流転の國 トリコフィリア
どうしたらいい…?
どうしたら地獄から抜け出せるの…?
「姫、一体何があったんですか?」
「ジェイ…!」
部屋を訪れたジェイを見るなり抱きつくマヤリィ。
その髪は無惨に刈り上げられていた。
「私が…やったの。自分で…」
いつもならセルフカットの失敗も嬉々として受け入れる彼女だが、今日は様子が違う。
「せっかく、もう少し伸ばそうと思っていたのに」
「姫…?」
思いがけない彼女の言葉にジェイは首を傾げる。
「髪の毛、伸ばすんですか…?」
「…ええ。ロングヘアにするつもりはないけれど、短すぎる刈り上げはやめようと思うのよ」
初めて聞く話だった。
長年の抑圧の果てにトリコフィリア(限定的に言えば断髪フェチ)という性的倒錯に堕ちたマヤリィは、自分の髪を刈ることに快感を覚え、それを肯定的に考えようとしていた。
しかし…
「もうこの性癖に振り回されるのは嫌なの。普通になりたい。…なのに、どうして私は切ってしまったのかしら」
今のマヤリィはセルフカットを後悔していた。髪を刈り上げてしまったことを後悔していた。…初めて。
その様子を見たジェイは言う。
「姫、貴女がその性癖を手放したいと思っているなら、協力しますよ。僕に何が出来るかは分かりませんが…」
「ジェイ……」
マヤリィは哀しそうな顔でジェイを見る。
「…髪を整えて欲しいの。きっと、物凄く短くなってしまうでしょうけれど」
そして、ジェイは鋏を手に取った。
「…姫。何かつらいことがありましたか?貴女が髪を切る時はたいてい落ち込んでる時ですから…」
マヤリィの髪を整えながら聞く。
「分からないわ。…ただ、切らない方が良いと思っていたのに、切ってしまった。私、自分がなぜ落ち込んでいるかも分からない…」
心は病に堕ち、トリコフィリアに足を掬われた。
マヤリィは微動だにせず、さらに短くなっていく自身の髪を見つめていた。
「ジェイ、ありがとう…」
哀しそうな顔で、刈り上げた頭を触るマヤリィ。
こんな彼女を見るのは初めてだ。
「姫…」
ジェイは彼女を抱き寄せ、すっかり短くなった髪を優しく撫でる。
「可愛いです。トリコフィリアなんて関係ない。大胆なベリーショートの貴女は凄く可愛い」
時は令和。今の日本では、マヤリィのようなベリーショートの女性は珍しくないだろう。…ここは流転の國だが。
「…でも、僕はもう姫の髪を切りません。貴女の刈り上げが伸びるのを楽しみにしてますよ」
「ジェイ……」
「そんな顔しないで。大丈夫ですから」
ジェイはマヤリィを抱きしめる。
短くしすぎたことを忘れる長さになるまで、そう時間はかからないだろう。ベリーショートはあっという間に伸びたように感じるから。
「落ち着かないのは今だけですよ。すぐにいつものヘアスタイルに戻ります。…ウィッグ、用意しましょうか?」
「そうね…。衣装部屋にあるかしら…」
彼女が髪を切って落ち込んでいるのは本当に珍しい。
さらに口数も少なくなっているので、その分ジェイが色々と喋った。
「衣装部屋はその時その人が必要としている物、求めている物が必ず見つかる所です。…すぐにルーリを呼びますよ。良いですよね、姫?」
「ええ…」
《こちらジェイ。今からマヤリィ様を連れて衣装部屋に行くけど、後は任せていいかな?》
俯くマヤリィを抱きしめたまま、ジェイは『念話』を送った。
《こちらルーリ。委細承知した。衣装部屋の前で会おう》
ルーリの念話は簡潔だった。
マヤリィの件でジェイが連絡してくるということは、彼女に何かあったに違いない。ならば、念話ではなく直接会って話を聞きたい。
「畏れながら、マヤリィ様。こののちは私が貴女様とご一緒してもよろしいでしょうか?」
ルーリは衣装部屋の前に『転移』してきたマヤリィの前に跪き、恭しく頭を下げた。
衣装部屋から出てくるのは女性の衣服や靴、ジュエリーといった物なので、ジェイは入れない。
マヤリィの肌を見慣れているとはいえ、男子禁制の衣装部屋に入ることは許されないのだ。
「ルーリ…!」
マヤリィはそれ以上何も言わず、ルーリに抱きつく。
ルーリは微笑みながらマヤリィを受け止める。
「畏れながら、マヤリィ様。衣装部屋の前に、第2会議室で愉しむというのはいかがでしょうか?私が貴女様を癒して差し上げられればと思っております」
今にも『魅惑』を発動しようとするルーリ。
ジェイは止めようとするが、マヤリィが拒まないでいるのを見て言葉を呑んだ。
「…姫、何かあったら呼んで下さい。…ルーリ、後は任せたよ」
「了解した」
ルーリは頷くと、マヤリィを見る。
(御髪を短くされた件に関しては、後で伺ってみよう…)
あまり触れたくない話題だが、聞いておかなければならないこともある。
「…では、マヤリィ様。参りましょうか」
衣装部屋の常連にして、第2会議室を知り尽くした夢魔ルーリ。
マヤリィは彼女に抱きついたまま、小さく頷くのだった。
心に変化が訪れたマヤリィ。
いつになく沈んだマヤリィ。
そんな彼女に寄り添うのは、いつだってあの二人。




