流転の國 午後11時
《お願い、助けて…!私…もう無理よ……》
そんな『念話』が聞こえたのは、夜の11時を回った頃だった。
(姫……!!)
誰に送るでもないその言葉を彼は受け取った。
《こちらジェイ。姫、どちらにいらっしゃいますか!?》
しかし、返事はない。
泣いているのかもしれない。
(こうなったら姫の魔力を辿るしかない…)
魔術を発動していない状態の人間の僅かな魔力を辿るのはとても難しいが、ジェイは流転の國の『隠れたNo.2』。マヤリィに限りなく近い精度の高い『魔力探知』をもって彼女の居場所を探し出した。
…魔力探知を発動したのは、彼女の精神が不安定になっている今、各部屋を回って探す時間はないからだ。
(良かった。休養室だ…!)
マヤリィの部屋ならば直接転移出来ないが、休養室ならば可能である。
「姫!大丈夫ですか…!?」
「ジェイ…!来てくれたのね……」
休養室に現れたジェイを見るなり抱きつくマヤリィ。
「もう大丈夫ですよ、姫。僕がついていますから」
そう言ってマヤリィを強く抱きしめるジェイ。
そのまま、しばらくの間マヤリィは泣き続けた。
やがて、少し落ち着いたマヤリィはジェイに聞く。
「私…念話を送っている自覚がなかった…。なのに、どうして貴方は気付いてくれたの?」
「僕には姫の声が聞こえたんです。何がなんでも行かなければと思いました」
「…そうだったの。貴方が来てくれて良かった。…私、悪い夢を見ていたみたい」
マヤリィはそう言って頭を押さえる。
「教えて、ジェイ。私は…どうして抑圧されていたのかしら…」
「分かりません…。貴女を縛り付け苦しめていた人達のことなんて僕には理解出来ません」
ジェイは言う。マヤリィの悪い夢は間違いなく『元いた世界』での出来事だろう。
「姫、僕は今まで貴女に過去を忘れろだなんて言えませんでした。そう簡単に忘れられるわけがないのに、無責任なことは言えなかった」
ジェイはマヤリィの手を握り、涙に濡れた瞳を見つめる。
「でも、今は言いたい。…姫、過去なんて忘れて下さい。貴女を苦しめる過去など忘れ去って、僕と幸せに暮らしましょう。僕だけじゃありません。貴女には、他にも大切な人がいるでしょう?」
「そうですよ、母上様。過去は忘れても、タンザナイトのことは忘れないで下さい」
ジェイの言葉の途中でタンザナイトが転移してきた。
「ナイト…!」
「母上様。僕が生まれる前に何があったのかは存じ上げませんが、貴女様を苦しめる何かであることは分かります。…どうしても忘れられないのなら、僕に教えて頂けませんか?貴女様の苦しみを僕にも分けて下さい」
ナイトはそう言ってマヤリィを抱きしめる。
「ナイト……」
マヤリィはどうしようかと思ったが、話しても話さなくても苦しいことに変わりはないので、ここはナイトの言う通りにしようと思った。
「まずは私の髪について話させて頂戴。…私、ずっと長い髪をしていたの。そうね…桜色の都の女の人みたいな感じかしら」
いざ話し始めると、黙っているよりも話した方が少しは楽になる気がしてきた。
時々、涙があふれて話せなくなったが、そのたびにジェイがそっと涙を拭き、ナイトが優しく抱きしめた。
「…流転の國に顕現したのは二年ほど前よ。…そう思うと、随分と時間が経ったのね」
マヤリィは簡単に話したつもりだったが、気付けば真夜中になっていた。
「けれど、今も私は悪夢に魘されて、フラッシュバックを起こしてしまう。…いつになったら私の病気は治るのかしら」
そう言って悲しそうな顔をするマヤリィをジェイとタンザナイトが同時に抱きしめた。
「母上様、お話を聞かせて下さってありがとうございます。僕はこれから貴女様の『元いた世界』に呪いをかけます」
「姫、貴女の…じゃなくて、僕達の娘は可愛いだけでなく頼もしいですね」
ナイトの言葉が真に迫っていたので、マヤリィは呆気にとられてしまった。
「ナイト…。貴女、そんなことが出来るの?」
「はい。『書物の魔術師』に出来ないことはございません」
真面目な顔でそう言われ、マヤリィは本当かもしれないと思ってしまう。
「母上様を傷付けた者達を僕は決して許さない。斯くなる上は、死んだ方がましだと思うほどの罰を受けてもらいましょう」
「姫…僕達の娘は可愛いだけでなく、とてつもなく恐ろしいですね」
タンザナイトの怒った顔を見るのは初めてだが、怖くなったジェイはマヤリィを抱き上げて遠ざかった。
そして、その間にマヤリィの身体を確かめる。
「…念の為に確認しますが、痛い所はありませんか?」
「ええ。自傷はしてないわ。パニックになって転んだりもしてないと思う」
「薬は飲みましたか?」
「飲んでないわ。睡眠薬はこれからだし」
気付けば、マヤリィは少し落ち着いた顔をしていた。
「これからお風呂にでも入ろうかしら。…ねぇ、ジェイ?」
「僕と…ですか?」
「駄目なの?私達、夫婦なのに?」
「い、いえ…全然駄目じゃないです!ですが…心の準備というものが…」
「何言ってるのよ?私の裸なんて見慣れているでしょう?…あ、ここで脱がせてくれてもいいわよ?」
「…姫。娘の前でそれはやめて下さい」
その時、マヤリィは真っ赤になってあっちを向いているナイトに気付いた。
どうやら呪いをかける儀式(?)は終わったらしい。
「か、構いませんよ。僕はあちらで待機してますので…。あ、お邪魔でしたら部屋に戻ります」
タンザナイトは耳まで赤くなっている。
マヤリィはその様子が可愛いと思いつつ、
「出来たら待っていてくれると嬉しいわ。…ちゃんと服を着て出てくるから心配しないで頂戴」
「はっ!畏まりました、母上様」
一瞬だけマヤリィの方を向いて頭を下げると、再びあっちを向くタンザナイト。
「…ということで、今から入るわよ、ジェイ♪」
「は、はい…!!」
ジェイは嬉しいような恥ずかしいような気分になりながらも、マヤリィが少し元気になったようで安心するのだった。




