おしく思ったし、何より思縁について興味を持ってくれたことが嬉しかった。

「それじゃあ、思縁について話すか」


食事も終わり、余韻に浸ってから、風呂も入り終わったところで、三人で俺と思縁の寝室の部屋に集まる。


「じゃあ、まずはお母さんって、どんな子供だったの」

円は思縁を見ながら言う。

「おお、それは俺も気になるな」

「そうねえ、あの子は、はじめは人見知りだったのよ。ちょっと怖がりで」

「そうなんだ」

「円ちゃんはクールだけど、思縁は私がいる宗教団体、神泉に入って、色んな人と交流するうちに、元気になっていったわ」

「そんな話は、俺も初めて聞きました」

「あの子、見栄っ張りで、弱みはあまり見せたがらないから、言わないでいたんだけどね。でも、そういう過去があったからこそ、あの子は、気持ちが沈んでいる子や、人とうまく接することが出来ずに悩んでる子にも、痛みがわかる子だったのかな。積極的に手を伸ばす子だったわ」

「いい子だったんだね、お母さん」

「ええ、思縁は、すごくいい子だったわ。思縁も神泉のメンバーで、色々なことをしていたわ」

「神泉って、地元の山を神様として信仰しているひとたちだよね。私とお父さんは違うけど」

「そうね。私たちは無理な勧誘とかはしてないから、あなたたちにも、入信してほしいとまでは言わないわ。けど、思縁は神泉の修行を頑張っている子だったわね」

「ああ、思縁は、死んだら神様になって、ずっと俺や友達と一緒に居れるようにと言って、たくさん徳を積むと言って、何事にも頑張っていたよ」

「私とはちょっと違うけど、凄い人だったんだね、お母さんって」

「ああ」

「でも、起きなくなる病気になっちゃったんだよね」

そう言われて、俺は悲しくなり、思縁を見る。思縁は眠り続ける病気になったというのは、円への嘘だった。ほんとは修行先で乱暴され、植物人間と化している。いつか、円にも言わなくてはならない。そう思っていた。

「……そうだな」

「……」


しばしの無言のあと、


「さて、今日はこの辺にしておこうかしら」

緑さんが口を開いた。

「夏之夢君、今日は夜勤でしょ。そろそろ寝ておいた方がいいわ」

「おっと、そうでした。まあ、思縁のことは少しは分かったか、円」

「うん。私はお母さんとはちょっと違うけど、でも、そんなお母さんを尊敬してるし、産んでくれたことに感謝してるよ」

「そうか」

思縁。見ているか。円は、こんなにいいことを言う子に育ったよ。俺は、嬉しい。

「あと、お父さんも、いつもありがとうね」

「ああ、気にしないでくれ。円が幸せなら、俺はいくらでも頑張れるから」

「うん。それじゃ、私はピアノの練習してくる」

「おう」

そういって、円は自室へと向かっていった。

「じゃあ俺、そろそろ寝ます」

「うん。おやすみなさい」

緑さんはそう言って、ドアの方へと歩く。

「はい、おやすみなさい」

家族の時間を過ごせるのが、温かかった。

そんなことを思っていると、

「そうそう、円のことだけど」

不意に緑さんはこちらに振り向き、口を開いた。

「はい」

「ずっとあの子に、思縁が睡眠の病に罹っているっていう嘘をつくのは、私は、よくないと思うの」

「自分も、そのことについて考えていました」

「うん。夏之夢君はどう思うの? 」

「自分は、いつか思縁がいつか目を覚ましてくれると信じています。思縁が目を覚ました時に、思縁のことを話すのは遅い気がしているので、ある程度の年になったら話した方がいいと思います」

「そう。私はあの子が高校に入学したら話そうと思っているのだけれど、それでどうかしら」

高校入学、15歳となると、

「5年後、ですか」

「早すぎず、遅すぎず。な頃って、そのあたりだと思うの」

「分かりました。高校入学したら、その日に言いましょう」

「ええ。辛い話をしてごめんなさい。私もう行くわね。おやすみなさい」

「はい」


そう言葉を交わすと、緑さんは一階へ降りて行った。


「……」


ベッドに寝転がり、隣のベッドに横たわっている思縁を見つめる。

あの日から、思縁が円を出産してからもう十年か。いや、思縁と出会ってからは12年ほどだな。その間で、俺はたくさんの人と出会ったし、別れもした。

今までも堪える日々だったけれど、これからどんどん難しいことに直面していきそうな気がするよ。

でも、とにかく今は、思縁が目覚めてくれることと、円の健やかな成長を願って、走るよ。だから思縁、思縁が今どこにいるのかは分からないけれど、どこかで見守っていてくれ。

そんな気持ちが胸の中に沸き起こった。


「おやすみ、思縁」

「……」


思縁はなにも言わなかった。目を閉じると、少しずつ意識が遠のいていくのを感じた。



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