流転の國 不調
『悪魔変化』したルーリ。
それは、いつ見られるのかしら…?
「マヤリィ様、お具合はいかがですか?」
体調が良くないと聞いて、ルーリがマヤリィの部屋に参上する。
「さっきよりはいいみたい。…ルーリ、水を取ってもらえるかしら?」
「はっ。こちらでよろしいでしょうか?」
「ありがとう」
マヤリィはソファにもたれたまま水を飲む。
「昨夜も色々と昔のことを思い出してしまって…眠りにつくまでずっと苦しかったの…」
そのせいでよく眠れなかったのだろう。
マヤリィの顔色は悪い。
「ルーリ、貴女が来てくれてよかったわ。今日はしばらくここにいてくれる?流転の國の主としては本当に情けないことなのだけれど、一人では心細いの」
「畏まりました、ご主人様。私の知らない所で貴女様がお苦しみになられる方が何倍もつらいことにございます。私をお呼び下さり、傍にいさせて頂けること、大変嬉しく思います」
ルーリは跪き、頭を下げる。
「ルーリ、隣に座って頂戴。貴女の体温を感じたいわ」
「はっ。…では、失礼致します」
「…こうしていると、貴女は普通の人間と変わらないわね。昔、私が想像していた悪魔はもっと恐ろしい姿をしていたわ。貴女は本当に美しい」
そう言ってマヤリィは微笑む。
「マヤリィ様、私は恐らく貴女様が想像なされていた『悪魔変化』も出来ますが、お目にかけた方がよろしいでしょうか?」
「そうなの?では、いつか見せて頂戴」
マヤリィは怯まなかった。
ルーリは見る者全てを魅了する美しきサキュバスであり、普段は人間と変わらない見た目をしているが、それらとはまた違った姿も持っているらしい。
「『悪魔変化』したら、どんな魔術を使うの?」
可愛らしい上目遣いで聞かれる。
甘く優しく柔らかい声にルーリは魅了される。
マヤリィ様、貴女の方が夢魔みたいですよ。
「黒魔術に近い分野にございます。使役したことはございませんが、人に呪いをかけることも可能かと存じます」
「呪いをかけられるの?私、元いた世界に呪いたい人が沢山いるわ…」
マヤリィ様、貴女の方が悪魔みたいですよ。
「…出来ることなら貴女様を苦しめた者共に、私が直接、苦痛を与えたいところですが…」
「ありがとう、ルーリ。貴女がそう思ってくれるだけで充分よ。…もしかしたら今頃、貴女の念が届いて元の世界の連中は呪いにかかったかもしれないわね」
そう言って微笑むマヤリィ。
「私、子どもの頃から虐められてばかりだったし、大人になってからもなかなか優しい人に出会うことが出来なかったの。でも、この流転の國では皆が私に優しくしてくれる。…私、これからもずっとここにいたいわ」
「誰よりもお優しいのは貴女様にございます。貴女様の慈悲深いお心に流転の國のみならず桜色の都の者達も救われたことでしょう」
『クロス』が流転の國に来た時のことを思い出してルーリが言う。あの時、マヤリィは誰も殺さなかった。誰も傷付けなかった。
結果、今のバイオは流転の國の魔術師だし、桜色の都から引き抜かれたシャドーレも幸せに過ごしている。
ルーリは思う。
(やはりマヤリィ様は優しすぎる。…出来たら、その優しさをご自身に向けて下さるといいんだが…)
それはなかなか難しいことなのだろう。
ジェイが言うように、マヤリィは自分の苦しみを隠すのは上手だが、自分に優しくすることは苦手らしい。
(マヤリィ様の手首の傷、増えてないよな…?)
彼女はいつも長袖を着ているので、一緒にベッドに入らない限りはその肌を見ることが出来ない。それに、手首だけでなく脚にも似たような傷があるのをルーリは知っている。勿論、服を脱がなければ分からない場所だが、それもまた自傷行為の痕だと知ってしまったルーリは、ベッドの上で傷痕を目にするたびに彼女の苦しみが残っているようで悲しくなった。しかも、それはシロマの『完全治癒』魔術でも消えないという。
リストカット。レッグカット。
悲しいことだが、マヤリィが元いた世界で死なない為には必要なことだったのだろう。心の痛みを身体の痛みで紛らわす自傷行為はその場しのぎにしかならないが、逆に考えれば苦しい場面をやり過ごす一つの手段でもある。その背景にある様々な悩み苦しみを考えれば、自傷行為に及んだことを一概に責めることなんて出来るわけがない。
(マヤリィ様の御為に私は何が出来るのだろうか…)
この間の二重人格のことといい、マヤリィが抱える病の重さをどこまで自分が理解しているのか、時々ルーリは分からなくなる。そして、そのたびに自分の無力さを思い知る。
「ルーリ?」
ふいに隣に座っているマヤリィが話しかけてくる。
「ルーリ、何を考えているの?なんだか難しい顔をしているわよ?」
そう言ってマヤリィが不思議そうに首を傾げる。
いくらマヤリィでも人の心を読むことは出来ないが、ルーリが深刻な表情をしているのを見て心配になった。
「も、申し訳ございません。貴女様の前で黙り込むなど、大変失礼致しました」
「気にしないで頂戴。貴女が何か難しいことを考えているのではないかと思って気になっただけなの。…あ、内容は言わなくていいわよ?」
そう言ってマヤリィはルーリを抱きしめる。
「…でも、何か悩み事があるなら話してね」
「マヤリィ様…!勿体ないお言葉にございます。貴女様のようにお優しいご主人様にお仕えすることが出来て、ルーリは幸せです…!」
マヤリィの抱擁に応えるルーリ。
ルーリの悩み事といえばいつだってマヤリィのことなのだが。
「ありがとう、ルーリ。これからもずっと私の傍にいて頂戴」
いつの間にか、マヤリィの顔色は少し良くなっていた。
自傷行為。それは身体を傷付けて痛みを与えることで心の痛みを紛らわす行為でもあります。
個人差がありますが、マヤリィは傷痕を誰にも見られたくないらしく、いつも長袖を着ています。リストカットではなくレッグカット(リストカットと同じやり方で脚を傷付ける行為)をするようになったのは、これ以上目立つ部分を切りたくないと思ってのことだったのかもしれせん。
ルーリは新しい傷が増えていないかと心配していましたが、マヤリィは流転の國に顕現してから一度も自傷行為をしていません。