再会
「思縁、若林思縁さんをお願いします」
数週間後に日本に帰国した思縁のいる病院へ向かう。案内された部屋に着くと、病室にはすでに思縁のお母さん、穂乃果、そして思縁の主治医がいた。
「思縁……」
思縁は眠っていた。体中、乱暴されたのか包帯やテープがいたるところにあった。中でもひときわ目を引くのは首にある、絞められた痕だった。犯人の手の跡がくっきりと、赤黒く染まって見えた。思縁は華奢な体つきをしている。それを、こんなに力いっぱい傷つけた犯人の思考に恐怖したし、なによりも思縁が心配だった。
「一命は取りとめたんですよね」
俺が口を開く。
「はい。しかし……」
医者は目を伏せる。思縁の母親も、悲しみに耐え忍んでいるのか目を開けない。穂乃果は先に事態を知っていて、これから俺が知ることに立ち会うことに耐えきれなくなったのか、無言で部屋の外に出て行った。
病室は、晴れた夏の日差しが窓から思縁に降り注ぎ、白を基調とした部屋に、外から見える緑色と空の青色が、とても綺麗であった。思縁はまるで、人形のように、ピクリとも動かなかった。
医者が口を開く。
「思縁さんは、植物人間と同じ状態なんです」
「それはつまり」
「たしかに一命は取りとめましたが、いつ目覚めるか分からない、ということです」
「そう、なんですか」
呆然とするほかなかった。すぐ目の前にいる思縁は、生きている。でも、いつ目が覚めるか分からない。つい数週間前まで一緒に笑いあっていたことを思い返す。
「首を絞められたことで、脳に酸素がいかなくなり、脳がダメージを追って意識に障害があると考えられます」
「……。はい」
「それと、言いにくいことなのですが、明田さんは思縁さんの恋人ということで、話した方がいいことがもう一つあります」
「なんですか」
と、医者に目をやると。
「そのことは、私から言わせてもらえないでしょうか」
思縁の母親が口を開いた。
「夏之夢君。今まで思縁のこと、気にかけてくれてありがとうね。こんな結末になってしまったけれど、思縁は、夏之夢君には感謝していると思うわ」
「はい」
「夏之夢君は、思縁とこれからも一緒に居たいと思ってくれる? 」
「もちろんです」
「ありがとう。でもね、一つ言わなきゃならないことがあって」
「はい」
覚悟は決まった。思縁と別れてほしい、と言われるのだろうか。俺は、それでも思縁と一緒にいたいと言うつもりだった。
「実はね、思縁の体の中には、新しい命が宿っているのよ」
「それ、は」
「そう。思縁と、誘拐犯との子供」
「な」
気が動転しそうだった。一瞬だけ、目の前が暗くなる。犯人は思縁を傷つけたばかりか、無理矢理に犯していたなんて。ここへきて初めて、犯人への殺意、復讐心が芽生えた。さっきまでは己の無力感や、思縁への心配、犯人への恐怖があった。でも、今は犯人への殺意の身が、真っ赤に心の中を塗りつぶしていった。
「それは、そんなことって、あんまりだ。思縁が何をしたっていうんですか。わざわざ異国まで行ってボランティアをして、いつも通り、思縁の言うところの徳とやらを積んでただけじゃないですか。なんで、なんで、よりにもよって思縁がこんな目に合わなきゃいけないんだ」
「夏之夢君」
「俺は、犯人を絶対に許しません」
そして、ひとしきりやり場のない怒りを腫らしたところで、はっと我に帰る。そういえば――。
「すみません、思縁のその、子供、どうするんですか」
問題はそこだった。思縁の子供、だが、憎きレイプ犯の子供だ。どうなるのか、俺には見当がつかなかった。
「それなんだけれどね、産むことにしたわ」
「そうですか」
自分でも、思ったより冷静であった。きっと、思縁の母も、思縁もこういうに違いない。
「生まれてくる子に罪はないから」
思縁の母はそう、口にした。やはり、親子なんだな、と思った。
「そこで夏之夢君、もういちど聞きたいんだけれど」
「はい」
「それでもまだ、思縁と一緒に居てくれる? さらに、思縁の子、名前は円っていうんだけれど、その子も大事に育ててくれることが出来る? 」
少しだけ、思考を巡らせる。思縁のことは愛している、というと恥ずかしいが、大好きだ。これからも一緒に居ようと思う。思縁の子、円は、俺も、思縁の子として、面倒を見ようと思った。であれば、答えは決まっていた。
「はい。思縁と一緒に居ます。円とも、俺なりに頑張ってみようと思います」
「そう、ありがとう。夏之夢君。あの子もいい子と付き合ったものね。私のことはもう、下の名前で、緑でいいわよ。これからよろしくね、夏之夢君」
「はい、よろしくお願いします。緑さん」
そうして、思縁が円を産む準備期間が始まった。そして、俺も父親、正確には保護者になるための、心の準備が始まった。