出会い2
ガラガラと音を立てて教室のドアを開けると、そこには思縁が椅子に寄り掛かっていて、窓から景色を眺めていた。
「あ」
俺に気が付くと、思縁は笑顔でこちらに寄ってきた。
「日誌、どうだった? 」
「思縁のおかげでなんとか間に合った。その、今日はありがとう」
「お礼なんていいのよ」
「そういわれてもな。俺が学校に来るまでの一週間、ずっと日誌を書いてくれていたし、その、すまないとも思っている」
「気にしないでいいの。これは私のわがままっていうか、自己満足だから。それにね、あなたの方こそ、日誌を書いて、私のわがままに付き合ってくれて、うれしいわ。だから、こっちこそありがとう。明田」
「俺が謝るべきなのに、なんだか思縁は変な奴だな。でも、思縁はいいやつだと、俺は思うよ」
俺がそういうと、思縁はふふっと笑って、
「ありがとう、そう言ってもらえると、うれしいわ。でも、変なのはお互い様。いつも学校に来ないのに、来たら日誌を書いてくれるんだもの。あなたって、真面目なのか不真面目なのか、分からないわ」
「まあ、事情があるんだ」
色々とな。
「ふうん。そっか。いつか言える日が来たら、話してみてよ。ここのクラスの人、みんないい子だし、私も力になりたいしね」
「ああ、いつか、思縁になら話せそうな気がするよ」
「うん。それがいいと思うわ」
「おう。あ、そういえば」
思縁との会話で忘れていたんだが、帰りにココアを買ったんだった。ポケットから取り出すと、缶はまだ温かい。
「これ、あげる。お礼だ」
「ココアなんて、買ってこなくてもよかったのに。でも、ありがとう。美味しそうね」
「一仕事終わったし、飲もうぜ」
「ええ」
ココアを口にする。とても甘かった。わざとらしいほどのカカオの風味が、日誌を書くのに使った頭を、柔らかくしていくような気がした。
「……」
思縁も口にする。
「美味しいわね」
「ああ」
思えば、こうして異性と話しながら飲み物を飲むなんてことはなかったため、少し緊張する。死んでいたと思っていた味覚が、突然の甘い味に驚いたかのように、余計に動揺していく。が、しっかり隠すこととする。思縁に悟られて、変に思われたくはないと思ったからだ。
「そういえば、美味しいといえば、秋だし美味しいものが増えてくるわね」
「もう11月か。涼しくなってきたな」
思縁の一言に、ふと意外に思い驚いた。この高校に入学して半年と少し、毎日一人で灰色の生活をしていた俺には、季節の感覚にも無頓着になっていたからだ。
「うん。明田って秋の味覚で好きなものってある? 」
「ううむ、そんなにないな」
「なにかあるでしょう。秋刀魚の塩焼きとか、栗ご飯。松茸ご飯なんかもいいわね」
「どうだろうな、あまり、旬の食べ物は食べないんだ」
「どうして? 美味しいのに。お母さんは作ってくれないとか? 」
母か。俺には、そんな人はもういない。
「俺は一人暮らしなんだ。自炊もしていないし、毎日コンビニ弁当でな。あまり、特別に美味しいものを食べる習慣はないんだ」
「あら、それはもったいないわね。それに、不健康だわ」
「一応は野菜ジュースを毎日飲んではいるが」
「それも不健康だわ」
「まあ、習慣だし、仕方がない」
ああ、これは、習慣と化していることだ。学校が終わるとコンビニに寄り、適当な弁当と野菜ジュースを買って、家に帰ったら機械的に食べていく。それの繰り返しだ。別にもう慣れた。コンビニの弁当だって、美味しいし。
「仕方ない、わね」
「ああ、仕方ない」
こんな話より、もっと面白い話をしよう。……なにかあるかな。と思っていたら、思縁は、
「仕方ないついでに、私が明日、明田にお弁当作ってきてあげるわ」
と言った。
「弁当を、作る!? 」
「そう。私が作ってあげる」
突然の彼女の提案には驚いた。
「いや、しかしだな」
「なに、不満なの? 」
大きな瞳でこちらを覗いてくる思縁。
「不満ではない。むしろ嬉しいよ。でも、いいのか。そこまでしてもらって」
「気にしないで。あなたが幸せなら、私も幸せだから」
「そうか、分かった。じゃあごちそうになるよ」
「それがいいわ」
そう言って思縁は、ふっと笑った。秋の夕日に照らされたその女性は、とてもきれいだった。思縁の体は、制服の上からうっすらとわかる程度に、大人とも子供とも言えない程度に曲線を美しく描いていて、俺には少しだけ、意図しない刺激があった。そして、そう思ってしまったことに申し訳ない気持ちと、そう思ってしまった自分に対して、これからもこんな風に、一方的に異性を意識してしまうことがあり得るのだという、あきらめのような軽い絶望を抱いた。
「じゃあまた、明日。明田クン」
「ああ」
そう言葉を交わした後、思縁は部活の弓道部へかけて行った。
俺なりに平静を装っていたけれど、思縁は、とてもきれいだった。神様を信じ、まっすぐ俺とも向き合ってくれる人。完ぺきではないのかもしれない。ただ、俺には完璧な人に思えた。それは、きっと彼女が何事に対しても一生懸命で、能力や経験が、あらゆる方向に高いからだろうなと思う。彼女は、今でもなんて事のなくかかわってくれたが、きっとその今に至るまで、血のにじむような、努力をしてきたのだろうなと思う。
そして俺は、汚かった。学校から逃げ、目の前の思縁を変な目でみて、今に至る。そんな苦い、黒い青春を味わっていると、すぐに日が暮れてきた。
「やっぱりあの人、変わっているな」
若林思縁。俺が会った中で初めて見るタイプの人だった。
神様がどうとか、言っていたな。きっと、信心深い人なんだろうなと思った。この国は特定の宗教に肩入れしている人は少ないが、ああいった人も本当に居るんだな。
それにしても、明日の昼飯は思縁の手作り弁当なのかと思うとドキドキしてくる。今日は、俺には刺激が強い日だなと思った。
どうして彼女は俺にそこまで尽くしてくれるのかは分からないけれど、明日のご飯はきっと、今日飲んだ甘いココアよりも温かみのある気分にさせてくれるものなのかも、と、期待している自分がいて、恥ずかしかった。
手作りの食べ物なんて、何年ぶりだろうか。とにかく、言葉に言い表せない感謝、喜びのような気持に、戸惑うばかりであった。




