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葛藤と道のり3


ん、と目が覚めると、見慣れた病院の天井が視界に入った。

横を向くと、思縁は相変わらず眠ったままだった。


「思縁……。心配して、夢に出てきてくれたのか。ありがとうな」

「……」


その後も時間はゆっくりと、しかし着実に過ぎていった。もう1月になり、思縁は妊娠5か月目となった。病院内は24度で調整されているが、それでも時折外気が中に入ってきて、窓の雪を見ていると一層厳しい寒さを感じる。

俺の心の傷が癒えるにしたがって、思縁のお腹にもふくらみが現れ始めていた。少しずつ、思縁の体の中に新たな別の命が宿っていることを実感する

これから俺は父になる、そんな実感は、まだまだ17年しか生きていない自分には湧かなかったし、途方もないことだと思った。


円は女の子らしい。俺の体の傷が癒えるのと同じように、日に日に思縁の赤ちゃんも育ってきているのだなと感じた。問題は、俺の心にあると思う。まだ俺に父親になれるか不安だし、これから緑さんのフォローがあるにせよしっかり育てられるか不安だった。


「あら、夏之夢君、今日も来てくれたのね」


と、そこに緑さんがやってきた。


「はい、思縁の顔を見ていると落ち着くっていうか、気分が安らぐので。就活の合間を縫ってきてます」

「そう、ありがとう。思縁も喜んでると思うわ」

「そうだと俺も嬉しいです」

「夏之夢君はお腹触ってみた? もう少しだけだけど、動いているわよ、赤ちゃん」

「はい、触ってみたら動いていて驚きました。これから生まれるんだなって」

「予定では思縁の体の負担も考えて、八か月目で帝王切開するから、三か月後には夏之夢君はパパになるのね」

「はい、そうみたいですね。でも、俺なんかに子供を育てられるか不安で、怖いんです」

「大丈夫よ。みんな、誰だって初めは不安なのよ。私もフォローするから、夏之夢君も安心して頂戴」

「そうですか。生まれてくるまでわからないんですけれど、犯人の子であることがずっと引っかかっていて、生まれる子供に非はないことは頭では分かっているんですけれど、どうしても大切に育ててやれる気がしなくて」

「そうね、確かにこの子は犯人によって無理やり妊娠させられた子、でも、だからこそたっぷりと愛情を注いで育てなければ。とは思えないかしら」

「今の俺にはまだ愛情を注ぐとか、分からないです」

「夏之夢君は真面目だから迷ってるけれど、今はそれでもいいと思う。たくさん迷いながら、傷を癒して、今は思縁を誰よりも近くで見守ってあげてくれれば、私からは言うことないわ。安全に生まれて、その後が勝負で、きっと迷う暇なんて無くなっちゃうんだから、今のうちにゆっくり自分と向き合うといいわ」

「そうですか、今は迷っていてもいいんですね。それを聞いて、少し安心しました。もうばれてると思うんですけれど、俺には音信不通の叔父しか家族がいないんです。だからこんな風に悩み事を聞いてもらって、嬉しかったです」

「気にしないで、夏之夢君。夏之夢君も今は精一杯就職することを頑張ってるじゃない。その上自分とも向き合っていて、偉いと思うわ。円だけじゃなく私も、夏之夢君の新たな家族になれるように頑張ろうと思うから、元気だして、ね」

  それを聞いた俺は心が軽くなった。今まで孤独で、ずっと一人で色んな事や葛藤と闘っていたが、この人たちとなら家族になれるかもしれない。俺の心の内側を共有しても、笑顔でいてくれるかもしれない。そんな気がした。

「はい。よろしくお願いします。お義母さん」

「ええ、よろしく。夏之夢君」


  緑さんにお義母さんと初めて呼ぶと、緑さんは嬉しそうに返事をした。緑さんと親子になった瞬間だった。

後日、3か月がたち、外はもう四月で春の陽気に包まれていた。窓から見える景色も変わらないようでいて、日々その様を変えている。それと同じように思縁のお腹もゆっくりと膨らんでいき、俺も就活が最終段階に入っていた。

気が付くと、朝から看護師やら婦人科医やらがあわただしくしていた。そう、手術の時が来たのだ。思縁のお腹は妊娠八か月とかなり大きくなっており、もう少しで生まれてきそうであった。手術室の前で待つ。


手術は2時間も要する大掛かりなものとなった。


 「頑張ってくれ……!思縁。頼むから、死なないでくれ。俺を一人にしないでくれ」

 じっとりとりとした脂汗をかき、生唾を飲み、不安と緊張の中で、今までの真っ白な病室で過ごした、ゆったりとした八か月間が一瞬に思えるほど、とてつもなく長い2時間を過ごした。


手術が終わったのか、部屋の奥の方から微かに赤ん坊の泣き声が聞こえた。


「お疲れさまでした。手術は成功です」

中に入ると、赤ちゃんを抱きかかえた看護師がそう言った。

「思縁、やったんだな。思縁」


  俺は思わず涙が出ていた。俺が父になった日でもあった。色々迷いがあったが、そういうものは円を見て吹き飛んだ。この子は俺が育て上げる。そんな使命感が身を包んだ。死んでいるのか、生きているのか思縁は曖昧な状態にあっても、この子は生まれ、確かに鼓動を一瞬一瞬刻んでいる。それはとても神聖な事のように思えた。ただ生きていることが、今までの思縁の生きた証となってくれていることが無性に嬉しくて、本当に、生まれてきてくれてありがとうと思った。そしてよろしくな、円。

今まで止まっていると思えるくらいゆっくりと進んでいた時が、突然動き出した。


  その後は赤ちゃんの教育の仕方とか書いてある本を片っ端から読み漁り、就活もいつにもまして精力的にこなしたと思う。

  そして数十日後には俺も円も退院し、慌ただしい日々が始まった。円との日々は毎日が新鮮で、刺激的なものであった。緑さんのフォローもあって、なんとかやれていた。俺は高校を辞め、歩のつてで夜間の病院の事務員兼、夜間の警備員となってを死ぬ気でお金を稼いだ。緑さんはWEBデザイナーの仕事を休職し、円の世話を見てもらっていた。

 八月の終わりも近づいてきた。長い、八月だった。思えば思縁が植物人間になってしまったのも去年の八月からで、つくづく八月には人生の節目がやってくるものだと思った。

 明日からまた、慌ただしい喧騒の日々が始まる。ただ今は憂いなく明日に向かうために、思縁と共に家族で最後の八月の夜を迎えることにする。


 9月。朝になり、病室に眩い光が差し込んできた。思縁の退院する日だった。円は二か月程先に退院したため、俺は緑さん宅で育児の日々を過ごしていた。ついに思縁が家に戻ってくる。この日まで何度も嬉しかったり、苦しかったりして泣いた。しかし今日、この頃には、俺の涙は乾いていた。


「思縁の退院を見に来てくれたのか」


俺がそう言うと、病室には、他にも一人の少女がいた。

「はい。夏之夢さん。退院時は荷物も多くなりますし、人手がいるかと思ってきました」

穂乃果だった。穂乃果はぼさぼさのロングヘアを触りながら、狼狽えた様子で返答をした。

「今日は学校の日だろ。受験生なんだし、来てもらって悪いな」

「学校は大丈夫です。そもそも最近、あまり行く気にならなくて、行ってないので」

「そうか」

「はい」

穂乃果はバツが悪そうに、俺の目を見ようとしなかった。確か、歩が言っていたな。穂乃果は罪悪感でいっぱいで、調子が悪いと。なにか、俺にできることはないだろうか。そんなことを考えていたら、

「なあ穂乃果、ちょっと元気なさそうだけれど、やっぱり思縁について考えているのか」

自然と口が動いていた。友達として、穂乃果の悩みを軽くしたいと思ったが故のセリフだろうか。

「はい。ずっと、ずっと考えていました。あの日のことを」

あの日のこと、それは、思縁が誘拐された夏の日のことだろう。無理もない。穂乃果はあの日、思縁とボランティアをしていたんだから。怖い思いをしたに違いないし、近くにいたからこそ、罪悪感や無力感が、一層強く感じるのだろうなと思った。

「そうか。あの日、もしよければだが、何があったのか教えてくれないか」

「はい。あの日は、働けない状態にある人に炊き出しを行っていました。思縁さんは英語が得意だったのは知っていますよね。それで、色々な人と英語で話をしていました。帰り際、目が離れている隙に、思縁さんの行方が分からなくなり、もう、本当にどうすればいいか分からないし、怖かったです」

「怖かった、よな。もう、俺よりもずっと。そうだよな。もしかすると、思縁じゃなくて、穂乃果が誘拐されていたかもしれないし」

俺がそう言うと、穂乃果は涙を流しながら、

「いっそ、私の方が誘拐されていた方がよかったと思います。そうであったなら、思縁さんはこんなことにならずに、夏之夢さんも学校を辞めるなんてこともなかったのに。私、みんなに申し訳ないです。思縁さんは、特別な人で、多くの人に慕われていました。私は、思縁さんを助けてあげられなかった。それどころかこんなにもたくさんの悲しみを生んでしまいました。もう、本当に申し訳なくて、今となってはどうしようもないのが悔しくて、悲しくて、つらくて」

と、気持ちを漏らした。俺は穂乃果の悲痛な声に、胸が締め付けられつつも、言葉を探した。

「穂乃果、穂乃果の気持ちは、俺も今、分かったよ。話してくれてありがとう。でも、そんな、自分が誘拐された方がよかったなんて、そこまで言うのは違うよ。穂乃果が誘拐されたら俺は悲しい。歩や思縁だって悲しむ。俺や思縁に罪悪感を抱いてくれるのは、俺や思縁を大切に思ってくれている証拠だよな。本当に嬉しい。ありがとう」

「でも」


俺は続けて、


「それで自暴自棄になるのは、違うよ。うまく言えないんだけれど、背負いすぎなくて、いいからな。穂乃果。たしかに俺は今学校を辞めて働いてる。死ぬほどきついよ。でも、円や緑さんと家族になれた。家に帰れば、二人が待ってくれている。前にも言ったかは覚えていないんだけれど、俺は家族がいなかったんだ。事故で亡くしてな。そんな俺に、今は帰る場所がある。それは、俺にとってとても幸せなことなんだ。状況は辛いが、見方を変えれば、俺は頑張れる。明日へ向かっていける。だからさ、ずっとマイナスな方向へばかりとらえて、絶望してしまうのは、穂乃果にとって良くないよ」

「夏之夢さん」

「ありきたりな言葉かもしれないけれど、俺は今、今ある幸せを守っていくことが、楽しいよ。俺は穂乃果にも、できれば楽しい気持ちでいてほしい。友達だから。」

「そこまで言ってもらえると、そうですね。なんだか、勇気がわいてきたような気がします。心配かけてごめんなさい、夏之夢さん」

「いいよ、別に。とにかく、俺は俺で、今も楽しくやってるから、穂乃果も穂乃果で、将来の夢とか、楽しいことを考えたら、思縁も安心すると思うよ」

「そうですね。将来の夢かあ。まだ、決まってなかったんですよね」

「今日は午後も空いているか? 円の顔も見せてやりたいし、将来の夢も俺も一緒に考えたいからさ。その、もし穂乃果がよければだけれど」

「いいですよ。学校はもう不登校気味で、今日くらいさぼってもほかの人もあまり気にしませんから」

「そうか。俺もさ、一年のころは不登校だったんだ。留年しかかるくらいの、とびきりのやつでな。今日は、パーっと、遊ぶとするか」

「ふふ、思縁さんがいたら怒られそうですね。でも、今日くらいは、お言葉に甘えようと思います」

「おう」

「なんかさ、俺と穂乃果って、少し似ている気がするんだよな」

「そうですね。なんか」

「不登校コンビだし、そこまで将来に対する熱い夢を持っているわけじゃないとかさ」

「はい。なんかお互いにやや冷めているというか、そうですね。一緒に居て楽だなと思います」

「俺も。これからも、元不登校コンビとしてなかよくしてくれ」

「ええ、こちらこそ」

そうして、穂乃果は久しぶりに笑顔を見せてくれて、俺は安心した。とそこに、

「失礼します。夏之夢君、思縁ちゃんの退院の日、今日って聞いてクラスのみんなで手伝いに来たよ」

病室に歩と数人のクラスメイト達がやってきた。

「みんな久しぶりだな。歩も最近は勉強はどうだ」

「そうだね、合格率は80%くらいまで、かな。今日は手伝いに来たんだけれど、穂乃果ちゃんもいるね。なんか、前より元気そうだね」

「はい、夏之夢さんと色々話して、気分が晴れました。まだ悩みはあるんですが、これから私は私の日常に戻ろうと思います」

「それよりも、今日は平日だぞ。歩やみんな、受験あるのに病院来て大丈夫なのか」

「あはは、そこは一応クラス委員の僕が先生に許可をもらって来ているから大丈夫。勉強的には、僕は少しだけ大丈夫だけど、ほかには大丈夫じゃなさそうな子もいるかな」

と、歩は苦笑いをしながら言った。

「おいおい、大丈夫かよ」

「多分。ま、まあ、学校辞めちゃった夏之夢君とはみんなとちゃんとしたお別れ会してなかったし、やりたいねって話していたんだ。」

「そうか。ありがとう」

「いえいえ。それでさ、さっきちらっと午後も遊ぶって聞こえたからさ、僕たちも、混ぜてよ」

「さっきからいたのか。盗み聞きは、良くないぞ」

「そうだよね。めんぼくない。夏之夢君にそう言われると、なんだか思縁ちゃんに怒られているような気がしてくるよ。でも、タイミング的にちょっとまずいかなって思ってさ」

「確かに、そうだな。穂乃果と大事な話をしていていたし」

「うん」

「まあじゃあ、午後はみんなでぱーっと遊ぶか」

俺がそう言うと、

「そうしよう」


と、歩をはじめクラスの面々は盛り上がった。


……。


しばらくして思縁の退院準備が終わり、みんなで俺の自宅へ行くこととする。


思縁にどこかで見られているかもしれないから、格好をつけて勇み足で病室を後にする。昨日まで本当に苦しい毎日だったし、これからも大きくは変わらないだろうけれど、気持ちを新たに明日を切り開いていこうという決意を胸にし、俺は今日も、籍は入れてないが、気持ちは若林夏之夢として走り続ける。


「……」




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