葛藤と道のり1
今日も思縁の見舞いに行く。夏休みもまだあり、思縁のいなくなった俺の中には、欠落感があった。思縁の顔を見ていると気がまぎれるから、今日も見舞いに行く。
「……思縁」
思縁は呼吸器を鼻につけており、なにも話さず、ただそこにいるだけであった。生きているのか死んでいるのか曖昧な、これが植物人間というものかと実感する。
ようやく会えたことに対する嬉しさよりも、もうこのまま起きないかもしれないことがただただ悲しく、切ない気持ちがじんわりと胸を締め付けていた。
もっと近くで、思縁を見たい。思縁を見守っていると、すぐに時間が過ぎていく。
しばらくすると、歩が見舞いに来た。
「ああ、おはよう歩」
「結構落ち着いているね。思縁ちゃんを見たら、平静を保てないんじゃないかって心配したよ」
「まあ、不思議と落ち着いているよ。なんでかは分からないが」
「そうかい。でもあんな大変なことがあったんだ。これからは、夏之夢君もゆっくり休んでね」
「ああ、そうさせてもらおうかな。でも、俺は謝らなければならない。思縁を助けられなくて、ごめん」
「そんな、夏之夢君のせいじゃないよ。謝らないでくれ。僕だって、何もできなかったよ」
「……」
俺たちはそれぞれの罪悪感からか、無言になってしまう。
「思縁ちゃんはもう目覚めないかもしれないけれど、でも、この体の中に新たな命が芽吹いているんだよね」
歩は思縁の手を優しく摩りながら、そう言った。
「ああ、来年の春には生まれるそうで、俺は父親になるらしい」
「そうなんだ。それは、おめでたいとは言えないけど、でも、新たな命の誕生は喜ばしいね」
「……ああ、そうだな」
歩は生まれてくる円に対して好意的に思っているようだった。だが、俺はどうしても思円が殺人しようとした犯人と思縁の子供ということが引っかかり、素直に喜べずにいたが、ここで歩の気持ちを逆なでするような発言はしたくないと思い、ぐっと堪えた。生まれてくる子に罪はない。俺なりに円と向き合う。そうは言ったものの、漠然としすぎていて、俺にはどうすればいいのか分からなかった。
そして、俺は歩に言わなくてはならないことがあった。
「歩。俺はもう高校やめるかもしれない。これから生まれてくるらしい思縁の子供を育てなくてはならないから」
「そうなんだ……。どうにか学校と子育ての両立はできないかい」
「両立はたぶん無理そうだな。お金も時間も、両方が厳しい日々になると思う」
「そうなんだ。じゃあ、少し寂しくなるね」
「ああ、ごめんな」
「気にしないでって言っても変な感じになるけれど、それでも、なにか君にできることはまだあるかな」
「そうだな。ただ一緒にいてくれれば、俺は十分だよ」
「分かったよ。夏休みは毎日君と思縁ちゃんの所へ行くよ」
「無理のない範囲でいいからな」
「分かった。思縁ちゃんの顔も見たいから、なるべく行くよ」
「ああ。その方が思縁も安心すると思う」
「やっぱり勉強を君に教えたいんだけどいいかな。高校を辞めるにしても、君のやりたかった大学で法律を学ぶことにいつか挑戦するかもしれないし、その時になにか力になれるように、大変だけど今のうちに一緒に勉強してほしいんだ」
「分かった。俺もできる範囲で努力してみようと思う」
「じゃあ、さっそく午後からから頑張ろうね、夏之夢君」
「ああ、よろしく頼む」
「ああ、よろしくね」
それから午後になり、勉強の話など二人で色々な話をした。夕方、帰り際になり、
「そういえば穂乃果はどうしたんだ」
「穂乃果ちゃんは、今は家にいるみたい。ボランティア中に一緒に居たのに、思縁ちゃんを見失ってしまったことに対して気にしているみたいで。夏之夢君にも合わせる顔がないって言って、ずっと家にいるって言ってた」
「そうか。穂乃果には、気にしないでくれと、言ってやってくれ。本当に、俺は、気にしてないから。なにか悩んでいたら、聞くから」
「分かったよ。夏之夢君、優しいんだね。穂乃果ちゃんも、きっと元気が出るよ。……それじゃあね、夏之夢君」
「ああ。またな」
「うん」
帰った後で、少しだけ思縁と二人きりになった。
夏ももうじき終わるのか外からはヒグラシの鳴き声が聞こえ、空虚な心に染みわたっていった。
「もう終わりだな、思縁。夏も、俺たちの青春も、なにもかも」
だが、思縁は何も答えはしなかった。
「楽しかった……楽しかったな、思縁」
……。